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纏狼のノア  作者: 槻白倫
序章
14/28

第14話 ただいま

「おい、そろそろ様子を見に行った方が良いんじゃないか?」


 住民が避難している町の一角で、カイルの友人であるソーヤが問いかける。


「もう空を覆う膜も無くなったんだ。それに、もうすぐ夜明けだ。アレイが言ってたんだろう? 夜明けになれば、敵は弱体化するって」


 確かに、ソーヤの言う通り、カイルはアレイからそう聞かされていた。


 しかし、まだ夜明けではない。空は白んできているが完全に夜明けと言うわけでは無い。


「完全に夜が明けるまではこのまま待機だ」


「ッ!! もう夜は明け始めてんだ! それに戦闘の音ももうしなくなった! 戦いは終わったんだ!! さっさと様子見に行って、ノアとアレイを回収するなりなんなりしようぜ!!」


「ダメだ。万全を期して、完全に夜が明けてからだ。これ以上犠牲を出さないためにも――」


 カイルの言葉の途中で、ソーヤがカイルの胸ぐらを掴みあげ、目を吊り上げてカイルを睨み付ける。


「てめぇは二人が心配じゃねぇのかよ……ッ! ノアは危険を冒して戦ったんだぞ! アレイも、昨日初めて来た町のために命を懸けてくれてんだ! それに報いようとは思わねぇのかよッ!!」


 ソーヤが言い終わるか終わらないかのタイミングで、今度はカイルがソーヤの胸ぐらを掴みあげる。


「思わないわけがないだろッ!! アレイはもう俺らの仲間で、ノアは俺の息子だぞッ!! 今すぐ飛び出して捜しに行ってやりたいに決まってるッ!!」


「だったら――」


「だからこそだ!! だからこそ、二人を信じて待つんだ。俺は、息子と仲間を信じる」


 カイルの、覚悟のこもった言葉を聞き、ソーヤは掴んでいた手を緩める。カイルも、手を放す。


「二人が、頑張ってくれてるんだ。そんな二人を、俺は裏切りたくはない。それに、あいつらは、きっと帰ってくる。帰ってきたら、お帰りって言ってやらにゃならん。そんでもって、心配させたんだから、拳骨の一つでも喰らわせてやる」


 そう言ったカイルの脚は、とんとんと苛立たし気に地面をつま先で叩いており、今すぐにでも飛び出して行きたいという言葉が本当であることを示していた。


 もちろん、カイルがノアのことで嘘をつくような男ではないことをソーヤも知っている。


 なんだかんだ言って、ソーヤも二人が心配なのだ。だから、焦って苛立ってカイルに食ってかかってしまった。本当は、一番飛び出したいはずのカイルが我慢しているのに、自分が我慢がきかなかったことを恥じ、ソーヤも二人を信じてもう少しだけ待つことを決める。


「分かった。もう少し待つ」


「すまんな」


「謝るな。けど、日が昇ったらすぐに行くぞ」


「ああ。そのつもりだ」


 二人の様子をはらはらとした面持ちで見守っていた周囲の者は、二人の中で結論が出てほっと一安心する。それと同時に、日の出直後に捜しに行けるように、準備を始める。


 ある者は靴紐をきつく縛り上げ、ある者はスカートの裾を上げ邪魔にならない位置で縛り上げて走りやすくする。


 そんなふうに各々準備をする中、カレンだけはずっとノアの走って行った方を見つめていた。


(ノア。帰ってくるって言ったんだから、ちゃんと帰って来て……)


 カレンの両手は、祈るように組まれていて、いつからそうしていたのか分からないが恐らく長時間そうしていたのだろう。ぎゅっと強く握りしめた手は白んでいて、恐らく血の通いも悪くなっている。


 しかし、それすら気にならないほど、カレンはノアの帰りを待っていた。


 泣きすぎたせいか、涙はもう出ない。目端は泣きすぎてひりひりと痛む。けれど、そんな痛みも気にならない。


 自分の今の状態よりも、周りの状況よりも、ノアのことだけに意識が向いている。


 そんなカレンだからこそいの一番に気付けた。


 カレンは、その姿を見た瞬間、弾かれたように前へと進む。


「ノアっ!!」


 喜色を声音に乗せて愛しい人の名前を呼ぶ。そして、走り寄って思いっきり抱きしめようとする。


しかし、ノアに横抱きにされているものを見て、自然と足が止まる。


 カレンの声に気付いて、ノアを見つけた住民たちも、ノアが帰ってきたことに色めき立つがカレンと同じものを見てその色めきはすぐに収まる。


 ノアが横抱きにしているのはアレイだ。


 力なくぐったりとしているその姿を見て、ノアの泣きはらした顔に浮かべる悲壮の表情を見て、アレイがもう生きてはいないことを理解する。


「ノア……」


 ノアになんて声をかけて良いのか分からずに、カレンはただノアの名前を呟く。


 その声が聞こえたのか、ノアは俯きがちであった顔を上げてカレンを見る。


 すると、安心させるように微笑む。


「――っ!」


 その微笑みが痛ましくて、カレンはきゅっと胸を痛めつけられるような感覚を覚える。


 カレンはたまらず走り出し、アレイごとノアを抱きしめた。きつく、きつく、抱きしめた。


「痛いよ、カレン」


 まったくそんなそぶりを見せずに言うノア。


「うるさいっ。痛いのは……こっちよ……!」


 ノアの無理しているその笑顔を見ていると胸が痛い。アレイが死んでしまって胸が痛い。


「わたし……アレイさんに、酷い態度とった…………まだ、ちゃんと謝れてない!!」


 酷いこととは、恐らくノアがアレイの旅に着いて行くことに自分の我が儘で反対したことだろう。


「あれで最後になるなら……もっと、いろんな話すればよかった! わたしが我慢すれば……もっと、もっと! 良い時間を過ごせた!」


 涙は枯れたと思ったのに、涙が溢れてしまう。


 自分は、取り返しのつかないことをしてしまった。アレイも、ノアも、もっと楽しい時間を過ごしたかっただろう。それを、自分の我が儘で壊してしまった。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」


 必死に謝り続けるカレン。


 そんなカレンに、ノアは優しく言う。


「大丈夫だ。アレイはそんなことで怒ったりしないよ。それに、俺も悪かったって思ってる。ごめん」


「な、なんでノアが謝るのよぉ……!」


「俺は、カレンの気持ちに気付いてた。それを、誤魔化した。あの時、ちゃんと自分の気持ちを伝えてれば、カレンにこんな辛い思いをさせずにすんだ。だから、ごめん」


「わたしの……気持ち……?」


 ノアの言葉を聞いて、目を見開くカレン。


「うん。カレンの気持ち。ずっと気付いてて、カレンのその気持ちを認めて受け入れると、自分が守らなくちゃいけないものが増える。守らなくちゃいけないものが増えるのが、怖かった。守れなかったらどうしようって……」


「ノア……」


「本当は、カレンの気持ちを認めても、認めなくても、カレンを守らなくちゃいけないってのはずっと変わらなかったのにな……」


 そう言ってノアは、スッキリしたような顔をしていて、何か吹っ切れたようであった。


「でもごめん。今のままじゃ、俺はカレンの気持ちには答えられない。今の、弱いままじゃやっぱり不安なんだ。頭で分かってても、守れなかったらどうしようって、つい考えちゃうから」


 カレンの気持ちと真正面から向き合うが、まだ受け入れられない。それは、まだ自分が弱いからで、更に言えば先ほどの戦いで自分がまだまだ弱いということを思い知らされた。


 いくら『魔纏狼』が強くとも、術者が未熟ならば意味がないのだ。


「だから、もっと強くなってから、ちゃんと応えるよ。それまで、待ってくれる?」


 もう誤魔化したりしない。ちゃんと、真正面から向き合うのだ。


 その気持ちが、カレンに伝わったのか、カレンは嬉しそうにはにかむと頷いた。


「待ってる。でも、あんまり待たせないでね?」


「善処するよ……」


 カレンの言葉に、ノアは苦笑して応える。さっきまで泣いていたと思ったら、もういつものカレンに戻っているのだ。


 強かなのか、現金なのか。


 まあ、カレンが元気になったのならば、それで良しとしよう。


 ノアとカレンの間の問題も解決したことで、ノアは次に進む。


「カレン。ちょっと離れてもらってもいいかな?」


「あ、うん」


 さりげなく、腕に抱いているアレイを少しだけ持ち上げて、カレンに気付かせる。カレンも、ノアの意図に気付いてすぐさま離れてくれた。


 しかし、アレイを見てまた落ち込んだような顔をする。こればかりは、ノアが何回気にするなと言ったところで、カレンが納得しなければ意味がない。


 自分の意見は言った。これ以上言えば、ただの押し付けだ。


 ノアはカレンが自分の中でこの問題を飲み込めるまで、口を出さないことに決めた。


 だから、ノアはカレンのその表情を見て見ぬふりをする。


 カレンの脇を通り抜け、エレンとカイルの前に行く。


「カイルさん。アレイは、両親の隣に入れてやりたい」


 アレイの亡骸を入れるのは、もちろんお墓にだ。


 自身の、両親の隣に。一度埋めた穴を掘り起こすなんてできないし、なにより二人の墓に他の誰かを入れるなんてこともできない。だから、両親の隣にアレイのお墓を作るのだ。どちらも比べられないくらい大切だから、両隣にする。


 カイルは、ノアの思いに気付いてくれたのか、一つ力強く頷いた後ノアの頭を乱暴に撫でた。


「よく頑張った」


「――っ!」


 それは、どのことなのだろうか。


 アードラーと戦ったこと、アレイを失ってしまったこと、カレンの気持ちに向き合おうと決めたこと。


 どれか、ではなく、全部なのかもしれない。


 しかし、どちらにしろ、ノアを思って言ってくれた言葉。


 誰かに同情してほしいわけじゃない。別に、理解されなくたっていい。けれど、自分が無理をしていることにカイルが気付いてくれて、ノアの涙腺が少しだけゆるくなる。


 でも、皆の前では泣かないと、ここに来る前に決めたのだ。


 せっかく皆無事だったのだ。涙ではなく、笑顔で終わりたい。そう思って、泣かないと決めたのだ。


 誰が泣いても、自分だけは泣かない。


 そう決めたのに。


(ずるいよ、カイルさんは……)


 そう思っても、言葉には出さない。出してしまえば、ノアが泣きたいのを知られてしまうし、そしたら、ノアが泣くまで言葉を尽くしてくれると知ってるから。


 だからノアは、少しだけ俯くと、こくりと一つ頷いた。


「こいつもちゃんと、寝かせてやんねぇとな。町長。家借りてもいいか?」


「是非もない。町を救ってくれた立役者を、あばら屋なんぞで寝かせられるか」


 カイルの提案に、町長は優しい声音でそう言った。


 この町には、一応死体安置所がある。しかし、一日や二日置いておくためのものであるし、腐乱防止の魔法を施すため、お世辞にもしっかりしている建物とは言えないのだ。


 だから町長は、カイルの提案に是非と言ったのだろう。町を救う手助けをしてくれたアレイを、そんなところでは寝かせられないから。


 町長のそんな思いを聞くだけでも、ノアの涙腺はさらに緩んでしまう。


「ノア。アレイを少しばかり連れてくな」


「……うん」


 少しばかり震える声で、ノアは応える。


 恐らく、そんなノアの様子に気付いていたであろうカイルは、ノアの腕から優しくアレイを受け取ると、町長と一緒に去って行った。


「ノア」


 カイルと町長が去ってすぐ、エレンがノアに声をかける。ノアは、なんとか顔を上げてエレンを見る。


 エレンは、いつもの優し気な笑顔に、つうっと涙を流しながらノアを見ていた。


「おかえりなさい。ノア」


 その一言で、もう限界であった。


「……っ」


 涙腺は決壊し、滂沱のごとく涙が溢れ出る。


 それでも、無理矢理笑顔を作ってノアはエレンに言う。


 ずっと、気恥ずかしくて、怖くて、言えなかった一言を。


「ただいまっ、母さん……」


「――っ!」


 ノアの言葉を聞き、エレンの方が我慢できなかったのか、ノアを思いきり抱きしめる。ノアも、エレンを抱きしめ返す。


「おかえり……! おかえり……! ノア……!」


 エレンに抱きしめられ、全てが決壊する。


 悔しくて、悲しくて、嬉しくて、痛くて。色々な思いがない交ぜになって、言葉が出ない。


「悔しい……ッ! アレイを助けられなくて、悔しい……ッ! でも、でも! 皆を助けられて、アレイの期待にも応えられて、それがたまらなく嬉しくて……! でも! やっぱりアレイを、ちゃんと助けたかった! 弱い自分が、情けなくてッ!!」


「うん。うん。そうだね。悔しいよね」


 エレンにも、大切な二人をただ見送るしかできなかった悔しさがある。だから、全てとは言えなくても、ノアの気持ちのほんの一握りは理解できるつもりだ。


 だから、分かる。今のノアは、その悔しさを糧にして、悲しみを乗り越えて、強くなっていこうとしているのだと。


「大丈夫。ノアは、強くなれる。これから、今まで助けられなかった人を助けられるほどに、強くなれる」


 ノアは、エレンの言葉に何度も、何度も頷く。


 そんな必死なノアを見て、エレンは自分に怒りを覚える。まだ、両腕ですっぽりと収まってしまう小さな体。そんな小さな子供に、これほどまでの重荷を背負わせてしまった自分に、怒りを覚えるのだ。


 けれど、その怒りもある意味自分勝手な怒りなのかもしれない。


 これは、ノアが選んだ結果でもあるのだから。だから、この怒りはノアの選択を、ノアの決意を汚す怒りなのかもしれない。


 だからエレンは、この怒りを胸の内に押しとどめる。そして、今自分の胸の中にいる息子・・に精一杯胸を貸そう。それで少しでもノアの悲しみが薄れるのなら。ノアの苦しみが紛れるのなら。いくらでも、抱きしめよう。


 泣きじゃくるノアを、町の皆は目を逸らし、思い思いにその場から去って行く。


 ノアも、自分のそんな姿を見せたくないだろうから。


 そんな、皆の気づかいにも気づかないほど、ノアは泣いた。エレンに抱かれ安心しきったのか、アレイやカレンの前では強がっていた自分はいなくなり、弱い自分が出てきて、悲しみや苦しみを吐き出した。


 夜が明け朝日が昇り、太陽が完全に姿を現している。


 温かな陽光が二人を包み込む。


 それはまるで昨日までとは違うノアを、励ましているような、祝福しているような、そんな温もりにあふれた光のようであった。少なくとも、カレンにはそう見えた。


 そしてそれは、間違いではないのだろう。


 ノアは相棒を失い、新しい力を手に入れた。今までにない覚悟も決めた。強くなると決心した。昨日までとは、劇的に違っていた。


 そんな、慌ただしいまでの劇的な一日がようやく幕を閉じた。


 二人の出会いの日は、二人の別れの日になった。


 だが、物語は終わらない。むしろ、ここからが本当の始まりだ。


 今日からが、ノアの本当の始まりなのだ。


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