第七十七話 間仕切りの向こう側
早朝。
地平線から太陽が顔を出し、人々に朝の訪れを知らせていた。
空の色が涅色から徐々に青みがかっていく時間。
数分前まで見えていた無数の星も、太陽が上がると共にその輝きを無くしていった。
小鳥のさえずりが聞こえ、蘇我見綺の母、蘇我見韓子は目を覚ました。
そして、すかさず自分の携帯を見た。
(綺に関する問い合わせもメールも無し……)
韓子は溜息をついた。
綺が姿を消して早数日。
警察に捜査を依頼したり、新聞に綺の事を載せて情報を集めようとしても、綺に関する手掛かりは全くつかめなかった。
韓子は背伸びをして、新聞を取りに行った。
台所の椅子に腰かけ、新聞を広げる。
そして、新聞にかかれているものを見て、韓子は呆れていた。
「こんな小さく……見てくれる人いるのかしら?」
新聞には、綺の情報を得るために問い合わせの電話番号などが書かれていた。
しかし、最初は大きめに書かれていた綺の事も、数日たった今では新聞の隅に申し訳程度に綺の事と、電話番号が記載されてるだけだった。
韓子は新聞を置き、キッチンに向かって朝食の準備を始めた。
その時、韓子はコーヒー豆を機械で挽いている最中に、玄関へと向かった。
下駄箱を開いて、靴を確認する。
「靴が無い……早朝出勤だったかしら?」
綺の父親の靴が無いのを見て、韓子は下駄箱を閉じて綺の父親の部屋へと向かった。
「あなた。入るわよ」
ドアをノックしてから、韓子は綺の父親の部屋を見る。
そこに、綺の父親の姿は無かった。
ドアを閉めて台所へと向かう。
コーヒーをドリップしてから、韓子は台所のテレビをつけ、各テレビ局のニュース番組を見ていた。
『今が旬!! 流行りのコーデランキング!!』
『人気タレントのあの人が電撃結婚!?』
『動物園で新しく生まれたライオンの子供に、名前の候補を募集するとのことです!』
『先日▽▽県□□市の住宅で、買い物帰りの女性のバックの引ったくりで……』
韓子は一通りニュースを見てから、テレビの電源を切った。
「綺……どこに行っちゃったの?」
韓子は携帯の電源を付け、アルバムを開いた。
そして、一枚の写真を選択した。
中央に綺がおり、背景で桜が咲き誇っている。
綺の小学校の卒業式の写真だった。
左手に卒業証書を持ち、右手でピースをしていた。
笑顔の綺の写真を見て、韓子の不安が胸の奥底から湧き上がってきた。
メールや電話をしても応答が無い。
位置情報を見ようとしても何故か繋がらない。
「……綺」
写真の綺を見て、韓子は目を潤わせる。
「早く、帰ってきなさいよ」
韓子は、写真の綺に話しかける。
当然ながら、写真の綺は何も言わなかった。
韓子は紙の束を袋に入れて家を出た。
その紙は、綺の目撃情報を募集する紙だった。
韓子はこの紙を、人が多く行きかう如月駅前で配っていたのだ。
封鎖されている如月駅の東口のシャッターの前(バスロータリーの前)にバッグを置き、中から綺のことが書かれている紙の束を取り出した。
そして、道行く人に紙を渡した。
「誰か! この子を見ませんでしたか?」
韓子は綺の写真を見せて言った。
しかし、道行く人々は目も向けてくれなかった。
中には、しぶしぶ紙を受け取っている人もいた。
(誰も名乗り上げてくれない。もう今日は帰ろうかしら)
そう思いつつ、綺の事が心配になり、暫くその場で紙を配った。
その時、横から「あの……」と声をかけられた。
突如話しかけられた韓子は驚き、声のした方を向いた。
そこには、韓子と同じく紙の束を持っていた女性がいた。
「もしかして……蘇我見綺ちゃんの、お母様……ですか?」
その発言に、韓子は目を丸くした。
「まさか……! うちの子を!! 綺がどこにいるか知っているんですか!?」
韓子は勢いのまま女性に攻めよった。
女性は韓子の勢いに少し驚いた顔で首を振っていた。
「すみません、蘇我見綺ちゃんのことは、テレビや新聞で拝見しただけで、どこにいるのかは分かりません」
「そう……ですか……」
韓子は落胆して、下を向いた。
女性は「あの、」と声を割り出して韓子に話しかけた。
「いきなり失礼かもしれませんが、綺ちゃんはどこの学校に通っていられますか?」
本当にいきなりの質問に韓子は戸惑いつつ、綺が伊佐貫中学校に通っていることを話した。
そのことを聞いて、女性は「そうですか……」と顎に手を当てた。
「何故そんなことを?」
「実は、私の息子も、蘇我見綺ちゃんが行方不明になってしまった日と同じ日に行方不明になってしまって、もしも同じ中学校なら情報収集が……なんて思ってしまって」
綺と同じ日に行方不明になったと聞いて、韓子の頭に、ある日のニュースの映像が流れた。
「もしかして……」
「あ、突然話しかけてしまい申し訳ありません! 私……」
女性は話しながら、紙の束から一枚の紙を取り出して韓子に渡した。
「この子の、母親です……」
その紙には、大きな字で『物岐晃』と書かれていた。
「物岐晃くん……」
「う、うちの子をご存じですか!?」
「いえ、ニュースでやっていたのを思い出して……」
「そうですか……」
晃の母親は先程の韓子のように、下を向いた。
「うちの息子の晃は、部活帰りの途中で行方が分からなくなったんです。その帰りに地下鉄に乗る駅が如月駅だったので、ここに来たんです」
「えっそうなんですか」
「はい。なにかありましたか?」
「私の娘の綺も……遊びに行った帰りに行方不明になったんです。どの駅から乗ってきたのかは連絡をくれたのに、あの子ったら最寄りの如月駅に降りた時には連絡をくれなくって。いつもはくれてたんですけど」
「綺ちゃんも行方不明になった日に如月駅を?」
韓子たちは少し話した。
晃の母親は物岐阿佐姫というらしい。
「そういえば如月駅って、綺や晃くんが行方不明になった日に、突然封鎖されましたよね?」
「そうですね……。何のお知らせもありませんでしたし、インターネットで調べても工事中や改装中などのお知らせもありませんでしたし……」
そう言って、二人はシャッターの降りた如月駅の入り口に目をやった。
工事中などの看板はなく、物々しい雰囲気を放っていた。
「まさかこの中……なんてことは流石にありませんよね」
「流石にそれは無いと思いますが、なんとも言えませんね」
「韓子さん。考えすぎでは?」
「まあそうですよね。そろそろお昼時ですし、一緒に飲食店でお昼ご飯でも食べませんか? ついでに色々とお話でも」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」
韓子は紙の束をバッグにしまい、阿佐姫を連れて飲食店へと向かった。
「ん?」
「ん?」
「「んんん?」」
綺と晃が晃を合わせて耳を傾ける。
綺たちは脱出経路を探しに、駅の中を探索していた。
そして今は、如月駅の東口のところに来ていた。
「どうしたのかしら~? 綺ちゃん~晃くん~」
一緒に来ていた美香子が、綺と晃に聞く。
綺と晃は首を傾げていた。
「いやぁ……今このシャッターから、物凄く聞き覚えのある声が聞こえたような気がして……」
「えっ! 綺も!? 実は僕もなんだよ」
綺と晃は目を合わせてから、再度シャッターに耳を近づけた。
しかし、何も声は聞こえてこなかった。
「……やっぱ気のせいだったかも」
「うん。私も……」
綺と晃はモヤモヤした感じのまま、シャッターを離れて行った。




