第2章(5/6) 幼馴染ヒロインの襲来
東郷の目の前で弁当箱を開く。
あたしのは、二段重ね。上の段にはおかず、下の段にはご飯。
まずは上の段のふたを外して、おかずから解説する。
「まずは、サワラの塩焼きよ。塩加減は抑え目にしているわ」
「焼き魚、しかも塩分控えめって、あんたはおじさん向けにお弁当を作ってきたのっ?」
呆れたような声を出す沢城さんにあたしは反論する。
「いいえ、そんなつもりはないわ」
「じゃあ、何だって言うのよ?」
「そもそも、から揚げやハンバーグの詰まったお弁当というのは、幼稚園児や小学生ならともかくねぇ? 高校生にふさわしいのかしら?」
「な、なっ、何よっ? あたしのお弁当にケチをつけようっていうのっ?」
「あら、先にケチをつけてきたのは、沢城さんの方だと思ったのだけれど?」
「……っ。もういいわ。さっさと解説を続けてっ!」
勝った。
口喧嘩では怒った方が負けって決まってるもんね。
けど、口喧嘩で勝っても仕方ない。あたしは素直にお弁当の解説を続ける。
「次は、ポテトサラダよ。ちなみにキュウリは入ってないわ」
「おっ、それはいいな。ポテトサラダの中のキュウリって、嫌いなんだよ。味はたいして変わらないんだけど、何か嫌なんだよな」
意外なところで東郷と意見が一致してしまった。
でも、そうなんだよね。ポテトサラダのキュウリって、ゆでてつぶしたジャガイモと食感が違いすぎて、あたしも嫌い。
ふわふわザクザクのポテトの中で、キュっキュってする感覚が何か嫌。
なんて考えてると、沢城さんがすごい目でにらんできてた。
あたしと東郷に気が合うところがあるなんて、許せないとでも言いたげ。
けど、口を開かれると面倒くさい。だから、あたしは気付かないフリをして言葉を継ぐ。
「卵焼きというか、だし巻き卵は解説はいらないわね? おかずの最後はグリルで焼いたそら豆よ。味付けはシンプルに塩だけ。ちなみにサワラの塩分を控えめにしたのは、そら豆に塩を振るためよ」
「そこまで考えていたのね。けど、そら豆ってやっぱり地味だねっ」
からかうような声音の沢城さんをチラリと見て、あたしはほくそ笑む。
「そんなことはないわよ。鹿児島では普通にそこら辺のスーパーで買えるけれど、東京では高級料亭で出されることもあるそうよ?」
「……なっ、そう、なのっ?」
大きく目を見開く沢城さん。
いや、そこまで驚くことかな?
高級料亭うんぬんは、あたしもテレビで見ただけだから、本当かどうかは知らないけど。
「尾崎志麻っ、やはり侮りがたしっ!」
沢城さんは親指の爪を噛んで、あたしの方を見ている。
……あたしはどう反応すればいいんだろう?
全身で悔しさを表現する沢城さんを見て、和奏ちゃんもポカンと口を開けている。
まぁ、いいや。 とりあえずほっとこう。
「……ゴホン。さて、驚くのはまだ早いわ」
むしろ、沢城さんの反応にあたしが驚かされてるんだけど。
気を取り直して、あたしは二段重ねの弁当箱の上を外してご飯の入った下の段を見せる。
「こっ、これは?」
東郷がゴクリと唾を飲む音が部屋に響いた。
うん、これも大げさな反応だね。
幼馴染だから、そういうところも似てしまったのかな?
それとも、君たちが育った界隈ではいちいち大きく反応するのが流行ってたのかな?
考えても分からないので、あたしは冷静に解説を続ける。
「ええ、ちりめんじゃこよ」
そう、ご飯の上には、米粒がすっかり隠れてしまうほどびっしりと、ちりめんじゃこを振りかけている。
「こんなに豪勢にちりめんじゃこを使うなんて……。尾崎、これはいったいどういうことだ?」
――『どういうことだ』ってどういうことなのか、こっちが聞きたいよ。
あんまりにも真剣な表情で東郷が言うもんだから、あたしは笑うのをこらえるのに必死だった。気を抜くと大笑いしてしまいそう。
それを悟られないように、右手で胸を押さえながらあたしは言葉を続ける。
「私の出身地の志布志の特産よ」
「志布志……。そうか、尾崎は志布志出身だったのか。あの志布志市志布志町志布志、か」
……改めて人に言われると、けっこうウザいね。
どんだけ志があるって言うのよ。あたしのことに限って言えば、間違いではないけどね。
まぁ、今は解説に集中しよう。
「そうよ。ちりめんじゃこは、実家から定期的に送ってくるのよ。だから、こんなに豪華に使えるのよ」
「そうか……。それは、羨ましいな」
東郷は神妙な表情を浮かべている。
「もう、食べてもいいか?」
さっきからずっと真剣な様子が変わらない東郷に、そろそろ笑いをこらえるのが難しくなってきた。
だって、ただのお弁当だよ?
ヤバい。これはヤバい。
顔が赤くなってる気がする。腹筋に力を入れて、なんとかかんとか笑いたくなる衝動を抑え込む。
……ふうー。
うん、大丈夫。
声が裏返らないように、ゆっくりゆっくり東郷に告げる。
「えぇ、味わってちょうだい?」
カチャっ――
東郷が箸を持ち上げる。瞳には期待の色がありありと浮かんでいる。
そして、東郷はまずちりめんじゃこが満載のご飯をかき込む。
まだおかずには手を付けていないのに、一気にご飯を半分ほど口に含んだ。
「……うまい。月並みなことしか言えなくて悪い。けど、ほんとにうまいものを食った時はうまいとしか言えないよな?」
「そうね。シンプルだからこそいいのよね」
「それだよ。シンプルだからこそうまいんだよ。ちりめんじゃこの微妙な塩味と、ふわっとした食感がたまらない。それが米の甘さを引き出す。うん、この上なく最高だ」
「そうでしょう?」
「あぁ、この組み合わせは間違いなく正解だ」
なんて会話を交わしていたら、沢城さんが泣きそうな顔をしてうつむいていることに気付いた。
――あたしに勝負なんて挑むからだよ?
なんて意地悪な考えも浮かぶけど、かわいそうだから東郷にはさっさと食事を終えてもらうことにしよう。
「おかずも食べてみてくれるかしら?」
「あぁ、そうだな」
そう言ってまず箸で掴んだのはサワラ。身をほぐすことなく、真ん中あたりを掴んでガブっと。
骨はちゃんと取ったつもりだけど、大丈夫かな?
「うん、これもうまい」
良かった。骨はなかったらしい。
「そうでしょう? ゆっくり味わってほしいのだけれど、昼休みもあと少ししかないのが残念だわ」
東郷はチラリと時計を見てうなずき、ポテトサラダとそら豆、だし巻き卵と、次々とおかずを口に入れていく。そして、五分もすれば弁当箱はすっかり空になっていた。
「ほんとにうまかった。ごちそうさま」
東郷は、本当に満足そうな顔で両手を合わせている。その幸せそうな笑顔で、あたしを不意打ちする。
「尾崎の料理なら毎日でも食べたいよ」
……えっ?
何?
何て言った?
あたしの料理を毎日食べたいって言った?
ドキっと、不意に胸が高鳴る。
いやいやいや、違うから。
いきなり変なこと言うからびっくりしただけだからね? 東郷のことなんてこれっぽっちも意識してないんだからね。
「毎日食べたいだなんて、プロポーズなのかな?」
あたしが思い浮かべそうになって、必死になって考えないようにしたことをサラリと言ってのけるのは、和奏ちゃん。
「……そう、なの?」
ほら、和奏ちゃんが変なこと言うから沢城さんは瞳に涙を浮かべちゃってるし。両手で口元を抑えて今にも泣き出しそうな顔になってるし。
どうするの?
あんたが変なことを言うから、こんな変なことになったんだからね。
あたしは無言でジト目を東郷に向ける。
東郷はそれに気付かず、
「どうした? 俺、何か変なこと言ったか?」
堂々たる鈍感主人公ぶりを変わらず発揮する。
「ええ? それはないよ、東郷くん」
さすがに和奏ちゃんもこの場面では、東郷を責める。
少しは気を取り直したらしい沢城さんも続ける。
「健太っ、あんたって人は、ほんっとに、ほんっとに、ほんっとに、どうしようもないねっ!」
「いや、何がなんだかさっぱりなんだけど」
「はぁ、もういいっ。それよりあんたは審査員だってことを忘れてないよね?」
「あぁ、ちゃんと俺の中で結果は出したぞ」
「えっ、そう、なの?」
沢城さんの瞳が再び不安の色に染まる。体の前で組んだ両手の人差し指をもじもじさせながら、東郷を上目遣いで見る。
「もう言ってもいいのか?」
一方の東郷は相変わらず淡々としている。
「いいよ。でも、幼馴染だからって、えこひいきはダメだからね?」
応えたのは和奏ちゃん。何が楽しいのか、ニコニコしてる。
「じゃあ、言うぞ?」
東郷の言葉にあたしと沢城さんは同時にゴクリとのどを鳴らす。
「俺がおいしいと思った弁当を作ったのは、尾崎だ。ほんとにうまかった。陽菜のも悪くはないんだけど、正直言って昔から食べてるから、もう飽きたんだよな」
東郷はあいさつをするかのように、何でもないことを言うかのように、サラリと告げた。
――よしっ。
あたしは心の中でガッツポーズをする。
自信はあった。沢城さんの料理の腕がどれほどのものかは知らなかったけど、あたしはあたしの全力を尽くしたから。
他人がどうこうではなく、自分の全力を出せた時、あたしは自分に自信を持てる。いや、自信を持つようにしている。それが一番大事なことだって思ってる。
人に言えば、自信過剰だと笑われるかもしれない。
でも、それがどうしたっていうの?
あたしは、あたしの道を行く。
それがあたしを黒髪ロングヒロインに導く道だと信じているから。
しかし、心配なのは沢城さん。『もう飽きた』だなんて言われるのはショックなんじゃないかな?
さり気なく視線を送ると、顔を真っ赤にして唇をかみしめている。
かと思うと、
「尾崎志麻っ、これで勝ったと思わないでよねっ!」
ありったけの声量であたしに言葉をぶつけてきた。
……せっかくちょっと心配してあげたのになぁ。そんなことを言われたら、あたしも言い返したくなる。
別に意地悪じゃないよ?
売られた喧嘩を買うだけだよ。
「笑わせてくれるわね?」
あたしはゆっくりと沢城さんの顔を見て、ビシッと人差し指を突きつける。
「私は私の最善を尽くした。それをあなたは認められないのかしら?」
「たまたまだって言ってるのよっ!」
「そうかしら? 私は私の理想に向けて常に努力しているのよ。あなたはどうなのかしら? 幼馴染だということにあぐらをかいていたのではないのかしら?」
沢城さんはあたしの言葉を聞き、ワナワナと肩を震わせている。
ちょっと言い過ぎちゃったかな?
でも、ほら、売り言葉に買い言葉っていうか。
ごめんね?
口には出さないけど。
けど、ほんとに沢城さんは東郷のことが好きなんだね。
恋する乙女っていいね。
そんなことをあたしが思っている間、沢城さんはしばらく東郷にすがるような視線を送っていたけれど、
「もうっ、健太のことなんて知らないっ!」
大きく叫んで部屋から駆け出した。
「なんだってんだよ?」
東郷は頭をかいている。
……はぁ、ダメだ、こいつは。
ある意味で、あたしに勝負を持ちかけてきた沢城さんの自業自得なんだけど、これじゃ沢城さんがかわいそうすぎるから、あたしは言う。
「東郷くん、追いかけなさい」
「えっ、なんで?」
「いいから、さっさと行きなさい」
感情は込めない。ただ、何をすればいいのか、何をすべきなのかだけを東郷に伝える。
それでも東郷は戸惑っていたようだけど、
「ほんっとに、分かんねえな」
頭をかきながら、やっと部屋を出て行った。
静かになった部屋で和奏ちゃんがあたしに尋ねる。
「しーちゃんは、これで良かったの?」
「何のことかしら?」
「東郷くんが沢城さんを追って行ったことだよ」
「……どういうことかしら?」
「ほら、しーちゃんも東郷くんのことが気になってるんじゃないの?」
ん?
気になってる?
……って、そういうことっ?
「ち、ち、ちがうから。私が東郷くんのことをす、じゃなくてっ、気になってるとかそんなことはないから。じゃ、なくて……、そんなことはないわよ」
すっかり取り乱してしまった。あたしもまだまだだね。
「そうかな?」
人差し指を頬に当てて首を傾げる和奏ちゃん。
「そう、よ。私は東郷くんを何とも思ってないわ」
「だって、この間も家にまで行ってたし、そうなのかなって思ったんだけどな」
「そ、そっ、それは、ただのクラスメイトとしてよ。そう、東郷くんは私にとって、ただのクラスメイトなのよ」
「ふーん」
和奏ちゃんはまだ何か言いたそうにしていた。その目は「正直に言っていいんだよ?」とでも言いたげ。
このままだと、つい思ってもいない変なことを口走ってしまいそう。
だから、あたしは和奏ちゃんに背を向けると、さっさと弁当箱を片付けて自分の教室に戻った。