010 野営
乗合馬車は街を一つ通り過ぎてから、次の街へと向かうその中間の道中で一度停車する。
「もう日が暮れるな。ここで野営をするぞ」
馬車の先頭を進む男のその一声で、一行はその場で野営をする事になった。
馬車から降り、各々が野営の準備を始める。
と言っても、テントは張らない。毛布にくるまってその場で寝るだけだ。
奈穂もアルクも馬車から降りて、自分達が寝転がるための場所を確保する。
「おい、あんまし離れんなよ。何かあった時に対処できねぇからな」
「うん、分かった」
アルクが寝床と決めたぴったりその横を、奈穂は自身の寝床とする。
んなぴったり横に着けんでもと思いながらも、この距離感であれば守りやすいと無理矢理自分を納得させる。
昼の事で、少しだけ分かってきた。この女は、少しだけ……いや、かなり感性がずれている。そんな女に何を言ったところで無駄だろう。
一つ溜息を吐いてから、アルクは雑嚢から携帯食料を取り出し、食べようと準備する。が――
「アルク、近くに川があるよ。魚いるかな?」
――奈穂がふらふらと川の方へと向かって行ってしまう。
この野郎と思いながら、アルクは携帯食料を雑嚢にしまってから奈穂の後を追う。この女は自分が守られているという自覚は無いのか。
「おい、姫さん。あんまし動くな。なんかあったらどーすんだ」
「何もないよ。だって、川は目と鼻の先だよ? 何かある方が――っ!?」
笑いながら言っている最中、奈穂は窪みに足をとられて転びそうになる。
そう、転びそうになっただけだ。アルクが即座に近寄り、奈穂の身体を支える。
「何もない?」
「え、えへへ……ごめん……」
最初に誤魔化すように笑った奈穂だけれど、直ぐにばつが悪そうな顔をして謝る。
アルクは、一つ盛大に溜息を吐く事で、奈穂への文句とする事にした。
アルクの手から離れた奈穂は、今度は慎重に歩く。
「結構川大きいから、魚とかいるかもね」
「かもな。食べられるかどうかは別だが」
とことこ歩く奈穂に注意を払いつつ、目前の川に脅威が居ないかどうかを気配で探る。
川までたどり着くと、奈穂はじっと目を凝らす。
奈穂の視界に映る川は青色で、きらきらと輝きながら流れているのだけれど、その中に濃い青や緑がかった青をした何かが動いているのが分かる。
「アルク、あそこ魚いる?」
「いるな」
「じゃあ釣りしよう。今日はお魚食べよ」
「お前、あの魚に毒があったらどうすんだよ」
「大丈夫だよ。毒の色は見えないから」
「毒の色?」
「うん」
道中、奈穂は何もただぼーっとしていた訳ではない。
アルクと最初の街に向かう最中、幾つか気になる色のものは肉眼で確認をしていた。その中で、紫系統の色をしているものは毒草であるものが多かった。その他の草木は奈穂の知識には無いものだったので、おそらく毒素を含んでいるだろうと思われる。
だから、奈穂の視界に映る紫色は、毒を表しているのだろうと思う。
そう考えると、この川には紫色は無い。濃い青や緑がかった青はあるけれど、見るからに毒々しい色をしている紫は無いのだ。
「毒を持ってるのはいないよ。だから、大丈夫」
「ほー……」
納得しているのかそうじゃないのか。曖昧な返事をするアルク。
そんなアルクの返事を気にした様子も無く、奈穂は何か釣り竿になりそうな物を探す。釣り糸の代わりはある。針も持っている。後は、竿さえあれば良いのだけれど……。
そう考えて周囲を見渡すも、手頃な竿は見当たらない。
まぁ仕方がない。であれば糸と針だけでどうにかするしかあるまい。
雑嚢から針と糸を取り出そうとしたその時、アルクが一つ溜息を吐いてから言う。
「別に釣らなくても良いだろうよ。ちっと待ってろ」
言って、アルクは槍を逆手に構える。
そして、目にも止まらぬ速さで槍で川を突く。槍の穂先が水中から上がると、そこには魚が突き刺さっていた。
「おぉ!」
獲れた魚を奈穂に渡し、アルクは二回連続で槍で川を突く。そうすれば、もう二匹魚が獲れる。
「二匹で足りる?」
「ああ」
「じゃあ、血抜きするね」
奈穂は懐からナイフを取り出して、魚の腹を縦に切る。そして、川の水で血を洗い流しつつ、ナイフで腸を取り除く。
「見えなくても出来んのか?」
「うん。刃の長さとかは分かるし、こういうの慣れてるから」
その後、平な岩の上に魚を寝かせ、ナイフの背で鱗を剥がす。鱗の無くなった魚の表面に塩をまぶす。塩は貴重なので、あまり豪快にはまぶせない。
それを、都合三回行えば下準備は完了だ。
自分達の寝床に向かう。途中で薪になりそうな木を拾って、寝床の近くで焚火を作る。
焚火を作る作業はアルクがやってくれた。慣れているのだろう。手早く焚火を作り上げてくれた。
奈穂はアルクが焚火を作ってくれている間に、手近にあった木の枝の皮をナイフで剥がし、魚にさすための串を作る。
串を作り終われば、魚に頭から刺す。それを三本、焚火に当たるように地面に刺す。
そこまでやって、奈穂は気付く。
「アルク、大変な事に気付きました」
「んだよ」
「焼き目が視えません……」
「……んなこったろうとは思ったぜ」
呆れたようにアルクは言う。
「ま、なんとかなんだろ」
「表面がぱりっとしてきたら裏返してくれる?」
「へーへ。失敗しても文句言うなよ」
二人だけの旅路であれば、奈穂は迷わず包帯を外して自分で焼き加減を見るだろう。けれど、ここには二人以外の第三者がいる。奈穂が龍の眼を持っている事を知られてはいけない。だから、包帯は外せない。
焼き加減はアルクに任せるしかないかぁ。
少しだけ不安だけれど、こればっかりは仕方ない。アルクのさじ加減に任せるとしよう。
しかし、焼き上がるまでは暇だなと考えていると、二人の方に数人の色が接近してくる。
奈穂は少し身を堅くし、心なしかアルクの方に距離を詰め、アルクはちらりと視線を向けた後、興味無さそうに視線を焼き魚に戻す。
「あの、少しいいですか?」
そう声をかけてきたのは、奈穂達の乗る乗合馬車の護衛をしていた冒険者パーティーの、おそらくはリーダーだと思われる青年であった。
「良くねぇ、今忙しいんだ」
リーダーの青年の言葉に、アルクは突っぱねるように返す。
その視線は焼き魚から動いてはおらず、真剣に焼き加減を見ているようであった。
しかし、パーティーメンバーの一人はその態度が癪に障ったのか、苛立ったように眉尻を上げる。
「あの、お礼だけでも言わせていただけませんか?」
「礼? なんの」
「昼間、馬車を守ってくれた事のです。俺達の不注意で、馬車に被害が行くところでした。馬車を守ってくれて、ありがとうございます」
言って、青年は頭を下げる。他のパーティメンバーもお礼を言って頭を下げる。
しかし、お礼を言う青年達に対して、アルクは照れるでも、驕るでもなく、ただ淡々した口調で言う。
「別に、俺は馬車なんざ守ってねぇよ。俺が守ったのは姫さんだ。姫さんを守ったから、結果的に馬車も無事だった。ただそれだけの事だ」
つまらなそうに、適当に答えるアルクに、青年達はどう答えて良いのやら分からないと言った様子だ。
そんな青年達を見かねて、奈穂はアルクに言う。
「アルク、そういう時は気にするなって言うだけで良いんじゃないの?」
「気にするなっつっても気にするだろうよ。それに、俺は今言った以上の事はしてねぇ。勝手に恩を感じるくらいなら、次に同じようなくだらねぇミスしねぇように精進しろよ」
心底つまらなそうに言うアルクに、とうとう先程からアルクの態度に不満げだった少年が声を荒げる。
「おいてめぇ! さっきからなんだよその態度は! ちょっと強ぇからって調子乗ってんじゃねぇぞ!?」
「よせオックス!」
少年――オックスを止める青年。しかし、オックスは止まる事無くアルクに食って掛かる。
「あんたが手ぇ出さなくてもな、ノインとフーゴがどうにか出来たぜ! なぁ、ノイン、フーゴ!」
同意を求められた少年二人――ノインとフーゴは困惑したようにオックスを見る。
「えっと……僕は魔術かけてる最中だったから、多分、無理だった……」
「俺もだ。弓一つで納めるにゃ、まだ技量が足らねぇ」
「んだよ!! お前らそれでも俺のパーティーメンバーかよ!」
「俺のじゃなくて、俺達の、でしょ? それに、二人が無理そうだったのはあんたも分かってるでしょ?」
「そーそ。それに、あんたが防げば丸く収まった話でしょ? 後ろに誰がいるかも確認しないで避けたあんたが悪い」
「う、ぐっ……」
少女二人に手酷く言われ、オックスは思わず呻き声を上げる。
「なぁ、これ焼き加減どうだ?」
もうすでに興味が失せたのか、アルクは魚の串焼きの方に意識を向けている。
鼻孔をくすぐる香ばしい香り。おそらく、もう片面は大丈夫だ。
「うん、大丈夫。裏返して」
「分かった」
奈穂の言葉に、アルクは素直に魚を裏返す。
「って! お前らほのぼのしてんじゃねぇ! 俺の話を聞きやがれってんだ!!」
呑気に魚の焼き加減の話をする二人に、オックスが噛み付く。
「オックス、いい加減にしろ」
「テイン! けどよ!」
オックスを止めた青年――テインは、ぽんとオックスの肩に手を置く。
「盾役としてオックスが悔しいのは分かる。オックスが避けるって判断した攻撃を、容易くいなされれば面白くないのも分かる。けど、それはそれとして、助けてもらった事にはきちんとお礼を言わないとだめだ。それは、守ってもらったオックスが、一番良く分かってるだろ?」
テインの思いやりながらも、窘める言葉を聞き、オックスはうぎぎと呻く。
やがて、テインの言い分が正しいと思ったのか、しゅんと肩を落としながらアルクに頭を下げる。
「ごめん……なさい。それと、ありがとう……」
不貞腐れながら謝罪とお礼を言うオックスの頭を、テインは微笑みながら乱暴に撫でる。
「良く言えた。俺からも、本当にありがとうございました」
「だから、俺は……」
「どうあれ、守ってもらった事には変わりありません。俺達の依頼は馬車とその馬車に乗る人達の護衛です。その中には、貴方のお連れも含まれます。だから、改めてお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございます」
言って、テインは再度頭を下げた。
生真面目に頭を下げたテインを見て、アルクは面倒くさそうに息を吐く。
「わーったよ。そういう事で良い、面倒くせぇ」
折れたアルクを見て、テインは優し気な笑みを浮かべる。けれど、アルクが面倒くさがっているのを見て、それ以上お礼を言う事はしなかった。
引き際と押しをわきまえているなぁと思いながら、奈穂は焼き魚が焦げていないか匂いで確認する。
「そうだ。一緒にご飯を食べてもかまいませんか? 俺、同じ槍使いとして、貴方に聞きたい事があるんです」
テインが目を輝かせながらそう尋ねると、他のメンバーはまた始まったと言わんばかりに呆れたような顔をする。
アルクもあからさまに面倒くさそうにしながら、奈穂に視線を向ける。
「どーする、姫さん?」
アルクの問いに、奈穂は考える。
自身が龍である事を覚られないようにするのであれば、あまり他人との接触をするのはよろしい事ではないだろう。それも、相手は冒険者だ。勘の鋭い者がいれば、奈穂がおかしい事に気付いてしまうかもしれない。
けれど、彼らは下位一等冒険者。奈穂の正体を看破するほどの観察眼と経験を持っているようには思えない。
「……いーんじゃない? ご飯は皆で一緒に食べた方が美味しいよ」
ここは、下手に突っぱねると返って怪しまれる。目元を巻いた包帯について尋ねてくるような配慮の足りない者はいないだろう。
そう考えて、奈穂はテインの申し出に頷く。
奈穂が頷けば、アルクに否やは無い。まぁ、面倒くさいとは思うけれど。
「ありがとうございます!!」
奈穂の言葉に、テインは嬉しそうにお礼を言う。
テインがご飯を一緒にするという事は、必然、他のメンバーも一緒にご飯を食べるという事になる。
テインがアルクの隣に座れば、他のメンバーも各々地面に腰を下ろす。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺はテイン。このパーティーのリーダーです。槍使いです」
テインが自己紹介をすれば、他のメンバーも自己紹介を始める。
「俺はオックス。パーティーではタンクやってる」
「あたしはメイダ。主に遊撃。棍棒でぶっ叩くのが得意」
「ぼ、僕はノイン。魔術師、です」
「俺はフーゴ。弓使い兼斥候。あ、ナイフ捌きも大したもんだよ?」
「私はシェーン。こう見えて、パーティー一の力持ちよ。得物はこの大剣」
彼らの自己紹介が終われば、次は奈穂達の番だ。
しかし、奈穂は設定上名を名乗る事は出来ない。だって、奈穂は記憶喪失なのだから。
「えっと……僕、名前が分からないんだ。記憶が無くて……」
「え、そうなんですか?」
「うん。だから、好きに呼んで。アルクも、好きに呼んでるから」
「分かりました」
どう呼べばいいのか困惑しながらも、とりあえず頷いておくテイン。
「ほら、次はアルクだよ」
「今姫さんが言った通りだ。それと、ただの槍使い」
「もう! そんな適当で!」
「いーだろ別に」
面倒くさそうにしながら、アルクは魚の串焼きを一本取り、眺める。
「っし、焼けたな」
満足そうに頷き、アルクは魚の串焼きに齧り付いた。存外、悪くない味だった。




