(4月)
「本当にこんなことバラしていいんですか?(35歳県職員)」、「内容がヤバ 過ぎる!!あんた、速攻訴えられるね(40歳府職員)」、「県職員って何してるか全然分からなかったけど、何だか結構大変だということが分かった(21 歳ショップ店員)」、「昔 “県庁の星”って映画があったけど、それに比べ超リアルで哀しい(50歳会社員)」
ネットで公開されるや否や、その反共がすさまじく、行政当局からは「言論テロリストだ」と非難されている問題作!
4月 1日(月) 辞令交付式
年度の始まりは、辞令交付からはじまる。辞令交付式とは、簡単に言うと、“あんたはこの仕事だ よ”という知事の命令が書かれた厚紙を渡す儀式をいい、同時に、“あんたはこの階級だよ”、という命令も同時に発出される。テレビのニュースなどでよくやっている役所の辞令交付式の光景は、知事が新規採用職員に対し訓辞を賜る場面であり、同時に知事を見据える若人の真剣なまなざしは、すがすがしささえ感じる。
因みに、新規採用職員以外の辞令交付式は、課長級以上の場合は知事から、また課長補佐級以下の者が課長(所属長)から手渡される。
民間でもこの時期、社長が新入社員に同様のことをやっているが、“希望を持って果敢にチャレンジして欲しい。”や、“悩んだら周りの先輩に何でも聞いてください。”や、“失敗を恐れては前には進めないのだから、積極的に失敗してください。責任は私が取ります。”といった標準訓辞事例など実に耳障りがいい。
ところが、トップである経営者の意識は、よしんば曇りなく上記のとおりであるにしろ、労働者 である中間管理職は、おしなべてトップの訓辞のままに素直に受け止めてはいけない。実際の現場では、果敢にチャレンジしたことにより“空気読めよ”と陰口叩かれたり、失敗して、“ほら言わんこっちゃない。相談無く勝手にやったからこのようになったんだ”とハシゴを降ろされることがほとんどで、仮に事前に相談したとしても、“そんなリスキーな挑戦は出来るわけがない”と一蹴されるの が関の山である。
結果主任になる30代には、リスクのある挑戦(世の全てにリスクが伴うが)において臆病になって、上司におもねる処世術に長けた“優秀な者”になるか、或いは挑戦に玉砕したうえで自暴自棄となって組織から疎まれるか、資質によってその後の人生の選択が始まるのである。
組織は、得てして玉砕した者を“運が悪かった”で片付け、失敗した者を下手人として書類送検する。逆に部下が献上した“成功”という果実を上司はむさぼり、いもづる式に溜めたマイルの数だけ “出世”というフライトに飛び立つのである。
あなたの所属している、成功した幹部の業績を調べて、果たして“失敗を恐れず果敢にチャレンジした人”は何人いますか?
あなたの所属している組織の人事評価方針においてトップが訓辞するように、果たして、“失敗は ノーカウント、チャレンジの数と成功のみ評価の対象とします”と本当になっていますか?
あなたの所属している組織において、仕事上の悩みを親身になって対応してくれる先輩は何人いますか?
「一人前になってから、俺様と会話してよし。」
テレビに映し出された入庁式の映像をぼんやりと眺めながら、友田主任主事の上席で座っている奥山参事は、ほくそ笑みながら友田に聞こえるような声でそう言った。
4月 2日(火) 歓送迎会
今日は、友田が所属する課の歓送迎会である。県職員の異動は、これまでは概ね3年であり、これより短いと、ヒラ職員の場合“できない奴”のレッテルが貼られてしまう。
逆に異動のスパンが長い場合であっても、同様に余りいい評価はされてこなかった(引き取り先がないなど)が、昨今は、異動に金がかかるためなるべく異動させない、という県全体の方針であ るとか、良い人材を所属長が手放さない傾向にあるなど諸事情により、旧来の考え方が20~30 年前とは随分変わってきた。
一方、課長級(審議員)以上のいわゆる「お偉いさん」たちは、通常1年~2年で異動があり、 課全体の管理職が総入替えすることも決して珍しくはない。
この管理職の異動の早さは、即ち「早く異動しないと偉くなれない」システムに他ならないので、本庁の課長なのに3年以上いる人などは、定年間近か、或いは次のポストに空きがないか、のいずれかとなっている。
とまれ、かような状況下において、30人程度の課員を有する課ともなると、出ていく人と入って来る人、残留した人を合計すると、総勢60人程度の大歓送迎会となる。そうすると、居酒屋程度の収容キャパでは到底及ばず、結果ホテル等でしか開催ができない状況となる。自然、政治家のパーティー的な壮大な歓送迎会となってしまうのである。
「それではぁ~っ、お集まりですのでぇ~、始めたいと思いますぅ~」
司会に抜擢された友田が緊張の面持ちで、代々受け継がれる進行シナリオ(カンペ)を手に棒読みを始めた。
司会は、だいたい居残組の若手職員が行うこととなるのが通例だが、昨今の職員の高齢化に伴い、40才前後の職員が今も現役で司会業をこなすこともあり、司会業20年の職員などは、所作がさながら“プロ司会者”のそれとなっている。
所属長である課長が出て行く職員に対し、個々にねぎらいの言葉を投げかけるが、1年や2年で 出て行く職員に対しては、
「敵前逃亡~!!」
といって皆を笑わせたり、一方で3年勤務の職員に対しては、
「懲役3年のお勤めご苦労様でした」
などという、お決まりのギャグを交え、場を和ませるのが県庁の儀式と化している。
会費は、基本的に職階に拘わらず一律であり、勤め先からの補助などは一切ないが、職員の積み立てで構成されている互助組織があるのが一般的(念を押しておくが、県庁は他団体等からの補助は一切ない)で、その場合新たに職場に入ってくる者は、それまでの積立金がないことから、歓送迎会では通常“御樽”という名目で一律に会費徴収がある。
また出て行く者は、所属の在籍年数に応じ、互助組織から「餞別」を貰うのが通例だが、その金がそのまま異動先の「御樽」になるので収支は均衡している。しかしながら、互助組織の会費は通常給与天引きであり、オヤジの小遣いから拠出ではないため、そういった“既婚者のお小遣い制お父さん”にとっては、大変懐に優しいシステムとなっている(まさに我が家の特別会計!)。
「奥山君。・・・本当に済まなかった。俺の力が及ばなかったために・・・君の出世はちゃんと次の審議員に引き継いだから」
宴席の片隅において、橋本審議員が深々と頭を下げ、奥山に対し謝罪を行っていた。
「ぼかー何とも思ってないす。出世とかどうでもいいですから。ただ俺より仕事が出来ない同期 と、給料に差が付くのだけは解せないですがね。」
奥山はそういうと橋本と目を合わせないようにして言い放った。奥山の表情には、自分の処遇に関し世を荒ぶ厭世的な面と、表面ヅラのみ謝罪している薄っぺらい審議員に対する嘲りの面が去来していて、友田にはそれが社会の深層絵図のように映って痛々しかった。
4月 3日(水) 事務引継ぎ
県職員には“異動”というものがある。異動とは、命じられた職場を約3年のスパンで転々と替わっていくことである。
事務職(事務職については後述)の県職員は、いわゆる「何でも屋」であるため、昨日まで道路の用地買収をしていたかと思うと、今日は税金を徴収していたりする。
一般的に公務員の仕事は、
「公務員なら誰でも出来る仕事しかさせていない。」 という前提のもと、突然畑違いの仕事をさせられたとしても、さも“その道数十年”といった顔つきで仕事をする、というのが常識となっている。そういう事情から、前任(自分の仕事を前の年度にやっていた人をいう)の仕事を引き継ぐ必要があり、これを一般的に「事務引継ぎ」という。 当然、事務引継ぎがうまくいかないと、4月から早速始まるイベント等において、後任がパニクる、という事態が生じるわけであるが、前任は通常3年程度仕事をこなしたベテランであるため、 後任がすぐに前任のように仕事をこなせるはずもない。
とはいえ、県民が“前任はベテランで後任は新米だから仕方がない”と思うはずもなく、よって容赦なく後任に前任同様のスキルを求める。
一方、係長以上の担当業務をしなくていい職員は、前任の担当職員の仕事ぶりなど知る由もなく、また担当同士の事務引継ぎに参加することもないので、涼しい顔で、
「前任からちゃんと仕事を引き継げ」
としか言わない。県庁では、異動直後の仕事上の不手際は、引継ぎに不備あった後任が全責任を負う、というシステムとなっている。
経験則でいうと、欝になったり、自殺する県職員の大部分が、この異動に伴うストレス(異動により生じた人間関係を含む。)が原因と言っても過言でない。
それだけ、近年の業務に対する専門性が向上しているという証左ともいえるが、特に下っ端のヒ ラ県職員は社会的弱者であるため、かかるプレッシャーやストレスを誰かに押し付けることができない。
因みに、ある業務が飛び抜けて優れている職員がいたとしても、比較する他の職員がいなければ、“やれて当たり前”という評価になる。よって不謹慎だが、
「引継ぎをわざといい加減にやって後任の職員の業務を妨害し、相対的に自分の評価を上げる」
という手法をとっている者もいないとは言い切れない。後任職員が失敗すればするほど、相対的 に“前任の職員は優れていた”と評価される寸法だ。
「俺はかつて、県庁共通仕様の『事務引継要領』を作成してこれを採用すべし、と職員提案したことがあるが、見事に却下された。俺の持論は「事務引継ぎと書庫は県庁の臓物」と思っている。 目には見えず動いて当たり前の器官だが、正しく機能しないと体全体を蝕む。偉い人たち(脳みそ)は自分の組織の事務引き継ぎや書庫管理に興味がないようだが、肝臓よろしく“沈黙の臓器”だから、自覚症状が出たときは“死”の時だぜ。」
奥山参事が何だか、いつになくいいことを言っている様な気がして、深く考えさせられた友田であった。
4月 4日(木) 伺うとは?決裁とは?(その1)
行政という組織が何らかの意志決定をする場合、その権限を持った者(『決裁権者』という)に 担当(案を作る者:『起案者』という)がする行為を“伺い”といい、“○○してよろしいか?”と書い た紙を回覧板のように見せていく。
起案者が書いた紙(『決裁文書』という)に決裁権者が了承する旨のハンコを押す過程で、その 間にいる者が順番にハンコを押していく。この行為を『稟議』という。
決裁権者がハンコを押した時点で『決裁』となり、“してよろしいか?”が“してよい”となる。
“決裁権者”とは、知事の権限のうち重要でないものについて、知事以外が判断して良い、と規則で あらかじめ定めたものについて、課長や部長など知事から権限を委ねられた者である。
決裁権者は、最終決定権者でもあるので、それなりにプレッシャーがあると言われているが、相応のサラリーを貰っているので当然のことである。それがいやなら出世(栄達)を断ればいいだけ のことだ。
県庁の歴史上、任命(出世した旨を命じる行為)を断ったという記録は残っていない。なぜなら、偉い方が“おいしい”からである。自分の意見も上に行くほど通るし、面倒臭い仕事は次第に少なくなっていく。当然サラリーも、特殊な職種を除き、一般的に偉い人ほど多い。
昔は偉くなると“肩たたき”(偉い人が定年退職を前に自ら職を辞する行為のこと)があったのだそう。なぜ肩たたきがあったのかというと、ポストは当然ながら上に行くほど少なくなっていくから、後進のために席を譲るという古き良き日本的な風習であり、つい30年ほど前までは、我が国でもそういった風習があった。
もっとも、40年程度前までは、実は公務員には定年退職がなく、自ら“辞める”と言わない限りはずっとその席に座ることができたわけで、“肩たたき”は当然の慣習だったのだろう。しかしながら現在は定年制となっており、居座りたくてもやがて自動的に退職となっていくシステムであるから、 “肩たたき”というシステム自体不合理であろう。
4月 5日(金) 伺うとは?決裁とは?(その2)
いずれにせよ本庁課長などの決裁権者は、くだんのプレッシャーと戦っているわけで、であるからこそ、自分より偉くない部下が“のほほん”とハンコを押すという行為を決して許さないのが当然であり、彼らがネチネチと部下(担当職員以外の者。例えば“審議員”と呼ばれる職や“課長補佐”、“係長”など)に質問したり、宿題を出したりする。
彼らは、そのような課長の“いびり”に対して担当に丸投げするので、実は痛くも痒くもない。とにかく“決裁権者の御機嫌”さえ損ねなければいいのである。
担当は、ただただその“とばっちり”を食うので、例えば課長と審議員が険悪になると、担当にとって甚だ迷惑である。
「決裁権者はロボットでいいのだが。『自動ハンコマシーン』とかがあればなあ。誰か備品で購入してくれないかな?特に決裁ラインでハンコ押している奴らは、結局どいつも責任を取らないのだから。印刷とかでダメだろうか?www」
そう奥山参事は毒づいた。彼は、一応仕事は真面目にこなす苦労人だが、下積みが長すぎる“ロス トジェネレーション”の一人であるため、厭世的で吐く毒の濃度が半数致死量を超えている。そしてこれが原因で「サバける」割に他の者よりも出世が遅れている。
友田は、奥山のそう言ったコメントを面白いと思いつつも、ハラハラして聞くより他がなかった。
4月 8日(月) ドナドナ
午後3時30分。のどかな昼下がり。
「それじゃあ、そろそろ行ってくるかな・・・」 橋本審議員がそう言ってやおら立ち上がると、一つ伸びをしてから室外へと出て行った。 橋本審議員は58歳。物腰の穏やかさとバランス感覚だけで、高卒では最高位クラスの課長級(審議員)にまで上り詰めた。ロマンスグレーとやや湾曲した痩身の背筋が定年目前をあらわしている。彼にはポリシーのかけらもないが、物事を何となく府に落とすテクニックは素晴らしく、敵を作らないものの言い方や進め方には天才的な才覚がある。
「減点法で50点」 彼に最もふさわしいキャッチフレーズだ。
「どちらへ行かれるんですか?」
友田が行き先を尋ねると、橋本は、無言で右親指を下にする、いわゆる『ブーイング』のジェス チャーをしてから、
「県庁地下の大会議室に・・・迎えに行ってくるわ。」
と言いながら廊下に消えていった。
「・・・ドナドナ・・・」
一部始終を聞いていた奥山は、パソコンの画面から目を離さずに、何かの入力をしながらそう呟いた。
そう。今日は、4月1日付けで採用した新規採用職員(俗に『新採くん』、『新採さん』とい う。)が新人研修の期間を終えて、各部署に配属される日である。
4月1日付けで配属になる職場は、通常あいさつもそこそこに、約1週間をかけていっぱしの公務員となるべく、行政法や接遇、業界の習わしなど短期間のうちに一気にたたき込むのだ。
この研修期間は、人事課所属の職員として研修を業務としつつ、職員課の研修プログラムによって、座学や軽いグループディスカッションをこなしていく。
そういった課程のなかで、集った職員同士が意気投合して、晴れて生涯のパートナーとなることも珍しくない。ただし、同期の男女が付き合う場合に注意しなければならないのが、“別れた場合”で ある。
地方公務員の離職率は極めて低いため(総務省統計によると、離職率は1%程度)、別れた後でも約30年程度同勤しなければならなくなる。
そのため、離婚しても県庁の廊下ですれ違うこともしばしばで、それはもう大変気まずいらしい。あるプレーボーイなどは、この鉢合わせを嫌って、自ら望んで“人工衛星”になったほどだ。
なお、“人工衛星”とは、本庁の周辺にある出先機関を転々と異動する者を揶揄して、或いは、出世街道から外れた者が自らを自嘲していう“スラング”である。
またこの研修期間中は、とにかく同期達が催す“ノミニュケーション”が多く、みな横の連帯感を大事にするが、10年もすると風化し、さらに15年もすると皆“ライバル”であることに気付く。20 年もすると互いに陰で罵りあい、25年もすると口も聞かなくなる。そして30年もすると、出世しなかった者が出世した者に直接会うことも出来なくなるほどに差が付くのである。
例えば、係長級の職員として新採職員の隣で仕事をしている者もいれば、秘書のいる特別室で執務をする者もいる。
「俺なんか、同期はみな俺のこと優しくしてくれるんだよなー。まるで哀れんでいるかのように ね。人徳かなあ(笑)。」
そう言うと奥山は、依然としてパソコンを凝視したまま、友田に聞こえるように独り言を言った。
諸先輩方の情報によると奥山は、出世街道から既に見放され、同期から最早ライバル視されてい ないことから、彼らから同情にも似た哀れみをかけられているのだそうだ。そういった悲哀も相 まって、何とも複雑な心境の友田であった。
4月 9日(火) 「事務屋」と「技術屋」
県庁には、大別して「事務職」と「技術職」が存在する。県庁の業界用語で「事務屋」「技術屋」 と自他共に呼称している。
「事務屋」とは、一般的に事務一般を担う者をいう。幅広く何でも請け負ういわゆる“何でも屋” である。
一方「技術屋」は、一般的に事務屋以外を指す。しかしながらその種類は多岐に亘り、医者、薬剤師、獣医、土木、農業、林業、看護師、ボイラー技士、運転手etc・・・
技術屋は、大抵その職種ごとに“会”を持っており、その縦の結束は大変堅い。一般的に規模の小さな会ほど結束が強く、上下関係も必然的にかまびすしい。
人事に関しても、会の規模に応じてポストが用意されていることから、「会の力」=「人事権の 強さ」となっている。
そういった都合から、会の中でのポスト争いは自然熾烈となり、その優劣は大抵が飲み会で決ま ることが多い。
よってお酒の弱い、いわゆる“下戸”は、仕事の優劣に拘わらずハンディーキャップを背負っている訳であり、余程ゴルフや麻雀など人事権者との複数のコミュニケーションツールを持っていなけれ ば、その差を埋めることは困難といえる。
事務屋は全体的に職員数が多いため、いわゆる“事務屋の会”というものは存在しない。
よって、地元高校の同窓会や“人事課OB”、“財政課OB”などの、より小さな事務屋のコミュニティーにおいて派閥を形成しているのが通常である。
事務屋の出世は、ほぼ100%がこういった“より小規模な派閥”によって形成されており、当該派閥の親分が子飼いの職員を引き上げている。この構図は、官庁や大企業も同様であろう。
一般的に事務屋は数が多いので、たとえ数年同勤していたとしても大して職員同士が仲良くなることは稀である。また、土日祝日など勤務日でない日は、基本的に家族サービスを優先する者が多いことから、同僚や上司との触れあいは基本的にはない。ただし、金曜の夜などかかる派閥の集まりがある場合はこれが優先されることが多いため、官庁街の金曜日の居酒屋は客でごったがえす。そういった酒場では、大抵顔見知りのどこかの集団が飲んでいることが多いため、離合集散が目まぐるしい。
「お先に失礼します。大事なドラマが金曜日にあるので。」 そういって課の飲み会を平と欠席する奥山に、友田は恐怖を通り越して爽快感すら覚えた。
4月10日(水) スタッフ職とライン職その1
県庁の職階には、“スタッフ職”と“ライン職”というものがある。新規採用職員研修等でも、この聞 き慣れない職階の話が出るが、県職員歴が長くなってくると、この独特の言い回しを当たり前のよ うに使っていたりする。
まず“ライン職”とは、“課長”や“係長”など一般的に会社で馴染みのある役職を指す 一方“スタッフ職”だが、馴染のある警察官の例で分かり易く説明してみたい。 よく耳にする“警部”や“警視”などの階級は、まさに“スタッフ職”であり、職場に関わらず共通した職階をあらわす。
では、何故同じ組織でこのような使い分けをする必要があるのか、について以下に論考してみたい。
例えば、
(1)「出先機関○○地域振興局のA係長」
(2)「本庁○○課B班長」
(3)「出先機関県○○センターC課長」 さて、貴方はA係長、B班長、C課長を偉い人の順に言い当てられるだろうか?
答えは“分からない”である。出先機関の規模によって係長の職階は異なるし、課長とはいえ、出 先のセンターの課長は必ずしも本庁課長ほど偉くない。よって、誰が見てもわかりやすい偉さの尺度が“スタッフ職”なのである。因みにスタッフ職を併記すると以下のようになる。
(1)「出先機関○○地域振興局のA係長(主幹)」 (2)「本庁○○課B班長(課長補佐)」 (3)「出先機関県○○センターC課長(主幹)」
課長補佐の方が主幹より偉いので、この場合は、B>A=C、が正解となる(以下に詳解する)。
4月11日(木) スタッフ職とライン職その2
本県のスタッフ職は、偉くない方から順に、以下のようになる。なお以下の“S”と“L”について は、それぞれ“スタッフ”、“ライン”の意で、スタッフが“准”の意味合いを持つ。
○ 主事級(主事、主任主事)
○ 係長級(参事) ○ 課長補佐級(主幹、課長補佐) ○ 課長級(審議員(S課長)、課長(L課長)) ○ 次長級(S次長、L次長) ○ 部長級(S部長、L部長)
出先のセンター長などは、規模によって“次長級”であったり、“部長級”であったりする。S次長の センター長が本庁に帰ってきた場合は、出世してL次長となることが多いが、“首席審議員”というS 次長のままでいる場合もあり複雑である。
さらに審議員には、くだんの「首席審議員(S次長)」のほか「総括審議員(L次長)」や「審 議監(S部長)」などがあり、迂遠この上ない。
いずれも細かく職階を細分化する理由は、職階が権限とリンクしているからであり、この上下関 係が曖昧であれば意思決定が遅行する原因となる。
以上の職階は、公務員の“一般職”のことをいうが、これより上級の者を“特別職公務員”と呼ぶ。
特別職には、偉い順に、“知事”、“副知事”、“会計管理者”などがあり、地方自治法では、知事は選挙により、また、副知事や会計管理者は知事の推薦のうえ、議会の承認を経て選任される。
4月12日(金) スタッフ職とライン職その3
なお“一般職”は、通常試験に合格のうえ採用候補者名簿に登載され、その後知事により任命されるが、“特別職”は試験がないので様々な経歴の者が選ばれる可能性がある。 しかしながら現状では、全国の都道府県知事の約半数は元官僚(元官僚の政治家を含む)又は元都道府県職員である点は、誠に“不都合な現実”である。
余談だが、職階の“名称”については、地方により若干の違いがある。 例えば、九州で“参事”の職は係長級を指す場合が多いが、東北では次長級を指す場合が多い。 また四国などでは係長級に「主査」という職階がある。
「俺が昔出張で岩手県に行ったとき、県の部長級の人が空港までお出迎えに来たのよ。どうやら 俺の “参事”という職階を見て、“30代で参事なら、国からの出向(キャリア組)に違いない”と早合点したらしい。まあ、俺ぐらいになると部長と丁度同じくらいのレベルなんだがな。」
奥山は、そういうと爪楊枝を咥えながら上機嫌でトイレに去っていった。
「奥山君はいつも面白いエピソード持ってるよねえ。」
川上班長が奥山の話を楽しそうに聞いていたが、彼の後ろ姿を見ながらしみじみとそう呟いた。 『いやいや、川上班長のエピソードもなかなか骨太ですよ。』
友田は心の中でそう思った。
4月15日(月) 「合議」とは?
「あいぎ」と読む。「合議」とは、県庁では即ち「あんたらにも見せる」という意味である。いろいろな部署に跨っている案件などは、いろんな課に「合議」するのが決まりとなっており、中には、「金銭面に関する財政課」や「人事面に関する人事課」、「裁判や裁決に関する文書課」など 規則等で合議を義務づけているものもある。
要は「責任の分散」であり、合議をしてないと関係課は平気で「それは知らなかった」とうそぶ く。担当課はそんなハシゴを降ろされてはたまったものではないので、合議にはことさら神経質になる。
一方主査(はんこを最初に押す人。ヒラ職員の意)は、合議が増えるほど決裁に時間がかかるために、これを嫌う傾向にある。大雑把に言って、責任に神経質な審議員以上の者が合議を欲し、それ以下が合議を忌避するという構図となっている。
しかしながら、根本的に普遍の事実として、合議に責任感を持っている者は皆無である。暴言を恐れずに言うと、主査以外に責任を持ってはんこを押している者はいないといっても過言でない。
それが証拠に、決裁権者は、質問があるときはだいたい主査しか呼ばない。係長など中間の者を呼んでも対して知りもしないので、“呼ぶ意味がない”と思っている。
ましてや、主査が起案したものに誤りがある場合など、審議員や係長は一様に、 「そこは気づきませんでした。」 と言えば責任逃れができるし、ましてやハンコを押してない場合などは胸を張って、 「俺は見てなかったからな~」
と満面の笑みで回答する。
「県庁で“自動ハンコ押し機”を各所属に導入すれば、さぞや人件費抑制になるんだが。いっちょ 庁内提案でもしてみるかww」
奥山が例のキテレツ発明を周囲に披露しては、課内の顰蹙を馳走にして、彼は組織が望まない成長をすくすくと遂げている。友田は、奥山のそういった反面教師ぶりを見て、一層組織人として成長していこうと心に誓った。
4月16日(火) 新採トレーナー制度その1
「え~、皆さん。少々よろしいでしょうか。」
橋本審議員は、高校卒業後18歳で県庁に奉職以来約40年間、いつしか身に付けた老練さ、老獪さを武器に、高卒では最高位級である『審議員』に上り詰めた。今年は審議員となって5年目で ある。
因みに審議員は課長級であるため、退職金と年金がその下の課長補佐クラスに比べ格段に高い。 ここに上り詰めるまでに、“バランス感”と“ノンポリ(イエスマン)”を貫いてきた。
上司に逆らうのが命取りのこの業界において、イエスマンは最大の“矛”であり、他に敵を作らない 物腰の柔らかさ、というのが最大“盾”である。
「え~、皆さんに新採職員を御紹介します。じゃ、上村君、どうぞ。」 微笑みながら橋本審議員は、さっと身を翻して主役を若人に譲った。
「どうもっ!!初めましてっ!!今日からこちらでお世話になります上村と申します。」
元気の良いさわやかな青年が大きな声で、しかしながら、やや緊張した面持ちで自己紹介をし た。
続けて彼は、地元の国立大学を卒業後第一志望の県庁に入った、地元が好きで地域を活性化する お手伝いがしたい、といったコメントをも流れるように話した。
「優等生やな。新採トレーナーいらないんじゃないか?」
奥山は、車の付いた椅子を滑らせて友田の所ににじり寄り、いたずらっ子っぽくほくそ笑みなが ら耳打ちした。
『新採トレーナー制度』とは、県庁が行っているOJT(職場内研修のこと。オンザ・ジョブ・ トレーニングの略。)の一つで、年齢の近い先輩職員が新規採用された職員に対し、親身になって 仕事やプライベートなどの相談にのるというもので、専ら先輩職員の育った環境に依存するという、 何とも“馬なり”な制度である。
4月17日(水) 新採トレーナー制度その2
この制度ができた背景としては、平成初期の行政三法(※)の大改正以来、急激にその業務の両翼を広げ始めたこの業界において、既存の職場内徒弟制度では到底対応が出来ないものの、綿密でシステマティックな金融業界や商社などで行われている一流の研修制度までは賄えない地方自治体の実情を反映した結果として、取り残された新採職員が鬱になったり、得手勝手に放埒な野武士となる事態が続発した。
これを重くみた当局が苦肉の策として導入したのが件の制度であり、伝家の宝刀である“付け焼き 刃”制度のエースである。
「友田です。よろしくお願いします。まあ先は長いから、あんまり気負わずに何でも聞いて。」
友田は隣に座った上村にそう語りかけ、優しいお兄さん様の典型的な対応を行った。上村はそれ に安堵のうえ、出身や現在の居所など他愛のない話題で時間を潰した。
上村は、国立大学在学中にアメリカに留学。約2年の留学期間にアメリカで金髪の彼女を射止め、日本に連れてきていた。また、TOEIC990点の才人で、並みいる民間企業を悉く蹴って 県庁にやって来たのだというおバカさんである。
また、日々英字の経済新聞を欠かさず愛読している。
「君はあれだな、道を間違えた、って奴だな。」
奥山は、上村からそんな面白エピソードが次々に飛び出してくるのに我慢できず、つい向かいのデスクから身を乗り出して二人の話に乱入してきた。
「ビジネスマンになりなさい。こんな場末の地方公務員でいると脳が腐るよ。」
「やめてくださいっ!!上村君を感化しないでください。」
友田は、奥山のカルト教団の教祖が放つような甘美な誘惑で彼を侵してはいけない、と咄嗟に思いこれを制した。果たして上村は、これまで無菌室にいた青年が初めて触れた雑菌に浸食されるかのように、得体の知れないドグマを感じ、ただ呆然と立ちつくすしかなかった。
※ 行政三法とは、「行政手続法」、「行政不服審査法」、「行政事件訴訟法」をいい、平成の初 頃これら法律がドラスティックな改正を行った。主な改正趣旨としては、行政サービスの向上を 指し、審査機関の標準的日数の明示をおこなう(要は役所がダラダラ仕事をすることを防止するための措置)、行政により不利益処分を受けた者がその不利益に対し、処分前に抗弁する機会を付する(要は役所が黙って不利な決定をしないための措置)、行政の処分に不服のある者が容易に申立ての出来る環境を整える(要は役所から不利な決定をされた者が簡単に役所に不満をぶつけ れる措置)、などこれら大改正により、悉く役所の手間が増えることとなった。
※ 行政三法の大改正による弊害とは、無論この改正のために人員が増える訳でもなく、かつ、これまでいた中堅以上の職員がこれまでの“ぬるい習わし”を捨ててすぐに対応できるわけでもないので、必然的に若者が誰から助けられるでもなく、自分で勉強して身に付けていくしかなかった。 結果的に、これまでのように新採職員に構ってあげられる暇はなく、かといって充実した研修を行 金もノウハウもないので、新採職員が取り残されていったという時代があった。
4月18日(木) 給料日今昔物語
今日は給料が支給される日だ。支給といっても、実際は現金が当日飛び交うわけではなく、“庶務事務システム”というパソコンの中のサイトから、専ら「いくら入金されているか」を確認する日でしかない。まあこれはこのご時世役所に限ってのことではないが。
その日の昼休みになると、1階の銀行ATMには、各種送金額や引落しなどの客で長蛇の列ができる、そういう光景がこの時期の日常となっている。
「昔は給料日ともなると、分厚い札束を握りしめて夜の帳に消えて行ったものだがなあ。給与明細と親父の権威は薄っぺらくなったもんだよなあ。」
と窓際の古老たちが談笑していた。
4月19日(金) 「審議員」という名の“楽園”(その1)
県庁には、“しんぎいん”と呼称する、よく分からない職種がある。大抵“課長補佐”という職を兼務する。
審議員とは、各部に配属されている職種のひとつで、部の事項を“審議”するのだそう。“課長補佐” は、文字どおり“課長を補佐する”課の職階である。
審議員は、原則決裁権限がない。要するに“責任”がない。言い換えると“義務が一切ない”というこ とである。“課長”は課を統べる“責任”を有し、且つ、県議会において“答弁する責任”がある。よって 課の飲み会などでは、何となく人より多く出さなくてはいけないようなプレッシャーがありそうな ものだが、今はそのような制度もなくただただ“長”が付く者の陰に隠れていればいい。
大それた事をここで述べると、人は一生のうち、何らかの“権利”と何らかの“義務”を抱えたまま棺桶に滑り込む。
例えば、子どもの頃はご飯を食べさせてもらえる権利や好きなだけ遊べる権利、お小遣いをもらえる権利はあるが、面倒臭い宿題をやったり、親の理不尽な言い分を聞かないと行けないという義務がある。
中小企業の2代目社長に至っても、呑気で気楽な商売のように思われるが、先代からのプレッシャー(先代が偉大な人物であればなおさら)や部下を路頭に迷わすかも知れないという責任、業界の構造転換や契機不景気等激動の世の中を渡っていかなければならないという重圧など、意外と呑気にやれない面もある。そして大抵は権利よりも義務の方が多い。何とも世知辛い世の中である。
ところが、標記の“審議員”に至っては、高給取り(一概には言えないが、年収は約800万円~ 900万円で田舎の弁護士や勤務医より高給取りである。)で、安定した地位であるにも関わらず、 担当する仕事がなく責任やプレッシャーがない。
加えていうと、権限がないから“失敗しない”のである。公務員にとって、この“失敗しない”というのは最大の武器であって、やる気のある者は成功もするが失敗もする。公務員は成功には報酬がないが、失敗にはペナルティーがある。サルより合理的な判断能力を有する者であれば誰でも分かることだが、果敢にチャレンジしてこのリスク社会と対峙していく案Aと、荒波に逆らわず、失点をせず、成功もしない案Bのうち、どの道を選択するかは自明の理であろう。
4月22日(月) 「審議員」という名の“楽園”(その2)
橋本審議員は、地元の高校を卒業後、高卒採用の地方初級職員として約40年前に入庁した。当 時は神武景気の高度経済成長の影響もあってか、公務員になる者は余程どうしようもない者で、地元の農協長などが議員を介して職員としてねじこんでいた時代の末期の世代である。今では人事委員 会など外部委員による公平な審査が行われるため、猟官的に採用されることがないが、当時は色んな意味で“ざっくばらん”な世の中だった。30前半に地方事務所の総務係長を経て30代後半には 幹部職員の仲間入りを果たし、以後総務畑を中心にぬるっと審議員に滑り込んだ。審議員5年目の老狐である。
「友田くん。審議員はいいよー。君もまずは審議員を目指しなさい。」
そういうと所在なげにYAHOOニュースの自主的な校正作業(ただ暇だから隅々まで読んでるだけのことだが、奥山参事が皮肉を込めてそう言っている。)に余念がなかった。
「はいっ!!わたくしめも頑張って審議員になろうと思っております!!ですので、早めに主幹 にさせてもらえないでしょうか!!」
呼ばれてもいないのに、話を聞きつけてこう宣言したのは奥山であった。橋本は、これを聞かないようにして、そそくさとトイレに消えていった。
4月23日(火) 敵は内部
県職員が公務員の中でも自衛官や警察官と大きく違う所がある。それが“個人の保身さえできれば 組織の保身は必要がない”と思っている所である。以下にその論拠を述べる。
例えば会社にクレームがあったとする。この場合、クレームを受けた者は大抵“組織保護”を念頭 にクレーム対応をする。そして社員一丸となって会社を守るため防衛力を高める。
自衛隊や県警はもちろんのこと、国家公務員や市町村役場に至るまで、通常“よそ者からのクレーム”等に対しては、穏便に対応しつつも、得体の知れないクレームにまともに取り合わない。 しかしながら県庁の場合、外部からのクレームを漫然と飲み込んで部下に丸投げし、部下はその後始末をする。
また部下の失態を部下の責任とすることに何らためらいがない。 よって、外部からは大変“受け”が良いが、丸呑みを生業とする意味のない人間がやたらと多いのが、“県庁という組織”の実態である。
因みに彼ら県庁の管理職は、臨時職員や嘱託職員などの非正規職員を“よそ者”と思っているため 大変に扱いが丁寧である。それは即ち“よそ者に寛容で身内に過酷”という原理に基づく。結局県職員の下っ端はアルバイト職員よりも待遇が低いため、しばしば組織では“アウトカースト”と呼ばれ蔑まれている。
「県職員の下っ端も赤い血が流れているのよっ!!」
突然立ち上がって大声で奥山がそう叫んだが、すぐに着座して彼は仕事を再開した。回りは友田を除き特に驚く素振りもみせない。
「おくやまのさけびにだれもはんのうしない。ただのしかばねのようだ。」 ふと友田の脳裏にその定型句が去来して、思わず赤面してしまった。
4月24日(水) 御用委員会その1
国ほどではないにしろ、地方にも“御用委員会”なるものがある。 要は、役所の意のままに発言してくれるという、とっても有難い先生達のことである。 ここでそもそもの、“委員会とはなんぞや”について説明を加える。
行政が政策を決定する場合や、ポリシーミックスを決断しなければならない場合、ともすれば首長に全責任が及ぶ。
全責任が及ぶのは当たり前としても、市民(県民)にとってみれば、一人の権力者に全ての政策決定を“お任せ”では誠におぼつかない。
といっても、議会に政策を提案(又は諮問)する能力を期待することは現状のシステムでは不可能である。
であるからして、外部識者(学者、弁護士など)と言われる者に小銭を渡して、政策決定をする 際に参与してもらうという、いわゆるサブの制度がある。
法律で定める法定委員会や任意で存在する諮問委員会など種類は様々で、いずれにせよ、委員会 とは、“権力と責任はないが発言力のある”サブ組織をいう。
ゴリゴリの権力志向の首長(某鹿児島県の市長)などは、そんなしたり顔の先生様を毛嫌いしていて、よく言えば信念があり聞く耳など毛頭ないといった体だが、そういう呑気な村(又は町)な どは、ほぼ政策決定などしないので大した問題は生じない。
しかしながら、たまにダム建設や原子力発電所や放射性廃棄物の最終処分場っていう厄介なやつが国から計画されて降りてくるので、大抵その地元で血の雨が降ることがある。
まあとはいえ、こういったケースでも、田舎の市町村役場は、ほぼ政治的な動きはすれど、政策決定などは殆どしない。
一方大都会になると、こまごまとした悩ましい政策決定が必要になり、大体は議会で賛否が拮抗するような状態となる。
この場合首長は、民主主義の原則どおり少数の選挙民を切り捨てなければならないので、次の選挙が近い場合などは、結論を選挙後に先送りするのが常套手段であり政治の王道である。
世襲の聖人君主ならいざ知らず、世界中のこのような末期民主主義国家においては、政治家は職業人であり、一般的な民間人と同様に合理的選択行動を行うのが当たり前の世である。
テレビなどで偉そうな人たちが、そんな決めきらない首長を批判している光景を目にするが、末端の首長を批判するのは筋違いである。悪いのは末期民主主義の制度疲労したシステムにあるのだから。
4月25日(木) 御用委員会その2
脱線したが委員会である。かようなサブ組織、当然お小遣いをもらって役所に日参する知識人 は、大した実入りもない割に面倒な政策決定に関与させられるなど、実にボランティア精神に溢れる方々だ、と思われるが、一応彼らにも相応のメリットがある。
例えば弁護士。人権や法規制などの役所が主催する委員会では、それなりの地位の人に意見を求 めることとしている。
つまり、逆説的に言うと、“役所から呼ばれるくらいだから良い弁護士なのだろう”というお墨付 きをタダで貰うことができるのだ。要は広報宣伝活動。
だから引き受けるのは、既に有名であって老獪で優秀な弁護士よりも駆け出しの若手が引き受けることが圧倒的に多い。例え古老弁護士に依頼があったとしても、大抵“体力の限界”などを理由に自分の息のかかった若い衆にその席を譲る。
役所は、そういう売名的な理由で古老弁護士から若手弁護士にその業務を丸投げされたとしても、喜んでその推薦を頂く。
なぜなら我が国は、弁護士という職に対してアメリカと比しても格段に寛容であり、“若くても優秀”というレッテルを一般人から貰えるからだ。
その点は医者も同様だが、医者はそんな小銭で委員になるほど暇ではない。売名よりむしろその 時間を使って学閥におもねる方が彼らの出世には余程合理的だ。
「あの弁護士様、体力の限界って言ってこの前委員就任を断ったけど、あいつ週4でゴルフして若い愛人抱えてるんだから、“相当な腰遣い”だとは思うけどなw」
奥山が我慢できずに公然の秘密を大声で暴露してきた。友田は、“口から放射能を出す”奥山から 極力被爆しないように、物理的な距離を保った。
4月26日(金) 御用委員会その3
次に学者委員についてである。
学者の場合、研究の中身や実績というよりは、むしろ各専門分野において、役所から“教授”や“准教授”という肩書きを有り難がって依頼されることが多い。
この“肩書きの差”は歴然で、論文の査読(※)では、研究者として対等でも大学や社会における待遇は雲泥の差がある。
特に教授、准教授、助教までが教員、それ以下が嘱託や非常勤であり、教員とそれ以外の身分の 差は、旗本と御家人ほどに待遇が異なる。
教授の場合は、基本的にこれ以上出世がないので、ボランティア精神あふれる方は委員を引き受けている。
一方准教授の場合は、委員会が所属する大学の教授会において、“自分が頑張っている姿をアピー ルする良い機会”であり、また自分の履歴書に簡単にキャリアを追加できる便利なツールでもある。
最後に大学を退職した学者(名誉教授など)についても付記しておく。
彼らは大抵時間に余裕がある。非常勤講師などをしつつ悠々自適な暮らしを送っているが、委員会活動は格好の“暇つぶし”となる。しかも名誉欲も満たされるので一石二鳥である。寸志である報酬は、恐らく孫の小遣いか書籍代に消えていくであろう。
前置きが大変長くなったが、そういった委員会において役所(事務方)は、とにかく“結論ありき のアドバイス”が欲しいのである。侃々諤々など事務方にとっては面倒以外の何者でもない。結論に向かってただ事務局におもねる発言とそれ以外の沈黙を提供してくださる委員様を、役所はこよな く愛し重用するのである。
4月30日(月) 御用委員会その4
一方、売名弁護士や名誉を求める名誉教授は、自我を出して役所から切り捨てられてはたまらないので、クライアント(事務局)に気に入られるよう、自らの立ち位置を素早く理解して委員会を切り回していく。
こういった“シテ(委員)”と“後見(事務方)”のコンビネーションが、かかる委員会の醍醐味であ り、行政手腕の見せ所ともいえる。
しかしながら、たまにこれら能の阿吽において“規格外”の者がいて、最終段階において “そもそも論”をいうなど傍若無人な御仁もいて厄介この上ない。
“何とか連合会副会長”や“女性何とか協議会会長”などは、“阿吽の空気”など知るよしもなく、はたまた売名の必要もないため、意見を求められれば素直に持論を展開してしまう。そのため、端からみると実に浮いた存在となり赤面至極である。
結果“御用座長(委員会で一番偉い人)”に諫められたりして、不服そうに発言を途中で切り上げる場面を目の当たりにすると、もはや喜劇でありお気の毒としか言いようがない。
こういった悲劇(喜劇?)を防止する策として、例えば“透かし絵”や“あぶり出し”などにより、 「ここは御用委員会ですので発言は控えてください。」 などと分かるよう記載してある方が双方にとって合理的というものであろう。
「御用委員のお通~~り~~」 本日開催の委員会の先生が現れると、奥山は周囲に聞こえるそうな程に狂言を舞い始めた。 課長と審議員の慌てふためく様が“梟山伏の兄弟”に見えて、友田は“いと滑稽”であった。
※ 査読とは、誰が書いたか分からない論文を公平に中身で研究者同士議論し合う制度のこと。実力主義であり民主的な制度である。