第七十四話 命令
突然現れた社長に、その場にいた全員が振り向く。
「ご主人様……!」
アナホベは一瞬申し訳なさそうな顔をしてから、改まって聖間を少し睨んだ。
聖間はアナホベの様子を見てから、「あ……そういう……」と呟いた。
「記憶が、戻ったのかな?」
「そうだご主人様!! 俺人間の頃の事思い出したんだ!! 人間の頃、俺はこいつとつき……」
「なっ! ちょっ! 恥ずかしいわよ!」
アナホベは話しながらハシヒトの肩を組んで指をさした。
アナホベが、『ハシヒトと付き合っていた』ということを言いそうになったのを言いそうになったのを、顔を赤くしながらハシヒトが止めて、肩にあったアナホベの腕をどかした。
「言っても別にいいじゃねえかよ。本当の事なんだし」
「そうだけどさ……」
「まあまあ。言われなくても僕は知ってたよ。君たちがキャッキャウフフな関係なのは」
聖間はアナホベとハシヒトを見てクスクスと笑っていた。
アナホベは「そ、そうか……」と言ってから頭を掻き、何かを思い出したようにハッとした。
「そうだご主人様!!! 人間は喰っちゃだめだ!! こいつらは喰いもんなんかじゃねえ!!」
アナホベは綺たちをかばうかのように腕を広げながら言った。
そんなアナホベの言動に、綺と晃は目を丸くしていた。
聖間はアナホベを見て、微笑んだまま聞いた。
「あらま。君がそんなこと言うなんてね。どうしちゃったの? 人間嫌いになっちゃった?」
「そんなこたぁねえ!! むしろ逆っていえばいいのか知んねえけど、俺たちだって元々人間だったってのに、こんなことしたら……」
「へえ……野生の動物はその気になれば共食いするってのに、人間はしないの?」
「……はぁ?」
聖間の質問に、アナホベは口ごもった。
「まあいいや。しかし、命令が聞かないってのは命令が通用しないってのは初めてだなあ…………ふぅ……」
聖間は溜息をついた。
その時、スイコとテンノが出てきて、聖間に話しかけた。
「ネエ、ゴシュジンサマ」
「ヒトツキイテイイ?」
「お? なんだい徳姉妹。言ってごらん」
「ホカノバキュロハ、ジガトカナイノニ」
「ナンデワタシトスイコヤ、アナホベトハシヒトトカダケ、ニンゲンミタイナノ?」
その質問を聞いていた綺と晃も、何故だろうと考えた。
スイコとテンノの質問を聞いた聖間は、すぐに答えを出した。
「なんだそんなことか。あー……まあ、こればかりは『運』としか言えないかな。法則とかあるわけじゃないし」
「ウン……?」
「ただ普通に、徳姉妹アナホベ君とハシヒトちゃんが運に恵まれて自我が残ってたってだけで、運が悪かったらみんなあんな風だったってことだよ」
「ジャア、トツゼンヘンイミタイナ?」
「まあそういう事だね。だからもしかしたら、次に生まれるバキュロはめっちゃ強かったりしたりすることもあるわけ」
「あの……社長? 一ついいですか?」
スイコとテンノが聖間を話す中、話に入ってきたのは綺だった。
恐る恐る手を上げて、会話に割って入った。
「どうしたの? 綺ちゃん」
「いやその……スイコとテンノも元々人間なんですよね……? その……こんなに小っちゃいのも、突然変異的な奴ですか?」
「そうだろうね。こんなちょっと大きめのペンケースに入るような人間、現実世界にはいないだろうしね。生まれたての赤ちゃんの方が大きいんじゃないのかな。何か問題でも?」
「いや、ちょっと気になっただけです……」
綺は小声で「ありがとうございました」と言って一歩引いた。
その直後、晃が続いて聖間に話しかけた。
「じゃあ! 僕からも一ついいですか?」
「いいよ。答えられる範囲なら」
「……なんで『脊椎動物対応型バキュロウイルス』なんて作ったんですか?」
晃が聞いた瞬間、聖間の顔から笑みが消えた。
「そうですよご主人様!! なんでそのウイルスなんて作ったんだ?」
晃に続き、アナホベも乗っかってくる。
聖間は少し黙ってから、こめかみを掻いた。
「……答えられる範囲じゃないから、ちょっと黙秘させてね」
「黙秘って……! ご主人様、いくらなんでも私たちは被害者ですよ! 真実を教えてくださいよ!」
ハシヒトが珍しく聖間にキツく当たった。
聖間は少し下を向いてから、ブンブンを頭を横に振った。
「聞いてもどうせ無駄だと思うよ…………もういいや君たち。愛想、尽きちゃった」
聖間はそう言うと、手を上げて前に倒した。
その次の瞬間、聖間の後ろからどこから来たのか分からないほどの大量のバキュロが押し寄せてきた。
「うわっ!? めっちゃ出てきたー!!」
「あ、綺はヨウダイさんを!!」
そう言いながら 、晃は綺とヨウダイの前に立った。
バットを握る手に、じんわりと手汗が出てきているのが、晃自身、嫌というほど伝わっていた。
(この量は一人じゃ……でも、頑張らないと……!)
晃が逃げたい気持ちを押さえて覚悟を決めようとした時、晃の前に二人の人影が入ってきた。
「戦おうとしてくれてありがとうございます! でも流石にこの量は私たちがやります! 物岐さん!」
「よく一人で腹くくれたな!! それでこそ男ってもんだぜ!! やるな!! 晃!!」
「アナホベさん……! ハシヒトさん……!」
晃の前に出てきたのは、アナホベとハシヒトだった。
二人で横に並び、向かってくるバキュロの前に立ちふさがる。
「いくぜ玲良!!」
「……!……ええ。分かったわ豪輝!!」
突然本名で呼ばれたハシヒトは、一瞬戸惑いながらも少し嬉しい気持ちが芽生えていた。
アナホベは右腕を、ハシヒトは左腕を立ててお互いのリストバンドを合わせるようにポーズする。
アナホベとハシヒトはその腕の動きをお互いそろえて、前に思いっきり突きだした。
その瞬間、前方にいたバキュロが全て後ろへと吹き飛んでいった。
最前列にいたバキュロに至っては、頭が丸ごと無くなっていた。
「ってー。やっぱり折れてる手で殴るといてえな」
アナホベは、右手をプラプラと揺らしていた。
「私だって片手折れてるんだから。自分だけ被害者ぶらないでよね」
「分かってるって。んじゃ! お前はそっち頼んだぜ!」
「言われなくても!」
アナホベとハシヒトは、右側と左側にそれぞれ残っていた大量のバキュロを確実に仕留めていった。
最終的に大勢いたバキュロは全て亡骸に変わっていた。
「片手がいつも通り使えなくてやりずらかったけど、意外と何とかなったわね」
「だな!! 案外やってるうちに痛く無くなってきたし!」
「それはあなたがの回復が凄いだけよ……」
ハシヒトは苦笑いした。
「あ、ありがとうございます!」
晃はアナホベとハシヒトに頭を下げる。
晃に合わせて、後ろで綺も頭を下げた。
「礼なんざいらねえって! いいってことよ!」
「ええ。善意で助けたまでですよ」
アナホベとハシヒトは笑いながら綺たちに言う。
そんな様子を見ていた聖間は、小声で「邪魔しないでって言ったのにね……」と言った。
アナホベとハシヒトは聖間の方を向いた。
「ご主人様!! 私たちから言わせていただきます!!」
「今すぐそのウイルス燃やして、綺たちを外に出してやってください!!」
「……偉くなったもんだね」
聖間はそう言うと、ポケットに手を入れた。
「……もういいよ。用済みだよ」
「……? 何言って……」
「ハシヒトちゃん」
聖間は名指しでハシヒトに話しかけた。
ハシヒトは少し警戒して身構えた。
「用済みだから、いなくなってくれない?」
聖間はポケットから手を出して、床に何かを軽く投げて落とした。
それは、刃の鋭いフォールディングナイフだった。




