行程00 思い出すだけ
この前、知り合いが言ってた話です。そいつ、南青山に会社持ってて、家は自由ヶ丘だったかな?奥さんが元モデルで、端から見たら羨ましい限りな生活の奴がいたんです。ところが数年前、些細な事から喧嘩して、奥さんに出ていかれちゃったと。で、折り悪くそれが12月の半ばで、数年ぶりに一人きりのクリスマスイブを迎えたそうです。することも無い、次の日も休み。暇と孤独をもて余してたんですな。
それで夜10時位ですかね、渋谷のツタヤに入って映画の一本でも借りようと思った。で、よく見たら店の奥の方。有るじゃないですか。AVコーナー。結婚してから置く場所も無いし、奥さんも大層綺麗だったし、お金だって特に困ってないんで、いこうと思えば風俗に行く余裕くらいはある。いや、その気になれば奥さん以外とも仲良くなれる機会と力が自分にはある。そう考えると、かれこれ7、8年近くはAVに手を出してないことに気付いたそうです。それで不思議なものでね、もう大して興味も無いのに何故かその時、AVコーナーにフラフラっと入って行ったんですって。そうしたら、まぁそこには当然何人か人が居るわけですよね。スーツ姿のサラリーマン。作業着姿のおじさん。大学生風の青年。それが七、八人ですか。
で、ふと思った。この人たちどんな生活してたら、イブのこんな時間にこんな所ほっつき歩く様になるんだろうと。何て惨めな奴らなんだろうと。いや勿論、その知り合いだって彼らと同じですよ。孤独で、惨めで、寂しい奴だってのは明らかで、本人もそれは分かってはいるんですよ。それに自分だって、昔一人で貧乏してた頃はだいぶお世話になってましたから、何も驚くことはないわけです。そして彼らだってそんなことは分かっている。その上で普段通り借りに来ているだけです。世間の特別な日に、特別な事が何も無いから、普段通り借りに来ているだけなんです。当然みんな今日がクリスマスだと知っているわけで、端から見ると自分が悲惨で、絶望的で、惨めであるということは分かっている。そんなこと承知の了解済みなわけですな。
で、その知り合いは不思議な感覚に襲われた様です。大分変な言い方なんですが“古巣に帰ってきた”って言うんですかね?何かこう故郷の懐かしい場所に帰って来て、再会した古い知人に元気を貰うみたいな。そういうことって有るじゃないですか。きっとそういう感じなんだと思うんです。そういう頭でまた辺りを見ると、年上の汚れた作業服の男性には親近感が湧いてきて、仕事帰りのくたびれたスーツのサラリーマンには同情と敬意すら覚える。年若い学生には来年はもっとましなクリスマスにしろよ、頑張ってくれ、とエールを送りたくなる。そう感じたらしいんですね。不思議なものでそれで彼は満足して、 店を後にしたそうです。
それで今度は外に出ると。渋谷のど真ん中の交差点ですから、そこには大量の車と道を行き交う人々で埋め尽くされてるわけなんですが。で、ふと道路を見ると、Sクラスのベンツが停まってたって言うんですよ。そこに一人女が助手席に乗り込んだ。ドレス姿のその女はまあ、見たところモデルさんっぽかったとか。 迎え入れた運転席の男も男で、車と女に負けず劣らずかなり上等なスーツだったそうです。
そこでさらに知り合いは、なんとまた懐かしい気分に襲われたって言うんですね。私も何のことか、それはどう言うことかと聞いたわけです。そうしたら、会社が軌道に乗り出して、羽振りが良くなった頃に彼が買ったのもまたそんな外車で、それでドライブに誘ったモデルの子、それが今の奥さんだったんです。だから丁度今目の前で起きてること、これを自分も奥さん相手にやってたんだなぁと。それはそれで何とも言えない感慨があったと言います。
「貧乏してたころはさ、AVコーナー漁ってる人間と、ベンツの中で女侍らせてる人間が、同じ人間とは思えなかったのよね。何かもう生き物として違うんじゃないかと。サイボーグ、ロボットの類いというのかな。そんな感じに見えたんだよねぇ。」
彼は冗談でよくそう言ってました。彼自身成り上がりと言っては失礼ですが、おかげで世の中の上も下も知ることの出来た人間の、正直な感想なんでしょうね。最近じゃあ、リア充、非リア充って分け方も有りますが、そんな風に見えるんでしょうか。そう言われてみればあの町も、東と西とで大分感じが違ってましたが、住んでる人もその違いの中で生きているのでしょうか?
まあ、何れにせよ大した話ではないですが。