021 烈火龍と炎桜龍
二体の龍がアルクとノインの目前で止まる。とはいえ、二体ともノインの間合いに迂闊に入るような愚は犯さない。
片方は、この間の紅蓮の龍よりもより赤々としており、より身体も大きく、鱗もところどころ刺々しい。
もう片方は、桜色をした龍。大柄な龍よりは小柄で、この間の紅蓮の龍よりもさらに小柄だけれど、その身体から放たれる威圧感は本物だ。
二体の龍にノインは余裕の笑みを浮かべて言う。
「知性があるようだから尋ねるけれど、潔く首を差し出すつもりはあるかい? そうすれば出来るだけ苦しまないようにするけれど」
ノインの言葉に、大柄の龍が答える。
『それはこちらの台詞だ、人間。大人しくそこの白い女子を渡せば、貴様等の命だけは助けてやらんでも無い』
「おっと、生憎と姫さん狙いなら俺は絶対に引かねぇぜ? 尻尾巻いてとっとと帰りな」
大柄の龍の言葉に、アルクが挑発気味に返す。
『姫さん? やはりアナスタシア様で間違いないのか? しかし、それにしては匂いが……』
『ちょっとアハシュ。敵の言葉を真に受けないでよぉ。それに、どちらにしたって連れて帰るだけでしょう?』
『分かっているギバラ。だが、偽物という可能性も否定できない以上、あらゆる可能性を考慮すべきだ』
大柄の龍――アハシュは、桜色の龍――ギバラにそう返す。
「アハシュとギバラね……驚いた。名持ちが二体同時とは……」
「知ってんのか?」
「ああ。あの二体は獄炎ノ龍王の配下で、大きい方が『烈火龍アハシュ』。桜色の方が『炎桜龍ギバラ』だ」
「ほぉ……ちっとも聞いた事ねぇが、名持ならさぞ強ぇんだろうな」
さすがに獄炎ノ龍王は知っているアルクだけれど、その配下となればあまり興味は無い。というか、全て上位龍というくくりで憶えているため、聞いていてもそんな強い上位龍がいるのかくらいで留まってしまう。
どんなに強かろうが、倒してしまえば一緒だ。そして、どんなに強かろうと、倒すべき相手に他ならない。だから、一々憶える必要が無い。
「さて、両方とも名持ちだ。油断しないようにね、アルクくん」
「はっ! てめぇと同じぐれぇの強さの奴相手に、油断なんて出来っかよ」
油断も隙も無い相手と戦った後に油断できるほど、アルクは楽天家ではない。それに、見たところ、アハシュとギバラの強さはノインとどっこいどっこい。アルクは一歩及ばないくらいだ。
そんな者達を相手にして、油断なんて出来るはずもない。
アルクは、油断なく槍を構える。
及ばないにしても勝機が無い訳でもない。及ばないのであれば、その勝機を必死に掴み取る。
『ともあれ、貴様等が邪魔をするという事は分かった。穏便に済ませてやっても良かったが、貴様らが邪魔をするのであれば仕方が無い』
「穏便に済ませようってやつは不意打ちなんざしねぇだろうがよ」
『不意打ちは慈悲だと知れ。我らと戦う恐怖を味わわずに済むのだからな』
そう言った直後、アハシュの口内に魔力が収束する。
咆哮の予兆。その狙う先は――
俺達じゃねぇじゃねぇか!!
――二人が背にする町。より厳密に言うならば、町に住む人々。
「っの野郎!!」
即座にアルクはアハシュに突っ込む。
紅蓮の龍にしたように、アルクはアハシュの下から飛び上がる。なんであれ、誰であれ、下からの攻撃には対応がし辛い。
――クレナイ流槍術、一の技、焔穿ち。
狙うはアハシュの顎。仕留められなくとも、咆哮の方向をずらす事は出来るはずだ。
確かに、アルクの槍の威力であれば、いくら名持の上位龍と言えども、衝撃で頭の位置をずらされる事だろう。加えて、アルクの技とコドーの仕上げた槍であれば、その頑強な鱗を貫く事も容易いだろう。
けれど、アルクが相手をしているのは一体だけではない。
「――ッ!!」
アハシュとアルクの間に、すっと桜色の巨大な手が現れる。
硬い金属同士がぶつかり合うような音が聞こえ、アルクの槍は巨大な手に止められる。
桜色の巨大な手からは炎が吹き荒れており、その炎の威力を持ってアルクの槍を止める。
「同じ属性同士だったら、より強い方が勝つのが道理でしょう?」
「のわっ!?」
ギバラの手から更に桜色の炎が吹き上がり、アルクの槍を押し返す。
空中のため踏ん張りも効かずに、押し返されるアルク。
その間にも、アハシュの口内には魔力が収束していく。
焦りながらも、次の一手を必死に考えるアルク。一か八か、紅蓮翔破を放とうとしたその時、背後に何かを感じる。
「アルクくん、踏むんだ!!」
背後からかかるその言葉の意味を理解し、アルクはにぃっと笑う。
「そう言う事か!」
空中で体勢を整え、アルクは背後に張られている糸を踏みつける。
糸を足場に、ギバラを避けるように方向転換。
「なっ!?」
糸が張られているのは背後だけではなく、アルクを取り巻くようにところどころに糸が張られている。
一歩間違えればアルクが糸に巻き取られそうな位置に糸があるけれど、そこはアルクの腕の見せ所だ。
糸を足場に、アルクは地上と何ら変わらない機動性を持ってアハシュに迫る。
が、溜めに集中しすぎて周りを見ていない、なんて愚を犯すアハシュではない。
中途半端な溜めになるけれど、目の前の人間二人を殺すには充分な威力だ。
――クレナイ流槍術、一の技、焔穿ち。
『死ね、人間』
迫るアルクに向かって放たれる猛火の渦。
「死なせないよ」
ノインが腕を振る。
そうすれば、アルクの槍の穂先に幾つもの糸が絡みつき、穂先を起点にして外側に糸が広がっていく。
さながら淑女のスカートのようにふわりと糸が広がり、アルクに迫っていた咆哮を外側に流す。
糸の密度が足りないので、炎が少し抜けてくるけれど、それでも炎に慣れているアルクにとっては火遊び程度の熱量だ。
「っとに、汎用性が高ぇなぁ」
感心しながらも、アルクは咆哮が止んだ直後に糸の足場を辿って、咆哮避けのドームから飛び出し、アハシュに迫る。
「お……らぁっ!!」
――クレナイ流槍術、二の技、薙ぎの炎刃。
『嘗めるなよ、人間!!』
アルクの槍を、アハシュはその強靭な鉤爪で防ぐ。
「さすがに、かってぇなぁ!!」
いったん槍を引き、もう一度技を繰り出す。
――クレナイ流槍術、三の技、猛火旋風。
足場が悪いために威力は落ちるけれど、それでも斬鉄の威力に変わりはない。
糸の足場を上手く利用しながら、縦横無尽に空中を移動しながらアルクはアハシュを攻める。
自由にアハシュと戦っているアルクとは正反対に、ノインは定期的にアルクが動き回るための足場を造りながらも、ギバラの相手をしていた。
『随分器用なのねぇ』
ノインの作る足場を、桜の花弁のような小さな火の粉を大量にまき散らして破壊しながら、ノインにも攻撃を仕掛けるギバラ。
羽ばたき一つで次々と花弁の火の粉を生み出し、ノインへと押しやる。
それに対して、ノインは左手でギバラの攻撃を防ぎ、右手でアルクへの援護を行うという、大変器用さと集中力が求められるような事をしていた。
「まぁ、器用さが私の特技のようなものだからね。これくらいは朝飯前さ」
言いながら、反撃とばかりに防御の合間にギバラに糸を放つ。
しかし、防御の合間に放たれた糸など上位龍にとっては恐れるに足らず。桜色の炎を纏った鉤爪で簡単に弾いてしまう。
簡単に弾かれたにも関わらず、ノインは表情一つ変えずにアルクに足場を造り、花弁の火の粉を防ぐ。
この男、本当に冷静ねぇ。大方、自分はサポートと防御に徹すると決めているのでしょうけど……それにしたって、少しは焦れはしないのかしら?
ノインの胆力に驚嘆しながらも、攻撃の手は緩めない。
花弁の火の粉をまき散らしながら、その中に少しだけ質の違う物を混ぜる。
ノインは変わらず火の粉を迎撃する――けれど、火の粉は散る事無く、小さな爆発を起こした。
「――ッ!」
それだけなら、ただの小爆発。気にする事の無いものだ。けれど、火の粉の中にはそれと同じ物が多数紛れており、小爆発に誘発され、次々と連鎖的に爆発を起こす。
視界が……!!
爆発により生じる黒煙で、視界が塞がれる。
直後、高熱を帯びた何かがノインに迫る。黒煙をかき分けて現れたそれを、ノインは寸でのところで避ける。
だが、寸でと言うのがいけなかった。人の腕程の太さを持つそれは、地面に着弾した瞬間勢いよく爆発をした。
「しまっ――」
爆風に飲まれ、吹き飛ばされるノイン。
いったん、全ての糸を切り離し、自身が巻き取られないようにしたのは流石の判断力と言うべきだろう。
地面を数回転がるも、即座に態勢を整えるノイン。けれど、相手の呼吸が整うのを待つほど、ギバラは優しくは無い。
群体で迫る花弁の火の粉。
それを、咄嗟に糸で迎撃しようとするも、先程の黒煙の火の粉が含まれている可能性もあるため、むやみやたらに攻撃が出来ない。
仕方なく後方に飛び退りながら花弁の火の粉を迎撃する。
そして、当然の如くその中には黒煙の火の粉が混じっており、一気に視界を塞ぐ。
先程の爆炎の槍を警戒しながら、立ち止まっていては的になるだけだと判断し、移動をしながら相手の様子を窺う。
この時点で、ノインはアルクへの足場の供給を止めている。移動しながらだと困難だと言うのもあるけれど、多方向から糸を飛ばすと槍の動きを制限してしまうからだ。
一方向だけであれば、斬撃の方向は限られてしまうけれど、下から上に、上から下にと選ぶことが出来る。しかし、多方向から糸を放ってしまうと、糸が交差する場所が出てきてしまう。そこに槍が引っかかってしまえば致命的な隙になってしまう。
足場が無くなればアルクが戦いづらくはなるけれど、致命的な隙を与えないで済む。
だからこそ、アルクへの足場の供給を止めたのだ。それはそれとして、ノインの技量不足というものも含まれる。
実を言うと、ノインは滅龍十二使徒に入ってまだ一年。そして、『運命の三女神』を扱い始めたのは二年前だ。
天性の繊細さと、天才的な戦闘技術でなんとかやってきてはいるけれど、まだまだ技術不足は否めない。
アルクの足場を作成するにあたり、まず、地面に糸を埋め込み土台を造り、その土台に切り離した糸を結び付けて魔力で強度を上げてアルクの方へと伸ばして足場としていた。つまり、移動しながらでは土台が作れないのだ。土台が無ければ、足場を用意できない。出来たとしても、アルクの蹴りに耐えられない。
アルクには残りの足場でどうにかしてもらうとして、自分はまずギバラをどうにかしなければいけない。
繊細さと勢いを兼ね備えた攻撃の嵐は、縦横無尽に空中を移動して放たれる。
ノインも地上を走りながらそれに応戦するけれど、防御は出来ても攻撃が出来ない。
『運命の三女神』は使用者の手元から離れれば離れるだけ、その操作が難しくなる。
そして、ノインが有効打を与えられる距離は五十メートル程であり、ギバラはその外側から攻撃をしてくる。そのため、こちらから攻撃を与えられない。
距離感を把握されているね、これは……。
ノインの糸は広範囲を攻撃できる代物ではあるけれど、飛び道具という訳ではない。攻撃方法の違いも、ノインが苦戦を強いられる原因の一つだ。
後は、単純にギバラが強いね。間合いの把握から攻撃のタイミング。読み合いは五分五分だとしても、手札の数が違うね。
さて、どう切り崩すか……。
頭を悩ませながらも、ノインは距離を詰めるために果敢に攻める。
しかし、ギバラは詰められた分だけ距離を空け、決してノインの射程に入ろうとはしない。
此処までギバラが距離の維持を徹底するのも、ノインの『運命の三女神』を警戒しているからだ。
ノインの『運命の三女神』は汎用性が高く、またその殺傷能力も高い。有効範囲の中に入れば、当たっただけでも鱗が裂ける可能性がある。それほどまでに、『運命の三女神』は危険な代物なのだ。
流石は滅龍教会の所有神器ねぇ。本当にいやんなっちゃうわぁ。
『運命の三女神』を警戒しつつ、ギバラはちらりと意識をアルクに向ける。
その、糸が暴れまわる渦中に飛び込むあの坊やも、相当厄介ではあるけど……。
少なくなる足場を利用しながらアハシュと激しい攻防を繰り広げるアルクを見て、少しだけ警戒を向ける。
アハシュが負けるとは思わないけどぉ……ちょっと心配よねぇ。
ギバラはアハシュの力を信頼している。けれど、それ以上にアルクの伸び代を警戒している。
しかし、こちらからちょっかいはかけられない。それを許してくれるほど、ノインも甘くは無いからだ。
負けないでね、アハシュ。幼馴染の死体を運ぶなんて、アタシ嫌だからねぇ。




