011 獄炎ノ龍王
下位一等パーティーの面々と一緒に焚火を囲みながら夕食を食べる。
奈穂とアルクは焼き魚を食べているけれど、テイン達はパンと味の薄いスープをもそもそと食べている。
「へぇ、アルクさんは冒険者じゃないんですね」
「ああ。別に、冒険者とかそういうの興味ねぇしな」
「それじゃあ、その槍術は誰から教わったんですか? 槍の一振りで竜の咆哮を掻き消せるだなんて、相当な武術と見ました」
テインがそう尋ねれば、アルクは魚を食べる手を止めてから言う。
「クレナイ・オウカって知ってるか?」
「クレナイ・オウカ? ……いえ、すみません。初耳です」
「はっ、だろうな」
笑って同意するアルクだけれど、その声は少しだけ寂しそうだと奈穂は感じだ。
「槍術クレナイ流。それが俺の槍の流派だ」
「クレナイ流……」
「知らねぇだろ?」
「はい。すみません……」
「良いさ。あん人もそんな有名人じゃねぇからよ」
焼き魚を一気に口に頬張り、串を焚火に投げ込む。
「ま、俺の槍術なんてそんなマイナーなもんだ。聞いたって大した足しにもならんさ」
「そんなマイナーな槍術が中位龍の咆哮を掻き消せるとは思えないんだけど……」
「あ? んなの気合だよ気合」
俺の言葉に適当に返すアルク。
しかし、今の会話にテイン達は目を丸くする。
「ちょ、ちょっと待て!!」
「あ、んだよ」
「ちゅ、中位龍の咆哮掻き消したって、本当か!?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「ほら吹いて名を売るって可能性もあるだろうがよ!!」
「ああ、確かに」
「じゃなくて! ほ、本当に中位龍の咆哮を技一つで掻き消したのか!?」
何度も尋ねてくるオックスに、アルクは煩わしそうに答える。
「本当だっつうの」
「ま、じか……」
素直に驚愕しているオックス。しかし、驚愕しているのはオックスだけではない。テイン達パーティーメンバーもまた、アルクの言葉に驚いていた。
「い、いやいやいや! さっすがにほらだろ!」
「いや、ほらじゃないと思う。アルクさんの槍、相当な業物だし……」
テインの言葉で、全員がアルクの槍を見る。
確かに、アルクの槍はこの場に居る誰の槍よりも強い色をしている。アルクとは違って、橙色だけれど。
「それも、中位龍の素材で作った槍ですか?」
「ああ。今んとこ、一番強かった中位龍のやつだな」
「今んとこって……あんた何体倒してんだよ……」
オックスに言われ、アルクは一二三と指折り数える。
「五だな。この槍になった奴以外は、大して強くも無かったけどな」
「は、はは……まじか……」
乾いた笑みを浮かべるオックス。
まぁ、その気持ちも分からないでもない。アルクの強さは他の冒険者とは一線を画すものだ。中位龍を単身で屠れる者など、そう多くは無い。アルクが冒険者登録をしていたのであれば、アルクはまず間違いなく上位に食い込んでいるだろう。
「そ、それで、そんなアルクさんは、何故シロさんと一緒に旅を?」
気を持ち直したフーゴがアルクに尋ねる。
シロさんとは奈穂の仮の名前だ。真っ白な見た目の少女。だからシロさん。安直だからこそ分かりやすい。
「成り行きだよ、成り行き。姫さんに助けてくれって頼まれたから、守ってるだけだ」
それ以外に特に含むところも無い。
まるでそんな風に言うアルクだけれど、実情は言葉以上に複雑だ。
「助けてくれって……シロさんってなんか不味い状況なの?」
メイダがアルクではなく奈穂に尋ねる。
「あー、うん……まぁ……」
詳しくは話せないので、奈穂は誤魔化したように頷く。
自身が龍である事、滅龍者や滅龍教会に追われるかもしれない事。そんな事を、気軽に話せる訳も無い。
「誤魔化すって事は、やばい事なのね……」
奈穂が誤魔化したのを見て、シェーンは顔をしかめる。
シェーン達が乗合馬車を守っているのは、そういう依頼だからだ。しかし、その中に犯罪者が居れば話は別だ。もし、奈穂達がやばい事、自分達の実力で収まる範囲以上の事に巻き込まれているのだとすれば、シェーン達は奈穂達を置いていく選択をしなくてはいけない。それが、犯罪に関わる事ならなおのことだ。
「さぁな。やばいかどうかはこれから分かる事だ」
訝しむシェーンにアルクは軽い口調で言う。
確かに、大事になるかどうかの結果が見えるにはまだ早すぎる。あれからまだ五日も経っていない。何か起こるのであれば、もう少し後だろう。
「ま、俺はやばい事になってくれた方が嬉しいけどな。腕試しには丁度良い」
「もう、アルクはまたそんなこと言って……」
「元々そういう約束だろうが」
「それは、そうだけど……」
けれど、誰かが強い相手と戦っているところを見るのは、あまり心地の良いものではない。心臓に悪いし、何も出来ない自分が酷くもどかしいから。
しかし、アルクを説得するのは無理だろう。アルクは戦う事を求めているから。
奈穂はアルクに戦わないように説得するのを諦め、テイン達に向き直る。
「やばい事になるかもしれないけど、誓って犯罪には関わってないよ。それに、危険だと分かったら僕らは馬車を降りるから」
「まぁ、戦うには馬車は邪魔だしな」
「そうじゃなくて! 他の人を巻き込めないでしょって事!」
「へーへ、そーな」
適当に返事をするアルクに、奈穂はむっと頬を膨らませる。
「……ともかく、僕らは君達を僕らの事情に巻き込む気は無いから。そこは、信じてほしい。……初対面の僕らを信用なんて、出来ないのは分かってるけど」
こればかりは、証拠を提示する事は出来ない。なにせ、奈穂は存在自体が人類の敵なのだから。もし龍の眼を見られでもすれば、その時点でテイン達の敵になる事は確実だ。
そうなれば、戦いになる事は必至だろう。もし戦闘になれば、まず間違いなくアルクが勝つ。数の有利を押し退けるほどの隔絶した個の力でテイン達冒険者を倒せるだろう。
けれど、そんな事は奈穂は望んでいない。そんな事にはなってほしくはない。
何が悲しくて、人間同士で戦わなくてはいけないのか。それも、自分の事で自分以外が傷付けあうのだ。そんな状況を無関心に傍観出来るほど、奈穂は人の心を捨ててはいない。
「……ま、どうあれお前らは仕事をすりゃあいい。何か起こったとして、お前らじゃ俺には逆立ちしても勝てねぇんだ。てめぇの事だけ考えてろよ」
「アルク! またそんな言い方!」
「事実だろ。俺達からそっちには干渉しねぇ。その代わり、そっちも過干渉はすんな。コミュニケーションはとるが、それだけだ。それが納得できねぇなら俺達を置いてけよ」
それだけ言うと、アルクは二本目の串を焚火に放る。
テイン達は各々顔を見合わせて、困ったような顔をしている。
それもそうだろう。奈穂達は何が起こるか分からない、言ってしまえば何か起こるかもしれない不確定要素なのだから。放置するべきか、対策を立てるべきなのか、馬車の護衛を請け負った身としては、しっかりと考えなくてはいけない事だ。
「意見が割れたら、置いて行ってもらっても構わないよ。それが君達の仕事なのは、僕も分かってるから」
「いや、でも……」
「目ぇ見えない奴をこんなところに放っておくわけにもいかねぇし……」
別に完全に見えていない訳ではない。大雑把な色として見分ける事は出来る。けれど、それはおそらく普通の事ではない。余計な事は言わない方が良いだろう。
「ま、よく考えろよ。俺達は恨みはしねぇからよ。姫さん、明日も早ぇ。先に休んどけ」
「あ、うん……」
奈穂はアルクに促され、その場で毛布に包まって眠る。
「おやすみ」
「ああ」
横になって寝入る奈穂。アルクの傍で眠るのは、そこが一番安全だから。
けれど、この時の奈穂はこの後起こる惨事に気付く事は出来なかった。
滅龍者も滅竜教会も動くのには時間がかかる。けれど、動くことに躊躇いも、他の判断もいらぬ者もいるのだ。例えば、そう、世界最強の力を持つ者など、特に……。
〇 〇 〇
うだるような暑さが空間を満たす。なんの魔術的防御もしていない人間がその場にいれば、タンパク質が固まり茹で卵のようになってしまう程の暑さ。
けれど、その中で悠々と玉座に座りワインを片手に部下の報告を聞く男がいた。
「して、首尾は?」
男の問いに、男の前に傅く部下の男が答える。
「龍姫様の反応を数百年ぶりに観測しましたが、その後、龍姫様の反応は徐々に収束しました。行動範囲から考えて、反応のあった地からそう遠くには行っていないと――」
「長ったらしい。簡潔に申せ」
「――今、一番鼻の良い者に追わせております。ただ、一点おかしな事がありまして」
「おかしな事、だと?」
「はい。その者曰く、龍姫様と何か別の者の匂いが混じり、龍姫様とはまた別の匂いになったそうです。追跡に支障は無いのですが、龍王陛下のお耳に入れるべき事と判断しました」
「ふむ、匂い、か……」
玉座に座る男――龍王は思案するように頤に手を当てる。
「……もしや龍姫め、あれを使ったな?」
あれ、というのが何を指しているのか分からないけれど、それを陛下に問うような愚を犯すほど、目の前の男は馬鹿ではない。
自分達は只の駒に過ぎない。であれば、駒は駒らしく、小を考えれば良い。中を将が考え、大を陛下が考える。自分達は、陛下に付き従えばよいのだ。
「ふっ、あははははっ! 面白い! そこまでか! そこまでしたかあの龍姫は!」
楽し気に、龍王は笑う。
「余程我が気に食わなかったか、そこまでしなくてはままならぬ事態だったか」
「恐れながら、龍王陛下は素晴らしきお方です。陛下のご寵愛を無碍にする者など、捨ておくのがよろしいかと」
「そんな事は分かっている。アハシュよ、一々分かり切った事を口にするな」
「はっ、申し訳ございません」
「いや、良い。貴様が我を称える言葉に嘘偽りが無いのもまた事実。貴様の賛美、我はしかと受け取ろう」
「はっ! ありがたき幸せにございます!」
龍王の言葉に、感激したように声音が上がる部下――アハシュ。
この場には龍王とアハシュしかいない。この場に同僚がいれば、どんな顔でからかわれたか分からない。それに、龍王がアハシュの好意を受け取ってくれた証が今の言葉だ。それを誰に聞かれるでもなく、独り占め出来た事は至上の喜びであり、望外の喜びでもあった。
喜びに打ちひしがれるアハシュに、龍王は言う。
「アハシュよ。世の女は全て我のものだ。我に愛されるからこそ、女は輝くのだ」
「まさに、その通りかと」
豪語する龍王に、アハシュは即座に龍王の言葉を肯定する。
そんなアハシュに、龍王は教鞭をとる教師のような面持ちで語る。
「だがな、アハシュ。女とは靡かぬからこそ美しい者もいる。靡かず、凛と立つ女はまさに世界の至宝だ。龍姫がまさにそれであった」
自身に靡かず、自身との結婚を望まぬ純美で精白な女。
飾り気がなく、けれど、その姿一つでもはや完成された美であった龍姫には、どんな宝飾も輝きを失う程だった。
最後に会ったのは千年以上も前の事だというのに、今でもその姿を鮮明に思い出すことが出来る。
「彼奴はまさに至高の美。我の隣に座を置く事を許せるのは、彼奴のみだ」
その声には期待があった。今まで音信不通であった龍姫が再び現れた事への強い期待が。
「必ずや、このアハシュが連れてまいります」
「ああ、期待している。アハシュ、龍姫を連れてきた暁には、貴様には望むものをやろう」
「はっ、いえ、そんな、滅相もありません! 龍王陛下に奉仕できる今この一時こそ最大の褒美にございます!」
「くっ、はははっ」
アハシュの言葉を聞いた龍王は心底おかしそうに笑う。
「馬鹿者。男なら欲を持て」
「いえ、ですが……」
「であれば、次に我の前に顔を見せるまでの課題としよう。よく考えておけ」
「……かしこまりました」
アハシュにとってはこの瞬間こそが最大最高の褒美だ。しかし、これ以上我が龍王陛下の言葉を無碍にする事など出来ようはずも無い。
アハシュは龍王の言葉に頷いた。
「うむ、では行け。吉報を待つ」
「はっ!!」
威勢の良い返事をし、アハシュは龍王の前から下がる。
アハシュが退席したところで、龍王は愉快そうな笑みを引っ込め、不機嫌そうな顔を前面に押し出した。
「……デバルト」
「こちらに」
龍王が名を呼べば、いつの間にか龍王の前に屈強な男が頭を垂れていた。
「龍姫を利用していた下賤の者共を皆殺しにしろ。手段は問わぬ。一切合切焼き尽くせ」
「御意に」
龍王の言葉に躊躇う事無く頷き、屈強な男――デバルトは龍王の前から下がった。
「……さて、どうなる事やら」
龍姫は美しいながらに、確かな実力を持っていた。次代の龍王候補の一人でもあった者だ。その者を、人間程度が簡単に捕縛、隠蔽が出来るとは思えない。
「忌々しい教会の連中か、それとも……」
考え、しかし、些事だと考えを放棄する。
「さて、この獄炎ノ龍王に盾突いたのだ。報いは当然と思えよ」
言って、龍王は獰猛に笑う。
世界は、確実に戦乱に向かって進み始めた。