020 超々遠距離からの攻撃
それに気付いたのは、奇しくもナホが一番早かった。
ナホの魔力を見通す眼のぎりぎり範囲内。そこから、急速に接近する高密度の紅蓮の魔力。それが咆哮である事に即座に気付けば、ナホは走り出していた。
走りながら、また暴走したらどうしよう。また誰かを傷つけたらどうしよう。暴走した自分は自分じゃないみたいで怖かった。暴走したくない。力を使うのが怖い。そんな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「姫様!? ちっ! そういう事か!!」
オプスのナホを案ずる声が聞こえ、直後にオプスも超々遠距離から放たれた咆哮に気付いた。
踏み込み、一瞬の溜めの後にオプスが黒色の咆哮を放つ。が、横合いからでは咆哮の幅が狭すぎて直撃させる事が出来なかった。
翼をはためかせ、ナホはアルクと咆哮の間に入り込む。
二度目だな、これ。
迫る咆哮を前に、ふとそんな事を思う。紅蓮の龍の紅蓮の大剣からアルクの身を守った。紅蓮の龍の咆哮からもだ。
でも、あの時とは違う。アルクの武器は壊れていない。咆哮を放ってきたのはアルクの相手しているノインではない。そして、あの時は感じなかった恐怖がナホの中にはある。
怖い、怖いよ……。また自分が自分じゃなくなったら。またアルクを傷つけてしまったら。
自分が自分じゃなくなるのが怖い。けれど、それ以上に、アルクを傷つけてしまう事が怖い。アルクだけじゃない。オプス、『クルドの一矢』のメンバー、コドーにアルア。お世話になった皆を傷つけてしまうのが怖い。
傷つけてしまえば、命を奪ってしまえば、自分は言い逃れのしようが無いくらいに龍に成ってしまう。
怖い。力を使う事が、怖い。
でも、それでも……!!
「――――――――――――っ!!」
白き極光を放つ。
真正面から迫り来る紅蓮の咆哮を飲み込み、消滅させる。
角が熱い。身体が熱い。なんだか良く分からない高揚感が心の底から湧き上がってくる。
戦うたびにこうなってしまうのだろうか。いずれ龍となって、訳も分からぬままに誰かを殺してしまうのだろうか。
それは、嫌だな……。
「……姫さん」
アルクの声が背後から聞こえる。
自然と涙が溢れる。
怖いけど、アルクになら……。
振り返り、ナホは呆然とするアルクに言う。
「アルク……また僕が暴走したら、僕を……」
殺してね。
悲し気な笑みを見せるナホに、アルクは確かな怒りを感じた。
ナホに対してではない。やはり、その怒りは自分に対してだ。
ナホにこんなことを言わせてしまった自分に腹が立つ。
「姫さん」
もはやアルクの意識はノインに向いていない。本来ならば、戦いの最中に強敵であるノインから視線を意識を逸らす事などあってはいけない。けれど、今の超々遠距離からの攻撃を無視できるほど、アルクもノインも判断能力が欠如している訳ではない。
アルクは槍を肩に担ぎながら、袖を伸ばして少しだけ乱暴にナホの涙を拭う。
「なんで姫さんを守るって依頼受けた俺が、姫さんを殺さなくちゃいけねぇんだ? ざけんな」
「いたっ」
ぱしんと指でナホの額を弾くアルク。
「安心しろよ。姫さんを殺さねぇし、殺させやしねぇ。俺が姫さんを守る。つっても、姫さんに助けられた後じゃ、説得力無ぇけどよ」
わしわしとナホの頭を乱暴に撫でる。
絶対に守る。守るから、だから、どうかそんな顔はしないでほしい。
安心させるように、ナホの頭を撫でまわす。しかし、突然横合いから何かが飛来する。
「い・つ・ま・で……触っておるかこの痴れ者めがぁぁぁぁぁぁああああああああッ!!」
叫びながら、オプスが十分な助走をつけてアルクに向かってドロップキックをお見舞いする。
「ふごっ!?」
オプスのドロップキックをまともに食らってしまったアルクは、勢いそのままに吹き飛ばされた。
「あ、アルク!?」
突如として吹き飛んだアルクに、ナホは心配そうに声をかけるけれど、アルクは返事をする事が出来ずにごろごろと地面を転がっている。
ようやく止まったところで、アルクは勢いよく立ち上がってオプスに向かって怒鳴る。
「てめぇ!! 仮にも怪我人だぞ俺は!! 蹴るならもっと丁寧に蹴りやがれ!!」
「あ、蹴られるのは良いんだね」
アルクの言葉に、思わずと言った風にノインが返す。
そんなノインの言葉に、アルクは首をごきごきと鳴らしながら答える。
「別にこいつの蹴りで死ぬわけでもねぇしな。ただ痛ぇのは痛ぇからもっと丁寧に蹴れとは思う」
「ほう? なら次はその胴体を両断してやろうか?」
「やれるもんならやってみろ。その前にてめぇの脚を両断してやるよ」
「それこそやれるものならやってみろ。貴様程度の腕でこの私を切れるのならな」
「ほーう。言うじゃねぇか荷物持ち。今此処で試してやろうか?」
「ちょ、ちょっとすとっぷ! 喧嘩してる場合じゃないでしょ二人とも!」
今にも戦いだしそうな二人の間に入って仲裁するナホ。
悲しい気持ちはまだ消えてはいないけれど、アルクの言葉で少しだけ楽になった。そんな自分を卑怯だと思うし、現金な奴だとは思うけれど、今はそんな自責の念に苛まれている場合じゃない。
二人の間に割って入るナホの頭に、またアルクが手をのせてぽんぽんと撫でる。
「わーってるよ、姫さん。もうそろそろ奴さんも来んだろ」
「分かっていると思うが、此処でこの馬鹿を相手取りながら上位龍と事を構える事は無謀の極みだぞ?」
ナホの頭を撫でるアルクの腕をぺしっと叩きながら、オプスはノインに言う。
いつも通りの彼らにノインは毒気を抜かれ、ふっと力の抜けた笑みを浮かべる。
「分かっているよ。さすがに、アルクくんと戦っている場合では無いね」
言って、超々遠距離からの攻撃が飛んできた方向に視線を向ける。
その方向からは二体の龍がこちらまで飛んできている最中であった。その速度はすさまじく、後十数秒ほどでこちらに到達する程である。
「私としてもあれを放っておいて君達と事を構えるつもりは無いよ。君達がどのような人柄なのか、大体分かったからね。それと、私が言えた義理では無いけれど、力を貸してくれないだろうか? さすがにあれを私一人でとなると、町の皆を守り切る自信が無い」
そう三人に提案をするけれど、その視線はアルクにだけ向いている。
ナホは暴走の危険性がある。オプスはナホを守るだろうから戦えない。となれば、この場で一緒に戦える相手と言えばアルクしかいないのだ。
「どーするよ、姫さん。あれと戦うか?」
アルクはナホに尋ねる。
「……うん、戦う。町の皆を死なせたくないから」
「よっしゃ。んじゃあ戦うか。俺も丁度消化不良だったからよ。丁度良いや」
「僕も戦うよ。咆哮なら、相殺できると思うし」
「それはご遠慮願うよ。君は、またいつ暴走するか分からないからね。さすがに、その危険性を抱えながら戦うのはリスクが大きすぎる。それに、アルクくんもオプスくんも、それを望んではいないようだしね」
ノインが二人の顔を見れば、二人はナホも戦うと言った時に難色を示すような表情をしていた。
「おい、姫さん連れて下がってろ」
「言われんでもそうさせてもらう。ささ、姫様。戦闘狂の馬鹿二人は放っておいて、私達は後ろで優雅にお茶でもいたしましょう」
「で、でも……!!」
「姫様、失礼いたします」
その場に留まろうとするナホを優しくお姫様抱っこして、オプスは二人を残して町の外壁の方へと下がる。
「おい! 巻き添えになりたくなければ貴様等も下がれ!!」
良く通る声で『クルドの一矢』へ声をかける。そこで、『クルドの一矢』もようやく移動を始める。
オプスが声をかけるのと、彼等が上位龍二体の気配を感知するのが殆ど同時だったためだ。
「オプス、降ろして!! 僕も戦うんだから!!」
「いけません姫様。消耗している今の姫様では暴走するのが落ちです」
「でも、アルクも消耗してるし!」
「ご安心ください姫様。いざとなれば私と交代をすれば良い事です。それに……」
オプスはナホの顔を見て、安心させるように穏やかに微笑む。
「あの馬鹿は負けません。あれは馬鹿ですが、その強さだけは本物ですので」
「で、でも……」
「家臣を信じて待つのも上に立つ者の仕事です。……っと、来ましたね」
オプスがそう言った丁度その時、オプスの背後から凄まじい暴風が吹き荒れる。
「わっ……!」
思わず、顔を覆うナホ。オプスも、ナホに砂埃がかからないように自身の身体にナホを寄せる。
「まったく、下品な止まり方だ。程度が知れるな」
オプスは背後の龍二体を睨みながらも、その脚を戦場から遠ざけるために動かす。
「さっさと片付けろ。この程度で手こずる貴様でもあるまい」
それだけ言って、オプスは前に向き直った。
町の外壁にたどり着くまで、背後を見る事は無い。何故なら、背後を確認する必要など最早無いからだ。
オプスはナホを連れて戦場を離れる。その背後で四の強者が睨み合うけれど、オプスは気にせずに歩いた。ナホに淹れるお茶は何が良いかと、割とどうでも良い事を考えながら。
アルクとノインの攻防の場所から、遥か離れた場所で二体の龍、アハシュとギバラがその様子を眺めていた。
街を襲った龍の群れはアハシュが偵察のために放った者達だった。群れの中の中位龍に一体賢い者を含ませておき、思念で目当ての少女が居るかどうかを確認していたのだ。
「あそこにいるの、あれがアナスタシア様ぁ?」
「知らん。だが、白髪に金銀の眼の持ち主などそうはおるまい。それに、あの高威力の咆哮を見れば、只者ではない事は分かる。陛下の御前にお連れするには充分だろう」
「そうねぇ。ただ……」
言いながら、ギバラの視線はアルクとノインに注がれる。
「滅龍十二使徒もいるし、それに、あの赤毛も相当手強いわよぉ?
「それくらい承知している」
ギバラの言葉に、アハシュは憮然と返す。
滅龍十二使徒が油断ならない相手である事は良く知っているけれど、それと同等に渡り合っているアルクもまた油断ならない。
「しかし、意識が互いにしか向いていないようだ。であれば、奇襲を仕掛けるには良いタイミングだ」
「奇襲だなんて、アハシュは卑怯だなぁ」
「戯け! 陛下があの女子をお求めになられているのだ。これ以上お待たせする訳にはいくまい。どんな手段であれ、あの女子を早急に陛下の元へとお届けするのが私の役目だ」
「確かにそうだけどぉ、奇襲だって知ったら、陛下は喜ばないと思うんだぁ」
「この際私への評価はどうでも良い。私は所詮陛下の駒にすぎん。それ以上の評価など身に余る。今は、陛下をお待たせしない事こそが重要だ」
「はぁ……貴方、ぞっこんなのねぇ」
自分の評価を気にせずに他人に尽くせる者などそうはいない。アハシュのその忠誠心の高さに、思わず呆れてしまう。
「あの方こそ至高の龍王だからな。さて、そんな事よりもだ。さっさと殺してさっさと連れて行くぞ」
「はいはぁい。お仕事ね」
すうぅっとアハシュが息を吸い込む。龍の顎に恐ろしい勢いで魔力が収束する。
そして、次の瞬間、アハシュは攻撃範囲の縮小された咆哮を放つ。
範囲を絞り、飛距離を伸ばす事は難しく、上位龍でもそう出来る者はいない。
紅蓮の奔流が流星の如くアルクとノインに迫る。
「良い場所に放ったわねぇ」
超々遠距離から放ったにもかかわらず、アハシュの放った咆哮はアルクとノインに向かって一直線に突き進む。
「こういう芸当には自信があるからな。さて、行くぞ。後はあの女子を連れ帰――なんだと?」
自身の放った咆哮の先。そこに、連れて行くはずの少女が割り込んだと思いきや、アハシュの咆哮を飲み込む程の勢いの咆哮を放ち、アハシュの咆哮を打ち消した。
高威力の咆哮だとは思っていたけれど、自身のを打ち消す程の威力だとは思ってもいなかった。
「アハシュ!! 避けなさい!!」
「――ッ!?」
一瞬、ナホに気を持っていかれている間に、黒の奔流がこちらまで迫っていた。
自分が放った超々遠距離の咆哮とまったく同じ咆哮。
少しだけ焦りながらも、アハシュはそれをひらりと躱す。
追撃は無いけれど、燕尾服を着た男と目が合っている。姿こそ人のままだけれど、あれも龍なのだろう。
「……どうするアハシュ?」
「どうもこうも、行くしかあるまいよ。此処で退いては上位龍の名折れだ。それに、陛下に顔向けできぬからな」
「まぁ、そうよねぇ」
頷きながら、アハシュとギバラは巨大な翼をはためかせて、ナホ達の元へと向かう。
「相手が誰であれ、白い女子は連れて行く。それが私の任務だ」




