第2話 旅は道連れ
「いやあ~助かった! ありがとな!」
少年は目を覚まし、状況を理解すると開口一番に軽い調子でそう言った。
そんな、下手したら死ぬ寸前であった少年の軽い調子の謝罪に、二人は顔を見合わせる。
「え、えっと。随分と軽いね?」
言外に、「君死にそうになってたんだけど?」といったニュアンスを含ませたのだが、少年はノアの言葉に対して、またしても明るい声で応える。
「ああ、いやまあなんつうか、助かったし良いかなぁってさ。ほら、結果良ければすべてよし? みたいな」
そう言って少年はなははと明るく笑う。
「あ、もしかして、気に障ったか? そうだよな、助けてくれたんだもんな」
そう言うと少年は、足を折りたたんで座り、膝の少し前に両手をついて頭を下げた。
「ありがとう。君たちのおかげで助かった。今はこれくらいしかできないが、お礼はまた改めて、必ず」
「え、あ、あぁ。うん。いや、別に平気だけど……」
「え、ええ。こっちも、怪我とかしてないし……」
先ほどの明るい雰囲気から打って変わって真剣な態度に、面食らってしまう二人。
そんな二人の応えに、少年は勢いよく頭を上げると、嬉しそうにはにかんだ。
「そっか! でも、本当にありがとな! 俺まだ死ぬわけにはいかなくってさ! いやぁ、本当に助かったよ!」
少年は、先ほどの座り方のまま後頭部を掻く。
そんな少年のテンションの差が激しいことも気にはなるが、それよりもさらに気になることがあった。
「あの」
「ん?」
「その、座り方? と、さっきの頭を下げたのは、えっと……感謝を表してる、で……良いのかな?」
「え?」
ノアの言葉に、少年が呆けた声を上げる。
少年が何に呆けたのかは分からないが、呆けたいのはこちらの方であった。
ノアとカレンには、少年がどんな意図をもってさっきの行動に出たのか憶測でしか分からない。言葉を聞く限り、感謝の意を示しているのは分かるのだが、何分少年が行った動作を生まれてこの方見たことが無かったのだ。
数瞬おいて、少年があっと声を上げると、やらかしたとでも言いたげな顔をした。
「そうだよ。土下座なんて文化無いよなぁ……」
「ん? ドゲザ?」
聞きなれない単語に、ノアが頭に疑問符を浮かべながら訊き返す。
「ああいや、何でもない! こっちの話しだ!」
「そう……」
「えっとな。さっきの格好は、俺の故郷での最上級の誠意を表すときにする姿勢だ。まあ、もっとも、謝罪するときに使う場合の方が多いんだけどな……」
「そうなんだ。そこまで、大げさじゃなくてもいいのに」
最上級の感謝と言われ、ノアは少しだけ照れたように頬をかく。ノアとしては、当たり前のことをしただけであるし、なにより少年を助けるのはそんなに難しいことでもなかった。
そのため、簡単なことをして最上級の感謝をされても、大げさに感じてしまうのだ。
「いやいや! こっちは命を救ってもらったんだ! なにも差し出せるものが無い身としては、これくらいのことはしないと!」
「ノア。ここは受け取っておきなさい。別に、貰って邪魔になるようなものでもないでしょう?」
カレンにそう言われ、確かに少年からの感謝の意を貰っても自身が少し照れくさくいだけだ。
それに、目の前の少年は頑としてそれを譲るつもりはないらしい。であれば、こちらが素直に少年のお礼を受け入れるのが手っ取り早いだろう。
それに、これも人を助けた者の責務でもあるだろう。
「うん、わかったよ。それじゃあ、ありがたく受け取っておくね?」
「おう!」
ノアの言葉に、少年は嬉しそうに笑う。
「――っ!」
その笑顔が一瞬、自分の知っている誰かと重なり、息を飲む。
「どうした?」
「え、いや……なんか、君の笑顔が誰かに似てるような気がして……」
「ああ~たまにあるよな。まったく似てないのに、どれかの表情が誰かと似てるって」
「そう、なのかな……」
確かに、少年の言っていることは分かる。しかし、少年が言っているのは、印象が似ているということであって、ノアが言っているのは本当に知り合いの誰かに似ているということだ。
しかして、ノアもそういう気がするというだけで、気のせいということもあり得る。
「あのさ、君って――」
「ちょい待ち」
自分の感じているものが、気のせいかどうかを確かめるために口を開いたノア。しかし、それを訊ねる前に、少年から待ったが入る。
「なにかな?」
「いやな? そういや俺達って、まだまともに自己紹介してねぇなと思ってよ」
「そう言われてみれば……」
確かに、少年の言う通り自己紹介をしていなかった。
少年は、勢い良く立ち上がると親指で自らを指差して言った。
「俺の名前は、レイジだ! よろしく!」
「俺は、ノア。ノア・ルーヴ。よろしく」
「わたしはカレン。よろしくね」
「よし! ノアにカレンちゃんだな。覚えた!」
「こっちも、覚えたよ。レージ」
ノアがレイジの名前を呼ぶと、レイジは少しだけ微妙そうな顔をした。
「ちょっと違うけど……ま、仕方ねぇか……」
「?」
「ああいや、大丈夫だ。そのまま呼んでくれて構わないぜ」
そう言ったレイジは、もう諦めましたよといった顔をしていたが、そこまで深刻そうではなかったので、ノアは言及することは無かった。
「しっかし、ノアは家名持ちなんだな。貴族様かなにか?」
気を取り直して、レイジはノアにそう問いかける。
その問いに、ノアは誇らしそうな顔をして、少しばかり胸を張りながら答えた。
「兄さんが纏鎧士なんだ。それで、家名を貰ったんだ」
「へ~! まじか! ノアのお兄さん凄ぇんだな!」
ノアの言葉に、レイジは純粋に凄いことだといった反応を示す。その反応に、ノアは自分のことのようにゼムナスを誇らしく思う。
「聞いた話じゃ、纏鎧士ってのは、なれるのはほんの一握りなんだろ? その中の一人になれるってのは、純粋に凄ぇと思うわ」
「そうなんだ。兄さんは凄いんだ」
そう言ったノアの言葉に、レイジはふふっと笑みをこぼす。
ノアは、そんなレイジを見て首を傾げる。
「いや、悪い。別にノアが可笑しかったわけじゃないんだ。ただ、ノアは兄貴が好きなんだなって思ってよ。普通、誰かそんな凄ぇもんになったら、嫉妬とかするもんだろ? それなのにノアには、そういう素振りが一切見受けられなかったからよ。ただ純粋に、兄貴を凄いって思ってて、兄貴を誇らしいって思ってる。それって、嫉妬も覚えないくらい兄貴のことが好きってことだろ? それがなんだか微笑ましくてな」
レイジにそう言われ、ノアはふふんと鼻息荒く胸を張る。
「ああ。兄さんは俺の憧れで、自慢の兄さんだ。それに、俺は兄さんを超えてみせる。嫉妬なんてしてる暇ないんだ」
「照れもなんにもねぇのな……」
ノアの照れを感じさせない言葉に、レイジは若干苦笑する。
普通、ノアくらいの年の子供と言えば、異性同性関係なく、兄弟を好きなんだなとか言われれば照れくらい浮かべるものであるが、ノアにはそんな様子が見受けられなかった。
逆に、こちらが苦笑してしまうくらい、兄との関係を肯定していた。
そんなレイジの様子に、カレンが笑みを浮かべながら言う。
「この子、お兄さんっ子だから、レージさんが思っているような羞恥はありませんよ」
「なるほど、重度のブラコンなわけね……って、カレンちゃん。俺には敬語じゃなくていいぜ? それと、さん付けも無しの方向で頼むわ」
「え、でも、そう言うわけには……」
「頼むよ。敬語とかさん付けとか、なんかむず痒くてさ」
レイジの言葉に、カレンは少しばかり逡巡する。
「わ、分かりま……分かったわ、レージ」
「おう、ありがとう!」
カレンが敬語などを止め、レイジは嬉しそうに笑う。
「あ、ところでレージ。肝心なことを訊き忘れてた」
唐突になにかを思い出したような声を上げ、ノアがレイジに言う。
「ん? なんだ?」
「レージは、なんで空から降ってきたんだ?」
「あ」
言われ、二人もそう言えばといった顔をする。そして、レイジはすぐにその顔をバツが悪そうな顔に変える。
「あー。う~~ん……」
唸り声を上げながら、レイジは頭をがしがしと掻く。そして、少しだけ言いにくそうな顔をする。
その顔を見て、ノアは慌てて言う。
「あ、別に言いたくなかったらいいんだ! 人には言いたくないこともあるだろうし!」
「わりぃ……そう言ってくれると助かる」
ノアのその言葉に、レイジは苦笑すら浮かべることなくそう言った。
どうやら、初対面の相手には言いにくい事情があるらしいことは、レイジのその態度を見るからに明らかであった。
「さて、それじゃあどうする? このままここで話し込んでたら夜になっちゃうわよ?」
カレンが、暗い雰囲気になる前にぱんぱんと手を打ちながら言う。
確かに、夜になる前にどこか泊まれるところがある街に着きたい。ノアは野宿でもいいのだが、野宿をしたことがないカレンにはきついだろう。
旅を始めてまだ最初も最初だ。カレンは旅になれてすらいないのだ。ここで無理に野宿をして身体を壊してしまってもよくない。
「そうだね。それじゃあ、行こうか」
「おう! ……って、どこに行くんだ?」
元気よく返事した後、レイジがそう訊いてくる。
「うーんと。一応、最初の目的地は迷宮都市ってことにはなってる。けど、今日はその途中にある街に泊まることになると思う」
「了解。……って、あー」
返事をした後、決まり悪げな声を上げるレイジ。
「今度は何?」
「いや、俺もノア達も一緒に同行する前提で話してたけど、俺付いて行っていいのか?」
「「あ」」
レイジの言葉に、二人ともそう言えばといった顔をして、そう言えばといった声を出す。
そして、二人して顔を見合わせたあと苦笑する。
お互い、別にいいのではと顔に出ていたからだ。
「良いよ。て言うか、レージここどこか知ってるの?」
「知らない……」
「そんな知らないところでレージを一人にしておけないでしょ? 知り合っちゃたんだし、知らんぷりもできないわよ」
「そうそう。それに、しれっと着いてきちゃえば良かったんだよ? 自分が大変なんだから、それくらい強かじゃないと」
二人のそんな言葉に、レイジは自然と笑顔になる。
「ありがとう」
「いえいえ」
「それじゃあ、行きましょう。日が暮れる前には着きたいわね」
そうして、三人は歩き始めた。
そして、少しもしないうちにノアがレイジに声をかける。
「そう言えば、レージはどうするの?」
「どうするって?」
「最終的な目的地。レージ、ここら辺の出身じゃないでしょ? もともと、どこにいたの?」
「出身は凄く遠いところだけど、俺がいた場所はクインカ王国だ」
「クインカ王国か……」
クインカ王国は、ノアの住む聖王国アルトランドから大分離れた位置にある国だ。
本当にどういう経緯でそんな遠い国にいて空から落ちてくるのか理解ができない。
「どうする? 一緒にクインカ王国まで行く?」
「あ―……」
ノアの言葉に、レイジは考えるように頭を掻く。顔にこそ出ていないが、いろんなことを考えて、いろんな事に迷っているようであった。
「わりぃ、ちょっと考えさせてくんねぇか? 色々、自分の中で整理してぇんだわ。クインカ王国に行くかどうかも、正直なところ、迷ってる……」
そう言ったレイジからは、クインカ王国に戻ることをどこか恐れているような感じがした。
レイジが何を恐れているのかは分からないが、恐らくは自分の中で整理がつくまで話してはくれないだろう。
少し気になるところではあるが、整理がついたらレイジの方から話してくれるだろう。
「うん、分かった。気が向いたらでいいよ」
レイジの言葉に、ノアは気にした様子もなく、気軽にそう答える。
「ありがとな……」
ノアの応えに、レイジは少しだけほっとした顔をした。
やはり、自分の中だけで整理をつけたかった内容らしい。
「それじゃあ、とりあえずは迷宮都市に向かうってことで良いのね?」
「うん、それで大丈夫」
急ぎでクインカ王国に向かうのであれば、ルートを変えなければいけなくなる。そうなれば、迷宮都市に行ってしまえば十日程度とはいえその分時間がかかってしまう。それに、滞在する時間などを考えると、それ以上に時間を取られるだろう。
そのため、カレンはノアに確認をしたのだ。
「なんか、悪いな。気を使ってもらってさ」
「いいって」
「このお礼は、自分のできる形で返す」
「それもいいよ。こっちはお礼が欲しくてやってるわけじゃないんだし」
ノアの言葉に、カレンはこくこくと頷いて同意を示す。
「言うなれば、ただのお節介かしら?」
「そうそう」
「でも――」
何かを言い募ろうとしたレイジの唇に、ノアが人差し指を立ててちょんとあてる。
「『でも』禁止! こういう時は、ありがとうでいいの!」
少しだけ眉尻を吊り上げて言うノア。
そんな、少し怒ってますといったノアに、レイジは苦笑を漏らして冗談を言う。
「そう言うのは、美少女にやってもらいたかったな」
「そうか。カレン、やってあげて」
「え? なんで、わたしが――」
「よろしくおねがいしまぁすっ!!」
ノアがカレンによろしくと言った直後、レイジが勢いよく頭を下げる。
ぴんと指先を伸ばして腿にくっつけ、深々と頭を下げるレイジは、先ほどおこなっていた土下座よりもずっとレイジの気持ちが伝わってくるものであった。
「よろしくお願いしますじゃないわよ!」
そんなレイジの頭を、カレンがスパーンといい音を立ててはたく。
数秒の沈黙が場を支配する。そして、誰からともなく、ぷっと我慢できずに噴き出す。
それが伝播して、笑い声になり三人は可笑しそうに笑い合う。
そんな、気兼ねしないノリがなんだか楽しかった。
どこか既視感を覚えるようなノリだったから、なおさらにそう思った。
三人の旅が、例え短い道であるとしても、楽しくやっていけるだろう。このとき、ノアに限らず、カレンもレイジも、誰も口には出さなかったがそう思った。




