第10話 オーグル討伐3
絶体絶命。まさに窮地に陥った時に使う言葉だ。けれど、その窮地を覆せない道理は無い。どうあっても逃げられない危機ならば、立ち向かって覆せばいい。それでも勝てないのであれば、逃げて逃げて抗い続けて、勝てるようになったら挑めばいい。勝てるようになるまで、追いつかれずに逃げればいい。
けど、今のレイジにそんな余裕は無い。それに、逃げることもできない。
一人逃げることは簡単だ。背を向けて走って、クラウ・ソラスを全力で解放してしまえばいい。敵も殺せて逃げられる。一石二鳥だ。なに、少しだけ森を失うくらいだ。それくらいなら許してくれるさ。
「……なんて思えたら、どれだけ楽だろう、な!!」
脳内で考えた言い訳を否定の声を出すことで一蹴し、迫りくるオークを斬り捨てる。
そう、そんな言い訳を自分にできたらどれだけ楽であったか。
困っている人を放っておけない。それが子供であれば尚更だ。だからこそ、レイジは魔物ひしめく夜の森に子供がいると聞いて居ても立っても居られなくなってしまったのだ。
そんなレイジが、自分が逃げ出すための言い訳をつらつら並べてこの場から逃げ出すなんてこと、出来るはずがないのだ。
「おらどうした!! かかってこいやぁ!!」
かかってこいと言いながら、自分から攻めていくレイジ。
脇腹の痛みは消えていない。むしろ、激しく動くたびに主張を増していく。けれど、レイジに止まる気は毛頭ない。
(ノアが、任せたって言ったんだよ)
その言葉に、レイジは任せろと答えた。
(任されたんだよ、俺は)
ノアがレイジに言ったのだ。纏鎧士が聖剣使いに言ったのではない。友として、頼れる相棒として、任せたと言ったのだ。
「じゃあ、こんなところで退けねぇよな!!」
友として、相棒として、任されたのなら退くことはできない。いや、絶対にしない。
咆えながら、オークを斬り捨て続ける。
しかし、猛る想いと引き換えに、段々と身体の方がいうことをきかなくなっていく。
失血によって身体に影響が出るには出血量があまりにも少なすぎる。体力的にもまだまだ余力はあった。では何故身体が言うことをきかないのか。
考えられる可能性は二つ。
一つは、魔法による行動力の低下。相手に魔法使いがいて、その魔法使いが相手の身体に影響を及ぼす魔法を使っている場合だ。しかし、これはありえないと言っても良い。オークに魔法は使えないし、魔法発動の兆候がどこにも感じ取れないからだ。
であれば、必然的にもう一つの可能性が答えであろう。
「毒、か……!」
先ほど脇腹に刺さった矢じりに毒が仕込まれていたのだろう。
本来であれば、毒が仕込まれていたと分かれば焦ることだろう。けれど、レイジは焦らない。なにせ、対処ができるのだから。
「ハッ! 生憎様、俺に毒の類は効かねぇんだよ! 癒せ、クラウ・ソラス!!」
クラウ・ソラスにそう命じれば、白い炎がレイジの脇腹の傷まで伸びて行きその傷口を焼いていく。
しかし、焼かれる音が聞こえてくるのに、レイジは顔を歪めることも無く、それどころか先ほどよりも明らかに顔色が良くなっていた。
レイジにダメージが無いのも、レイジの顔色が良くなったのも、どちらもクラウ・ソラスの能力である。
聖剣クラウ・ソラスの白い炎は浄化の炎。悪しきモノを浄化するための清廉なる炎だ。その炎がレイジの身体では無く、毒のみを燃やしているのでレイジに痛みは無いし、レイジの顔色も良くなっていったのだ。
「ほら、来いよ! |浄化(燃や)されてぇやつからかかってきやがれ!」
ニヤリと獰猛に笑うレイジ。そのレイジの笑みが見せる迫力に、オークたちは知らず後ずさりをする。
一人の新米聖剣使いが、多勢に無勢のこの戦況を支配していた。
○○ ○
オーグルはこれで終わったと思った。
手応えはあった。いくつか当たっていないものもあったけれど、それでも多くがノアに直撃した。今まで多くの命を奪って来た魔法だ。その威力や性質は良く理解している。
だからこそ、最高出力で放った『汚泥ノ弾』をくらったノアが生きている可能性は限りなく低い。
『汚泥ノ弾』でいくつもの敵を殺してきた。愛用の棍棒で幾人もの人を潰してきた。幾人幾体もの人や獣、魔物を殺してきた。
殺して殺して殺して、奪って奪って奪った。
悪逆非道で残虐の限りを尽くしてきた。それが|オーグル(我が種族)の生き方だ。手下のオークもその性質を受け継いでいる。だからこそ、彼らは一緒にいる。目的が同じだからこそ隣に並んでいる。
今回も同じだ。森に拠点を作り、村や街を襲い奪い尽くす。数を増やし、今度こそあの憎き輩を打倒し、その全てを手中に収める。
今回は分が悪くて逃げ出したが、次はそうはいかない。数を増やし、武器も整えれば恐れるに足らない。数で押せば、勝利は揺るがない。
その準備を進めるためにはこの森は必要不可欠なのだ。ここで失うわけにはいかない。
早く戻ってオークの手助けをしなければいけない。オークは自分よりも強くはないけれど、それでも大切な戦力ではあるのだから。
『……オワッタ』
勝負は着いた。そう確信したオーグルは未だもうもうと土煙を上げている前方から完全に興味を無くし、鈍重な身を翻してその場を去ろうとする。
『――ッ!!』
が、とてつもない威圧感が背後から襲い掛かり、反射的にその場から跳び退り距離を取る。
鈍重なオーグルが、人生で初めて俊敏な動きをした。それほどまでに、その威圧感は本能を刺激し、あまりの恐怖に身体が本能的な反射をしてしまうくらいのものであった。
『まだ、終わってないぞ』
鎧越しのくぐもった声が聞こえる。
『そんな泥団子当てたぐらいで、もう勝ったつもりか?』
土煙が段々と晴れていく。
嘘だ。そう言いたいのに、言葉が出てこない。まるで、巨大な狼に喉元を銜えられているような、そんな圧迫感がオーグルに声を出させることを許さない。
ドンッと力強く地面が蹴りつけられ、土煙が衝撃派にまき散らされる。
土煙が晴れたそこには、灼眼の黒狼が禍々しい闇を全身に纏って立っていた。
(まったく、大口を叩くでない! 誰のお陰で助かったと思うとるのじゃ!)
威圧感を放ちながら立っている灼眼の黒狼――ノアであったが、その心中では絶賛お叱りを受けていた。
(油断しおってからに! こんな雑魚相手に後れを取るなど、ぬしはわしの使い手としての自覚があるのか?)
(め、面目ない……)
ぷんすこと怒る謎の声。謎の、とは言うけれど、ノアはこの声を聞いたことがあるし、この声が一体誰なのかあたりをつけてもいる。
魔纏狼を始めて使ったあの日にも聞いたことのある声は、魔纏狼の使い方を知っているようであった。それはつまり――
(なんのためにわしが力を貸していると思うとるのだ、まったく)
――この声の主が、魔纏狼だということだ。
(ごめんよ、魔纏狼。でも、俺この力の使い方、まだ良く分かんなくて……)
(ふん、分かる必要などない。言うたじゃろ、わしの力は喰らう力じゃ。喰らう、それすなわち生き物の本質じゃ。本質とは感情、何も考えずに吐き出される自然な想いじゃ)
(ごめん魔纏狼。もっと簡単にお願い)
(これだから学びの無い坊主は! 言葉遊びもろくにできんのか! まったく、ちっとはあやつを見習えばいいと言うのに……)
最近の若い者はとぶつぶつと文句を垂れ始める魔纏狼。
そんな魔纏狼に、どうしようかと考えながらも、ノアは目の前の敵から目を逸らさない。
(魔纏狼、話しは後で聞くから手短に頼むよ)
(後もなにも無いわい! わしはしばらく表には出て来れんわい!)
(え、なんで?)
(わしは今まで何も食わずにアレイに力を貸しとったのじゃ。それに加えてこの間の戦いで力の殆どを使い切ったのだ。今出せている力はわしの絞りカスにすぎん)
(し、絞りカス……)
絞りカスだけでも相当な力を有している魔纏狼に、ノアは頼もしさと同時に畏怖の念も覚える。
(こうしてぬしと話をしているのも、わしとしては無理をしている方なのだ。まったく、ぬしがもっとしっかりしておれば、こんな無理をせずとも良い物を……)
(それは、ごめん……俺、まだ未熟だから……)
(分かっとるわい! わしが愚痴を言いたかっただけじゃわい! いちいち謝らんでもよい鬱陶しい!)
ノアが謝れば逆に怒って怒声を浴びせる魔纏狼。気難しいおじいちゃんみたいだなと思いながらも、魔纏狼の言葉に荒さはあれど苛立ちや嫌悪感が含まれていないことに気付く。
恐らくはこれが魔纏狼の素なのだろう。小うるさく言うけれど、ノアを心配しているのは伝わってくるのだから。
(前にも言ったがわしの力は喰らう力じゃ。と言っても、これは力の形にすぎん。もっとも本質的な力の根源は、強く想う事じゃ)
(強く、想う……)
(そうじゃ。強く想うのじゃ。それが我が力の根源じゃ。何を想っても良い。その想いが力の発露につながるのだからの)
(想い……)
(考えている暇は無いぞ。ほれ、来るぞ)
ノアが考え始めようとしたとき、オーグルがようやっと動き始めた。
魔纏狼と話し始めることで威圧感が緩んでしまい、オーグルに我に返る時間を与えてしまったのだ。
魔纏狼の言葉を聞いて意識を戻してみれば、オーグルが棍棒を振り上げて迫っていた。
『げっ……!』
(驚いている暇など無いぞ。そら、きりきり動かんか)
魔纏狼に言われるまでも無く、ノアは戦闘に集中する。
オーグルによって振り下ろされた棍棒を避ける――――ことはしない。
『はぁッ!!』
真正面から迎え撃つ。
短く拳を引くと、タメを作らずに即座に放つ。
ノアの拳と激突した棍棒は、数瞬の拮抗もすることなくひしゃげ、オーグルの手を離れて空中へと投げ出される。
『ガッ!?』
棍棒を伝って衝撃が走る。
驚愕のあまり、目を見開いて動揺した声を上げる。
大した威力が出ないような動作であったのに、自分が一瞬の拮抗もできずに押し負けた。その事実がオーグルの頭の中を駆け巡り、正常な思考の邪魔をする。
そして、そんな隙をノアが見逃すはずもない。
『悪いけど、相棒が待ってんだ』
闇を拳に纏い今度は目一杯引き絞る。もう一方の手をオーグルに向け、逃げられないようにその身体に爪を立てて鷲掴む。
『手早く済ませるぞ』
オーグルはようやく自分のピンチに気付いたけれど、もう遅い。
ノアの鋭利な詰めの付いた手はオーグルを離すことなく、その身体に深く食い込まれている。
オーグルが慌ててノアから離れようと、殴る蹴るの抵抗を試みるも、ノアに傷一つ付かない。それどころか痛痒すら与えられていない。
『もうその程度じゃ喰らわないよ』
魔纏狼は想いが力になると言った。
だからノアは想ったのだ。自分の役目を、大切な人の事を、自分が今何をしたいかを。
『俺はレージに任せたって言ったんだ。そんな俺が、こんなところでくたばってるわけにはいかないんだよ』
まだ倒れない。まだ退けない。まだ死ねない。
守るために戦うのだ。だから、他の誰が倒れても、自分だけは最後まで立っていなくてはいけない。
『それに、カレンが待ってるんだ。だから――――』
オーグルを掴んだ手を思いきり引く。
『――――とっとと、終わりやがれ!!』
オーグルの身体を引き、目の前に迫ったオーグルの醜い顔。その顔にある両の目が驚愕と恐怖の色を見せながらノアを見る。
『自業自得だ。あの世できっちり反省してこい』
オーグルの顔に闇を纏った拳を叩き込む。
骨を折り、肉を無理矢理引き裂く嫌な感触が手に伝わる。けれど、それも一瞬のことで、オーグルの頭が引き千切れ、胴体から急速に離れて行く。
木々にぶつかりながら、オーグルの頭が遠くへと飛んでいく。
オーグルの頭が飛んでいった数瞬後、残された胴体の傷口から間欠泉のごとく血が噴き出る。
その血を一身に浴びながら、ノアは掴んでいたオーグルの身体を手放す。
『はぁ……辛勝、かな?』
(で、あろうな。わしの力をもっとうまくつこうとったら、あんなやつわんぱんじゃわんぱん)
『わんぱん?』
(かーっ! これだから学びの無い坊主は! 一撃で倒せることの意じゃよ! まったく、少しは勉強せんか!)
『ご、ごめんなさい……』
なぜだか勉強をしろと怒られてしまったノア。釈然としないながらも、素直に謝る。
(まあよい。……先も言ったがの、わしはしばらく出て来れん。今日のような助言はもうしばらく出来ないじゃろう)
『しばらくって、いつまで?』
(知らんわ! とりあえず何でもいいから鎧に食わせるんじゃ! そうすればわしが目覚めるのも早まるわい!)
知らんと言いながらも、丁寧に説明をしてくれる魔纏狼。やはり、言葉は荒いが悪い奴ではなさそうだ。
(魔纏狼はぬしの想いに呼応するが、今は万全ではない。いいか! 魔纏狼の力は本来こんなものでは無い! 力の残りカスでも、主の想いが強ければ強いほど力を底上げしてくれるんじゃ! 努々、それを忘れるでないぞ!)
『あ、うん。わかった』
(締まりのない返事じゃなぁ……まあよい。それでは、しばしのわかれじゃ。具体的には、おやすみぃ……ぐぅ……)
そう言って、魔纏狼は眠りに着いた。
姿が見えたりはしないけれど、ノアにはそれが分かった。
『想いが強さになる、か……』
見た目の禍々しさと違い、なんて素晴らしい力の根源なのだろうと思うノア。
『って、まったりしてる時間は無い! レージのところに行かないと!』
ノアはレイジが戦っているのを思い出すと、レイジの匂いのする方へ走り出した。




