第3話 変な男
「最初から当たりか……」
ノアは程よく緊張感を高め、力み過ぎないように注意しながら軽く拳を握る。
ノアの準備が整ったからと言うわけではないが、ノアの準備が終わったと同時に魔物が跳びかかってくる。
俊敏な動きで跳びかかってきた魔物。しかし、あらかじめ予期していた行動であるのでノアは難なく回避する。
回避すると同時にがら空きになっている横っ腹に数発拳を叩き込む。
「ギャウッ」
衝撃に唸り声を上げる魔物。
そして、辛うじて着地をすると、次の攻撃を警戒しているのか、むやみやたらに飛び込んでくることはしない。
しかし、今度はノアが仕掛ける。
一足跳びで魔物に近づくと顔の側面に向けて掌底を放つ。
「ギャッ!」
まさかすぐに突っ込んでくると思わなかったのか、はたまた想定以上の速度で近づいたからかは定かではないが、掌底がうまく決まり横に吹き飛んでいく。ノアは、飛んで行った魔物に追従し、体を横向きにしてそのまま回転して魔物を地面に叩き付けるようにして蹴りを叩き込む。
魔物は体をくの字に曲げながら、重苦しい音を立てて地面に叩き付けられる。
止めに、そのまま回転しながら首に向けて拳を叩き込み首の骨を折る。
「ガアアァァァァァァァッ…………!!」
断末魔の悲鳴を上げて、魔物は息絶える。
一応、しばらく待ち動かないことを確認すると、死んだのだと確信し残心をとく。
ポーチからロープを取り出すと、四本の脚をひとくくりにして縛り上げ、運びやすいようにする。ついでに、何度かナイフを死体に抜き刺ししたあと、近くの高めの枝にぶら下げて血抜きをする。
「よしっと」
もうこの作業も手慣れたもので、ものの数分で済ませてしまう。
次の獲物を探しに歩き始める。死体は、しばらくすれば血抜きが終わるのでそのまま放置しておく。周囲の肉食動物に食べられてしまうかもしれないが、その時はその時であると割り切っているノア。
別に、食べ物に困っているわけでは無いので、そこまで無理して運ぶ必要もないのだ。
それに、今は一人である。それゆえにあまり重いものを持ち歩いて余計に体力を消耗したくないのだ。
血抜きしている獲物の下にノアが倒したとマークを描いていたので、仲間が見れば勝手に持って行ってくれると言うのもある。
そういうことで、ノアは気兼ねなく次の獲物を探しに行けるのだ。
周囲を警戒しながら歩き、獲物がいないかを探す。
しばらく歩いて探してみるがこれと言って獲物が見つからない。
「間引き……必要なかったかな?」
ノアの村では、間引きは必ず決まった日に行う。なので、魔物が増えていないときに間引きの日が重なるときもあるのだ。
そういう日は、必然的に獲物が少ない。
しかし、ノアの担当場所に魔物が少ししかいないということも考えられるし、魔物が多いのだが隠れているという可能性もあるのだ。
警戒を緩めないようにしていると、茂みをかき分けるような音が聞こえてくる。
瞬時に音のした方を向き、構えを取る。
まだ少し距離があるのか姿は見えない。
(足音から考えると、二足歩行……ゴブリンか? いや、これは……)
この森には、ゴブリンなどの人型の魔物よりも、先ほどの狼のような獣型の魔物の方が多い。
いるとしてもはぐれのゴブリンやコボルドくらいだ。しかし、聞こえてくる足音は小柄なゴブリンやコボルドとは違い、大人の人間ほどの重量を感じさせるものだ。
(まさか、オーク?)
そうであるとしたのならば厄介だ。オークは、ゴブリンやコボルドよりも知能が高いうえに体躯も大きい。十四歳のノアは、その身長はまだ百五十しかない。筋力も身長もノアの方が不利だ。
だが、知恵と地の利はノアにある。どうにか仲間と合流して、一緒に倒すしかない。
(でも、こいつから目を離すのも危険だ……)
オークから目を離してしまえば、そのオークがどこか違う場所に行ってしまうかもしれない。そうなれば、捜索に時間がかかる。なにより、ノアが仲間を呼んできているうちに、他の仲間の元へ行ってしまうかもしれない。
仲間は、間引きに参加できるとはいえ、この森の魔物に勝てる程度の実力しかないものばかりである。
オークは、この森の生態系の頂点よりも上の存在だ。そんな強者との戦いに、この森でしか戦ったことの無い仲間が勝てるとも思えなかった。
ノアは、拳を軽く握りしめ構える。
(やるしかない……!)
オークとなんて戦ったことはない。しかし、ここで戦わないと仲間が危険だ。
そして、なにより、
(戦ってみたい)
ノア自身が戦ってみたいと思っているからだ。
もともと、自分の実力を試すために一人で間引きをすることを許可してもらったのだ。ここで、仲間に頼るようでは意味がない。
(こい!)
眼光を鋭くさせ本気の戦闘モードになる。
いまだ姿を現していない、音のする方を睨み付ける。
心構えができて数秒後、ついに姿を現す。
「うへぇぇぇぇぇ……腹減ったぁ……」
「へ?」
予想外の者が姿を現し、ノアは間抜けな声を上げる。
姿を現したのは、オークでも、ましてやゴブリンなどでもない。普通の人間の男であった。
年のころは二十歳半ばか前半くらいだろう。髪はくすんだ赤色で目の色は黒色。ボロボロのマントに身を包んでいる。ノアのいる村にはいない者であった。
唐突に現れた謎の人物に、ノアは困惑する。
「えっと……」
「腹、へっ……たぁ……」
「え、あ、ちょっと!」
どうしたらいいものかと考え、とりあえず声をかけてみようと思ったノア。しかし、ノアが声をかける前に男はふらりと体を揺らしたかと思うと、ばたりとその場に倒れてしまう。
「腹……へ…………」
同じ言葉を繰り返しているが、だんだんその言葉に力がなくなっていく。
とりあえず、お腹が減ったのであればと、ノアは今朝貰った食べ物をポーチから取り出した。
「食べます?」
しゃがんで男の前に食べ物を差し出すノア。
匂ってきたのか、男は鼻をひくひくさせる。
「たべもぉの!」
男は、変なイントネーションでそう叫ぶと、横たわったまま器用に食料にかじりつく。
ノアの手もろとも。
「ぎゃあっ!」
突然のことに悲鳴をあげてしまうノア。
「タベモーノ! タベモーノ!」
「あげるから! ちゃんとあげるから! 痛い! イタイイタイ!」
「はべもーふぉ! はべぼーふぉ!」
「俺の手を噛みながら喋るな! この、いい加減にしろぉ!!」
ノアは齧られていない左手を握りしめると、男の頭に拳骨を落とす。
「ごふぁっ!」
男は、殴られると、変な声を出して止まる。
しかし、声を出すと同時に口の中に入っていた物をノアに飛ばす。それは、ノアの服にしっかりとかかる。
ノアは額に青筋を浮かべながら空に吠えた。
「なんなんだよこいつはぁぁぁぁぁぁ!!」
「いや~助かった~。ありがとな。危うく死ぬところだったわ」
ノアから食料を貰い、腹も膨れて復活した男は、快活に笑うと礼を言う。
男の対面に座り、ぶすっと不機嫌そうな顔をしてそっぽを向くノア。
「別に……いいけど……」
「そっかそっか。それじゃあ悪いんだけど……」
男がそう言うと、男の腹からぐうぅっと盛大に腹の虫が鳴く。
「もっとくれない?」
図々しい男に、ノアは額に先ほどより大きな青筋を浮かべてポーチに入っている食料を投げつける。
男はそれを器用に右手でつかみ取る。
「ありがと」
ノアの態度をさして気にした様子もなく、それどころか嬉しそうにお礼を言い、パクパクと美味しそうに食べる。
因みに、今男が食べているものもは今朝貰ったものだ。ノアのお昼ご飯はちゃんと確保している。
「それで、あんた、こんなところで何してたんだ?」
若干刺々しい声音でノアが問いかけるのもいたしかたないことだろう。
しかし、男はそんなノアの声にも物怖じせず、すらすらと答える。
「いや~、人捜ししてて迷っちまってさ~。ほんっと大変だったわ~」
「ふ~ん」
「訊いといて興味なさげだな」
気の無い返事をするノアに、男がつっこむ。
「なんでここにいるのか知りたかっただけだし。第一、人の手をガジガジするやつのことなんて興味ないし」
じとっとした目を男に向けるノア。男に噛まれた手をさすりさすりとさすっている。手にはくっきりと歯形がついていた。
「わ、悪かったって。オレも必死だったのよ~生きるか死ぬかの瀬戸際で!」
「ちっ、そのままくたばってればいいものを……」
「お前、顔のわりに口悪いな……それに、助けたのお前だってこと忘れてない?」
「そんな記憶はございません」
「どこぞの政治家みたいなやつだな……」
「ふん」
口は悪いが、一応聞けば返してくれるノアを、男は悪いやつだとは思わなかった。
もとより、行き倒れに食べ物を与えること自体優しい人間しかするはずがない。まあ、なにか見返りを求めて善行を働くものもいるが、ノアはその類ではない。
何かを要求してくる素振りもないので、それは確かだと思った。
ノアも、口悪く言っているが、一時のものだ。機嫌が直れば普通に返してくれるようになる。
「てか、ガジガジって表現可愛いな」
「っ!」
ノアは男にそう言われると、恥ずかしそうに顔を赤らめてから、顔を反らす。
「うるさいっ! 別に、その……口が滑っただけだ!」
ノアはよく、ガジガジや、ぺこぺこといった表現を使ってしまう。子供っぽいので、カレンたちの前では使わないように気を付けているのだが、たまに気を抜くと出てしまうのだ。
しかし、ノアは気付いていないのだが、カレンたちの前でもしばしば使ってしまっている。それを指摘してしまうと、ノアがさらに注意してその言葉遣いを本格的に直してしまうので、カレンたちは言わないようにしている。
ノアは、凛々しい顔立ちの兄ゼムナスに比べて、可愛らしいと言った方が適切な顔立ちをしている。
そのため、その言葉遣いが似合ってしまっているのだ。
現に、村の女性の多くはノアのその言葉遣いに母性本能をくすぐられている。村の男たちの間では、ノアは陰で年上キラーと呼ばれていたりもする。
そんな村の女性が今の男のつっこみを聞いたら、余計なことをと睨み付けられていただろうが、今は二人だけしかいないのでその心配もない。
若干命拾いした男。しかし、そんなことを男は知るよしもない。
「ははっ、別に恥ずかしがることねえと思うけどな~。まぁ、いっか」
「良くないし……」
ノアの憧れはゼムナスだ。
ノアから見たゼムナスは、凛々しくてかっこいい。そんなゼムナスはガジガジなど可愛い言葉遣いを使わない。
口調は丁寧で、物腰も柔らかい。しかし、凛とした強さも兼ね備えている。そんな、大人っぽいと思えるゼムナスは絶対に可愛らしい言葉など使わないのだ。
(絶対にこの癖直してやる……)
男に指摘され、決意を新たにしたノア。
この日、村の女性は謎の危機感を覚えたそうだが、その危機感が何なのかは分からなかった。ただ、ノアに関することだということを直感できたのは、愛ゆえにだろう