玖話 弟
・この話は番外編です。この章の話を飛ばしても本編を読み進めることが出来ます
玲良が豪輝の家で過ごし始めて数日が立った。
玲良は服などを取りに一日だけ家に戻っただけで、その日以来一度も家に戻らなかった。
「……母さん。今日の夕飯なに?」
玲良の弟の舒唄は、玲良が出て行ったことで母親との二人暮らしを余儀なくされていた。
部屋に籠っている母親に扉越しで話しかけるも、返事は来なかった。
そのかわり、ドアの隙間からゆっくりと千円札が出てきた。
舒唄は またか…… と思いながら、無言で千円札を拾った。
玲良が出て行ってから、毎日がこのようになった。
出て行った初日は、玲良に普段からぶつけていたストレスを、家具にぶつけるようになった。
皿やコップが割れ、液晶テレビにヒビが入ったこともあった。
しかし最近は、ストレスを家具にぶつけることはなくなった。
その代わり、部屋に引き籠るようになった。
舒唄は中学校のジャージの上にパーカーを羽織って家を出た。
近所のコンビニに最近毎日通っているせいか、店員に顔を覚えられてしまっていた。
いつも通りにコンビニ弁当を買い、夜道を一人で歩いていた。
(……姉ちゃん……どこ行っちまったんだよ……)
舒唄はため息をついた。
一声かけられることもなく、突然いなくなってしまった玲良のことが、気になって仕方がなかった。
(事件に巻き込まれてるとか……? それとも……まさか……。いや、流石にないか……)
舒唄は一瞬、玲良は自殺をして帰ってこないのではと考えたが、頭を振って考えを紛らわせた。
(明日は月曜日だけど、学校は授業参観の振り替え休日で休み。部活もない……)
「よしっ」と声を出して、舒唄は家に駆け足で帰った。
玲良の母親、皇女崗上は、暗い部屋で一人パソコンを打っていた。
荒い呼吸を繰り返し、隈が出来て瞳孔が開いた目をずっとモニターに向けていた。
しばらくして舌打ちをし、持っていた空のペットボトルを握りつぶして床に打ち付けた。
「玲良……!!! 勝手に出て行きやがって!!! 誰が今まで躾てきてやったと思ってんだよ!!! 親不孝野郎が!!!!」
しばらく叫び、崗上はハッとした。
「いけないいけない……。こんなみっともない声、しょうちゃんに聞かれたら嫌われちゃうわ……」
崗上はそう言うと、ドタドタと音を鳴らしながら、四つん這いで引き出しを開けた。
一心不乱に中をあさり、袋に入った白い粉を取り出した。
崗上は袋を開け、粉を口に入れて飲み込んだ。
「……幸せ」
崗上は、一人で笑っていた。
次の日、玲良は学校で仲の良い友達に話しかけられた。
「そういえば最近、玲良よく隣のクラスの男子と一緒に帰ってるよね?」
「なにそれ初耳なんだけど! だれだれ?」
「あいつだよ、あの声のでかい……そうだ、確か石上とかいう男子!」
「あー! あの人か! なーにー? もしかして付き合ってるの?」
ニヤニヤしながら、玲良の方を見る友達たち。
「付き合ってなんかないよ。ただちょっと一緒に帰ってるというか……」
「付き合ってるようなものじゃーん!!! 告っちゃえばいいのに」
「本当それ。玲良たちのこと、周りの奴みんなカップル認定してるよ?」
「そ、そんな~!」
玲良は恥ずかしくなって、手で顔を覆った。
その時、「帰ろうぜー!!」と豪輝が教室のドアのところから手を振ってきた。
「お、時の人だ」
「未来の夫が迎えに来てくれたよー? 行ってきなよ~」
「だから付き合ってないって~」
玲良は友達に別れの挨拶をして、豪輝の元に言った。
「あんまり目立たないでよ」
「なんかあったのか?」
「……別に」
(私と豪輝と玲良が付き合ってるって言われてるなんて、恥ずかしくて言えないわよ)
玲良はため息をついた。
「そういえばよ。『アチュラチュ』ってなんだ?」
「……は?」
豪輝がキョトンとした感じで聞いてくるので、玲良は思わず声を出してしまった。
「どうしたのいきなり」
「クラスの奴にそう言われたんだよ。『豪輝と皇女アチュラチュじゃーん』って……」
その言葉を聞いて、玲良の顔が赤くなっていった。
玲良は下を向きながら「知らなくていいと思うよ……」と小声で言った。
豪輝は、深くは追及しなかった。
自分の靴を履いてから、校舎を出る。
並んで校門を出ると、いきなり「姉ちゃん!」と声をかけられた。
聞き覚えのある声に、玲良は振り向く。
「舒唄……?」
声の主は、舒唄だった。
私服姿でショルダーバッグを持ち、玲良の高校までやってきたのだ。
「よ、よかった……姉ちゃん生きてた……」
「は? どういうこと?」
「い、いやなんでもないよ」
ホッと胸を撫で降ろす舒唄。
舒唄のことを初めて見た豪輝は、舒唄に近づいた。
「おまえが玲良の弟か!! 話は聞いてるぜ、いいやつなんだな!!」
突然話しかけてきた豪輝に、ポカーンとする舒唄。
「この人は……?」
「この人は豪輝。今はこの人の家に居候させてもらってるのよ」
「そうなんだ……。あ、姉がお世話になっています」
「んなかしこまる必要ねえよ」
豪輝は笑顔で答えた。
「学校はどうしたの?」
「振り替え休日だよ。土曜日に授業参観があったんだ」
「いーなー。俺も休みたかったぜ」
三人で談笑する。
舒唄は、姉が無事かどうかを見に来た。
玲良が無事だと分かったので、舒唄はこれだけで帰ろうとした。
「良かったよ、元気そうで……じゃ、僕はこれで」
「もう行っちゃうの?」
「もうやること無いから……。豪輝さん、姉をよろしくお願いします」
舒唄はお辞儀をし、玲良たちに背を向けてバス停へと向かった。
(連れ戻……さないほうがいいか。姉ちゃん楽しそうだったし)
舒唄の背中を見ながら、豪輝と玲良はコソコソと話し合う。
そして、声を出した。
「おーい!!!! 舒唄ー!!!!」
豪輝が言った瞬間、周りにいた他の高校生が耳を塞いだ。
舒唄自身も吃驚し、後ろを振り向いた。
豪輝と玲良は駆け足で、歩いていた舒唄の元へ近づいた。
「ど、どうしたんですか?」
「おまえ、ちょっと時間あるか?」
「まあ、ありますけど……」
「なら、ちょっと話しましょうよ。豪輝の家で。私から話しておきたいこともあるし、あなたに聞きたいこともあるのよ」
「……分かった。話せることは何でも話すよ」
舒唄はショルダーバッグの持ち手をギュッと掴んだ。
舒唄は豪輝と玲良と一緒に歩き、豪輝の家に上がった。
居間に座り、石上家の事や、豪輝との出会いを説明した。
玲良が身投げしようとしたところを豪輝が助けたと聞いて、舒唄は豪輝に土下座した。
一方、舒唄からは、母親・崗上についてを話した。
「お母さん、引き籠ってるんだ……」
「最初はヒステリー起こしたりしてたけど、最近はそんな感じ。気になることと言えば、最近ご飯が全部コンビニ弁当なのと、母さんあてに荷物が良く来るようになったんだよ」
「荷物?」
「はい。それも、英語で書かれていて……多分外国から送られてきてる物だと……」
「中身は何か知ってる?」
「知らない。袋とかに貼られてる英語を読もうとしても、中学生の英語じゃとても読めなかったよ」
舒唄は「でも」と声を上げた。
「その袋についてる奴の写真撮ったから、もしかしたら姉ちゃんたちなら読めるかも……」
舒唄携帯を取り出し、写真を開いて豪輝と玲良に見せた。
アルファベットの羅列があり、ところどころ潰れていて読めない部分もあった。
そこには、こう書かれていた。
●●tham●het●min●、●ar●jua●a (●の部分は、潰れていて読めない部分)
「小学校の頃の虫食い計算みてえだな。全然読めねえ」
「うん……。頭文字が分からないんじゃ辞書で引けないし……」
「無理か……。まあ分かっても分からなくてもいいや」
舒唄は出されたお茶を飲み切って、立ち上がった。
「ごちそうさまでした。それじゃ、僕そろそろ帰るよ」
「もう帰っちゃうの?」
「また遊びに来いな! 舒唄!」
「ありがとうございます。……ところで、一つ聞きたいことが……」
「なんだ?」
「豪輝さんと姉ちゃんって……付き合ってるんですか?」
「は?」
「ちょ、ちょっと舒唄!?」
豪輝がポカーンとし、玲良が顔を真っ赤にする。
「あ、いや無理して答えなくてもいいですよ。他人の色恋沙汰に口を出すつもりはないので……」
「いろこい?」
「だぁー!!! もう!!! 舒唄ったら!!!」
玲良が舒唄に詰め寄る。
「私たちはそんな関係じゃないよ!! 勘違いしないで!!」
「まあまあ落ち着いて。でも、豪輝さんいい人じゃん」
「い、いい人なのは知ってるけど……」
玲良が少し黙った瞬間に、舒唄は豪輝の方を向いた。
「では豪輝さん。姉ちゃんをよろしくお願いします!!」
「お、おう!! 任せとけ!!!」
舒唄は一礼して、そそくさと豪輝の家を出て行った。
玲良は「待ちなさいよ!!」と言いながら玄関に靴下のまま降りて、扉を開けた。
「大丈夫だよー。今日のことは母さんに言わないからー」
舒唄は歩きながら後ろを向いて、手を振りながら言った。
「それはありがたいけど……しょ、舒唄ー!!! 勘違いしないでねー!!!」
玲良が言ったころには、舒唄の姿は既に視界になかった。
「姉ちゃんが元気そうで何よりだよ……」
舒唄はスクスクと笑い、歩きながらそう呟いた。




