第4話 黄昏時
ノアとレイジは、騒ぎのする方に向けて全速力で走る。
ノアが先頭を切り、その後ろをレイジが追う。ノアの全速力は、小さい頃からゼムナスを真似て駆け回っているので、鍛えられている。そのため、その速度は冒険者をしている大人よりもはるかに速い。
ちらりと、後ろを走るレイジを見やる。
レイジは、ノアの全速力にちゃんとついてきている。多少、呼吸に乱れはあれど、この後すぐに戦闘になっても支障にならない程度だ。
(レージ、案外強いのか……?)
ノアも、並みの者では着いてこられない速さで走っていることは自覚している。その速度に、レイジが付いてこれているとなれば、レイジも相当鍛えているだろうことの証左であろう。
レイジへの評価を上方修正しつつ、ノアはひた走る。
一方、レイジはと言えば、ノアの走る速度の速さに舌を巻いていた。
(どんっだけ速ぇんだよこいつ! 頑張って走ってるけど、一向に追いつける気がしないんだが!?)
空から落ちてくる自分を助けてくれたと言う時点で、それなりにできる奴だとは思っていたのだが……。
(まさか、その身一つで俺を助けたわけじゃないよな? いや、けど……)
レイジは、ノア達は自分を魔法を使って助けてくれたとのだと思っていた。けれど、ノアのその身のこなしを見て、そうではないのかもしれないと思い始める。
(動きに無駄がねぇ……!)
ノアの走りには、無駄な部分が削られていた。流石に、完ぺきとは言いがたいが、それでもその動きは洗練されており、素人が見ても綺麗な走り方だと言わせるほどには、無駄が無かった。
(こいつ、いったい何者なんだ?)
レイジの中で、ノアに対する疑問が生まれる。が、その疑問をすぐに頭の隅に押しやる。
(まあ、助けてくれたんだから、良いやつなんだろ。それより、今はさっきの声の方が重要だ)
レイジは、意識を完全に先ほどの声の方に向けると、ノアに振り切られないように全力で駆けた。
喧騒が大きくなっていき、騒ぎの原因である場所が近くだと確信する。
そして、ようやくその場所が見えてくる。
そこには、人だかりができており、その人だかりの中心に泣きじゃくる女性の姿が見える。
二人は、すぐさまその人だかりに駆け寄る。
「なあ、おっちゃん。なにかあったのか?」
駆け寄ると、すぐさまレイジが近くにいた男に訊ねる。
訊ねられた男は、険しい顔をして答える。
「ああ。あの人の子供が、近くの森に行ってから帰ってきていないそうなんだ」
「はあ!? んじゃあ、悠長にしてる場合じゃねぇだろ! 誰か捜しに行ったのかよ!?」
「行ってねぇし、行けるわけねぇだろ」
「なんで!」
「そろそろ、夜になっちまう。夜の森は危険すぎる。もう捜索はできねぇんだ」
「――っ! そんな!」
男の言った言葉に、レイジは酷く強張った顔をする。歯を食いしばり、何かを耐えるようなそんな顔をする。
そんなレイジに言葉をかけることなく、ノアは男に問いかける。
「ねえ、夜の森ってそんなに危険なの?」
「あ? 当たり前じゃねぇか。この街の近くの森には、夜行性の魔物がうようよいるんだ。それも、魔物のランクは最低でもDはある。最高でBランクだ。それに加えて夜になりゃ当たり前だが周囲は暗い。月明りも、森の木々が邪魔してろくに差さねぇ。あんな森、ベテランの冒険者でも夜には行かねぇよ」
「なるほど……」
魔物のランクは、FからSまである。その一つのランクもさらに分類されるのだが、今はそれは置いておこう。
つまり、中堅冒険者クラスの魔物から、上級冒険者クラスの魔物がその森には生息しているということに他ならない。
この街にいるのは、ノア達のような冒険者になりに行く者達や、なったばかりの初級冒険者ばかりだ。だからこそ、こんな辺境の街では夜にその森に向かうのが無理なのだ。行っても無駄死にするだけだから。
「確かに、夜に行くのは危険かも……」
「けど……けどよ! このまま見捨てんのかよ!」
男の言葉を肯定して納得しているノアに、レイジが食ってかかる。
そんなレイジの態度に苛立ったのか、声をかけられた男が眉間にしわを寄せながら吐き捨てるように言い放つ。
「だったら、お前さんが行けばいいだろうが。誰かに頼らないで、自分でよ。口だけじゃ、皆何とでも言えるんだよ」
「あぁ!? 最初から諦めてる腰抜けにそんなこと言われる筋合いはねぇぞ!?」
「なんだと!? さっきからこっちが親切に教えてやってるってのに、なんなんだその態度はよぉ!!」
男がレイジの胸ぐらを掴み、レイジも掴み返す。
「止めなよレージ! おじさんも、落ち着いて! 俺達が喧嘩してる場合じゃないだろ!」
ノアがすぐさま止めに入るも、二人は頭に血が昇ってるのかノアの言うことを聞かない。
周囲も、二人の怒声に気付いたのか、二人の方を見ている。
「子供が危険な目にあってるんだ! それを助けに行くのが大人の役目ってもんだろうが!」
「大人にだって出来ないことがあるんだよ! それに、今から助けに行っても間に合わねぇ! 今の時間帯から魔物どもが活動し始めるんだ! 今から俺たちが行ったところで、魔物のエサが増えるだけだ!」
「そんなの行ってみなくちゃ分んねぇだろうがよ! 行きもしないで勝手に殺すんじゃねょ!」
「ああ!? もう間に合わねぇに決まってんだろうが! 今から行っても、森に着いた頃にはもう夜だ! その頃にゃあ魔物どもの朝食になってるだろうよ!」
「見つからずに生き残って、助けを待ってるかもしれねぇだろうが! 生きてる可能性がある以上、捜しに行く価値は十分にあるだろうが!」
「そう言うなら、てめぇで行って来いってんだよ!! 口ばっか達者で、何もしちゃいねぇじゃねぇかよ!!」
「ああ行ってやるよ! 上等だ! 俺が子供を助け出したら、お前には子供に謝ってもらうからな!!」
そう言い捨てたレイジは、掴んでいた手を乱暴に離し、男を押しのけて歩き出す。
本当に、子供を捜しに森にまで行くつもりなのだろう。
「待ってよレージ! ちょっと落ち着きなよ!」
歩き出すレイジの肩を掴んで、引き留めるノア。
「うるせぇ! 邪魔すんな!」
それをレイジは、乱暴に振り払おうとする。
が、振り払おうと手を振り上げた次の瞬間、振り上げた手首を掴まれ勢いよく引っ張られる。元々掴まれていた方は逆に押され、片足は払われ、レイジはあっという間に地面に組み伏せられた。
腕を捻られながら伸ばされ、肩を抑えられているので腕を自由にすることもできずに、抵抗もできないまま地面に押し付けられる。
一瞬の出来事で、何が起きたのか分からなかった。それほどまでに、ノアは鮮やかにレイジを組み伏せたのだ。
「落ち着きなって。レージが森に行って、一体何ができるの?」
冷静な声でノアはレイジに言う。
そんな落ち着き払ったノアの態度も癇に障って、レイジは声を荒げる。
「できる出来ねぇじゃねぇ! 行かなきゃなんねぇんだよ! 子供が危険な目に合ってて、助けを求めてるんだ! 俺が行く理由には十分だろうがよ!」
「この街に住んでるのなら、その森の恐ろしさも危険性も知っていたはず。それを教えきれなかった親の教育不足だし、子供を御せなかった監督不行き届きだよ。それに、こんな時間まで危険な森にいる、子供自業自得でもある」
「あ、あの! 子供は、子供は悪くないんです! わたしが……わたしのためなんです!」
ノアの言った言葉に、今まで泣きじゃくっていた女性がそう言ってくる。
「あの子は、わたしの病気が治るようにと、薬草を取ってこようとしていたんです! だから、わたしの……わたしのせいなんです……!」
言っているうちに、自分の不甲斐なさに泣けてきたのか、またもや涙を流す母親。
その涙をが、レイジの記憶の中の映像と重なる。
「退け、ノア……」
「退けない。レージが落ち着くまで、退くつもりは無い」
「いい、から……退けッ!!」
レイジが叫んだ次の瞬間、レイジの中で魔素が膨れ上がる。そして、その魔素が掴まれた腕に集約する。
「ブースト・アームズ!」
レイジが魔法を唱えると、急激にレイジの膂力が増幅する。膂力の増幅した腕を前に向かって思いきり振る。そして、軽々とノアを前方へと放り投げる。
投げられた当の本人は、冷静に空中で体勢を整えて綺麗に着地する。
ノアが空中にいる間に、レイジも立ち上がっている。
「わりぃ、ノア。けど、俺は行く。こうしてる間にも、間に合わない事態になってるかもしれねぇんだ。助けられないなんて、そんなの……許容できねぇ」
そう言って、歩き出すレイジ。
そんなレイジに、ノアは冷静な表情で問いかける。
「もう一度訊くけど、レージが行ってなんになるの? レージ、森の歩き方知ってる? 森で迷わない方法は? 森での戦い方は? 森で隠れる方法は? ねえレージ、知ってるの?」
ノアの問いに、レイジは、今度は激昂することなく落ち着いて答える。
「知らねえ。何一つ知らねぇよ。俺は生まれも育ちも都会なんだ。森なんて数えるほどしか入ったことねぇ」
「じゃあ、なんで行くの?」
「助けを待つ人がいるんだ。俺が動く理由には、十分だ。二度も言わせんな」
「そう」
レイジの言葉を聞くと、ノアはそれまでの冷静な顔を崩し、嬉しそうに顔を綻ばせる。
「分かった。そこまで言うなら止めないよ」
「おう。わりぃな」
「いいって。それじゃ、行こうか」
「おう。…………ん?」
自然と返事を返したが、何かが可笑しいと気づき声を上げるレイジ。そして、おかしなことに気付くと、慌ててノアに問いただす。
「ちょ、ちょっと待て! 行こうかって、お前も行くのか!?」
「え? そうだけど?」
レイジの問いに、きょとんとした顔で言うノア。
そんなノアに、レイジは思わず声を荒げてしまう。
「聞いてねぇよ!? え、なに。もしかして最初から行くつもりだった!?」
「そうだけど……あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてねぇよぉ――!!」
思わず叫び声を上げてしまうレイジ。
ノアとしては最初から行くつもりだったのだが、レイジが熱くなって周りが見えなくなっていたので、冷静になるために色々問うてみたのだ。
それに、レイジがただ正義感に駆られただけでそう言っているのであったら、止めなくてはいけないと思ったからだ。
しかし、決して正義感だけで行動しようとしているわけでは無いのは、レイジの目を見て分かった。それは、ある種エゴで、レイジの決意で、生き方なのだ。であれば、ノアに止める資格は無い。
だから、一緒に連れて行くのを許容したのだ。
しかし、それはノアの脳内で決定したこと。もちろん、レイジがノアの脳内を知ることはできないので、知るよしもないこと。
最初から行くつもりであったことも、もちろん言っていない。
「え、なに? それじゃあ、なんで俺を止めたわけ?」
「それは、だってレージ冷静じゃなかったし。そんな状態で連れてっても、正直足手まとい以外の何者でも無いし」
「う、ぐっ……それは、すまん」
ノアの言葉に、レイジは素直に謝る。
確かに、自分は冷静では無かった。そこは認めところである。
そう考えれば、なるほど、ノアの行動の理由も見えてくる。
「はぁ……俺が冷静になるまで待ってくれたのね……」
「そうそう」
「わりぃ……」
「良いって。それより、時間が――」
「やっと追いついた!!」
惜しいから、早くいこうと言おうとしたところで、声が重ねられる。
その声の方を見れば、息を切らしてノアとレイジを睨み付けるカレンが居た。
二人は、同時に思う。
((あ、やばい……))
二人とも、カレンのことをすっかり忘れていた。そこをみれば、ノアも大概冷静じゃなかったのだろう。
「か、カレ――」
「もう! ワタシを置いて行かないでよ! ワタシ、あなたたちみたいに足が速いわけでも無ければ、体力があるわけでも無いんだからね!?」
弁解の余地もなく、カレンが詰め寄り文句を言ってくる。いや、文句と言うよりは正当な抗議であろう。
「ご、ごめん。そ、それよりも! ちょっと今時間無いから、お説教は後でお願い!」
「時間が無い?」
ノアの言った言葉を反復し、カレンは周りを見る。突然乱入してきたカレンは、自然と注目を浴びていたが、カレンはそんなことを気にしてはいなかった。
周囲を見て状況を確認する。
「ノア、何しに行くの?」
「え、ええっと……」
「簡潔に!」
「はい! 子供が魔物がいっぱいいる森に居て――」
「簡潔にって言ったよね?」
「森に子供を助けに行ってきます!!」
「分かった。後ろ向いて」
「は、はい!」
カレンに言われるがまま後ろを向き、カレンに背中を向ける。
「いってらっしゃい!!」
直後、バシィン! と乾いた音が響き渡る。
「いいったぁ!?」
全く予期していなかった衝撃に、ノアは思わず声を上げてしまう。音で分かると思うがカレンに平手打ちを喰らったのだ。
背中を擦るノア。そんなノアの背中にカレンは張り付き、耳元に口を寄せて、止めの一言。
「死んだら、ワタシも死ぬから」
その一言だけ言うと、カレンはノアの背中から離れる。
その一言を貰い、ノアは思わず頬を緩める。そんなにまで、カレンが自分を案じてくれて、発破をかけてくれるのが嬉しいのだ。
実際には発破では無く、カレンの本心なのだが、鈍いノアは気付いていない。
「大丈夫、死なないよ」
「うん。信じてる」
ノアの顔を見て、伝わっていないなと見抜き、苦笑いを浮かべるカレン。けれど、それを悟らせることなく、笑顔を取り繕う。気持ちだけ、苦笑いだ。
「ちょ、ちょっと待て! 子供たちだけで森に行くなんて危険だ! 止めるんだ!」
今まで呆然と見ていた優しげな老人がそう言ってくる。
そんな老人に、カレンはあっけからんと答える。
「大丈夫です。ノアにとって、森は庭みたいなものですから」
「し、しかしだね」
「ノア、時間内なら早くする。もうすぐ日が暮れるよ?」
老人の言葉を聞くことなく、ノアにそう言うカレン。
「そうだった! おいノア! 急ぐぞ!」
「うん! おじさん! 森の方向と距離は?」
ノアが、近くにいた男に問いかける。男は、戸惑いながらも答える。
「も、門を出てまっすぐ行けば着く。時間は、今から人の脚で走っていっても、着くころには日が暮れてる……」
「――ッ!! ノア、急ぐぞ!!」
「分かってる!」
答えるも、人の脚で日暮れに間に合わないのであれば、助けるのもギリギリになってしまう。もしかしたら、助けられないかもしれない。
「出し惜しみはしてられないか!」
「ノア、急げ!」
「レージ待って!」
「なんだよ!」
駆け出しそうになるレイジを止める。
「今から、全速力で走るから、ちゃんと掴まっててね?」
「は? 何言って」
いるんだ、と続けようとしたが、続けられなかった。
「魔纏狼ぉぉぉぉおおおおッ!!」
直後、ノアの全身を闇が覆い尽くす。そして、一瞬で闇が晴れれば、そこにいたのは一人の漆黒の狼。
その姿に、レイジは驚いている間も無く、物理的に衝撃を受ける。
『ごめんレージ! 担ぐよ!』
「おま、ちょ! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!!??」
文句も、問いかけもする間も無く、もの凄い風圧を受け、叫ぶしかないレイジ。叫び声は、情けなく黄昏の空にこだました。




