第七十二話 きっかけ
アナホベの突進の勢いが少し弱まる。
その様子を見て、ハシヒトも最後の力を振り絞った。
アナホベが来たところを横に避け、足を上げて蹴りをお見舞いした。
強い力で蹴り上げた足は突進してきたアナホベに当たり、アナホベはそのまま後ろへ吹っ飛ばされた。
アナホベとハシヒト。既に二人とも満身創痍だったので、アナホベが倒れると共にハシヒトも床に膝をついた。
地面に打ち付けられ、アナホベは血を吐いた。
一方でハシヒトは、体力の限界で膝をついたものの、膝がガクガクと震えるなか、なんとか立ち上がった。
そして、アナホベの近くまで歩いて行った。
仰向けで倒れ、天井しか見えない視界の隅に、ハシヒトが見える。
「……負けちまった」
荒い息遣いで、なんとか声を発するアナホベ。
ハシヒトも同様に、かなり息が上がっていた。
「……早く殺せよ」
アナホベが天井を見ながら言った。
「さっき……お前、殺すつもりでやるって……言ってたじゃ……ねえかよ……。だからとっとと……」
アナホベがそう言ってる途中に、ハシヒトはアナホベの頭の横に移動した。
そして、しゃがみこんだ。
アナホベは殺されるのを覚悟し、目を瞑った。
その時だった。
ピチッ。
無音だった空間に、か弱い音が響く。
その瞬間に、アナホベは額に痛みを感じた。
「いてっ」と短い声を上げて、額を抑える。
「はい。殺した」
ハシヒトの声が聞こえ目を開けてみると、目の前にハシヒトの手があった。
……が、すぐに手は離れて言った。
アナホベとハシヒトの戦いを隅で見ていた綺たちが、ハシヒトのとった行動に少し驚いていた。
「……ねえ晃。今のって……」
「うん……。デコピン……だよね? 」
ハシヒトは、アナホベにデコピンをしたのだ。
アナホベは何があったのか瞬時に理解出来ず、ポカーンとしていた。
「……私が勝ったんだから、約束通り蘇我見さんたちに手出さないでね」
「いや、それは分かったけどよ……」
「もしかして……私が本当にあなたの息の根止めるとでも思ってたの? 」
ハシヒトは呆れた様子で言う。
「……一応、さっきデコピンやったときに、あなたのこと殺したじゃない」
ハシヒトは手でデコピンの仕草をしながら話した。
アナホベは首を傾げていた。
「で、でも俺、今生きて……」
「それに! 」
ハシヒトはアナホベの言葉を遮った。
「言ったじゃない。あなたの記憶を蘇らせるって」
ハシヒトは口角を少し上げ、優しい瞳で言った。
その顔を見て、さっきまであったアナホベの苛立ちが、スーッとなくなっていった。
アナホベは落ち着いて、呼吸を整えた。
「……なあ、ハシヒト」
アナホベは寝っ転がりながら話しかけた。
「なに? 」
「俺によ……父ちゃんっていたか? 」
予想外の質問に、ハシヒトは目を丸くする。
「そりゃあ、誰にだっているわよ」
「どんな人だった? 」
「えーっと、正義感があって悠長な性格で、普段は大人しくて……あと、耳が悪くて補聴器を付けてたわ」
ハシヒトがアナホベの父親について、知っている限りのことを話す。
アナホベは、黙って聞いていた。
「あとは何かない? あなたの記憶を呼び起こせるなら、なんでも答えるわよ」
「……お前が」
アナホベは一瞬黙ってから話し続けた。
「何が何でも、俺についてきてくれたのには……人間の頃が関係してんのか?」
ハシヒトは、アナホベが一人で突っ走ったとして何処かへ行ったとしても、呆れながらもアナホベに着いてきていた。
そのことに疑問を抱いたアナホベが、ついハシヒトに聞いた。
不意を突かれたように、ハシヒトは一瞬アナホベの方を見ながらハッとする。
そしてハシヒトは、「だって……」と言いながら、アナホベの手を優しく握った。
「私の居場所は、あなたの隣だから……」
ハシヒトの言葉を聞いた瞬間、アナホベの脳内に、思い出が映しだされた。




