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第1章(4/5) VS鈍感主人公

 勝手に使わせてもらうことにしたキッチンは、家が大きいだけあってかなり広い。

 隣接するリビングとの間には幅の広いカウンター。IHクッキングヒーターには四つの鍋が同時にかけられるようになっている。

 ほんとは調理器具と食器を使っていいかぐらいは東郷に聞くつもりだったんだけど、ちょっとした事故のせいで聞けなかった。

 いちおう言っとくけど、事故、だよ?

 普段あたしを無視する東郷が憎くて頭突きしたとかじゃないからね?


 ……まぁ、とにかく、ちゃんと洗えば問題ないということにして、調理器具も勝手に使わせてもらうとしよう。


 調理器具を探している時に気付いたけど、このキッチンはせっかくいい設備が整ってるのに生活感がほとんど感じられないね。食器もあんまり使ってる感じはしないし。

 東郷は両親が海外に行ってて不在だって言ってたけど、もしかするとよくあることなのかもしれないね。

 だから、この家で誰かが料理をすることなんてあんまりないんじゃないのかな?


 そんなことを考えながらキッチンを探ってると、土鍋を発見。うん、おかゆと言えばやっぱり土鍋だよね。

 その土鍋をコンロの上に置き、持ってきたカバンからピンクのエプロンを出す。

 そう、ちゃんと準備しているのです。

 こういうシチュエーションにいつ遭遇するか分からないから、あたしはいつもカバンにはエプロンを入れている。

 そう、毎日だよ。


 我ながらさすがの黒髪ロングヒロインっぷりだ。


 一人悦に入りながらエプロンを着けて、まずはお米の準備。

 東郷をあんまり待たせるのも悪いからお米をお湯に浸す。水に浸すよりこっちの方が早く調理できるんだよね。

 十分ほど待って、加熱。沸騰したら、あとは弱火にして三十分待つだけ。

 立ち上る湯気を見ながら、あたしは思い出す。

 今となってはこんな風に簡単に料理をこなせるけど、こうなるまでの道のりは険しかった。



 ラノベやアニメにありがちなヒロインの料理下手問題。それが、あたしには許せなかった。胃袋を掴んで初めて心も掴めるはずなのに。

 なんであのヒロインたちは料理が下手なのか、あたしには理解できなかった。他は完璧なのに。

 だから、自分磨きの過程であたしは料理上手になることも大事にしている。

 レパートリーを増やすために、自分で完璧と思えるまで一つの料理を作り続けることだってある。


 だけど、おかゆの練習をした時は心が折れそうだったね。

 初めは水の量とか火加減が難しくて、ゆるゆるになったり、逆に硬くなりすぎたり。なにより、毎日毎食おかゆというのは、自分が病人にでもなったような気がしてうんざりした。

 残すのはもったいなくてできないけど、テレビのバラエティ番組じゃないから、出来上がった料理をスタッフが食べてくれるわけじゃないしね。

 でも、苦難を乗り越え、おかゆは完璧にマスターした。

 今では、オムライスや肉じゃがといった定番料理も、そんじょそこらの店には負けないぐらいの自信がある。


 なんて感慨にふけっていると、土鍋からプシューって音が聞こえてきた。ちょうどいい具合に仕上がったみたい。

 あとは小ネギを刻んでふりかけて、種を抜いてつぶした梅干を真ん中に置く。最後に塩をひとつまみ、ハラリとかければ完成。

 上品そうなお盆を借りて、土鍋と取り皿、スプーンを載せて運ぶ。



 二階に上がると、「けんたの部屋」という木の札がかかったドアがすぐに目に入った。その文字はかわいらしい。小学校の図工の時間にでも作ったんだろうね。

 ノックしようとして、右手がドアまで五センチほどまで迫ったその時。

 あたしはまたしても気付く。

 気付いてしまった。


 ――えっ?


 もしかして、あたし、生まれて初めて男の子の部屋に入ろうとしてる?

 しかも家にご両親もいない二人っきりの状況で?

 ……襲われたりしない、よね?


 こんなところまで来て怖気づいてしまう。

 こんな時、黒髪ロングヒロインならどうする?

 たぶん平気な顔をして部屋に入る……はず。

 けど、それは相手が鈍感主人公だから。

 でも、今は?

 東郷はどうなの?

 ……

 …………

 ………………

 うん、学校であたしと目を合わせようとすらしないあいつは、間違いなく鈍感主人公だ。

 いや、あたしに奴への好意はないから、主人公でもないただの鈍感野郎か。

 とにかく大丈夫、のはず。

 息を深く吸い込んでドアをノックする。


 コンコンっ――


「……どうぞ」

 ドアを開けると、東郷は薄いブルーのタオルケットをかぶり、ベッドに横たわっていた。


「おかゆを作ってみたのだけれど、食欲はあるかしら?」

 声を掛けながら、ベッド横のナイトテーブルにお盆を置く。

 立ったまま話すのも変なので、机の椅子をベッド近くに運んで腰かけた。

「そうでもなかったけど、においがすると腹が減るな」

「起きられるかしら?」

「あぁ、誰かさんのせいで少し頭がジンジンするけど、大丈夫だ」


 言いながら東郷はゆっくり身を起こす。『誰かさん』のくだりは聞かなかったことにする。

 それが大人の対応ってもんだよね。

 黒髪ロングヒロインは大人キャラだから、この対応で間違ってない。

 それに、自分から変な話題を蒸し返すわけにもいかないしね。

 東郷が起き上がったのを見て、あたしはスプーンに手を伸ばす。


 それを見て、

「いやいやいやいや、何しようとしてんだよ?」

 突然、慌てふためく東郷。

 何ってこんな時にすることは決まってるのに。

 言わないと分からないかなぁ?

 仕方ないなぁ。


「あ~んしてあげるわよ?」

「……さすがに、それは遠慮させてくれ。ほんとに」

 東郷は目を潤ませながら両手を合わせて懇願している。

 なんでそこまで拒絶するのか分からないけど、あたしもそう簡単には引き下がれない。

 だって、お見舞いイベントにおいて、この行動は必然でしょ?


「病人は病人らしくしてればいいのよ。私に任せなさい」

「任せなさいって、それなんかエロいし」

「そんなことないわよ」


『エロい』なんて考える方がエロいのよ。なんてことは口にはしないけど。

 とにかく、ここは勢いが大事な場面だよね。

 あたしは改めてスプーンを掴もうとする。

 と、同じことをしようとしていた東郷の手にあたしの手が触れた。


 えっ?


 熱が下がりきっていないからなのか、触れたのは一瞬だったのに、その手から東郷の体温があたしに伝わってきた。

 その熱があたしの体温も上げる。顔が赤くなってる気がして、思わず東郷から顔を背けてしまう。

 このままだと、間がもたない。


 ……仕方ない、あ~んは諦めるしかないみたいだね。


 あたしは視線を逸らしたまま告げる。

「そ、それなら自分で食べるといいわ」

「そ、そうだな。いただくよ」

 ぎこちなく言葉を交わすと、東郷はスプーンをつかみ、食べ始める。

「あちっ」

 ――しまった。


 ここは「熱いから私がフウフウして冷ましてあげる」って言うシーンだった。

 減点だ。黒髪ロングヒロインにあるまじき大失態だ。


 だけど、

「うん、おいしいよ」

 東郷はそう言ってくれた。


 そっと視線を向けると、青白かった頬が心なしか赤く色付いていた。

「塩加減も絶妙だし、梅干が食欲をそそる」

 満足そうにおかゆを口に運ぶ東郷を見て、あたしもここは何もなかったように振る舞うことにした。

「そう、お口にあってよかったわ」

「だけど、尾崎って、何でもできるんだな。勉強もスポーツもだし。それに、料理もうまいし」

 えっ?

 突然褒められると、びっくりしちゃうからやめてほしいな。

 あたしは髪の先を右手の人差し指と親指で触って誤魔化す。

「そんなことないわよ。でも、東郷くんは普段あいさつもしてくれないから、私のことなんて目に入ってないと思っていたのだけれど」

「それは……」

 と言って、東郷は口ごもる。


 ん?

 もしかして?

 もしかしてっ?

 これって『実は尾崎のこと好きだからちゃんと見れなかったんだよ』とかなんとか言って、突然告白されるパターン?


 ええええええええええええええええっ?


 さすがにあたしも、そこまで心の準備はできてないよ。

 ドクン、ドクン、ドクン――。

 心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。

 どうしよう?

 どうしよう?

 どうしよう?


「……それは」


 東郷が再び口を開く。

 ドキドキ……

 時間の流れが突然ゆっくりになったように錯覚してしまう。

 東郷の口がどう動くのか、その唇からあたしは目が離せない。


 ――果たして、出てきた言葉は、

「俺が女子と話しているのを見ると怒る奴がいるんだよ」

 はぁ?

 こんな奴に彼女がいるの?

「いや、彼女とかじゃないんだけど。俺にその気もないし」

 東郷はあたしの心を読んだかのようなことを言い、なぜかベッドの足元にあるウォークインクローゼットをチラっと見てから小声で続ける。

「そいつは幼馴染っていうか、腐れ縁で小中高とずっと一緒なんだよ」


 ……来ました。

 幼馴染ヒロインの登場です。

 でも、幼馴染って負けフラグだよね。

 って、違う違う。

 そもそもあたしは東郷のことを何とも思ってないし。だから、はっきり言って、フラグがどうこうとか、あたしには関係ないし、ほんとにどうでもいいし。

 とにかくっ、ここは落ち着いて大人の対応をしよう。


「そうなのね。あいさつぐらいは返してくれたらうれしいけれど、東郷くんも大変なのね?」

「まぁ、そうなんだよ。悪いな」

 そこまで言うと、東郷は黙々とおかゆをすする。

 おいしそうに食べてくれるのは嬉しいけど、そんなに黙っていられると、ちょっと間がもたないからあたしの方から話題を振る。


「そう言えば、キッチンがずいぶんきれいだったけれど、ご両親は不在のことが多いのかしら?」

「うん、俺はほとんど一人暮らしみたいなもんだよ。だから、今日は久しぶりに手料理が食べられて嬉しいよ」

 東郷は満面の笑みを浮かべる。

 あんまりまっすぐ目を見つめてくるものだから、思わず目を逸らしてしまった。

「そう、それはよかったわ」

 思わず返す声も小さくなってしまった。


 ガタンっ――


 東郷がスプーンを置いた音だった。

 いつの間にか、おかゆを完食していたらしい。

「ほんとに、おいしかったよ。片付けぐらいはできるから、あとは安心して帰ってくれ」

 気付くと、窓から見える外は暗くなり始めていた。

「じゃあ、今日はゆっくり寝るのよ?」

「あぁ、そうするよ」


 返事を聞き、あたしは東郷の家をあとにした。

 玄関の扉を閉じる時に「健太ぁ、あの女は何なのよぉっ!」って、女の人の声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだろう。

 ……うん、気にしない、気にしない。

 あたしには関係ない。あとは鈍感主人公が何とかするはずだ。

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