009 信龍教会と守護龍
「お前、巫女様に手荒な真似はしていないだろうな?」
「……しては、いない。けど、少し、眠ってもらった……」
「……はぁ。もう良い。お前は巫女様が起きるまで此処に居ろ。シャンテ。巫女様の御世話を頼む」
「はい」
誰かの会話が耳朶を打つ。
知らない声。アルクでも、オプスでも、クルドの一矢のメンバーでも無い。
誰だろう? それに、巫女様って……。
「ん、うぅ……」
呻き、ゆっくりを目蓋を開ける。
「おぉ、お目覚めになられましたか?」
気色を浮かべた声が聞こえてくる。声の方を見やれば、そこには見た事も無い老人が立っていた。
「誰……」
慌てて起き上がり、老人から距離を取る。
「おおっ、これは失礼を! 私、オジャムと申します。どうぞ、よしなに」
言って、老人――オジャムはその場に膝をついて頭を垂れる。
オジャムに続いて、室内にいた少女二人も膝をついて頭を垂れる。
「あ、あの、顔を上げてください。それと、ここはどこですか? それに、貴方達は何者なんですか……」
助けてくれた、とは思っていない。起きれば思い出したけれど、ナホは龍の騎士に強引に連れてこられたのだ。
それを思い出し、この者達が巫女様と言っている事で、大体の予想は出来るというものだ。
オジャムら三人はナホの言葉通りに頭を上げ、ナホの質問への答え合わせをする。
「此処は、信龍教会ロバロ支部でございます。そして我々は、信龍教会の信徒でございます」
信龍教会。滅龍教会とは対極にある教会。その規模は小さく、滅龍教会と敵対構造にある。
というのは、世間知らずなナホでも知っている。けれど、それ以上の事は知らないし、龍の巫女という言葉も知らない。
「……あの、僕を帰してください。仲間のところに戻らないと……」
「それはいけません。聞けば、あの狂信者に襲われたと聞きます。お仲間の事も心配でしょうが、まずはご自身の安全が第一でございます。事が収まるまでは、此処におられた方がよろしいかと」
「ううん、それじゃあ駄目なの! アルク達、怪我してるかも――」
「……その事で、あれば……ご安心、ください、巫女様。……全員、無事に戦域を、脱しています……」
灰色の髪、褐色の肌の少女がナホの言葉を遮って答える。
彼女の報告に、ほっと胸を撫で下ろすナホ。しかし、そのすぐ後にいやいやと首を振る。
彼女の報告だけでは信用できない。実際に会って、皆の無事を確かめなくてはいけない。
「信用できません。僕は皆の元に帰ります」
言って、立ち上がったその時、部屋のドアの隙間から誰かが覗いているのが目に入る。
そう言えば目隠しが無くなっている事に今更ながらに気付きながら、ナホは扉の奥にいる者達に目を向ける。
扉の奥には、小さな光が三つ。見える大きさからして、子供である事は間違いが無い。
「子供……信龍教会は子供もいるんですか?」
少しだけ表情に嫌悪感を滲ませながら、ナホは言う。
信龍教会はいわゆるところの密教であり、世間の多くからは邪教扱いされている宗教だ。
此処は、いつ敵に襲われてもおかしくない危険な場所なのだ。そんな場所に子供を出入りさせている事に対して、ナホは嫌悪感を抱いている。
「子供……?」
「あぁ……三人の、事でしょう……」
言いながら、褐色肌の少女はおもむろに立ち上がり、扉を開ける。
「わわわっ!?」
「あ、ちょ、押すなよ!」
「うきゃ!?」
急に扉を開けられた事に驚いた子供達は体勢を崩し、なだれ込むように室内に入ってきた。
「お前達! 大人しくしていなさいと言っただろう!!」
盗み聞きをしていたであろう子供達に向けて、オジャムは雷を落とす。
オジャムの雷を受けてびくっと身を震わせる子供達であるけれど、その視線は雷親父ではなく、ナホに向いている。
「お姫様だ……」
三人の内、紅一点の少女が呆けたように漏らす。
「……お姫様、じゃない。巫女様……」
少女に、褐色肌の少女がいらない訂正をする。
「お姫様でも無ければ、巫女でも無いです」
言って、ベッドから降りるナホ。
「……どこへ……?」
ナホの前に立ち塞がる褐色肌の少女。しかし、威圧的でも無ければ、高圧的でもない。ただの純然たる疑問としてナホへ問いかけている様子だ。
「さっきも言った通り、帰ります。仲間が待ってるので」
「……あの者達は、仲間、なのですか……?」
「そうです」
ナホが確かな目を向けて頷けば、褐色肌の少女は小首を傾げる。まるで、訳が分からないと言っているような反応だ。
「……! 龍の眼……」
褐色肌の少女と顔を突き合わせて、初めて気付いた。
彼女の目は普通の者とは違い、ナホと同じような龍の眼をしていた。
しかし、ナホのように金眼銀眼ではなく、彼女の瞳は赤色だけれど。
それにしたって、どういう事なのだろう。龍の眼を持っているのであれば、彼女は龍であるはず。しかし、世界視を使って、彼女の光が上位龍には匹敵しない事は確認できている。アルクに近いけれど、どちらかというとクルドの一矢と同じような光の強さだ。
龍……では無いのかもしれない。けれど、自分のような例もある。
どういう事だと考えていると、ナホの服がくいっと引っ張られる。
見やれば、少年がナホの服を掴んでいた。
「巫女様、帰っちゃうの?」
何故だか寂しそうな顔を浮かべる少年。
少年のその表情に、ナホは何故だか罪悪感を覚える。
「これカール! 巫女様に気安く触れるでない!! 申し訳ございません、巫女様」
オジャムは慌ててナホの服を掴む少年――カールの手を取ってナホから離す。
「いえ……」
「……巫女様。今日のところは、此処に、滞在した方が、よろしいかと……」
オジャム達から視線を褐色肌の少女に向ける。
「……外も、もう暗いです。今から動くのは、得策では、無いかと……」
「誰のせいで……!!」
こんなことになったと思わず声を荒げそうになったけれど、近くに子供達がいる事を思い出し、ナホは荒げかけた声を静める。
ナホの眼であれば宵闇など関係は無い。けれど、戦闘になった場合、ナホは多くの者に勝つことが出来ない。それに、アルク達と出会うための当ても無い。少し冷静になれば、分かる事だ。
「……分かり、ました……」
「「「やったー!!」」」
ナホが頷けば、子供達は嬉しそうに声を上げて飛び跳ねる。
「こら、止めなさい!! 巫女様にご迷惑だろう!!」
オジャムが雷を落とすも、子供達は嬉しそうにナホに抱き着いたり服を引っ張たりする。
オジャムがもう一度雷を落とそうとしたその時、ナホは仕方なしといった笑みを浮かべてオジャムを手で制する。
「別に、平気です」
「ですが……」
「大丈夫です。慣れてますから」
言って、ナホは慣れた手つきで少女を抱き上げる。
石狩奈穂として滅龍者として活動していた時に、村では子供達と時たま遊んであげていた。だから、子供の相手は慣れている。
「巫女様こっち! こっち行こ! 案内する!」
一人の少年が、ナホの手を引っ張って部屋の外へと連れて行こうとする。
「エンテ、シャンテ、お前達は巫女様について行きなさい。私はこのままヴォルバーグ様の元へ向かう」
「分かりました」
「……元々、そのつもり……」
褐色肌の少女――エンテと、ずっと壁際に立っていた少女――シャンテが返事をすれば、オジャムはしゃがみ込んで少年二人に言う。
「お前達。巫女様に此処を案内しなさい。良いかい、これは大役なのだぞ?」
「大役?」
「ああ。しっかりと、お勤めを果たしなさい」
「うーん……良く分かんないけど、分かった!」
「僕もー!」
「よし。良い子だ」
オジャムは好々爺然とした笑みを浮かべて少年二人の頭を撫でる。
「では巫女様。此処の案内はこの子達に変わらせていただきます。案内が終わりましたら、どうぞ、ごゆるりとお寛ぎください」
「分かりま――」
「ねー巫女様行こーぜ! ここすげーんだぜ! 守護龍様がいるんだ!」
ナホが頷く前に、少年が手を引っ張って扉の向こうへと連れて行こうとする。
「わ、分かったから。ちょっと落ち着いて!」
少年に手を引かれるまま、ナホは部屋の外へと向かう。
「エンテ、シャンテ、頼んだぞ」
「はい」
「……言われ、なくとも……」
ナホ達の後ろを、エンテとシャンテは着いて行く。
部屋に残されたオジャムは唸るように言葉を漏らす。
「巫女様……あまりに若すぎる……」
子供達に手を引かれ、ナホは信龍教会を案内される。
「ここが食堂! ここがトイレ!」
「ここが武器庫で、ここが会議室!」
「ここが倉庫! ここがアタシ達の部屋! あと、ここがお風呂!」
子供達は嬉しそうにしながら教会内部を案内する。
その間、様々な視線がナホに向けられる。
「巫女様だ……」
「なんてお美しいんだ……」
「それに、なんて優しい笑顔だ」
「うっそ、お肌白い……羨ましい」
「それよりもあの透き通るような綺麗な御髪よ」
「ええ。まるで清涼な小川のような美しさね……」
好奇、崇拝、羨望……そのどれもこれもが、ナホに好意的なものばかりだったけれど、そんな視線にさらされた事が無いナホにはとても居心地が悪かった。
俗に、邪教と呼ばれていた教会は至って普通の内装。それに、そこにいる人々も至って普通の人間達だった。
邪教とは、とても思えない。
「そう言えば巫女様。巫女様のお名前は?」
「え、ああ……ナホだよ。だから、巫女様じゃなくて、ナホって呼んでほしいな」
ナホの腕に抱かれた少女に問われ、ナホは優しい笑みで自己紹介をする。
「うん、分かった! ナホ様!」
「様もいらないんだけど……」
ナホの周りをウロチョロ回りながら、少年達もナホ様ナホ様と連呼する。
恥ずかしい事この上ないけれど、彼等が楽しそうならそれに水を差す事も無いだろう。
「ナホ様! 次は守護龍様に会いに行こう!」
「守護龍様……?」
そう言えば、さっきも言っていた。御神体か何かだろうか。
なんて思いながら、ナホは彼等に促されるまま、とある一室へと足を運んだ。
「これ童共。勝手に入ってくるでないと、我はあれ程言うておるに……」
はぁと、一つ溜息を吐く。しかし、その溜息がとても大きい。音が、ではない。規模が、である。
溜息に吹かれ、ナホの髪や衣服が揺れる。
「――っ」
その者を目にして、ナホは思わず息を呑む。
「ん……ほう。貴殿が龍の巫女か……確かに、白龍の面影が……いや、混じっておるのか? ほほう。なるほどなるほど。白龍め、送魂の儀を使いおったか」
かかかと、楽しそうに笑うのは、見上げなければその顔を拝む事すら出来ない程の巨躯の持ち主。
薄い赤の鱗に、根元からその先が消失している右の翼。右前足は無く、尻尾も半ばより先は見受けられない。
満身創痍。けれど、その威風たるや、まさに最強種そのもの。
上位龍。今、ナホの眼の前に座し、子供達に溜息を吐いたこの者こそ、この信龍教会ロバロ支部の守護龍ヴォルバーグである。
「守護龍様、こんにちはー!」
「「こんにちはー!」」
「おうおう、こんにちはじゃ。お主らは本当に元気が良いのう」
笑いながら、ヴォルバーグは鼻で優しく少女達を小突く。力加減は理解しているのだろう。少女達は嬉しそうにきゃーっと声を上げて鼻に抱き着いたり逃げたりしている。
少女を抱っこしているナホは急な事に驚きながらも、敵意が無い事に気付けばヴォルバーグの好きなようにさせている。
そして、目を閉じて別の眼でヴォルバーグを見る。
「ほう。世界視も受け継いだか? かかかっ。どうじゃ。我は薄かろう?」
「はい、とても……」
ヴォルバーグの言葉に、ナホは一つ頷く。
一度、世界視でこの場所を見ている。にもかかわらず、ナホはヴォルバーグの存在に気付けなかった。
「かかかっ。我ももう老いぼれよ。それに、こうなってはただの地を這う蜥蜴となんら変わらんわい」
ヴォルバーグは見て分かる通り、全身が傷だらけだ。その傷が、良く無いのだろう。ヴォルバーグの光はとても希薄で、中位龍にすら劣っているほどである。
「こら、お前達。ヴォルバーグ様の上に乗るんじゃありません」
ヴォルバーグの頭に乗って遊び始めた少年達に、シャンテが厳めしい声で諫める。
「ああ、良い良い。子は元気なのが一番じゃ」
言って、ヴォルバーグは子供たちの好きにさせている。
ヴォルバーグを見て、ナホは少しだけ驚く。
龍と言う種族を、少しは見てきた。アナスタシア、アハシュ、ギバラ、アストラル、そしてオプスキュリテ。アナスタシアは分からないけれど、少なくとも、彼等は人に対して好意というものを持っていなかった。オプスでさえ、ナホという存在が無かったら、人に対して攻撃的だ。
それだというのに、このヴォルバーグは人と楽しそうに笑っている。それが、ナホにとっては意外だった。
「ふむ。意外そうな顔じゃの」
「あ、いえ……」
「いや、無理もあるまい。我も、自分がこうなるとは思っとらんかったからの」
言いながら、ヴォルバーグはその視線をナホに向ける。
「我は、一つだけお主に確認する事がある、龍の巫女よ」
「なんでしょう?」
「お主は……」
すっと、ヴォルバーグの眼が鋭くなる。見定める様な、警戒するような、そんな目だ。
「お主は、人と龍の共存を望んでおるのか?」




