第五十三話 線路闘諍
遅くなって申し訳ありません
「え~…。スタンプってことはあそこに行くの?」
「多分行くと思う」
綺は露骨に嫌そうな顔をしながら愚痴をこぼした。
「僕だって嫌だけど、行くしかないじゃん」
「まずは線路に降りなきゃね~」
バキュロの塊から少し離れた距離で、綺が線路に降りる。
予想以上に高低差があり、降り立った瞬間に転びそうになった。
「綺ちゃん大丈夫~?」と言いながら美香子も線路に降り立ち、綺の元へ近づく。
後に続いて線路に降りようと、晃がプラットホームから足を出した瞬間、いきなり天井から何本ものワイヤーが垂れ下がってきた。
不意に頭にワイヤーがぶつかり、「わっ!」と驚きながら晃は後退した。
離れてみて分かったが、そのワイヤーはプラットホームから線路への侵入を断ったかのように、プラットホームの端から端まで何本ものワイヤーが垂れ下がってきていた。
一驚いていたが、晃は体勢を立て直してワイヤーを手でどかし、線路内に入ろうとした。
その瞬間、ワイヤーが閃光を輝かせた。
「痛っ!」
さっきと同じように後退する。
ワイヤーは、晃が触った瞬間に電気を帯びたのだ。
ワイヤーを触った晃の手は、細かく震えていた。
「晃!? どうしたの?」
「触っちゃだめよ~!」
晃の元へ行こうとワイヤーに手をかけようとした綺を、美香子が間一髪で止めた。
が、綺の指先が微かにワイヤーに触れた。
その瞬間に、綺の指に電流が走った。
「きゃっ!」と短い悲鳴を上げて、体勢が崩れる。
ワイヤーはパチパチと音を鳴らしながら、電流を流している。
まるで、晃が線路へと侵入するのを拒むかのように。
「な、なにこれ…。これじゃあ線路に行けないじゃん」
「どうなってるのかしら~?」
「もぉ…どうせあの社長がなんか仕掛けたんでしょ」
呆れた様子で綺が言う。
その次の瞬間、一心不乱に何かに注目していたバキュロたちの物音がピタッと止んだ。
そして、ゆっくりと線路内にいる綺と美香子の方に視線を移した。
「ニゲ…ニゲン…」
「イル…イルヨォ…」
まだ微かに言葉を発せられるバキュロが、声を上げながら綺と美香子に近づく。
「えっ!? やばいやばい! 無理だよー!!! 喰われるー!!!!」
綺は手に持っていた鉄パイプを落として、その場で縮こまった。
「あ! 綺! 危ない!」
綺の目の前までバキュロが迫ってきていた。その時だった。
「綺ちゃん~! しっかりして~!」
と叫びながら、美香子が綺の近くにいたバキュロの頭に包丁を入れる。
包丁が刺さったバキュロは数秒間悶え、その場で撃沈した。
「綺ちゃんの今の気持ち~、すごくよく分かるわ~! 無理しなくて大丈夫よ~! 綺ちゃんは半袖短パンだから~この~バキュロ~? の血が付いたら大変なことになっちゃうかもだから~、私の後ろにいてね~!」
バキュロと相対しながら綺に話しかける美香子。
そんな美香子を、綺は眼を潤しながら見ていた。
「うぅー…。美香子さんー…」
綺には美香子の言葉が、縁起が悪いと思いながらも死亡フラグにしか聞こえなかった。
(ちょっと~…数が多いわね~)
流石に一人で手に負えるほどの数ではなかった。
一匹殺したら、またもう一匹。
普段からあまり運動をしていない美香子には、体力の限界が近づいてきていた。
(でも~私がやられちゃったら~、綺ちゃんが~…!)
そう思いながら、美香子は二本の包丁を振る。
「このワイヤーさえなければ…!」
プラットホームから美香子の戦いを見る晃は、悔しそうに歯ぎしりした。
線路の方からくる風のせいで、垂れ下がっているワイヤーは揺れる。
その内の一本のワイヤーが、線路内にいる一匹のバキュロに当たった。
その瞬間、ワイヤーからバキュロへと電気が伝わり、バキュロに感電した。
呻き声を上げながら、そのバキュロは血を吐いて絶命した。
その様子を目の前で見ていた晃はゾッとし、こみ上げてきた吐き気を抑えた。
あのワイヤーの奥で、仲間が戦っている。
でも自分は、ワイヤーを通ることは出来ない。
ワイヤー一本一本に隙間はあるが、とても人間が通れる幅ではなかった。
通るには必ずワイヤーに触れなければいけなかった。
晃が何をしようか考えていたときだった。
「や、やっちゃったわ~!」
美香子は手を滑らせ、二本の包丁は一匹のバキュロの足元まで転がって行ってしまったのだ。
バキュロは足元の包丁に見向きもせず、美香子に向かって歩を進める。
「「美香子さん!!」」
綺と晃の声が重なる。
晃はいっそのこと、ワイヤーの間から自分のバットを投げ入れて美香子に使ってもらおうと考えたが、晃は自分の横からバキュロの呻き声が聞こえてきたことに気づいた。
横目で見てみると、二匹のバキュロが晃に向かって歩いてきていた。
「あーもう! こんな時に!」
晃の方に向かってくるバキュロは少し離れたところにいたので、晃は美香子の方を向いた。
足元に落ちてる手ごろなサイズのコンクリートを拾った。
「ええい! もうこうするしかない!! 野球部の投球! 嘗めんなあああああ!!!!」
晃は美香子に近寄るバキュロめがけて、コンクリートを思いっきり投げた。
一直線に放たれたコンクリートは、ワイヤーの間を抜け、バキュロの頭部にクリーンヒットした。
そこそこの重みがあったので、コンクリートはバキュロの頭にめり込み、バキュロの頭は潰れ、斃れていった。
「いよっしゃ!! 美香子さん! 今のうちに包丁を拾っちゃってください!」
「晃くん~! 本当にありがとう~!」
美香子に声をかけてから、晃はすぐにバットを構えた。
すぐそこにまで迫ってきていたバキュロをバットで斃していく。
ハンカチ越しに包丁を拾い、持ち手を拭いてからバキュロと美香子が戦う。
晃と美香子がバキュロに立ち向かっていくのをただ茫然と見ていた綺は、自分だけ何もしていないことに責任感と恥を覚えた。
床に落ちていた鉄パイプを拾い、美香子の横に出る。
「いいかお前ら! このパイプは罰だ!」
「あ、綺ちゃん~?」
突然横に現れ、鉄パイプを掲げながら言葉を発する綺に、美香子は少し驚いていた。
「人を襲うような悪い奴なんか!」
綺は鉄パイプをバキュロに向けて振った。
「罰に当たってたおれちゃえ!!」
振った鉄パイプはバキュロの頭に当たった。
当たった衝撃で、鉄パイプを持つ綺の細い腕が折れそうなぐらいの痛みが走ったが、いちいちそんなことは気にしていられなかった。
パイプが当たったバキュロの頭は衝撃に耐えられなくなり、潰れてそのまま息絶えた。
「美香子さん! 任せっきりにしてしまってすみませんでした! 如月駅にいる時点で、怯えても無駄だと分かりました! だから! 私も精いっぱい戦わせていただきます!!!」
「綺ちゃん~・・・! ありがとう~! あともう少しで全部たおせるから~、頑張りましょう~!」
そうして、綺と美香子はバキュロに立ち向かった。
数分後。
「な、なんとか」
「全員たおせたわね~」
綺と美香子はバキュロを全員斃した。
かなりの体力を消費した美香子は、膝から崩れ落ちそうになった。
そこを、綺が支えた。
綺と美香子がバキュロを斃し終えた時、線路への侵入を防いでいたワイヤーは引き上げられ、二度と垂れてくることは無かった。
晃はバキュロを斃した後線路へと降り、綺と美香子の元へ駆け寄った。
「綺! 美香子さん!」
「晃! 美香子さんが…!」
美香子は綺の肩につかまりながら息を切らしている。
「私は大丈夫よ~…。それより~スタンプを~」
美香子にそう言われ、綺はポケットから限界まで折りたたんだスタンプ用紙を取り出した。
「僕が押してくるから、綺は美香子さん見てて」
と言って、晃は綺に手を差し伸べる。
綺は「分かった」と言って晃に用紙を渡した。
スタンプ台のところに行くと、バキュロが群がっていた理由がすぐに分かった。
そこには、誰かの人肉が置いてあった。
牛や豚の肉かと思ったが、爪や髪の毛、惨いことに顔の形から、人間だと分かってしまった。
吐き気が襲う。
涙が出てきそうなほどの腐敗臭が漂ってきて、晃は思わず鼻をつまんだ。
近づいてみると、肉の下から何かが出てきていることに気づいた。
直接触るのもあれなので、晃はバットの先端で肉をどかした。
思った以上に軽く、肉はバットに押されて台の下に落ちた。
ベチャっという音とともに、肉片と血が辺りに飛び散る。
晃は肉を落とした瞬間に「うわっ!」と声を上げてから耳を塞ぎ、目を閉じた。
目を細め、台の下を見ないように台の上の物を見た。
そこにはジップロックが置いてあり、中にスタンプが入っていた。
人肉から出た液体や血液がついていたジップロックの端っこを指先で摘み、持ち上げた。
後で水で洗おうと思い、綺たちの元へ戻ろうとする。
その時、晃は落ちた肉片の方を振り返って見た。
「…頑張らなくちゃ」
晃はジップロックを摘まんだまま、肉片に向かってニ礼ニ拍手一礼をした。




