プロローグ(3/4) 志の高い女の子は好きですか?
まずは、髪から。
向かったのは、街中の美容室。
あたしが住むのは小さな街だけど、素敵な美容室はあるんだよ。
でも、おしゃれすぎる雰囲気が苦手で、それまではずっと敬遠していた。
あたしなんかが入るのは恐れ多いっていうか、場違いな感じがしてたんだよね。
でも、恐る恐るドアを開けると、きれいなお姉さんが柔らかい笑顔で応対してくれてホッとした。
「こんにちは。今日はどんな感じにしたいのかな?」
「えっと、その……」
うつむいてモゴモゴ口元を動かすあたしに、お姉さんは、
「うん、焦らなくていいよ?」
優しく声をかけてくれた。
だから、あたしは勇気を出して顔を上げた。
「……はい。あたし、じゃなくて、私、今度高校に入学するんです。だから、ちょっと大人っぽい感じにしたいなって思ってて……」
「そうなんだ? おめでとう」
お姉さんはあたしの三つ編みをほどいて、フムフムと、何かを確かめる。
「きれいな髪だね。長さはどうしたいのかな?」
「長さは今ぐらい、肩と腰の間ぐらい?」
「うん。じゃあ、軽く梳いて整えて全体的に明るく見える感じにしよっか?」
そう提案されても正直、あんまりイメージは湧かない。
梳くって、何だろう?
でも、おしゃれなお姉さんが言うのなら間違いないんじゃないかな?
うん、きっとそうだ。直感って大事だもんね。
「はい。お願いします」
そう応えて、しばらく。
気付いたら鏡の前には見たことのない人が映っていた。
――ちょっと髪型を変えるだけで全然変わるんだね。
自分で驚いて、しばらく何も言えずにいると、
「どう?」
目をまん丸くしたまま鏡に見入るあたしに、お姉さんが鏡越しに微笑んでくれた。
「びっくりしました」
「フフっ。もともときれいな髪してたしね。あとは、コンディショナーも変えると、いいかもね?」
あたしをこんなに素敵に変えてくれたお姉さんのアドバイスに従わない手はない。
美容室からの帰り道にショッピングセンターに寄って、ちょっといいコンディショナーを手に入れた。
さっそくそれを使った翌日。あたしの髪の濡羽色はさらにつやを増していた。
髪の次は、コンタクト。
牛乳瓶のふたみたいなレンズが付いた眼鏡は、中学校に入ったころに両親に買ってもらったもの。
そんな眼鏡を着けたあたしの見た目が冴えてないってのは、自分でも薄々気付いてた。
けど、三年間着けてると、何となく愛着が湧いていた。
それとも、言い訳だったのかな?
人から目を直接見られたくないってことの。
それに、ね?
自分の目に指を入れるのって怖くない?
間違って深く指を差したら眼球が潰れちゃうんじゃないかな?
そんな風に思ってた。
でも、今思えば、やっぱり新しい一歩を踏み出すのが怖くて言い訳してたんだろうね。
だから、えいやっと、思い切ってコンタクトレンズを取り扱っている眼鏡屋さんに行った。
視力検査を済ませて、出してもらったレンズを自分の目に入れた。
今度も鏡の前でびっくりした。
――だって、あたしの目って、自分で思ってたよりも丸くて大きかったから。
明るい茶色の瞳は、キラキラと輝いていた。
会計を済ませて、お店の外に出ると、世界がそれまでよりも広く見えた気がした。
それから、体型にも気を遣った。
もとからそんなに変な体型じゃないのは自分でも分かってたんだよ。
けれど、あたしの志は高いからね。
ただ、好きなものは食べたいから、食事制限はしない。その代わり、運動をしてみることにした。
ちょっとランニングをしたら、胸の周りを除いてうまい具合に無駄な脂肪も体重も落ちてくれて、すぐに理想の体型に近付いていった。
ある日のランニング中にちょっと予想外のことはあったけど。
小さな商店街を駆けていた時。
あたしは赤信号につかまっていた。
「なぁ、ちょっといい?」
背後から聞こえてくる軽薄そうな男の人の声にあたしは振り返った。
「はい?」
「スマホをこの辺で落としちゃって探してるんだけど、ちょっと鳴らしてみてくれないかな? ……って、お前もしかして志麻か?」
目の前で大げさに驚いているのは……一個上の西原翔太先輩だった。
昔からお兄ちゃんと仲が良くて、家にも何度も遊びに来たこともあるんだけど、ちょっと苦手なんだよね、この人。
あたしの方を指差しながらずっと変な声を出してるし。
「えっ、えっ? まじで?」
「何ですか、人の顔を見てそんなに驚いて。それに人を指差すのは失礼ですよ」
「だって、志麻って、なんて言うか、ほら、もっとイモっぽかったからさ?」
「ほんっとに失礼ですね。人に向かってイモっぽいなんて!」
頬を膨らませて抗議するあたしに、翔太先輩は目を見開いている。
「髪もきれいになってるし、それに眼鏡はどうしたんだよ? ほら、あの牛乳瓶のふたみたいなやつ」
「ちょっと美容室に行っただけです。それに、眼鏡はコンタクトに変えました」
即答するあたしに、翔太先輩はなおも首を傾げている。
「そういうことじゃなくてだな。……何かあったのか?」
「別に何もないです。ただ……あたしも高校生になるんで、いろいろちゃんとしてみようかなって思っただけです」
「そうだったな。俺と同じ高校に来るんだったよな?」
「……はい。残念ながら」
「残念とか言うなよ」
翔太先輩は鼻の頭をかきながら苦笑している。
そう、誠に遺憾ながらあたしが進学する鹿児島市の高校にはこの先輩が在籍している。
せっかくの新天地での生活なのに、あたしを幼いころから知っている人がいる。
むむむと、改めてあたしは唸る。
高校進学はあたしにとって生まれ変われるチャンス。けど、以前のあたしを知っている人がいれば、黒髪ロングヒロインを目指す上で障害になるかもしれない。
他の人の前で、「こいつって、昔はイモっぽかったんだぜ」とか絶対に言わないでほしい。
けど、放っておくと、この先輩は言いかねない。今も言われたばっかりだし。
ここで会ったが何とやらだね。ここでしっかり釘を刺しておこう。
そうしないと次に会った時に、釘じゃない何かを物理的に刺してしまうことになるかもしれないしね。
あたしは翔太先輩の目を見据える。
「言っときますけど、高校で会っても、あたしのことは知らないフリをしてくださいね? 絶対に知り合いだなんて言わないでくださいね?」
「なんでだよ? いいじゃねえか、せっかく幼馴染同士同じ高校に行くのに」
「幼馴染なんて変な勘違いをするような言葉を使わないでください。それに、翔太先輩は、あたしの高校生活に必要ないんです」
「……相変わらず冷たいな」
一息に告げたあたしに、翔太先輩は肩を落としている。それでも、念には念をと、あたしは言葉を重ねる。
「だって、翔太先輩は、軽すぎるんですよ。さっき信号待ちしてたあたしに声をかけたのだって、ナンパのつもりだったんでしょ? スマホを鳴らさせて、連絡先を知ろうなんて、さいてーですねっ!」
「いや、ほら、目の前にきれいな子がいたら、思わず声かけちゃうんだよね」
「はいはい……」
――って、今、『きれいな子』って言った?
それって、あたしのこと?
だよね。……だよね?
「どうしたんだよ、突然そんなに首傾げて?」
あっ、この人気付いてない。
あたしのことをきれいって言ったこと。
どうせ誰にでも言ってるから、そんな言葉が軽々出てくるんだろうね。
だから、あんまり関わりたくないんだよ。
ほんとに軽すぎる。
「もういいですっ」
「へっ?」
あたしは戸惑っている翔太先輩を置き去りにして、再び走り出す。
心臓が少し高鳴っているのは、走ってるせい。
翔太先輩の言ったことが気になっているからとかではない。
絶対に、断じて違う。
そして、最後に気を付けたのは、話し方。
翔太先輩と話した時に、自分でも実感した。これじゃダメだって。
だから、ラノベを何度もめくって、黒髪ロングヒロインにふさわしい言葉をピックアップした。
『あたし』は『私』。
子どもっぽい『~かな?』は、『~かしら?』。
『でも』は『けれども』。
頭の中ではまだ前の話し方のままだけど、口から出る言葉は完璧……なはず。
こうして、あたしは高校デビューの準備を着々と整えていった。