第3章(1/7) ミラーマッチの予感
――まずい。
これはまずい。
本格的にまずい。
オープンキャンパス実行委員会の初めてのミーティング。あたしは一人、焦っていた。
空き教室にロの字型に並べられた長机。あたしの席は廊下側に平行に並べられた長机の真ん中辺り。
顔をふせたまま視線だけそっと動かす。その視線の先にいるのは、黒板の前の列、中央に座る実行委員長。
「大変だと思うけれど、私は少しでもいいオープンキャンパスにしたいと思っているわ。そのために力を貸してくれるかしら?」
そう話し、髪をかき上げるのは、二年の堀之内絵梨花さん。
切れ長の瞳。スカートは膝上ぐらいまでと短め。タイツをはいていない足は白く輝く。
ここまでは、いい。仕事ができそうで、きれいな先輩って感じ。
――ただ、問題は、
肩から腰の中間ぐらいまで伸びる濡羽色の黒髪。それに、添えられた白いカチューシャ。
つまり、あたしとキャラがかぶる。完全にかぶっている。
一年生と二年生の各クラスから選ばれた実行委員二十人ぐらいが集まるこの教室に、黒髪ロングが二人もいる。
割合にしたら、一割だよ。十人に一人だよ。
これは、まずい。
これまでも校内で堀之内さんの姿を見かけたことはあった。いつかは対峙せざるを得ない時が来るかもしれないとは思っていた。けど、こんな場面で鉢合わせてしまうなんて。
これは……黒髪ロングヒロインの座をかけたミラーマッチの予感がする。
しかも、堀之内さんの優雅で落ち着いた振る舞いを見ていると、今のあたしじゃ太刀打ちできないんじゃないかってほどの差を感じてしまう。
まだ高校に入学して半年余りのあたしと、二年生の堀之内さんにどれほどの差があるのかは分からない。
でも、この実行委員の仕事を通して、もし並び立つような場面があれば、どうしても周りの人たちから比べられてしまうはず。
あたしは席に座ったまま、思わず頭を抱えてしまう。
「尾崎、どうかしたのか? 具合でも悪いのか?」
そう優しく声をかけてくれるのは、隣に座る東郷。
「無理しなくていいんだよ? 健太の隣にはあたしだけいればいいんだからねっ?」
そう言うのは、さらにその隣に座る沢城さん。言い方に変な含みがあった気がするけど、今はそんなことを気に掛ける余裕はない。
あたしの目に映るのは黒髪を揺らしながら微笑んでいる堀之内さんだけだ。
この日のミーティングは、顔合わせと今後の大まかなスケジュールの確認だけで、すぐに終わった。
けれど、一人気まずい思いをしていたあたしには、時間の流れがとても遅く感じられた。
「ほんとに大丈夫か?」
ミーティングが終わった直後、再び東郷に心配された。
「ほんとに大丈夫よ」
そう応えて立ち上がろうとした時、
「尾崎志麻さんだったわね? 少しだけ残ってもらっていいかしら?」
嫌な予感がして、グググっと首を後ろに回す。
果たして……あたしの背後に立っていたのは、堀之内さん。
え?
いきなり直接あたしに話しかけてくるの?
「じゃあ、あたしたち先に帰るから。健太、行くよっ?」
なにやらか不穏な空気を察したらしい沢城さんは東郷の手を引いて、そそくさと部屋を出る。
正直言って面倒な子だけど、こういう時ばかりはそばにいてほしいと思ったりもするけど、仕方ない。
ほんとに仕方ない。
黒髪ロングヒロインとしては逃げるわけにはいかないしね。
ガラっ――
教室に、最後の生徒がドアを閉めて退室する音が響いた。
これは、たぶん第一ラウンドのゴングだ。
さすがにいきなり何かをされるってこともないだろうけど、わざわざ呼び止めるってことは、「よろしくね」なんて和やかな会話になることもない気がする。
でも、あたしは逃げも隠れもしない。正面から正々堂々、受けてたつ。
あたしは大きく息を吸って覚悟を決めた。二人っきりになった空き教室で、堀之内さんに向き直る。
「どうしたんでしょうか?」
「そんなに緊張しなくていいわ。少しお話してみたかっただけだから」
そう言う堀之内さんの口元には微笑が浮かんでいる。
けれど、少し話したいだけという割には、挑発的な表情……だと思う。だって、口角はニッコリというより、ニタリと上がっているから。
あたしの被害妄想だったらいいんだけど、どうもそうじゃない様な気がものすごくする。
……こういう時、どう応えるのが正解なのだろう?
『それは光栄です』
『私も堀之内先輩とお話してみたいと思っていました』
……うーん、違う気がする。
そんな風に媚びたらいけない気がする。下手に出れば、少しは心証も良くなるのかもしれないけど、それは、あたしのヒロイン道に反する。
あたしが目指す黒髪ロングヒロインは、自分を貫き通した先にある。
無益な争いを望むわけではないけれど、八方美人となっては意味がない。
周りの言動に簡単には左右されない、しっかりとした芯を心に持たなければならない。
人のためではなく自分のために、あたしは黒髪ロングヒロインへの道を歩んでいる。
――だから、決めた。
この場面でも媚びることはしない。
かといって、変に波風は立てたくない。
まずは、様子見が大事だね。この会話で堀之内さんが何をしたいのかを探る。
「そうなんですね。何のお話でしょうか?」
しっかり目を見て応えたあたしの顔を見て、堀之内さんは右の眉をピクリと動かす。
その動きはほんの小さなものだったけど、あたしは見逃さない。
きっと、あたしの反応が思っていたのと違ったんだろうね。たぶん堀之内さんは、あたしが下手に出てくると思ってたんじゃないのかな。
ここはやっぱり、わずかなミスも許されない場面だ。あたしは目をわずかに細め、集中を高める。
「……そうね、まずは志麻さん、って呼んでいいかしら?」
あたしは小さくうなずく。それぐらいのことなら問題はない。
「ありがとう。あたしのことも絵梨花と呼んでくれて構わないわ」
絵梨花さん、ね。
心の中でつぶやき、あたしは微笑を浮かべて再び首を縦に振る。
「それで、お話なんだけれど、志麻さんはその髪のお手入れは大変じゃないのかしら?」
「そうでもありませんよ」
「そうは見えないのだけれど。いっそのこと短くしてしまったらどうかしら?」
――きたっ!
強烈な先制パンチ。
黒髪ロングヒロインにとって、最も大事と言っても過言ではない黒髪を短くしろと、はっきりと伝えてきた。
そんなことをしたら、全て台無しになる。
短くしろだなんて、そんなことして下手したらおかっぱになる。黒髪おかっぱヒロインなんて、聞いたことないし。
でも、本当にただのお話で終わればいいなんて期待も心の片隅にはあったけど、この会話はそんな生易しいものではないみたいだね。
ただ、あたしはこのまま一方的にやられるなんてことしない。目に力を込めて、口を開く。
「髪の手入れが大変だと思うのであれば、絵梨花さんこそ、短くされたらいいのではないですか?」
「チっ」
おおっ!
舌打ちされたよ。
教室にはあたしと絵梨花さんの二人しかいない。だから、その舌打ちの音は大きくはないけれど、確かに響く。
他に誰もいないこの場では、キャラ崩壊さえもいとわないってことなのかな?
「いい加減にしてくれない?」
舌打ちに続く言葉は、さらに冷たい。でも、ここで挑発に乗るわけにはいかない。
変なことを口走ってしまったら、後々それを悪い風に利用されてしまうかもしれない。「尾崎さんは人の見てない所では、態度が悪いのよ」なんて吹聴されても文句は言えなくなる。
とにかく挑発に乗らず、冷静に応対することを心がけよう。
あたしは、心臓がバクバク弾んでいるのを感じて、右手で胸をそっと押さえる。そして、声が裏返らないように細心の注意を払いながら言葉を返す。
「どうして絵梨花さんに、そう言われなくてはいけないのですか?」
「はぁ? 何なのあんた? 見れば分かるでしょ?」
「そう仰られても、分からないのですけれど」
「だーかーらーっ」
絵梨花さんが声を荒げ、あたしとの距離を一歩詰めてきた時。
ガラっと音がして、ドアが開いた。
「あれ? 絵梨花まだいたんだ」
二年の女子生徒だった。
声をかけられた絵梨花さんは一瞬で表情を切り替え、黒髪ロングヒロインモードを取り戻している。
「少し気になることがあったから、残っていたのよ。それより忘れ物でもしたのかしら?」
口調もすっかり元通り。
「そうそう。ペンケースを忘れちゃってさ。絵梨花はまだ帰らないの?」
「そう、ね……」
絵梨花さんはあたしの方へ視線を送りながら、黒髪の先をいじる。
「私も帰るわ」
短く言うと、荷物をまとめて女子生徒と一緒に教室を出て行った。
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
一人残された教室で、あたしは深いため息なのか、何なのか分からない長い声を漏らす。
肺の中が空っぽになるぐらいに深く。
――怖かった。
いつの間にか握りしめていた両手が汗にまみれていたことにようやく気付く。
ゆっくり開くと、手が小さく震えていた。その両手で、あたしは顔を覆う。
自分を貫けば、いつかは誰かとぶつかってしまうこともあるだろうとは思ってた。
けど、高校に入ってから最初の一学期は、あまりにうまく行き過ぎた。
だから、あたしは他の人のことなんて考えずに、ただあたしらしく、あたしが理想とする黒髪ロングヒロインを目指すだけで良かった。
それだけに、今日の出来事にあたしはショックを受けてしまっていた。
まだ体がブルブル震えている。震えを鎮めようと、両腕で自分の体を抱く。
と、ブルっとスマホが震えた。
画面を見ると、
「ゲっ」
思わず下品な声が出てしまった。
周りを見渡すと、誰もいなくてホっとした。
改めてスマホに届いたメッセージを確認する。
『帰りにちょっとコーヒーでも飲んでいかないか?』
あたしにこんなメッセージを送ってくるのは誰か決まってる。
そう、翔太先輩。
普段なら既読も付けずに無視するところだけど、今日ばかりは誰かと話したいという気もしていた。
『いつもの喫茶店でいいですか?』
だから、そう返信して、あたしは帰り支度を始めた。




