第1章(1/5) VS鈍感主人公
「しーちゃん、おはよう」
二学期の開始から一週間ほどたったある日の朝。
鹿児島中央駅前の電停から学校までテクテク歩いていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、三つ編みを揺らす笑顔の和奏ちゃん。
入学式の日の一件があってから、すっかり仲良しになって、あたしのことを『しーちゃん』って呼んでくれている。
ちょっと黒髪ロングヒロインのイメージとは違う呼び方かなとも思ったんだけど、和奏ちゃんの笑顔を見てると、何でも許せるような気がして、そのままになっている。
「おはよう、和奏さん」
あたしは髪をサラリと右手でかき上げながらあいさつを返す。
何気なくかき上げるのが萌えポイントって、お兄ちゃんのラノベで読んでから半ば癖になっている仕草。
……ただ、やりすぎてないかなぁって、たまに自分でも不安になるんだけどね。
それと、友達を「ちゃん」ではなく、「さん」と呼ぶのも黒髪ロングヒロインには必須だよね。
たまに言い間違いそうになるけど、今日はバッチリ『和奏さん』って自然に呼べた。
全然問題なかった。
と、一人胸を撫で下ろしていると、
「今日も、髪がきれいだねぇ」
和奏ちゃんがいつも通り褒めてくれた。
「ありがとう」
あたしもいつものようにフフっと小さく笑ってみせる。
うん、ここまで問題はないはず。
じゃあ、次の話題はきっと、
「今日の英語の宿題大変だったよね? 平日にあんな量を出さないでほしいよね」
これも想定通り。
ムフフ。
内心ほくそ笑んでから、あたしは「そうね、私もちょっと寝不足よ」と、右手で口元を隠して小さくあくびをする。
「そっかぁ。しーちゃんも大変だったんなら、私が手こずったのも当たり前だよね」
そんな会話を交わしていると、電停から十分ほどの学校にはすぐにたどり着く。
ちなみに、あたしが寝不足気味なのは宿題が大変だったからじゃない。
黒髪ロングヒロインとしてふさわしい振る舞いをするために、こうした会話の想定問答をつくっていたせいなんだよね。
変な受け答えをしないように、高校入学後から続けている習慣。
初めのころはどんな会話をすればいいのか迷うことも多かったけれど、最近では今日みたいにスムーズに応えられるようになってきている。
ただ、どうしても時間は取られちゃうんだよね。
そんな人知れず重ねている努力がばれていないかと、横目でチラリと和奏ちゃんの様子を窺う。
……うん、大丈夫そう。
目が合うと、にっこり笑ってくれたから、ばれていない。
□ ■ □
和奏ちゃんと一緒に昇降口を通り、教室に入る。
あたしの席は入学式の時から変わらない廊下側の一番前。
普通なら一学期が終わるタイミングぐらいで席替えがあっても良さそうだけど、ここはお気に入りの席だから問題ない。
なんでかって言うと、この席だと、あたしがみんなに慕われる黒髪ロングヒロインだと実感できるからね。
「おはよう」
「うっす」
口々にあいさつしながら教室に入ってくるクラスメイトたち。
みんな、自分のグループに合流する前に、入口そばに座るあたしに声を掛けてくれる。
女の子たちは満面の笑みを浮かべて。恥ずかしがりの男子もチラッとこちらに視線を送ってくれる。
――ただ一人の例外を除いて。
そして、今日も奴が廊下の向こうから、教室に近付いてくるのが見えた。
東郷健太。
身長はたぶん百七十センチぐらいだけど、猫背気味ではっきりとは分からない。
性格はどちらかと言うと暗めというか大人しいのかな? これもよく分からない。教室で誰かと話しているのを見ることはあまりないからね。
でも、校内で他のクラスの女の子と会話を交わしているのは、よく目にする。
しかも、見るたびに違う子と。
しかも、その誰もが、かわいかったり、きれいだったりする。
……解せない。
あたしにあいさつもしないような奴が、あんなかわいい子たちとなんで親し気に話しているんだろう。
理由はさておき、その様子を見る限り、女の子と話すのが苦手ってわけじゃないと思うんだよね。
それなのに、あたしとは目を合わしてさえくれない。
それでも、今日も
「おはよう、東郷くん」
と、いつものようにあたしからあいさつをする。
黒髪ロングヒロイン自らあいさつするなんて癪にさわるけど、無視され続けるのはもっと嫌だもんね。
けれどもっ!
この日もあいさつが返ってくるどころか、奴は視線も合わせようとしなかった。
ある意味、想定通り。
残念極まりないけどね。
鈍感主人公かよ、と悪態の一つもつきたくなる。
いや、あたしは奴のことを好きでも何でもないからね。念のため。
鈍感主人公っていうのは、色んな女の子から好意を向けられる男の子。
あたしが東郷に好意を抱いていない時点で、鈍感主人公とは違う。
ただ、何にせよ、誰もが羨む黒髪ロングヒロインを目指すあたしにとって、これは由々しき事態であるのは変わりない。
誰かに無視されることなんてあってはならないからね。
しかも、それが全く関係ない人ならまだしも、同じクラスなんだから。
そう考えると、この反応のなさは、もはや憎しみすら感じるレベルだ。
でも、そんなことを言ってる場合じゃない。
とにかく、何とかしないといけない。
そんな思いは日に日に募っていってた。