002 滅龍者と白龍
急遽始まった飲み比べ大会の翌日、飲み比べに参加した大半の冒険者が二日酔いで再起不能になった。そして、エリルとメリッサもその例外ではなかった。ちなみに、リゲットも二日酔いでダウンしていた。
結局、二日酔いにならなかったのはお酒を飲んでいない奈穂と、浴びるように飲んでいたのにけろりとしているガウル、その他酒に強すぎる面々だけだった。
「うぅ……頭痛い……」
「くっ……情けない……」
「おえっ……あぁ……ぎもぢわりぃ……」
テーブルに突っ伏して呻く三人を見て、ガウルが呆れたように言う。
「かぁ~! 情けねぇ! どうするナホ? 今日は止めとくか?」
「そうだね、今日は休みにしよっか。あ、でも、受付嬢さんが薬草が足りないって言ってたから、僕ちょっと採って来るよ」
「んじゃあ、俺も行こうかね」
「いいよ、ガウルは休んでて。薬草くらい僕一人で採ってこれるから」
「そうか? じゃあ、俺は酒でも飲んでくるかね」
「まだ飲むんだ……」
まだまだ飲もうとするガウルに苦笑しながら、奈穂は薬草の生っている山へと向かった。
この町の近くには山があり、その山に聖龍が眠っているという伝説がある。真偽のほどは実際に見た事がないので分からないけれど。
ともあれ、その山に目当ての薬草が生っているのだ。奈穂は意気揚々と山へと歩く。
さほど遠いというわけでもないので、しばらく歩けば山の麓にたどり着く。
「さて、採取を始めますか」
周囲を警戒しながら、奈穂は注意深く薬草が無いかと草木を睨む。
「お、あった。あ、こっちにも」
最初の頃は薬草なんて見分けがつかなかったけれど、最近では薬草をちゃんと見分けられるようになった。それに、薬草だけではなく食用の草木の見分け方も憶えた。
せっせと薬草を摘んでいく奈穂。奈穂は戦力としてはあまり貢献できていない。だから、こういったところで皆の力になろうと思っているのだ。
周囲を警戒しつつ、薬草を摘んでいく。
しばらくそうして摘んでいき、どんどんと山を登っていく。山の中腹まで登った頃には、持ってきていた篭の中身は薬草でいっぱいになっていた。
「ふぅ……これくらいあれば充分かな?」
本当は篭の三分の一程でも良かったのだけれど、夢中になっているために気付かなかった。
充分薬草は採った。もうそろそろ帰ろう。そう思い、下山をしようとしたその時、微かに声が聞こえてきた。
『…………す……ださ……』
「え?」
風に乗って聞こえてきたかのようにささやかな音に、一瞬空耳かと思った奈穂。けれど、その声は確かに聞こえていた。
『…………たす……くださ……』
「誰かいるんですか?」
声をかけながら、奈穂は声のする方へと歩を進める。
歩き出して気付く。この声は、耳に届いていない。頭の中に直接響いているのだと。
けれど、どこから聞こえているのかが分かる。そして、声は近付くごとに鮮明になっていく。
『誰か……助けてください……』
か細い声でそう言っている。
酷く弱っている。
奈穂は焦って歩調が早まる。
「どこですか!? 返事をしてください!」
声を張り上げて返事をもらおうとするけれど、頭の中に響く声は助けてくださいと続けるばかりだ。
声の主を探すのに夢中になっていた。それがいけなかったのだろう。
「どこですか!? 場所を教えてくださ――!?」
下に空いている穴に気付かず、奈穂は穴の中に落ちて行ってしまった。
かなり深くまで掘られた穴の中を、何度もぶつかりながら落ちていく。
何度も身体を打ち付け、最後は地面に激突する。
「ぐっ……!?」
そこそこの距離を落ちてきたけれど、穴が直線ではなった事が幸いしたのか、地面に落ちても即死ではなかった。
ゴロゴロと地面を転がりようやく止まった頃には、奈穂の身体はぼろぼろだったけれど、それでも命があるだけまだましである。
呻きながら立ち上がろうとしたところで、足に激痛が走る。
見やれば、足が変な方向に折れ曲がっていた。
「うへぇ……折れてる……」
グロイと思いながら、奈穂は視線を逸らす。
「…………え?」
視線を逸らした先、そこに、思いもよらない者が居た。
白く巨大な身体。蝙蝠のような翼。美しく光を反射する鱗。強靭な爪。
目の前の者に、奈穂は心当たりがあった。
「……ドラ……ゴン……」
そう、奈穂達滅龍者が倒すべき仇敵、龍種である。
目の前の者が龍種だと分かると、奈穂は慌てて逃げようとするけれど、足が折れているために立ち上がって逃げる事が出来ない。
涙目になって這ってでも逃げようと決めた時、おかしな事に気付く。
目の前の白龍は地に伏しており、その身体を鎖で拘束されていたのだ。
そして、よくよく見れば身体の一部が人為的に切り取られていた。その傷口が痛々しく、奈穂は思わず言葉をこぼしてしまう。
「かわいそう……」
目の前の白龍にはまだ呼吸があった。身体が微かに上下し、浅く呼吸をしているのだ。という事は、目の前の白龍はまだ生きている。生きているうえで、治療もされずにここに縛り付けられているのだ。その姿を見て、奈穂はかわいそうだと思った。
それに、場所的に考えても、この白龍は人と一緒に生きてきた聖龍で間違いないはずだ。
人と共存する事を選んだ聖龍にこんな仕打ちをするのは、酷いと思う。
どうにかしたいと思うけれど、今の奈穂にはどうする事も出来ない。
おそらく、足以外にも折れているのだろうけれど、体中痛いのでどこが折れているのか全く分からない。
助けを呼ぼうにも、この世界には遠距離による通信手段が無い。そのため、街にいる仲間に連絡をする事が出来ない。それに、足が折れているので落ちてきた穴を登る事も出来ない。
助かるためには、奈穂が帰ってこない事に気付いた仲間が山に登ってきた時に声を上げて助けを求めるしかない。
つまり、現状奈穂に助かるための手段は無い。
「どうしよう……」
どうにかして助かる方法を考えるけれど、結局自分一人ではここから出る事も出来ない。
考えているうちに足の痛みは増してくるし、他のところも痛くなっていく一方だ。その上、どんどん意識が薄れていく。
ああ、ここで死ぬのかなと思いながら、限界の来た奈穂の意識は闇に落ちて行った。
閉じていた目蓋を上げ、白龍は自身の近くに倒れる少年を見る。
少年は気付いていなかったけれど、少年の折れている部分は足だけではなかった。肋骨が折れ、内臓に突き刺さっている。盛大に突き刺さっており、これでは一日ももたないだろう。
少年を呼んだのはここにいる白龍だ。少年は、ここに落ちてきた事ですっかり忘れてしまっていたけれど。
白龍は数百年の間、不特定多数の知的生命体に呼び掛けていたけれど、ついぞ白龍の声が聞こえる者は現れなかった。
諦めかけていたけれど、白龍を閉じ込める結界が弱まり、たまたま少年が近くを通っていた事で、ようやく自分の声を届ける事が出来た。
最初は歓喜したけれど、この少年が落ちてきた事でその歓喜も落胆に変わった。
この少年は間もなく死ぬ。これでは、自分を助ける事は出来ない。せっかく、自分と波長の合う者がやって来たのに、こんな不甲斐無い人物だったのは至極残念だ。
ああ、でも……。
しかし、白龍は先程の少年の言葉を思い出す。
『かわいそう……』
少年は、白龍を見てそう言った。
白龍はこの場所にいる間、そんな事を言われた事は一度も無かった。
ここを訪れる者は、白龍を道具や素材程度にしか思っていない。かわいそうなどと、白龍を慮る言葉を発する者はいなかった。そんな目を向ける者も、いなかった。
……この少年であれば。
白龍は考える。この少年を使えば、自分は楽になれる。この生き地獄から抜け出せる。
命の灯が消えかけている少年を、白龍は眺める。
選択の余地は無かった。白龍はこの生き地獄から逃れたかった。永久に、死ぬまで続く地獄から、抜け出したかった。
自分が救われるためには、瀕死のこの少年を利用するしかない。
……ごめんなさい。
白龍は少年に自身の魂を移す。白龍にかけられた拘束は肉体を縛り、魔法の力を制限するもの。魂を縛れるような代物ではないけれど、衰弱した状態を保つことのできる拘束ではある。
魂を肉体と別つ。
魂が肉体を離れ、少年の元へと向かう。
……ごめんなさい。それと、来てくれてありがとう。
白龍の魂は少年の中に入り込む。
直後、少年の身体に変化が訪れる。
「ぐっ、ううっ……」
苦悶の表情を浮かべる少年。
ミシミシと嫌な音を立てながら、身体が変わる。
背は縮み、黒かった髪は白く、長くなっていく。顔付きも変わり、少年から少女のものへと変化する。全体的に丸みをおびた身体つきになり、胸元には今までなかった膨らみが出来る。
ゆっくり、ゆっくり、少年の身体は変わっていく。
少年の身体が変化する間、白龍は少年に謝り続けた。
少年はこの日、不本意に人をやめ、龍種へと変貌してしまった。
龍種になった事により、少年の人生が一変してしまう事を少年はまだ知らない。
いつまで寝ていただろう。硬い地面の感触が不快で目を覚ませば、そこは奈穂の知らない場所であった。
一瞬、知らない場所で慌てるも、自分に何があったのかを理解すれば、自分が知らない場所にいる事に納得する。
そうだ。僕、穴に落ちて、それで……。
そこまで思い出した時、奈穂は自分が酷い怪我を負っていた事を思い出す。
慌てて怪我の具合を確認してみるけれど、足は折れ曲がっておらず体中どこをまさぐっても痛くも痒くも無い。
ただ、自分の胸元に手を当てた時に柔らかい膨らみがあった事により、一瞬思考停止する。
……なに? この膨らみ……。
気絶する前の自分には無かったものが突然胸部に現れ、驚き、困惑する。
え、え? 何これ? え?
困惑のまま、胸部の膨らみを揉みしだく奈穂。手で触った感触が胸越しに伝わってくるので、この胸の膨らみが偽物だという事は無い。
デハ、コノ胸ノ膨ラミハ、ナンダ?
まさかと思い、もしやとも思い、奈穂は即座に股間に手を当てる。
しかし、そこに在るはずの相棒の姿は無かった。
……ま、まさか……。
ここまで情報があって思い当たらないほど鈍感ではない。おそらく、自分は女の子になってしまっている。どういうわけか理屈は分からないけれど。
「そ、そんな……はっ!」
声を発し、いつもよりその音が高くて驚く。
すぐさま顔を確認したい衝動に駆られるけれど、この場所には鏡になるようなものは無い。そもそも、この場所には白龍しか……。
そこまで思い出すと、奈穂はこの部屋に起きた大きな異変に気付く。
「あれ、ドラゴンは……?」
部屋のどこを見渡しても、白龍の姿が見当たらない。代わりに、灰のような物が落ちているけれど、白龍の姿はどこにも見当たらなかった。
夢幻でも見ていたのだろうか……?
そんな事を考えるけれど、白龍を拘束していた鎖は残っているし、自分の服もぼろぼろだ。ここに来た事は本当だし、白龍を見た事だって本当だ。
……まぁ、いっか。とりあえず、身体が無事ならここから出ないと!
自身の身体に起きた変化はひとまず置いておき、奈穂はこの場所から脱出する事にする。
周囲をよく観察すれば、人工的に作られた扉が目に入る。奈穂は駆け足で扉まで向かい、力一杯扉を押す。
「ふみゅぅ――――――――!!」
しかし、力一杯押しても、扉はびくともしない。
引き戸かもしれないと思って引いてみても、びくともしない。
「……ダメか……」
仮にも白龍を拘束していた部屋の扉だ。そう簡単に開いたりはしないだろう。
奈穂は正規ルートを早々に諦めると、自身が落ちてきたであろう穴を探す。
この部屋には穴がいくつも空いており、その穴はどれもそこそこの大きさであった。おそらく、空気穴なのだろう。
その空気穴の中の一つがそこそこ大きく、人一人が通るには充分すぎるほどの広さがあった。おそらく、奈穂はこの穴から落ちてきてしまったのだろう。奈穂は小柄だから、これくらいの穴であれば途中でつっかえる事も無く下まで落ちてきてしまう。
奈穂は壁をよじ登り、自身が落ちてきた穴までたどり着く。足が折れている時は脱出が不可能だったけれど、五体満足であれば脱出する事はわけないのだ。
穴までたどり着けば、慎重に穴の中に入り、下に落ちないようによじ登る。
地上まではそれなりの距離があったけれど、なんとか手足を踏ん張って登っていく。
土まみれになりながらも、奈穂が地上に這い上がる。
奈穂は穴から慌てて離れ、地面に大の字になって寝転がる。
「はぁ……しんどかった……」
奈穂が荒くなった息を整えていると、少し遠くの方から声が聞こえてきた。
「ナホー! どこなのー!」
奈穂を探す声。この声は、エリルの声だ。それに、他の仲間の声も聞こえる。
「おーい! ここだよー!」
奈穂は勢いよく起き上がれば、エリルの声が聞こえる方に向かって声を上げながら走った。