第6話 崩壊の兆し
ノアの家に招待され、お茶を飲みながら談笑を楽しむ三人。
談笑の内容は主にアレイの旅の話であった。
どこそこの国へ行った。その国では大変だった。とても可愛い子がいた。などなど。旅の内容を面白おかしく話してくれた。
この小さな町しか知らない二人には、アレイの話はとても新鮮だった。
そんな二人に、アレイは得意になって話をする。
一通り話をすると、休憩のためにアレイはお茶を飲んで喉を湿らせる。
「いいなぁアレイは……」
「何がだ?」
「いっぱい冒険できてさ。俺も冒険したい」
そう言ったノアは、年相応に冒険に憧れる男の子のような表情であった。
そんなノアの様子に、アレイは「ははっ」と笑うとこともなげに言う。
「すりゃあいいじゃんか、冒険。なに悩む必要があるんだ?」
「そりゃぁ……」
訊かれ、言葉を濁すノア。しかし、視線はチラリと一瞬カレンを見る。
ノアがカレンを見たのは、ノアがゼムナスとともに王都に行くと言う話になったとき泣きながらノアを引き留めたカレンを思い出したからだ。
カレンに引き留められたから、ノアはここを離れようと思えない。
一瞬のことでカレンは気付いていない。が、この中で一番目ざとい――アレイの場合耳ざといと言った方が正しいが――アレイにはノアがカレンを見たのを見抜かれていた。
「カレンちゃんが大事で離れられないか?」
「なっ!?」
「えっ!?」
アレイがストレートに、かつニヤニヤしながらそう言うと、二人揃って面白いくらいに動揺する。
「そっかぁ~。確かに大切な人を一人ほっぽって旅になんて出られないもんな~」
隠そうともしないにやけ面で言うアレイ。
大切な人と言うフレーズに、カレンが面白いぐらいに赤面する。
「ち、違うよ!」
「そ、そうですよ! わたしたちそんな関係じゃないです!」
「そうだよ! 俺はカレンを妹ぐらいにしか思ってないし、カレンにしたって似たようなものだよ! な、カレン?」
「……」
「カレン?」
「……ええそうね。そうですね。兄妹みたいなものですねー。そうですよねー」
ノアの言葉に、カレンは先ほどの赤面はどこへやら。すっと真顔になると、拗ねたように適当に返す。
「な、なに? なんか怒ってる?」
「べーつーにー?」
「やっぱ怒ってる」
「怒ってないし」
「怒ってる」
「怒ってなーいー!」
二人は「怒ってる」「怒ってない」と問答を繰り返す。
そんな様子を、二人の心情を理解しているアレイは可笑しそうに笑ってみている。
ノアは、カレンを言葉通り妹、もしくは姉のように思っている。つまり、本当に兄妹くらいにしか思っていない。
面白いくらいに狼狽したのは、単にそう言うからかわれ方をされたことが無かったので焦っているのだ。
対してカレンは、ノアをそういうふうに見ている。だから、アレイが大切な人と言ったときに赤面したのだ。否定したのは、単に恥ずかしかったのか、それともノアの口から直接そういうことを聞きたかったのか。カレンのために明言はしないが、つまりはそういうことである。
それに、乙女としては意中の相手の反応も気になるところであろう。そう思って期待していたのだが、ノアはまったくもってそんなことを考えていないようであって、落胆と同時に拗ねてしまったのだろう。
(まったく。こういうところも変わんねぇな……)
くくくっと人の悪い笑みで笑うアレイ。
二人の言い合いは、どちらが兄か姉かと言うところまで方向変換していた。
「わたしの方が姉でしょう? ノアが小さい頃なんてわたしの後引っ付いて来たじゃない」
「それは昔の話だろ? ていうか、誕生日は俺の方が早いんだから、俺の方が兄だろ」
「兄はゼムナスさんだけで十分よ。だからノアは弟でいいの」
「確かに兄さんは頼りになるけど……でも、俺だって妹とか、弟欲しいし」
「そんなこと言ったら私だって妹と弟欲しいわよ」
そんな二人のやり取りがおかしくて、またくくくっと笑う。
しかし、このままでは延々繰り返してまた別の話になってしまいそうなので止めに入る。
「まあ、いんでねぇの? 弟とか妹とかじゃなくて、対等な幼馴染ってことでさ。案外、弟にも妹にも話せないことってあるもんだぜ? 対等だからこそ話せることもあるしな」
「……うん」
「確かに、ね……」
二人とも、納得したように頷く。それを見てアレイも頷く。
「って、その言い方だとアレイにも兄弟がいるような口ぶりだけど?」
「ああ。弟と妹が一人ずつな」
「持っている者の余裕を感じる……」
「ははっ! そんな恋人がいるやつをひがむようなこと言うなよ。まあ、兄弟がいるから知ってるのさ。そう言うことは」
「実体験ってやつか」
「そういうこと」
「なるほどねぇ」
気付けば、カレンは怒りを収めていた。そもそも、話題が変わっていた時点で怒ってはいなかったのだ。
「んまあ、それはさておき、だ。ノアが良ければ俺と一緒に旅をしないか?」
「え?」
突然のアレイの提案に目を丸くするノア。いや、ノアだけでなくカレンも目を丸くしていた。
そんな二人に構わず、アレイは続ける。
「いや、さ。お前と一緒に旅をしたら、楽しいと思うんだよな~。不思議なもんでよ、今日初めて会ったのに他人って感じしねぇし、一緒にいて苦じゃねぇしよ」
それは、ノアも思っていることであった。
なぜか、ノアも、アレイと一緒にいても苦ではない。むしろ、遠慮をしないでいいぶん、楽ですらあった。
アレイとは、気安く話せた。まるで、初めから身内のような感じで。
ノアは、アレイと一緒に旅をする自分を想像してみた。
気安く冗談を言い合い、ともに戦い、時には野宿をし、たまに失敗したりしながらも、馬鹿みたいに騒いだりもする。そんな自分を想像してみた。
「……悪くないかもな……」
「え?」
ノアがポツリと呟くと、カレンは驚いたように声を漏らす。
そんなカレンに、ノアは言う。
「ここにいるだけじゃ、俺は強くなれない。俺は、兄さんみたいな天才じゃない。だから俺は、いっぱい実戦を積んでいかなきゃいけないんだ。そうじゃなきゃ、兄さんに追いつけない」
「ノア……」
「それに、どんな時でも不思議とアレイとならうまくやれるって、そう思うんだ」
ノアのその言葉に、アレイは嬉しそうに口角を上げる。
「嬉しいこと言ってくれるねぇ~」
アレイの言葉にノアは少しだけ照れたようにそっぽを向く。
「ま、事実だしな。それに、俺もそろそろ町を出ようと思ってたから、丁度いいっちゃ丁度いいんだ」
「おっ! それじゃあ俺はグッドタイミングでお前に出会えたわけだ。運がいいねぇ~」
ノアはアレイに向き合うと、気安い笑顔で言う。
「それじゃあ、よろしくな。アレイ」
「おう、よろしくな。ノア」
話はまとまったとばかりに、にしっと子供っぽい笑みを浮かべる二人。
「あ、あの」
そんな二人にカレンが何かを言いかけたとき、タイミング悪くドアが開け放たれる。
「三人とも、ご飯出来たからうちにいらっしゃい」
ドアを開けてそう言ったのはエレンであった。
そして、エレンの声を聞いた瞬間、アレイはテンション高く立ち上がる。
「美しい声音が聞こえる! さぞ美しいご婦人とお見受けする! まあ見えてないけど! して、如何に?」
また、謎のテンションでその様なことをのたまるアレイ。
そんなアレイのテンションとエレンの来訪によってタイミングを逃されたカレンは、少しばかり暗い顔で言葉を引っ込める。
アレイの最後の問いは、ノアに訊いていた。つまるところ、エレンさんは美人かどうかをノアに訊いているのだ。カレンの様子にノアは気付いたが、アレイに話しかけられたのと、問われた内容が内容だったので、そちらを優先させてしまう。
ノアはチラリとエレンを見る。
エレンは楽しそうにニコニコと笑っている。恐らく、ノアの反応を見て楽しもうと言う魂胆なのだろうことは、長年の付き合いで理解できた。
エレンを努めて意識しないようにしながら、頬を少し赤らめてノアは答える。
まあ、頬を赤らめている時点で、照れていることは明白であり、二人には気付かれているのだが、それを気にする余裕もない。
「まあ、美人だよ……」
「ほほう」
「あら。あらあら~」
あらあらまあまあと嬉しそうにしているエレン。
やっぱり言わなければよかったと思うが、もう手遅れである。
「因みに人妻だからな! 手を出すなよ!」
手遅れであるからこそ、やけくそ気味にアレイに言い放つノア。
それが、照れ隠しであることを知っているアレイとエレン。
「うふふ。そう思ってくれてたのね~。嬉しいわ~」
「ノアは素直な子だね~」
「それはもういい! ほら! ご飯出来たんでしょ! 行くよ!」
立ち上がり、アレイをぐいぐい押しながら家から出ていくノア。
「くくくっ。正直に答えるんだなぁ~。エレンさんだから答えたのか?」
「うるさい! ほら早く!」
「照れんなって。分かった分かった。行くよ。あっ、因みに俺は?」
「うるさい不細工! きりきり歩け!」
「んだと! 俺の顔のどこが不細工だ! 言ってみろ!」
「全部!」
「なんだと!」
ぎゃーぎゃーとやかましく出ていく二人。
そんな二人の様子を見て、エレンは嬉しそうに笑う。
「ずいぶんと仲が良いのね。今日初めて会った二人とは思えない」
「そうね」
「妬いてる?」
「妬いてない」
エレンの問いに、カレンは少しだけ不機嫌に答える。
そんなカレンの様子に、エレンは「あら?」と一瞬怪訝な顔をするが、すぐにカレンの中で何かあったのだろうと思い当たる。
しかし、カレンがこうなっているのは大方ノア絡みであることは、母親の勘で分かっていた。
なにがあったのかわからないが、訊いても恐らく何でもないと誤魔化されるだろう。それに、話したくなったらカレンの方から話してくれるだろう。
エレンは、カレンの様子に気付いた様子を見せずに、いつも通りの雰囲気で接する。
「ふふっ。本当に妬いてない?」
「本当よ。何であんなに仲が良いのか、気になるけど……」
不機嫌ながらもきちんと答えるカレン。
エレンは、少しだけ真面目に考えてから言う。
「運命の人なんじゃないの? 恋人的意味じゃなくて、仲間とか、相棒って意味で」
「……そうかも」
妙に納得した表情で頷くカレンに、エレンはふふっと笑みを漏らす。
「ほら、私達も行きましょう」
「……うん」
カレンとエレンも二人の後を追って家に向かう。
その晩の夕食は、いつもより楽しい時間になるとエレンは密かに心を躍らせたのであった。
しかし、楽しい時間には、残念ながらならなかった。
アレイはこの町に来るべきではなかった。来ても、目的を達成してすぐにでも去るべきだったのだ。
郷愁にかられ、感傷に浸り、一時の猶予もないと言うのに留まってしまった。
しかし、もう何もかもが遅かった。
この出来事は不可避で、運命であり、ノアの物語の――いや、二人の物語の起点であるのだから。
ともかく、二人が出会うためには避けられない運命であり、二人が別れるのも避けられない運命であった。
二人の始まりは、二人の終わりから始まったのだ。
○ ○ ○
ノアの町の、すぐ近くの森。
ノアが、アレイと出会った森。
そこに、一人の人物がいた。
人物、と言うのも、その者は全身を黒装束で包みこんでおり、顔も目元しか出ていなかったため、見た目では男か女か分からないのだ。
黒装束の人物は、森の中を悠然と、まるで、この森の主は自分だとでも言いたげな態度で歩く。
しかし、その人物の周囲から何かが迫る。
犬のような見た目だがその体躯も、在り方も、何もかもが違う者。
魔物である。
昼間にノアが倒した者よりも二回りほど大きい魔物。それが、一体だけではない。十数体もの魔物がその人物を包囲していた。包囲の外にも更に十数体。黒装束の人物は、完全に包囲されていた。
しかし、黒装束の人物は微動だにしない。まるで魔物など脅威では無いかのように立ち尽くしている。
魔物達は男を警戒しながらも、じりじりと包囲の輪を狭めていく。
そして、己の攻撃範囲に入ると、一斉に跳びかかる。
しかし、その人物はここまで来ても全く動じない。
魔物が、その人物に噛みつく寸前、黒装束の人物はようやくアクションを見せた。
「……」
ぼそりと、何事かを呟く。
その声はぼそりとしか聞こえなかったが、声質からして男であることは分かった。
男が呟いた瞬間、男を闇が包み込む。
その直後に、魔物が食らいつく。しかし、肉を噛むような音は聞こえてこず、代わりに、金属に噛みついた時のような甲高い音が響いた。
男を包んだ闇が空中に霧散し、夜の闇へと溶けていく。そうすると、男の姿が露出する。男は全身に鎧を纏っていた。
突然の出来事に魔物の動きが硬直する。その硬直が命取りであった。いや、硬直などせずとも、男を包囲した時点で最早命の保証は無かったのだ。包囲したその時点で、すでに男の射程圏内なのだから。
「ギャウッ!?」
甲高い鳴き声を上げながら、魔物が吹き飛ばされる。そして、地面に落下する直前、地面から無数の巨大な針が突き出る。
闇を凝縮したような黒さを持つその針に、魔物達は無残にも突き刺さる。
針に滴る赤黒い血さえも、その闇の前では明るく映った。
そこで、ようやく男が危険な相手であると認識した魔物達は一目散に逃げ惑う。しかし、その行為も意味がない。
先ほども言った通り、包囲した時点でもうすでに男の射程範囲なのだから。
男を中心に闇の針が突き出る。
そして、すべての魔物が絶命する。
男はそうするとようやく歩き始める。その歩調は先ほどと変わらず、まるで何事もなかったかのようであった。
「ようやく、追いついた……」
そこで、男がようやく明瞭に言葉を発した。
その声は、硬く、覚悟がみなぎっていた。
「待っていろ……魔纏狼」