【ホラー小話】実りの秋
今回は日常ホラーのみ。
秋の日暮れ頃のような涼しさを。
秋。
実りを神に感謝する。
秋祭り。
天高く、青く澄み渡った空。
絶好の秋祭り日和だ。
休日出勤と残業続きで、引っ越してきて2ヶ月も経つのに、まったく近所を散歩することもなかった。
ようやく休日出勤の日々も終わりになり、快晴の日曜日だからと3歳になったばかりの息子の祐太郎と一緒に秋祭りにやって来た。
老若男女のたくさんの人たちが長い参道に並ぶ屋台の通りをゆったりとした流れを作って歩いている。
妻は「久しぶりに友人とランチにショッピングだ!わっほい!」と両足ジャンプをしながら出かけていった。大袈裟だなぁと笑って見送ったが、元気盛りの3歳男児のワンオペ育児は本当に大変だとすぐに思い知った。
屋台と人が並ぶ一角で、俺は祐太郎を見失って頭を抱えていた。
ちょっとだぞ。本当に、ちょっとだ。
お好み焼きとたこ焼きのどっちを食べようか迷って、立ち止まって人にぶつかって謝って足元を見たら、居なかった。
祐太郎ー!
お前、手を繋げと言ったのに、「おとしゃん、やー」じゃないんだよ!
オレはバクバクと心臓が早鐘を打つのを隠し、平静を装っていたが、顔色が悪かったらしい。
「アンタ、どうした?」
たこ焼き屋のおやじがくるくると器用に手を動かしながら聞いてきた。
「…3歳の息子が、迷子になったみたいで」
「あー、じゃあ、本部のテントに行ってみな。迷子ならあそこに連れて行かれるから」
「ありがとうございます!」
本部と書かれたテントを見つけるまで時間はかかったが、なんとか辿り着いた。
人混みの中をかき分けて歩いたのと、祐太郎に何かあればと心配が増したせいか、休日出勤に残業が重なったどんな時よりも疲れてしまっている。
だが、祐太郎が無事なら、それで構わない。
俺はテントの横にある長机とパイプ椅子がごちゃごちゃと並んだところに、「迷子」と書かれた立て札を見つけ、急いで近寄った。
「あの、すみません、うちの子が迷子で」
「あら、すごい汗。お子さんはいますか?」
パイプ椅子には誰も座らず、奥にあるブルーシートの上で子どもたちが遊んでいた。
あらかじめ迷子のために用意していたのか、テレビアニメのおもちゃや人形もたくさん置いてある。
祐太郎が好きなアニメだ。
あ、と声が出た。
一番大きなぬいぐるみを抱えている。たぶん、これもアニメキャラだ。
すっかり息子のお気に入りキャラの名前も忘れてしまっている。これからはちゃんと一緒に遊ぶからな…。
「あ、息子です。いました」
「はーい、じゃあ、お連れしますからお待ちくださいね」
薄い銀縁のメガネをかけた優しそうなおばさんがそう言うと、祐太郎の方へと向かった。
俺はほっとして、体から力が抜けた。
体は秋だというのにびっしょりと大量の汗をかいていた。
「ほーら、お迎えがきたよー。誰かなぁ?」
メガネのおばさんが優しく祐太郎に声をかけながら連れてきてくれた。
「さ、帰ろうか」
俺がそう言った途端。
「や。かえんない」
祐太郎がはっきりと答えた。
そして、言ってはいけない一言を口にした。
「おとしゃん、ちがう」
「え、お父さんじゃないの?」
慌てふためくメガネのおばさん。
「ねぇ、お父さんよね?」
「ゆーたん、や。かえんない」
そう言うと、祐太郎はぎゅっとぬいぐるみを抱きしめたまま、ブルーシートの方へと駆け戻っていった。
秋風が汗に濡れた俺の首筋を撫でた。
祐太郎が去った後に残されたのは、胡乱な瞳で俺を見るメガネのおばさん。
そのおばさんより年上に見える白髪のきれいなおばあちゃんが、ぼそっとおばさんに囁いたのが聞こえた。
「…そういえば、あの子、いつもお母さんと出掛けてるけど、お父さんはって聞くと、『いないよ』って言ってたわよ…」
それは、休日出勤で家にいなかったからだー!
俺は慌てて、あやしい者ではないと運転免許証を見せて伝えようとしたが、スマートフォンと小銭入れしか持ってきていなかった。
じわりと別の汗が出る。
「それに、あんな格好で…」
汗まみれの俺は、よれよれのTシャツにダメージジーンズ、サンダル姿。
頼みの妻は隣県に出掛けている。
メガネのおばさんがそっと小声で答えた。
「警察、呼ぼうか」
秋風ではない、別の冷たい感触が俺の背中を撫でていった。
秋。
実りの秋。
山のきのこが採れる。
良いきのこも、悪いきのこも。
吾輩は雌猫である。
名前は「みいちゃん」。
三毛猫である。
秋の木漏れ日にうとうとと惰眠を貪っていると、ざざっと何かが大量に落ちる音。
身を起こして音の方を見れば、この家の鬼ババアがきのこを打ち捨てていた。
「ちっ、この畜生が。捨てた毒キノコでも食べる気か。意地汚いねぇ。」
息を吸うように罵詈雑言を浴びせていった。
誰が食べるか。
「フゥーッ!」
鬼ババアの後ろ姿に威嚇をする。
逆立った毛をするりと撫でられた。見上げればこの家のママさん。カリカリした食事を与え、体を撫でてくれる優しい御仁だ。
「みゃあ」
よく見ればおでかけのご様子。ご飯下さいと足に首をすり寄せると、
「みいちゃん。これからおでかけしてくるから、お皿にある分を食べてね」
と優しい声色で言った。
「みゃあん」
了解した旨を伝えると、ママさんはさっき鬼ババアが捨てていったきのこをいくつか拾いあげると、すたすたと家の中へ。
吾輩がてすてすと後ろを付いて行くと、何やら食べ物の匂い?
ママさんは拾ったものをばしゃばしゃと洗うと、手早くちぎって鍋へ入れていった。
そして、子どもたちを連れて車で出掛けて行った。
早速、吾輩はカリカリしたご飯を食べると、その後は日の当たる神棚の上で再び眠り始めた。
「う、うぅっ…ぐ、うぇっ…」
何やら奇怪な音がする。
神棚から下を覗けば、こたつの横に鬼ババアが倒れ込んでいる。
こたつの天板の上には、先ほどママさんがきのこを投げ込んだ鍋。
仕事終わりのパパさんと一緒に外食をしてから帰るのが、ママさんの常日頃の帰宅パターン。
鬼ババアはうめいているが、三毛猫の吾輩にはなす術もなし。
産まれたばかりの我が子を鬼ババアの手で、全て川に投げ捨てられた時と同じように。
なす術もなし。
吾輩は欠伸をひとつした後、神棚で再び眠ることにした。
秋。
実りの秋。
紅葉と共に、栗拾い。
桜の葉が赤く染まり、ひらひらと落ちて行く。
片目で遠景にピントを合わせ、シャッターを切る。
SL列車の撮影の帰り道、少し斜めに差し込む午後の陽光に照らされた紅葉に目を奪われ、カメラを持って途中下車。
無人駅の近くにある森へ進めば、落ち葉の絨毯。
かしゃかしゃと歩くたびに音が鳴る。
つま先で蹴れば、光と舞う。
しばらくの静寂。
かさり、とまた落葉一枚。
秋の暑くもなく寒くもない、穏やかな太陽は、病室の気温を思い出させた。
毎年、共にSL列車の撮影に行く友人が入院した。
「まあ、不摂生を急に改めても、体にはがたがきてたんだな」
ぼんやりとした色の仕切りのカーテン以外色味のない病室で、力なく笑う友人にかける言葉もなかった。
俺も同じだからだ。
60歳の定年まで働き、給料が下がるものの再雇用となった誕生日の翌日、妻に離婚を切り出された。
ーー充分につとめは果たしたと思うの。
透徹な笑みを浮かべる妻に、俺は何も言えなかった。
終わりの見えないひとり暮らしの中で、思い出したかつての趣味が写真だった。
フィルムを巻く。
絞りとシャッター速度を考えて合わせる。
鼻先をカメラに押し当て、片目で景色を切り取る。
そして、一瞬のために用意をする。
ブレないように、肘を固めてシャッターを切る。
覗き窓越しに自分の中でピントが合う瞬間、全てを忘れる事が出来た。
デジタルカメラと違って、現像まで撮影した景色を確認することはできない。それでもその時に見た景色は、それほどズレることなく、紙に写されている。
同じフィルムカメラ仲間の友人もできて、再雇用期間が終わっても楽しく生きていってやると2人で気炎をあげていたが。
「体は、正直だよな」
思わず下を向いてしまう。
乾いた落ち葉ではなく、濡れ落ち葉のように、妻にぺったりついていれば良かったのだろうか。
あてどもない思考に囚われる。
下を向いたまま、足を進めれば、棘の塊。
栗だ。
靴のつま先を器用に使えば、中から大きなぽってりと丸い栗の実が出てきた。
目線を先に伸ばせば、ひとつの毬栗。
夢中になって、つま先で開ける。
取り出した栗を背中のリュックに入れる。
また、視線を動かす。
毬栗に照準を合わせる。
目が慣れてくると、次々に見つかる。
ああ、楽しい。
カメラのピントが合うように、毬栗に目がぴたりと合う。
見つけてはまた栗を取り出す。
今夜は栗ご飯だ。
ほくほくとした栗の食感と甘みを想像して唾液が出る。
残りは友人と食べるために渋皮煮にしよう。
退院の頃にはきっと味が染み込んでいるはずだ。
目を上げると、斜めに差し込む陽の光が毬栗だけを浮き上がらせる。
まるで採ってくれと言わんばかりに。
俺は喜色満面で栗を拾い続けた。
いくつも、いくつも。
まるで子どものように時を忘れた。
その毬栗が浮き上がって見えなくなった頃、かがむと背中のリュックから栗がふたつみっつ、転げ落ちた。
リュックいっぱいに栗を拾ったらしい。
そう自覚すると、カメラ道具と栗の入ったリュックが急に重くなったように感じた。
「ふう…」
大きく息をはいた。
帰ろうと顔を上げると、日が暮れていた。
見回せば、焦点の合わぬ闇の中。
道に迷った半死半生の俺が、救急車に乗せられるのは、7日後。
【 実りの秋 】