(5月)
5月 1日(水) 女尊男卑その1
とにかく世の中に平等や公平を求める輩が後を絶たないが、そんなものは最初から存在しない。我が国においてはもちろん、取りわけ公務員の世界においては平等の概念がそもそも存在しない。
県庁において“平等”とは、議会やオンブズマンがいう“平等という大義を背負ったクレーム”を受け止めることであり、信念がない故に、時にギャグでしかない結果を生むことがある。
例えば、“部長クラスに女性の登用がない”問題の場合、無論出される解は『一定数の女性の登用』となる。この場合マスコミなどは、他の自治体や民間企業を引き合いにして女性登用の少ない組織を攻撃する。
攻撃された組織は戦々恐々として、とにかく女性の登用をして急場をしのぐ。
その結果として、“部長への登用は影響があるから、『部長クラス』だったらいいか。”という落とし所で、日本全国でにわか“女性管理職”が誕生していく。
そもそも、その“にわか”登用の女性部長が新規採用された時代は、“ウーマンリブ”という言葉がマスコミに登場し始めた80年代採用組であり、その時の女性の職場環境は、“女性はお茶汲み”という時代であった。
ここで敢えて補足しておきたい。筆者は、“女性はお茶汲み”をすべきとは全く思っていない。むしろ自分のことは自分でできるようにならなければ社会人ではないと思っている。家事も子育ても、コピーも・・・
基本は自分でできなければいけないと思っているし、筆者は実際これを全て自分でやってきた。
なぜ、ここでわざわざ筆者がこの稿を割いて説明しているかというと、“この前提がないと、以下で語るメッセージが意味をなさない。”からである。ただそれだけである。
5月 2日(木) 女尊男卑その2
話を戻す。80年代に件の“女性はお茶汲み”と言っていた男たちは、実は“採用する人事権限を持っていた男共”でもある、ということである。この事実が実に大事なポイントである。
想像して欲しい。当時の権限を持っていた男たちが“女性はお茶汲み”だけでいい、としか考えなかった場合、彼らはどのような女性を採用しただろうか?
(A女史) 器量はないが、バリバリ仕事をこなす男顔負けのキャリアウーマン
(B女史) 器量はそこそこ、仕事もまあまあだが向上心のない根暗な女性
(C女史) 器量はいいが、仕事ができない。ただ余計なことは言わない
(D女史) 器量は及第点、仕事はできないがとにかく明るい
以上の4名が面接に来たとする。いったい誰が採用されるだろうか。80年代初期の採用権者側の価値観を推察すると、最も高得点がD女史である。次点がC女史。A、Bに至っては、残念ですがまたの機会に・・・ということになる。
要は“男好みのお嫁さんにしたい人”を採用していた、ということである。
5月 7日(火) 女尊男卑その3
念のために言うと、当時でも無論採用試験というものはある。ただこれだけは知っておいて欲しい。
「女性は当時“殆ど採用されていない”」
ということである。当然である。如何に県庁と言えど、“お茶汲み”にそれ程人数は採用できない。100人採用であれば、数人程度いれば十分なのである。
結局どうなるか、というと、C、D女史数人が若い頃大して残業もしない職場でお茶汲みをしていたところ、急遽50代になってにわかに高いポジションを当てがわれ、あれよあれよ、と言う間に出世街道をまっしぐら、という図式である。
さらに念を押して言う。筆者は、
「“できる女性”は、それに相応しいポジションに就くべきだ。」
と思うし、
「女性だという理由で理不尽に不遇な人がいる世の中は改善されるべきだ。」
とも思っている。ただ、ここで著者がとりわけ何を主張したいのか、というと、
「にわかに“一定数の女性の登用”を社会から求められ、慌てて人材を探したが、80年代採用組は、とにかく“女性職員の絶対数が少ない”ということである。確率論の常識で言うと、母数が少ない集団の上位数人は、母数が多い場合のそれと比較して優秀である確立が低い、ということを言っているのである。
いわんや、採用した女性の数が足りないものだから、優秀如何を問わず、ポストが用意されている。反面、当時帰宅する女性を尻目に、コツコツと頑張ってきた男性が昨今辛酸をなめたまま退職していく。これが県庁の“いま”である。
5月 8日(水) 女尊男卑その4
なお、90年代以降採用された女性は、上述した基準で採用されてはおらず、かつ一定数以上の数が確保されていることから、数年もすればこの問題は解決されてくると思われる。
要は、我が国歴史上における労働史100年のスパンから言えば、対して問題とはならないこの事象も、個人の人生における20~30年という歳月は、看過するには余りにも大きな問題であり、実に不平等を禁じ得ない。
「奥山君は主幹昇格対象者なんだけどねえ。・・・その、まあ、今はほら、女性の昇格がうるさいから、ねえ、一定数女性を上げないといけないからさあ、なんだ、まあそういうことで仕方がないんだよ。」
机に両肘をついて、苦笑いをしながらそう語るのは、県職労組合委員長の佐々本である。労働者の権利獲得や身分向上、格差是正を唱える労働組合のトップが、不遇の男性の地位向上について無頓着、というのが今のご時世であり、あらがえない現実である。
「大丈夫。自分が辞めるときはTNT火薬を抱えて知事室で爆破しますから。」
奥山は、にこやかに佐々本に語りかけた。この人なら本気でやりかねないな、と背筋の凍る思いの友田であった。
5月 9日(木) 県警村の御仁その1
県警本部から奥山参事あて電話が来た。暫く談笑した後電話を切り終えた奥山は、おもむろに友田の近くにすり寄った挙げ句小声にて、
「面白い話があるのだが。」
と言ってきた。
こういった場合大抵は、内輪の暴露話か小さな武勇伝と決まっている。友田は仕方なくそのどちらかであろう話に耳を傾けることとした。
県警からの電話の主は、かつて知事部局に出向していて、かつ奥山と同勤していた「田川」という御仁で、当時の役職は“ラインの課長補佐”だったという。
その御仁によると、県警はとにかく上司(先輩)の命令は絶対であり、反論は同族のタブーであり、よってその禁を犯した者は、すべからく“県警村”の中において生存することが不可能である、とのことであった。
逆に言えば、県警とは個々の論理性と合理性を排すれば誠に一枚岩の屈強な組織であり、末端に属する“変革とリスクマネジメントを厭う者”にとっての楽園でもある。
さらに蛇足を重ねると、“脳(警察庁官僚)”と“手足(地方警察官)”が実に役割分担された“合理的な組織”であるともいえる。まさに“屈強なる筋肉”と“コンタミしない体細胞”を併せ持つ“シンプルかつ安定的な組織体”である。
その御仁が“知事部局への出向”という、村外での生活を余儀なくされたことは、いかにも不自由な生活であろうことは察するよりほかないが、存外この伏魔殿においてもタフに生存していたらしい。
5月10日(木) 県警村の御仁その2
“面白い話”にはなお続きがある。
かようにタフに生存していた御仁も2年目を迎えた頃、新しく異動してきた課長(以下この課長を「ネロ課長」という。)の暴君振りに耐えきれず、遂に松之大廊下において謀反にまで発展した。これを同課の職員の間では「田川の乱」といって後生に語り継がれている。
話の真相はこうだ。
もともとネロ課長は、県警の出向組がそもそも担当を持っていないことをいぶかしみ、課長より所在なげにしている田川補佐を疎ましくも思っていた。
そこへ組織編成の要請があり、出向組も立派な課の一員だという論拠から、田川に一人前の担当をあてがった。
そもそも県警職員の知事部局への出向には経緯があった。当時同課では、規制部署という職務上から暴力団による威圧が横行しており、担当個人への嫌がらせ事件も起こっていた。
これに憂慮した県庁の上層部が県警本部に対し派遣職員を要請のうえ、生活安全部から“警部クラス”の壮年の警官が2年毎に派遣されてくることとなった。
当時から彼らの職務は“用心棒”であり、それが職務の全てであった。知事部局もそれ以上の期待もしないし県警もそれ以上の仕事はさせない、という“暗黙の了解”事項であった。ネロ課長はそのような経緯を知るよしもなく、自らの経験と常識に基づきこれを断行した。
結果、かつてない業務が田川のもとへ舞い込むこととなり、これが故に日々苦悩の日々が続いた。
正式に課内異動が発表される直前の3月初旬、たまたま退職職員の慰労会の2次会において“その事件”が勃発した。
先行は田川補佐。
「これまで前任に聞いたりしましたが、県警出向組が担当を持ったという話は聞いたことがありません。本当に課長がいわれるように県職員と同じような仕事を持たせるということであれば、県警本部に掛け合って、自分を戻してもらうようお願いしようかと思います。」
そして田川は付け加えた。
「そうなると、県警からはおたくの課に出向する者はいなくなると思いますよ。」
翻意を期待した田川の諌言に対し、後攻のネロ課長が即座に反応した。
「田川くんは県警の職員とはいえ、派遣されて県庁に来ているんだから俺の部下だ。俺の部下である限りは俺の言うことを聞いて貰わないといけない。人事権も当然所属長である俺にあるから、君の処遇などいかようにもできるんだぞ。」
お互いに酔っているとはいえ、このような語気を強めた応酬に対し、日頃から苦悩していた田川も堪忍袋の緒が切れた。
「お前は俺の上司でも何でもない。人事権は県警本部にあるから、そんなこと言われても怖くとも何ともない。それよりも今のことは本部に伝えるから覚悟しておけ。来年からは派遣そのものから県警は一切手を引くからな。」
「それから1年強のあいだ、田川は担当をたらふく持ったうえで辛酸を舐め続けることとなるのであった。おしまいおしまい。」
他人の不幸がこれほど御馳走となる男も珍しい・・・友田は、講談師然として張扇を打つ奥山に戦慄を覚えた。
5月13日(月) 「指導行政」「通知行政」って何やねん?その1
日本は法治国家の国である。そういうことは言わずとも知れたことであるが、この“法治”の意味を知るものは意外と少ない。
この“法”とは、ほぼ民定法であり成文法のことをいう。民定法は即ち、欽定法(国王や皇帝などの個人が定めた法)の対義語で、文字通り主権者である国民(その附託を受けた議員)が定めたものである。また成文法は、即ち慣習法(掟や風習のように文章となっていない法)の対義語で、文字通り文章に書かれている定めである。
我が国におけるこの法の体系は、大別して大きい順に「憲法」、「法」、「政令」、「省令」、「通知(通達)」に別れており、それぞれ定めの範囲や役割と意志決定の方法が異なる。
まず“憲法”であるが、両院の国会議員の各3分の2以上の賛成をもって発議し、国民投票の過半数の賛成をもって承認される。・・・なお、これ以上の説明はとりとめがないので割愛する。
次に“法”である。各法は国会において提案され、両院出席議員の過半数で成立する。衆議院の優越とか細かな話もあるが同様に割愛する。
続いて“政令”である。政令は文字通り“政”府が出す命“令”である。政令は定期的に行われる“閣議”(首相及び各大臣等が集まる場)で提案され成立する。政令は、法律の規定について詳細を述べた“因みに”の部分であり、これを法律に記すとなると法律が長文になるため、税法などの“租税法定主義”であるものを除き、法律は“幹”の部分のみ記し、枝の部分を“政令”に任せるというシステムとなっている。
“省令”とは、大臣など各省庁の長が定めるものであるが、通常は局長権限で決裁され大臣等の名前で公布される。そして省令は、法律や政令で賄えない専門的な決定などの“判断基準”や“基準となる数値”などを定めたものであり、専門的となるので各担当省庁が専決する。
最後に“通知”である。通知は、法の運用に当たっての取り決めである“依命通達(次官通知)”や法施行後の隘路となっている判断基準についての指針など“葉”の部分に相当し、法の隙間を埋めるものである。
著者は、この通達についてこの項で特に以下のとおり詳論したいと考えている。
5月14日(火) 「指導行政」「通知行政」って何やねん?その2
まず、力を込めて言うことがある。それは、“憲法(根)と法(幹)”は国民の代表者である国会議員が意志決定をするが“政省令(枝)”と“通知(葉)”は“官”が意志決定をする、という点である。
確かに上記の各項目の説明における字面を見ると、なるほど必要且つ合理的なシステムである。これより合理的なシステムは、現時点でこの世には存在しない。
しかしながら、である。敢えて極論する。
『この世の法体系は、事実上“通知”で動いている。』
のである。
ここで終わると、単なるゴシップ本となるので以下に具体を記載したい。
例えば、誰かが道路の右側を自転車で通行していたとする。これは立派な“道路交通マナー違反”であることは周知のことであるが、法令上の規定でいうと、車両(自転車などの“軽車両”を含む。)は、『道路交通法』第17条第4項に基づき、道路の左側を通行しなければならない、とされており、よって“法律違反”となる。これに違反すると、同法第119条第1項第2号の2の規定に基づき、3ケ月以下の懲役又は5万円以下の罰金となる。
ところが、自転車の右側通行を警察官が目撃したところで懲役を喰らう者はまずいない(罰金はあるかも知れないが殆ど見かけない)。せいぜいパトカーのスピーカー越しに、
「自転車は左側を通行しなさい!!」
と“指導”がある程度である。要は警察官の“さじ加減”である。
そこで交通違反は警察官の“さじ加減”と表現したが、さすがに警官個々人が“探偵マイク・ハマー”を気取る訳にはいかない。そこでこの国では警察官が現場で判断できるよう、一定の指針が設けられている。
例えば、平成19年7月12日付け警察庁丙交企発第 83 号、丙交指発第 31 号、 丙規発第 32 号、丙運発第 22 号警察庁交通局長通達「自転車の交通秩序整序化に向けた総合対策の推進について」や、平成19年7月10 日付け交通対策本部決定「自転車の安全利用の促進について」添付『自転車安全利用五則』など、専門のハンドブックが出来上がるような通達集が出来上がっており、研修などの折々の機会において警察官がお勉強をするのである。
再度言うが、法律がなければ通知・指導は存在しないが、通知・指導がなければ法律は死文になる。
以上、日本が“通知行政”や“指導行政”といわれる所以である。
「俺様は憲法をも超越した存在である。頭が高い!!ひかえおろう~~」
夕方を迎え班長以上が帰ってしまった後、奥山がいつものようにアウトローと化していた。友田は、日中課長から頂いた宿題を早めに終わらせるため、“へへー”と形骸的に平伏しておいた。
5月15日(水) お茶は私のおごり
「はい、このお茶は私のおごり!!」
森田主幹は、打合せに来庁した出先のイケメン係長に対し、自らお茶を淹れはじめた。
50歳という妙齢の御婦人で、長躯を折り曲げて擦り寄る様は、さながら百貨店の1階にある化粧品売場の店員が訪問した常連に擦り寄る仕草のそれのようだ。
わが国では、来訪者に対しお茶(又はコーヒー)を出す習慣があるが、民間企業の場合会社の経費で賄われるのが常識である。
しかしながら県庁の場合は、知事室や部長室など高級職員と面会する高級な方々への高級なお茶の給仕を除き、一般的に一般県職員のもとへ赴く庶民たちに出される粗茶は、県職員のポケットマネーから支払われている。
ポケットマネーというとイメージし難いが、仕組みは以下のとおりである。
まず“互助会”という“助け合い基金”のようなものが各組織にあり、その基金が各所属内における福利厚生の原資となる。この会の会費は、大抵所属に配属が決まったと同時に半強制的に給与から天引きされるという、実に共産主義的なシステムである。
「あんたたちは、私の好みだから特別に淹れてあげる~♡」
おばちゃん県職員ならではの“おばちゃんギャグ”でもって、森田主幹は場を和ませた。
なお余談ではあるが、社会人なら当然に所持している“名刺”についても、お茶同様各職員の自腹で作成している。
因みにケチ臭い職員や異動前の者などは、大抵余計な出費をしたくないので、
「あっ、今名刺を切らしておりまして・・・」
と胸ポケットをさすりながら返答するが、実は名刺などそもそも作る気がないのである。
正味印刷屋に頼むと、100枚当たり2千円程度かかるため、家族持ちの、特に共働きでない公務員の場合、旦那のお小遣いは大変過少であることから、少なからぬ“痛い出費”になるのである。
「名刺を切らして・・・」
と言う県職員がいたら、異動前かシブチンと思うべし!!
なお、税務職員(特に収税職員)の場合は、上記に関わらず意図的に名刺を作らない。
なぜなら渡したが最後、逆恨みした滞納者の一部から毎日のように“いたずら電話”の餌食となる危険性があるからだという。いつ誰から恨まれるか分からない。
「俺は凄腕の敏腕税務職員だったから名刺を作れない“さだめ”なのさ。」
屋上屋の表現を駆使しながら、奥山はただただケチな男であることを見透かされないように振る舞ってはいるが、如何せん漂うただならぬ“ケチのオーラ”に、“汚物をくるむ風呂敷無し”と脳裏がさんざめく友田であった。
5月16日(木) 「政治」と「行政」の不可分なる領域その1
県民は、平気で行政に「法律変えろ」だの、「条例変えろ」とかいう。
当然ながら県職員は法律を変えることができない。また、条例は変えることはできるが、県民の合意が不可欠であり、行政が恣意的な判断により民意を優越することができないのは条理である。
一方県議は、平気で自らを、“俺たちは県政をチェックするのが仕事”とのたまう。
県議は、“県議会”という“地方立法府”にいるのだから、いつでも“条例”を作ってもよいのだが。
県政を“チェック”せずとも、どうぞ立法に参画していただきたい。“チェック”だけでいいなら、監査委員がいるし、国費であれば会計検査院もいる。民間の外部監査人的な“オンブズマン”という連中もいる。ゴシップ地方紙やゴロ記者まで含めると、チェック機関は星の数ほどいるのである。
そもそも広義の“政治”とは、幸福の極大化を目指す政策を決定したり、民主主義では冷遇されがちな少数意見を汲み取ったうえ、旧弊に対し、果敢に“新たな制度の創造”と“既知の制度の破壊”を行う神聖なる職業である、筈である(“広義”といったのは、政治家である行政機関の長を含むという意味である)。
また“行政”とは、専ら政治の領域である立法府により意志決定された“新たな制度”に子細な運用を定めつつ、この新しい制度の“番頭”として、その運用を担っていくものである、筈である(むろんこの行では、行政の長である政治家を除く)。
この“バランスの崩壊”が、特に我が国で、特に地方において顕著であると云わざるを得ない。
5月17日(金) 「政治」と「行政」の不可分なる領域その2
以下に挙証する。
県の地方機関である地域振興局の土木部において、県道改良工事の地元事業説明会が行われた。
そこで責任者である土木部長から県道改良の意義が説明され、重ねて工事概要の説明が工務課長から行われた。
当日地元公民館には、地権者、陪席として地元県議会議員、関係市町村職員及び地元区長総勢約50名が参加した。
このときの土木部長による工事説明会が実に衝撃的であった。
まず来場者に対し、“参集への謝辞”からはじまり、道路改良による改善点について、実にバラ色の説明がなされた。
そして自らが県予算(国補助金を含む)をこの地区に配分できたことへの自負や、潤うであろう地元土建屋等へのアピールがこれに続いた。
最後は、“やはり経済効果をもたらすのは公共事業だ”という彼の持論を持ち出して締めくくり、一同は、押しの強いこの部長の10分程のスピーチに魅了された。
その後用地売買契約の合同調印式へ粛々と進んでいったのである。
ここで何が衝撃的であったかというと、この土木部長の立ち位置についてである。
これを論じるにあたって、ある国道交通キャリアの手記を引用したい。
ある30代のキャリア技官がドイツに視察研修に行った。その際現地の建設局担当者に対し、アウトバーンの設計及び施工について幾つか質問をしたという。そのときの担当者の説明はこうだった。
「あなたの質問は“政治マター”なので、我々は応える立場にない。」
つまりドイツでは、道路の必要性判断や地元との合意形成、更には今後の展望に至るまで、“政治マター”だと言っているのだ。
その技官は、この回答に大変驚き、次の感想で締めくくった。
「日本では、上記業務は全て“一般職公務員”の仕事であり、政治家はこれに不介入である。」
さて、先に紹介した土木部長の立ち位置である。この土木部長は、入庁以来約30年余に亘り、公共事業による県土発展をスローガンに日夜邁進してきた公務員であり、決して特別な人間ではない。
また、地元住民や陪席した者も彼の立ち位置や踏み込んだ領域に異論を挟む者はいない。
むしろ彼の言動は、少なくともその場においは、“県職員のあるべき姿”であった。
では何が問題か。そして何を論じたいのか。前置きが長くなったが以下に纏める。
5月20日(月) 「政治」と「行政」の不可分なる領域その3
民主主義というイデオロギーのど真ん中に位置するものは、即ち“民意”である。そして民意により負託を受けた者が政治家である。だからこそ政治家は負託された権力を行使しうる。
一方行政官たる公務員は、民意により負託を受けた者ではなく、主権者の社会的要請により使役される“作業員”である。
法的手続きを経て任官されてはいるが、選挙により選ばれた者ではない。このそれぞれの領域は不可分であるべきである。
欧州では、為政者から圧迫を受け続けた民が自ら主権を勝ち取った歴史的な背景から、この不可分性が徹底されている。先程ドイツを引用したが、欧州他国も同様であろう。
一方、アジア的封建制の根強い日本では、いい意味で“行政官が堂々と政治介入”して善政を敷くことも少なくない。
何故我が国はかように珍奇なのか。それは即ち日本が“長老型共産社会”だからである。
我が国は、本能的に長老(秀才・賢人)を尊ぶ。この国が学歴社会であるのも、実はこのアジア封建主義的な長老(秀才・賢人)崇拝が根源にある。つまり“秀才(賢人)なのだから間違いがない”“秀才(賢人)なのだから、きっと我々を幸せにするに相違ない”と。
そして帰結点として、民主主義を標榜する関係上この国にも一応の選挙制度はあるが、歴史的に民が勝ち取った権利ではないので、実際には血肉となって腑に落としてはいない。
故に、その1で述べたような“県民の要望”が起こるのだ。
なお、我が国が“共産社会”である論拠については、以後に譲りたい。
「俺のような秀才(賢人)を何故社会は認めないのか?この世は狂っている!!」
奥山がコピー機で縮尺倍率に四苦八苦しながらそんなことを言い、次々に不要紙を製造していた。
友田は、奥山が県庁で認められないのは、彼が秀才(賢人)でないからでなく、“和”の精神に問題があるためではないか、と洞察した。
5月21日(火) 県庁組織における指揮系統の壊滅的な状況その1
少し前、東日本大震災の影響により被災した福島第一原発の注水に尽力した自衛隊幹部のルポを読んだ。その書物には、事故対応に関する一貫した指揮命令と迅速な行動が綴られていた。
特筆すべきは、命令権者のマネジメント能力と相互の信頼関係が十分に備わっているという点であり、自己組織に置き換えて色んな意味で涙無くしては読めない本であった。本の内容はここでは言及しないが、以下に何故これをこの頁でこれを引用したかについて語りたい。
まず、命令権者のマネジメント能力についてである。
特に軍隊では、“勝つため”に命令をする。
「当たり前ではないか。」
と言われるかも知れないが、かつて第2次世界大戦末期の旧日本軍がそうであったように、“当たり前ではなかった”場合もある。日本人の場合は、特に“その場の空気”に支配されることがあるが、この話についても以下に詳述する。
組織の命令系統は、通常縦方向となっているが、その理由は即ち“職階”に応じた権限により適切な指示を下すためである。特に軍隊の場合は、この指揮命令を迅速かつ明確にする必要があり、失敗が即“生死”に直結するのである。
一般的に軍隊の指揮系統が洗練されていることから、民間企業などが軍隊の指揮系統を手本としている例も少なくない。
つまり組織の中に組み込まれた者は、本来自らの置かれた立場(職階に応じた役割)を理解のうえ、部下の持つ業務量や能力を把握して、適切(多すぎず少なすぎないこと)に処理すべきだということである。
5月22日(水) 県庁組織における指揮系統の壊滅的な状況その2
次に組織における上司と部下の信頼関係について言及する。“信頼関係”とは即ち、“部下を信じることができるか?”である。
部下は、信用如何に関わらず上司の命令に従うが、上司が部下を信用していない場合、部下の意見は絶対に聞かない。
つまり、部下を信じられない上司は常に孤独であり、結果相当な確率で判断を誤る。官僚を信頼していないため、判断を誤った大臣をこれまで数多く見てきたことであろう。
以上を踏まえ、県庁組織がいかに壊滅的な状況であるかを論じたい。
まず県庁は、部下の能力、並びに、自分の管轄する所属の業務量を知らない。
加えて、基本的に部下を信用していない。
特に所属長は、彼らに忠誠を尽くす“下僕”しか認めず、下僕になれない部下を“無能”と呼ぶ。また“下僕”は、所属長に気に入られること以外に興味がない。
さらに、県民の奉仕者として“あるべき姿”を所属長に進言する県職員は稀れで、県職員はさながら、“県民の奉仕者”ではなく、“所属長の奉仕者”である。
ヒラ職員を信用せず、県民としっかり向き合うこともなく、所属長にひたすら媚びへつらうことにより出世した中間管理職が、この舵取りの難しい今後の地方自治運営において適切な操舵ができる筈もなく、ヒラ職員の疲弊に責任を感じることもなく、失策により処分・減給されることもなく(そもそも県庁では、所属長の失策は、適切な上申ができなかったヒラ職員の責任と判断される)、パワーハラスメントによりヒラ職員を死地に追いやっても咎められることもなく(精神的に弱い職員だったと結論づける)、ヒラ職員からの評判が悪くとも、その所属長や中間管理職が組織から何ら制裁されることもない。
そんな組織である。
「俺がこんな人間になったのは全て上司の責任である。」
悪びれることもなく奥山は豪語した。基本的に奥山の性格は生まれつきであって、上司が介入する余地はないと理解している友田であった。
5月23日(木) ブラック官庁その1
ブラック企業(会社)の定義をいう。
第1 暴力団との濃厚な接触
第2 社員に対する過度な労働時間の強要
第3 企業コンプライアンスの欠如
だそうである。また、これに起因するものとして、経営者または会社上層部による問題(独善的、私的言動)、組織の硬直化(斜陽化)、上層部の自己保身、従業員への対抗への封じ込め等があるという。
県庁は、暴力団との接触を除き上記の全てに該当する。むしろブラックでないという説明の方が困難な状況にある。ブラックでないと論破できる方がおれば是非筆者は対談してみたい。
他方県庁は、他のブラック企業では想像もつかない漆黒の闇も存在しているので、本項ではそちらにも焦点を当てて論じていきたい。
最初に上記該当事項を簡潔にまとめる。
まず労働時間の強要であるが、基本的に時間外勤務は所属長の命令を受けなければ(部下の申請により時間外勤務が承認されなければ)労働が認められない。
つまり、“仕事をする必要があっても上司が命令(承認)しなければサービス残業となる”ということである。これだけでも県庁が真っ黒である証左である。
次に企業コンプライアンスの欠如だが、組織としての法令の遵守は、他の企業に比し厳格であると認めざるを得ないが、こと個人のコンプライアンスに関して言えば誠に恣意的であり、上司の都合の良い法令の遵守となる。
結果下々は、上司の作ったファンタジー溢れる理屈の整合に時間と労力を割くこととなる(これは民間ブラック企業と同様)。
5月24日(金) ブラック官庁その2
経営者または会社上層部による独善的私的言動については顕著である。
理由としては、県庁で最も優先順位の高いものは“人事”である。それ以外は“その他事項”といっても過言でない。
人事は、即ち権限と給与に直結する。そして権限が明確であるにも拘わらず、論功行賞の基準が極めて曖昧である。
具体的に言えば、民間で人間的に問題があったとしても、売上に貢献した人物は評価の対象となる。ワンマン会社であればその“天皇”とフィーリングが合えば出世し、違えば離職すればいい。
仮に反りが合わなかったとしても、“営業成績”という普遍的なインセンティブをベースとした評価方法もある。
県庁の場合は、たまたま居合わせた上司にいかに“おもねる”かが重要であり、反りが合わなければ即ち脱落する。
事務処理スキルなど何のインセンティブにもならない。ただただ辛酸を舐めるのみである(これもブラック企業と同様だが離職できないぶん深刻である)。
組織の硬直化は明白である。バブル崩壊後予算規模は右肩下がりで、かつ、負担金や扶助費は硬直化の一途を辿り、果ては人件費にメスを入れざるを得ない状況である。
加えて、職員の平均年齢が逓増していることから人件費が嵩み、給与一律カットという愚作を重ねる。
下々の県職員にとって最大の敵は、無為無策を重ね責任を取らず、一律カットを強要する上層部である。
自己保身や押さえつけは他の項で詳述しているので、ここでは割愛する。
5月27日(月) ブラック官庁その3
では漆黒の組織である県庁の闇を暴きたい。
まず県職員には失業手当がない。意外と知らない事実である。
つまり“離職は想定していない”という意味である。県職員は現行憲法でいう基本的人権の埒外だからだ。
離職ができないとなると、組織にしがみつくしかないということである。良い評価はたまたま居合わせた上司とのフィーリングで決まると前述したが、このフィーリングが合わない部下はメンタルがやられるか、窓から飛び降りるしかない。
以前「飛べ」を口癖にしていたキャリア官僚の課長がいたそうだが、今では流石にそんな愚官はいない。
要は、明確なビジョンがない“豚のように巨大化した組織”の末路として、ひたすら“上位におもねる”体質が常態化し、“県民に奉仕する県職員のあるべき姿”を上位の者に論じること自体がタブー視されるのである。
しかしながら、“組織内ドロップアウトの道”がないわけではない。
要は、“働かなければよい”のである。県庁は、働かない者にとって天国である。働かない者を働かせるシステムは現在確立されておらず、よってそういった“ドロップアウト組”は、より組織に害のないよう、吹きだまりに集められ、放置される。
具体的には、国勢調査により国から人件費を100%援助されている部署などがそうだ。
そういった部署に集められ、治療もせず、ただ放置されるのである(これについては別に詳述する)。
また、県職員は国家公務員のように潰しが効かない。つまり組織に合わなかったとしても、民間で働くシステムができあがっていないのである。
県庁組織とのフィーリングが合わず、辞めていった40代~50代の職員は、その後の行方が確認できない。
総務省の公表データによると、県庁の離職率は数%と殆ど辞める者がいない。これは即ち“辞めたくない待遇”と評する者もいるが、離職した者の殆どが死亡者ということに鑑みると、“辞めなくても生きていける”という世間の評判もさることながら、“辞めても行く先がない”という暗黒の状況も捨て置けない。
つまり、一部の国家公務員のように辞めても税理士や司法書士等で食べていけるのであればよいが、獣医師や薬剤師などの一部の国家資格者を除く県職員の場合、17年勤続で行政書士にしかなれない。
行政書士は、余程の才覚がなければ、アルバイト程度のサイドビジネスにしかならず、到底“転職”という言葉にはほど遠い。
「我は漆黒の騎士なり。無謬性という盾をもち無為無策という矛を穿つ。敵は内部にあり。者ども!!改革の夜明けに向かって突撃せよ!!」
午後5時15分を過ぎ、上司が次第に帰っていくのを見計らって、奥山は猛々しく雄叫びをあげた。友田は、明日までに揃えなければいけない委員会資料作成のため、コピー機の前に立っていたが、紙詰まりのアラーム音と相俟って、疲労感で脳の視床下部に痺れが生じるとともに、食欲が減退していくことを実感する友田であった。
5月28日(火) 「法制執務と公用文」という業界用語
県庁に「公用文の手引き」という本がある。いわゆる役所を動かす“不磨の経典”であり、役人同志がスムーズに仕事をするためのルールブックであり、聖書であり国語辞典であり攻略本である。
その中身はというと、例えば意志決定プロセスや伝達方法の用語集である。
例えば“稟議書”というものがある。これは通常、組織の意志決定に使用される紙である。
意思決定は、通常決定事項に応じた階級の職員が行うが、一般的に意志決定には、主査であるヒラ職員が“起案(伺い定め)”を行うことにより始まる。これを記載した紙が“稟議書”である。その稟議書を様式化したうえで細やかに解説しているのが上記の冊子である。
次に、決定された意思の伝達方法として、“通知”や“通達”、“進達”や“副申”などがある。無論それぞれに厳格に違いがあり、いずれも伝達事項に適した方法を採用する。
最後に意志を伝達するための用語であるが、日本語という言語の宿命として、語弊が生じ易いという欠点がある。その言語の欠点を補う要請により、極めて語弊を排して意思を伝達する用語集としてこの冊子が生まれた。
つまり、日常意識することがないが誤用する用語を定義化してまとめたものである。
一例を掲げると、“及び”や“並びに”、“また”や“若しくは”の使用ルールである。
それぞれ普段何気なく使用しているが、明確に分別している者はそう多くない。しかしながら役所では、これらを厳格に区別している。
例えば、『リンゴとハチミツとろーり溶けてる』の場合は、『リンゴ及びハチミツ』である。
次に、『大谷選手は、類い希なる身体能力を有し、自身に高い目標設定を課して努力している』という文章の場合は、『類い希なる身体能力を有し、並びに、自身に高い目標設定を課している』という表現と同義となる。
要は、語句の並列か文節の並列で使い分けをするのである。
因みに、3個以上の並列の場合は、「A、B、C及びD」と最後のみ“及び”でつなぐ。
応用編になると、「A、B、C及びD、並びに、D又はE」などあらゆるニーズに対応することが可能となる。
このルールは法律などの書き方と同じであり、これらを総称して“法制執務”と呼んでいる。法制執務に長けた行政職員は、即ち“役所文学の文豪”である。
5月29日(水) “支出負担行為”という意思表示
ご家庭で何かを買う場合、通常は買いたいと思った日が“買い”の日であろう。そしてこれを買う前にしなければならない手続きなどはない。
お役所というところは税金でモノを買うので、担当者は執行権限を持つ者に対し、“買うよ”と宣言する必要がある。
ここでいう“買うよ”は、“お金を使うよ”とは意味が異なる。
“支出負担行為”とは、いわば“買おうとする宣言”であり、御家庭にはない独特の行為である。
支出負担行為は、お役所の大原則である“予算単年度主義”の中核というべきもので、この行為がなされなければ、逆に“買う”(執行する)ことができない。
具体的に言うと、保健所で屋根の雨漏り箇所を発見したとする。このままでは保健所業務が円滑に進められないので、次年度修繕の予算要求の際に、“雨漏り対策予算”を計上する。
そして次年度その予算で修繕を行うのだが、この時“修繕するよ”という宣言である支出負担行為を行ったのち業者に発注する。
その後、契約や業務監理、完了検査等を経て業者にお金を払うのだが、この時に“お金を払うよ宣言”を行う。これが“支出命令”であり、“お財布のチャックを開ける行為”である。
因みに、大規模な修繕や予期せぬ事故があり、その年度に業務が完了しなかった場合は、“予算の繰越”が行われる。“繰越”とは、“予算単年度主義”での数少ない例外的措置である。
手続的には、議会に対し繰越のお願いをして、『繰り越してもいいよ』という承認を受ける必要がある。これを怠ると“役人が勝手に予算を融通した”ことになり、“議会軽視”という“議会最大の敵”のレッテルが貼られる。
さらに予算の財源には、地方税などを財源とする“一般財源”と、国からおこぼれを貰う“補助金”や“交付金”がある。
交付金はややこしいのでここでは割愛するが、“補助金”の繰越は、“一般財源”のそれとは異なり、地方議会へのお伺いとは別に、“国へのお伺い”も必要となる。
具体的には、“地方財務局”というところが補助金の繰越を監督するところで、担当者同士のやり取りでは、国のお役人様から、年度末にネチネチとした嫌がらせを受けるのである。
「ノンキャリのくせに威張ってんじゃねーよ財務局のウンコ垂れがっ!!・・・まあ、しかし、奴は他省庁の繰越でも嫌味な奴だから、まあ平等っちゃあ平等かなあ。」
奥山は、自分でそう呟いて、妙に納得した調子で仕事を再開した。友田にとって、奥山の怒りの基準がよく分からないので、ただただ聞かぬ振りをするしかなかった。
5月30日(木) “支出命令”という執行
前述したが、“お金を使う”には、“支出負担行為”と“支出命令”があると述べた。ここでは、特に執行する際の“執行機関”について言及していきたい。
お金を業者などに支払う場合に各課は、さきの支出負担行為に基づき、“支出命令”関係の書類をせっせとこさえる。
持っていく先は当該執行機関の「会計課」である。ここでお金の支出にうるさい県のおっさんやおばちゃんの細かいチェックがある。
本庁では『会計課』、出先機関では『出納課』と呼称して区別しているが、やっていることは同じである。要は細かくチェックして、ネチネチと言うセクションである。
ただ、彼らおっさんおばちゃんに同情を禁じ得ないのが、
「誰が悲しくてこんな面白くない部署を希望するものか。ネチネチいわずにおられるか!」
という各職員の心情だろう。怨念よ、願わくば懇ろに成仏したまへ。
なおお役所では、通常支出などが正しく行われているか、についてチェックする際、各担当で色の異なる“色鉛筆”が用いられる。
金額が増えるとチェック人数が増えるため、契約書などの金額の右下や左下には、見た人の数だけ色とりどりのチェックマーク(“・”だったり、“レ”だったりと個性豊か)が付いていて、実に極彩色でありレインボーである。
このチェックマークによるチェックは、“指さし確認”と同様に、つまらなく単調な作業には大変効果的であり、客観的に文言や数値を見ることが出来るので、文章の要点確認や試験問題の“確かめ”などによく用いられる手法である。
ここに“出納課長” というポストがあるが、これはうだつの上がらない職員が晩年過ごす場所として重宝されてきたところ、昨今の文書の電子化・システム化に伴い、出納課自体が無くなってきており誠に世知辛い世の中である。
「昔は、『最後は出納課長が目標』なんて言ってたんだけどなー。今では国費100%の国勢調査担当で飼い殺されるしかないか。」
奥山はそういって20年後の自分を想像しながら、自嘲で肩を震わせた。
・・・どうでもいいけど、あまりにも過激な思想により、無差別かつ広範囲に毒を撒き散らさないで欲しい、と切に願う友田であった。
5月31日(金) 出納閉鎖
すいとうへいさ。業界用語である。
県庁では、地方自治法第208条に基づき、4月から翌年3月までを“会計年度”としている。当たり前だ、という者もいるが、企業の会計年度や国税の会計年度はそうはなっていない場合もある。
税務署(特に所得税担当部署)の職員は、2月中旬から3月中旬の、いわゆる“確定申告”期間において、一年で最も忙しい日を迎え、これが一段落する6月末をもって異動する
そもそも確定申告期間とは、1月から始まって12月で閉める会計期間の翌々月から受け付ける所得税その他の申告対応である。
企業の決算も、古参の企業は大抵3月決算だが、最近の新興企業は、理由は知らないが決算期が分散しているのが特徴的である。
とまれ、県庁の場合3月で会計年度を区切る。であるからして、4月以降に支払う分は翌年度、といきたいところだが、3月以前に処理(支出負担行為)された支払いの場合は、そう簡単な問題ではない。
つまり、旧年度中に支出負担行為を行った支払いが4月にずれ込むことは当然にして予定されており、この場合の特例として“旧年度処理”期間が設けられている。
それが表題の“出納閉鎖期間”であり、その期限が本日(5月末)である。
だから4月~5月までの2ヶ月間は、“旧年度処理支払い”と、“現年度処理支払い”が併存しているということになる。まことにややこしい限りである。
この時期は、本庁の会計課や出先の出納課は、躍起になって支払手続が行われている。7月以降の決算調整のためである。なお決算については来月詳述する。
なお県職員は、業界用語としてこの4月や5月の特例期間のことを“3月60日”とか“3月90日”とか呼んで経理通を気取る。