019 上位龍の槍
「おぉぉぉぉぉい!! 赤毛のぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!」
「親父ぃぃぃぃぃぃいいいいいいいっ!! 戦場に出る鍛冶屋があるか馬鹿ぁぁぁぁああああああ!!」
聞き覚えのある声に、切迫した状況であるにもかかわらず、アルクの口角は上機嫌に上がっていた。
「おっさん!! 投げろぉ!!」
即座にバックステップ。ノインの間合いから少しでも遠く離れるために。
「逃がすと思うかい?」
しかし、此処で逃がすノインではない。すかさず糸でアルクを追う。
「逃げるさ! 何としてもな!!」
身軽な動きで糸を躱し、当たっても良いと判断した攻撃はわざと受ける。無理して避けるよりも、無理して推し通った方が良い。
「なんだか分かんねぇが、ほらよぉッ!!」
アルクの方に走り寄っていたコドーが槍投げのポーズをとって、手に持った槍をぶん投げる。
鍛冶屋をやっているだけあって筋力があるのか、槍はアルクが思った以上に飛ぶ。
「へっ! 上出来だ!!」
にやり笑い、アルクは更に加速する。
「……」
さすがにアルクに槍を取られるのはまずいと思ったのか、ノインの攻撃が苛烈になる。
ノインが、――厳密に言えばノインの上司がだけれど――滅龍十二使徒が認めた腕を持つ鍛冶屋であるコドーが、上位龍の素材を使って鍛えた槍だ。アルクの技も今はまだ練度が低いけれど、それでも賞賛に値する技だ。
コドーの槍と組み合わされば、流石のノインも笑って見過ごす事は出来ない。
余裕の笑みを消し、今までとは打って変わった苛烈な攻撃を仕掛けてくるノイン。
その攻撃を躱しながら、アルクは笑う。
「はっ! さっきまでとは打って変わって乱暴だな!! そんなんじゃ俺は仕留められねぇぜ?」
焦っているという自覚はあるのだろう。ノインはアルクに言葉を返す事なく攻撃に集中する。
しかし、そのことごとくをアルクは躱す。直接的な攻撃になってきたのと、今までの戦闘でようやく糸に目が慣れてきたため、先程よりも躱しやすくなっている。
「いよいしょっとぉ!!」
宙を舞う槍に向かって飛び上がる。
本当は、少し悔しい。あの滅龍十二使徒が自分の事を認めてくれたのは嬉しいのだけれど、脅威だと認めてくれていなかった事が、悔しいのだ。そして、ようやっと脅威だと認めたのはアルクの実力ではなく、コドーの実力であった事もまた悔しいと思う要因だ。
やはり、武器が違えども本領を発揮できるようにならなくてはいけないだろう。その高みには、自分はまだ遠い。
けれど、その片鱗を見る事は出来た。少しだけ、高みを見る事が出来た。あの一瞬繰り出せた、アルクの技。
――クレナイ流槍術、■■■、■■■■。
あれがなんで出せたのか、あれがなんなのか、それは分からない。けれど、見る事が出来たのなら、いずれ届く事が出来るはずだ。
そのいずれを迎えるためにも、俺は……!!
「勝つ!!」
「させない。君は此処で止める」
ノインの糸がアルクに迫る。空中では身を捩るくらいしか対処のしようがない。
竜巻のようにしてうねりを上げてアルクを飲み込もうとする糸の奔流。
しかし、アルクが糸に飲み込まれる前に、アルクの指が槍に届いた。
自然と口角が上がるのを自覚した。
――クレナイ流槍術、二の技、薙ぎの炎刃。
瞬間、爆発的な威力で炎が上がり、迫りくる糸を薙ぎ払う。
「――くっ!!」
熱風が叩きつけられ、たまらず両腕で顔を庇うノイン。
「……はぁ……馬鹿げてるね、この威力……」
熱風が過ぎ去った後、ノインは腕を降ろしてから目の前に立つアルクに向けて言った。
ノインは、しっかりと見ていた。多少焦りながらも、油断ならない敵の細部までを見逃す程、ノインは愚かではない。だからこそ、ノインは呆れる。
先程の爆炎を繰り出した技。あれは、指だけで繰り出されたものだ。
指で挟み、槍を回転させた。それだけで、あの爆風。あの威力。
「馬鹿力だとはよく言われる」
「力だけでも無いだろうに……」
あの技を、ただの指の力と槍の性能だけで出せるとは思えない。不完全な体勢で繰り出された技に負ける程、ノインの糸は弱くは無い。その自負が、ノインにはある。
あの技は、アルクの技がみせたものだ。そう認識した途端、ノインの思考が完全に切り替わる。
警戒しなくてはいけない敵から、本気を出さなくてはいけない敵へと、認識を改める。
「君は危険だ。ともすれば、私達に立ちはだかる可能性がある」
「必要とあらば誰だろうが相手するぜ、俺は」
「そうだろうね。汚らわしき龍を守り、その矛となる君であれば、どんな相手だろうと戦うのだろうね」
「そうだな。滅龍者、滅龍十二使徒……まだまだ戦いたい奴はごまんといる。けどな、勘違いすんじゃねぇぞ。俺は悪さをしてるつもりは無ぇ」
「ほう……では、君は何をしている? なんのためにあの龍の少女を守っているんだい? 世界の敵である龍を守る事が悪じゃないとすれば、君はいったいなんなのだい?」
「何者にもまだなれちゃいねぇさ。それと、姫さんを守んのは、依頼だからっつうんが一つ。後一つは、そうだな……」
やけにしっくりくる槍を両手に持ち、アルクは構える。
「正しい自分を貫く姫さんを、俺が守りてぇからだ」
お世話になった人を助けたい。そう思える事、それを実践できる事、その心意気、その優しさ、その行動力。アルクは、素直にそれらを尊敬している。
口だけの奴は矢面に立てやしない。嘯くだけの奴は後ろでふんぞり返ってるだけだ。虚勢を吐く奴はいつの間にか逃げている。我が儘を言ってるだけの奴はそれに甘える。
そんな奴、アルクはそれこそごまんと見てきた。
けど、ナホは違う。逃げない。強大な相手の攻撃の前に立ちはだかれる。甘えているだけではない。暴走こそしてしまったものの、それだって誰かを守りたかったからだ。
ナホの心根の優しさを、アルクは守りたいと思った。
あの時、オウカと一緒に戦いたいと思っていたアルクの代わりは、誰もしてはくれなかった。
あの時、確かにアルクは置き去りにされたのだ。
悲しかった。悔しかった。辛かった。涙を流さないなんて無理だった。
ナホに同じ思いをしてほしくない。あの時の自分よりも行動力があって、心の優しいナホに、自分と同じ思いをしてほしくは無いのだ。
その優しさは俺が連れて行く。その優しさは俺が貫く。それを邪魔する奴がいるなら、全員俺がぶっ倒す。
「誰であれ、何であれ、姫さんの優しさを邪魔する権利なんざねぇ。もしそんな奴がいるなら、そんな奴が姫さんの前に立ちはだかるなら、俺が潰す。手前がその邪魔をすんなら、俺は手前を潰す」
構えたまま、射殺さんばかりの鋭い視線をノインに向ける。
すでに臨戦態勢。きっかけさえあれば即座に戦える。
構えるアルクに、ノインは一つ頷く。
「そうか。それが君の彼女を守る理由か」
「ああ、悪ぃか?」
「いや。人の信じるものに対してとやかく言うつもりは無いよ。ただ……」
すっと、ノインが静かに構える。戦い始めてから、初めてノインが構えを見せる。
「君と同じで、私にも信念がある。そして、私の信念の前に立ちはだかるのであれば、誰であれ排除する」
「はっ!! んじゃあこれ以上の問答は時間の無駄だ!! 決着着けようぜ、ノイン!!」
「ああ。君を倒して幕引きとしよう」
もうノインの表情に余裕はない。真剣な眼差しだけがアルクに向けられる。
対して、アルクは薄く笑みを浮かべてノインと対峙する。
周囲の者が固唾を飲んで二人を見守る。
「ん、うぅ……」
静寂が支配する中、オプスの腕の中でナホが意識を取り戻す。
「姫様。大丈夫ですか?」
「オプス……? あれ、僕……」
なんで眠っていたのだろうと不思議に思い、自分が眠ってしまう前の事を思い出せば、さぁっと顔を青褪めさせる。
「ぼ、僕、なんて事を……っ」
暴走中も意識が薄っすらとあったため、自分が何をしてしまったのかを憶えている。
「ご安心を。姫様は誰も傷つけてはおりません。あの馬鹿が必死に守っていましたので」
「だ、だけど……! 僕、そんなつもり全然無かったのに、守りたいと、思ったのに……!!」
自然と涙が溢れてくる。
悔しくて、悲しくて、恐ろしくて。あれだけの力があるとは思っていなかった。暴走の危険性も、何も分かっていなかった。
涙を流すナホの目元を、オプスがハンカチで優しく丁寧に拭う。
「姫様がお気に病む事ではありません。今回の事は、姫様を守ると大口叩いておいて守り切れなかったあの馬鹿の失態です。それに、姫様に暴走の危険性を伝えていなかった私の落ち度でもあります」
「知らなかったからって僕のせいにならない訳じゃないでしょ!! それに、知らないならもっと悪いよ!! 自分の事なのに何も知らないなんて!!」
声を上げて、ナホはノインに言う。
その声は静寂に包まれていたこの場に広がり、離れたところに立つアルクの耳にも届いていた。
「ぴーぴーうるせぇぞ姫さん!! 起きたんなら黙って見てろ!!」
ノインから視線を外す事無くアルクが声を上げる。
「貴様!! 元はと言えば貴様が不甲斐無いからだろうが!! 謝れ!! 平身低頭して姫様に謝罪しろ!!」
「だからうるせぇっつうんだよ!! てめぇは姫さんあやしとけ!!」
賑やかなギャラリーに文句を言いながらも、アルクの口角は上がったままだ。
ナホが起きた事にほっとしつつ、ナホが起きた事を喜んでいた。
「姫さん!!」
アルクがナホに呼び掛ける。
ナホは、涙を流しながらもアルクの方を見る。
ナホの視線がこちらに向いたことを覚ったアルクは、声を大にして言い放つ。
「良く見てろ!! あんたの槍が高みに届くところをな!!」
だから心配すんな。あんたが暴走しようが、力の矛先を間違えようが、あんたより強ぇ俺が止めてやる。あんたがどんなに強力な力を放ったって、それ以上に強い俺が止めてやる。俺があんたの抑止力になってやる。だから、あんたは思うままやれば良い。
長々と口には出せない。その余裕をノインはくれないだろうから。だから、これが終わったら言おう。これが終わった後、ちゃんと伝えよう。
「ふぅ……」
一つ、息を吐く。
ノインも本気だ。もう余裕を見せる事も無いだろう。けれど、どうしてだろうか。もう――
「負ける気がしねぇなぁ、おい」
合図は無い。けれど、踏み込むのは二人同時だった。
アルクが走るだけで火の粉が舞う。
ノインが走るだけで地面が割れる。
互いの射程距離に、互いの得物が入り込む。
音速を超えた糸の斬撃は衝撃波を生み出し、急速な空気の移動を知らしめる。
アルクの槍も糸の速度に負けず、高速で糸を迎撃する。炎が帯となり宙を彩り、剣戟の荒々しさからは想像できない程の美しさを見せる。
高度な武と武の衝突。その美しさに、見るものは目を奪われた。
まるで舞踊のように滑らかに動く両者。一切の淀みも無く、一切の無駄も無い。
「凄い……」
誰とも知れず、そんな声が漏れる。
先程までの二人の攻防も舌を巻くものがあったけれど、今の攻防はそれを軽く凌駕する。
二人の意識が完全に戦闘に向き、互いにのみ向いている。余人の視線など意識の外。互いを見て、互いを意識する。
一合一合で衝撃波が生じ、空間を震わせる。
「――っ!!」
糸と糸の隙間を縫うように、突如として拳が繰り出される。
辛うじてそれを躱すけれど、かすった衣服が大きく破ける。
「素手戦闘かよ……!!」
「体術の達人がいてね。指南してもらっているのさ!」
指で細かく糸を操りながら、隙を見て拳や蹴りを繰り出してくる。ご丁寧な事に手足には糸が巻かれており、当たっただけでも皮膚を肉ごと削られてしまうだろう。もちろん、ノインの体術も一級品で、糸の能力頼りの苦肉の策でない事が分かる。
驚きながらも、素直に感嘆する。
ノインは強い。糸を操る実力もさることながら、それだけでは対応できないと分かった後の手数の多さもノインの強さの証左だろう。
嬉しく思う。こんな強い相手と戦えて。油断ならないと、認めて貰えて。
例え自分の力だけでは無いとしても、嬉しい。
――クレナイ流槍術、四の技、炎々絶槍。
炎が燃え盛る。炎の熱が肌を焼く。
槍と糸がぶつかり合う。
白熱した戦い。全意識を目の前の相手に向けなければ勝つことは出来ない。
だからだろう。二人は気付くことが出来なかった。
超々遠距離からの攻撃に。それが致死の攻撃である事に。
高速で飛来する紅蓮の奔流。けれどそれは細く、ともすれば、それは地上に吸い寄せられる隕石のようでもあった。
その紅蓮の奔流は意識が互いに向いているアルクとノインに向かう。
「「――っ!!」」
それが目前まで迫って、二人はようやく気付く。
けれど、対応するまでの時間が無い。
細く、けれど人二人を飲み込むには大きすぎるそれが二人に直撃――――
「――――――――――――っ!!」
――する事は無かった。
直前、小さな影が二人と紅蓮の奔流の間に割り込む。
その者から放たれる高出力の白い極光が紅蓮の奔流を飲み込み、消滅させる。
「……姫さん」
紅蓮の奔流を消し去った人物――ナホを見て、アルクは思わず呆然と言葉を漏らす。
呆然と言葉を漏らすアルクに対して、ナホは涙を流しながら振り返って言った。
「アルク……また僕が暴走したら、僕を……」
殺してね。
そう言ったナホは、諦めたように悲し気に笑った。




