第13話 決着
一蹴りでアードラーに肉薄するノア。
その人蹴りだけで、自分がどれほど強化されたのか理解できた。
(凄い……! これが、魔鎧の……『魔纏狼』の力!)
これならば、アードラーとも互角以上に渡り合える。そんな確信ができるほど、ノアは自身の力が増大していくのを感じた。
「これなら、行ける!!」
『図に乗るなよ小僧ッ!!』
ノアが、『魔纏狼』を使用したことに、少なくない動揺を見せていたアードラーだが、流石に場数を踏んでいるだけのことはあるのか、すぐさま冷静になり、ノアの攻撃に対処をする。
真正面から繰り出されたノアの拳に、アードラーも拳をぶつける。それだけで、周囲に衝撃波が生じ、辺りの物にその猛威を振るう。
近場の木々はへし折れ、家々は崩落する。遠くの木々はギシギシと揺れ、家々はミシミシと軋む。
拳一つだけで、それほどまでの衝撃波が生まれる。
まさに、人外の戦い。
ここに、只人が入り込む余地などない。
一撃では、拮抗する。二人は、それが分かると、今度は手数で勝負をする。
連撃に次ぐ連撃。
お互い一歩も引かずに打ち合う。引くという選択肢は無い。ただただ攻め続ける。
アードラーは、ノア相手に引くことをプライドが許さない。
ノアは、先ほど逃げ出した。だから、もう一歩でも後ろには引かないと決めた。意地でもプライドでもなく、覚悟で前へ出る。
絶対に救う。何もかも、今守るべきものを全て、救ってみせる。
ここまで、アレイにお膳立てされたのだ。ここで負けたらアレイにも皆にも顔向けできない。
『うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!』
気合いを込めた雄叫びをあげる。
(もっとだ! もっと速くッ!!)
力が拮抗しているなら、手数で勝負するしかない。今まで培ってきたものの全てを発揮する。出し惜しみなんてしていられない。全力で攻撃を繰り出す。
ノアの意思に応えて『魔纏狼』がノアに更に力を貸す。
(う、ぐ……ッ!)
貸し出された力は強大で、今のノアでは許容ギリギリの範囲であった。自分の限界に迫る力に、体が悲鳴を上げる。これ以上は危険だと、痛みで教えてくれる。
しかし、ここで止まるわけにはいかない。
激痛が走ろうが体が限界を迎えようが、そんなことは今戦わない理由にはならない。
(痛みが、どうした……ッ!!)
体の痛みなどどうということない。皆が、大切な人を失ったという心の痛みに比べれば、どうということないのだ。
体の傷はじき癒える。だが、心の傷は違う。癒えることは無く、何かで紛らわせてもふとした瞬間に蘇る。
痛みは、生きていく限り続く。
そんな、消えない傷を皆につけたアードラーを、ノアは許しはしない。
だが、怒りに支配はされない。そうなってしまえば、先ほどの二の舞だ。同じ轍は踏まない。
それに、怒りに任せて戦う自分を、皆は見たがらないと思う。優しい皆のことだから、自分のせいでノアが悲しい思いをしていると知れば、皆落ち込んでしまうだろう。
そう。この町の皆は優しいのだ。優しい笑顔でこっちを見てくれて、優しいからノアが間違えたらちゃんと叱ってくれて、優しいからノアが大怪我をしたときは心の底から心配してくれた。
皆、いい人ばかりだ。
そんな優しい皆が、任務の邪魔だったからとかいう心底くだらない理由で、殺されていいはずがない。そんなこと、許していいはずがない。
(もっとだッ! もっとッ!)
赤く光る『魔纏狼』の両目が、更に強く光り輝き、強い光はノアが動くたびに光の尾を引く。
一撃繰り出すごとに、空気を切る音が鳴る。攻撃の度に旋風が巻き上がり、その一帯にだけ嵐が吹き荒れているようであった。
ノアは、激痛で挫けそうになるたびに、負けられないと己を叱咤する。そのたびに、『魔纏狼』がノアに力を与える。まるで、ノアの意思に『魔纏狼』が呼応しているかのようだ。
それが、なんだか『魔纏狼』に応援されているみたいで嬉しかった。
『魔纏狼』の力を借りて繰り出される連撃。その連撃に、アードラーが押され始める。
『くっ! おおぉ…………ッ!!』
生身の時とは比べ物にならないほどの威力でノアが連撃を仕掛けてくる。
先ほどとは違い、今度はアードラーの方が防御に専念しなくてはならなくなっている。
(この私がッ! こんな子供に……ッ!!)
ノアのような纏鎧士になりたてのひよっこに負ける。そんなことは、アードラーのプライドが許さない。
しかし、それ以前にさるお方より承った任務を失敗するわけにはいかないのだ。それは、プライドよりも、何よりも優先しなくてはいけないことだ。
『図に乗るなよ小僧――――ッ!!』
猛り声一つ上げると、アードラーは両手に闇を集中させる。
『格の違いを教えてやる!!』
『やってみろ!! 俺とお前の、覚悟の違いを教えてやる!!』
『ほざけッ!!』
アードラーの、体術だけではなく、能力をも併用した攻撃が繰り出される。
素早く拳が繰り出され、ノアはそれを余裕を持って上体を少し逸らすことで避ける。しかし、その拳の通った軌跡を闇が通り、その闇から幾本もの闇の棘が突き出る。
ノアは地面を蹴りつけ、宙返りをしつつ蹴り上げ棘をへし折る。
しかし、ノアが着地した先に闇が凝縮し、新たに棘が飛び出す。ノアは、棘が生えきる前に地面を思い切り踏みつける。踏みつけた場所から衝撃波が生まれ、棘をバラバラに吹き飛ばす。
踏みつけたそのままの威力を利用して、少し離れていた距離を詰める。そして、そのままの威力で、拳を叩き付ける。
ノアの拳がぶつかる直前、アードラーは闇で一メートルばかりの円盾を形成し、それを防ぐ。
だが、ノアの拳の威力は凄まじく、数秒の拮抗も許さず円盾は砕け散る。アードラーは、円盾が完全に砕け散る前に、ノアの拳の威力を利用して後方に下がる。下がりながらも、自身の足元から幾本もの闇の棘を形成し、ノアにけしかける。ノアもそれを後ろに跳ぶことで回避する。
二人の間に距離が生まれる。
お互い、仕掛けることは無く構えをとったまま睨み合う。
ある程度打ち合って、二人はもう気が付いている。
(決定打が……無い……)
そう、決定打になる攻撃を、二人は持ち合わせていないのだ。
ノアは、『魔纏狼』を使ってまだ数分。『魔纏狼』の纏い方は知っていても、何ができて、何ができないかは知らないのだ。
そも、ノアは『魔纏狼』という『魔鎧』の名前を聞いたことがない。それ以前に、『魔鎧』にどんな種類があって、それがどんな能力なのかすら知らないのだ。
兄であるゼムナスの『魔鎧』がなんであるかすらも知らない。
まったくもって無知であるのだ。
そのため、ノアは『魔纏狼』の能力を知らない。だから、『魔纏狼』の本当の力を引き出すこともできない。
逆に、アードラーは自身の使う『暗黒魔帝』の能力を知り尽くしている。伝聞も読んでいるし、試行錯誤も繰り返している。
しかし、それ故に分かったことがある。
『暗黒魔帝』は、暗殺特化の『魔鎧』である。ゆえに、『魔鎧』同士の正面切っての戦いには不向きである。
今正面切って戦っているのは、自分にとって有利な状況であったからだ。しかし、その有利さも今や失われた。
ノアの使う『魔纏狼』の力をアードラーはよく知っている。知っているからこそ、『魔纏狼』を追って来たのだ。
自身は、もう『暗黒魔帝』を使役している。その為、『魔纏狼』を使うことはできない。しかし、アードラーは自分が使うことをもとより考えていない。全ては、さるお方に『魔纏狼』を献上するため。
その為、アードラーは『魔纏狼』に関する情報を集めた。少しでも『魔纏狼』回収の成功率を上げるために。それこそ、寝る間を惜しんで調べつくした。
そうして、アードラーは一つの結論に至る。
『暗黒魔帝』では『魔纏狼』には勝てない。
様々な理由があるが、端的に言ってしまえば『魔纏狼』と『暗黒魔帝』では、『魔鎧』としての格が違うのだ。
『魔鎧』としては、『暗黒魔帝』もさるものであるのだが、『魔纏狼』はもう比べ物にならないほどの代物だ。
今力が拮抗しているように見えるのも、ノアが『纏鎧士』としてまだ未熟だからだ。
(こいつは野放しにはできない。ここで仕留めねば……ッ!)
ノアをこのまま生かしておけば、後々さるお方の障害になる。『魔纏狼』身に纏えるほどの器があるのだからそれは確実だ。
アードラーは、後ろに大きく跳ぶと闇を周囲に霧散させる。
真正面からがダメならば、自分のステージで戦うだけだ。つまり、暗闇からの奇襲だ。
周囲はこれだけ闇に包まれているのだ。元よりアードラーの方が有利なのだ。馬鹿正直に、ノアの有利な状況で戦う必要は無いのだ。
『――ッ! させるかッ!!』
ノアは、アードラーの思惑に気付きすぐに逃げられないように腕なり脚なり掴もうとするが、一歩アードラーの方が早かった。
完全に闇に溶け消えるアードラー。
『くくっ。馬鹿正直に貴様に有利な状況で戦う必要もあるまい。さあ、どこから来るかもわからぬ脅威に恐怖しろ』
魔法によってか、それとも『暗黒魔帝』の能力なのかは定かではないが、声が反響を繰り返し、どこにアードラーがいるのか分からない。
ノアは、周囲を警戒する。
『無駄だ。完全に闇に紛れた私を、貴様は見つけることができん』
自負の込められているその言葉。
確かに、目視ではアードラーを捜しだすことはできない。『魔纏狼』によって強化された視力でも捉えられないのだから、アードラーの自信にも納得できる。
しかし、ノアは焦らない。
アードラーも話さなくなり、完全な静寂が辺りを包む。
カレン達の方へ向かったのかと考えるが、それは無いと断言できる。
なぜなら――
『なにっ!?』
――アードラーは、アレイの元にいるからだ。
アレイを殺そうと振り上げられた拳を、ノアが受け止める。
『捕まえたぞ』
『くっ!』
ノアの拘束から逃れようと、掴まれた腕を振るアードラー。しかし、ノアの腕はびくともしない。
それどころか、鋭く尖った爪がアードラーの拳に『暗黒魔帝』を貫いて突き刺さる。
『ぐがぁっ!!』
『お前なら、俺を怒り狂わせるために、まず瀕死のアレイを仕留めに来ると思った』
カレン達を狙う可能性を考えたが、それが無いことは匂いで分かっていた。
ノアは、『魔纏狼』に様々な部分を強化されている。その代表的なのものが五感だ。目で見えないならば、他で補えばいい。闇に紛れ、目で追えなくても匂いはする。
匂いが近くからしたため、それならばアレイを狙うと考えたのだ。
『クソがぁッ!!』
アードラーが、闇を操りノアを攻撃する。
しかし、そのことごとくがノアには――『魔纏狼』には効かない。
『なんだと!?』
『さっきの攻防で確信した。お前の闇は俺には効かない』
ノアはそう言うと、アードラーを空中へ放り投げる。
『ぬおっ!』
軽く放り投げたように見えるのに、錐もみしながら空中へと飛ばされる。
『闇だろうが何だろうが、喰らってやる』
ノアは一歩一歩、歩を進める。
『どれだけお前の闇が深かろうと、俺が闇を暴いてやる』
ノアは腰を低くし、腰の横に右腕を持って行き、拳を握る。
『お前みたいな奴に、誰も殺させない。大切なものを、奪わせない』
左腕を空中にいるアードラーに向けてかざす。
決定打は無い。恐らく、『魔装波動』は効かない。
あれは、種が分かってしまえば、同じく魔力の波動を使って掻き消すことができる。そんなに簡単なことではないが、恐らくアードラーならば即席でもできるだろう。
だから、『魔装波動』は使えない。
だから――
『俺に使い方を教えろ!! 魔纏狼!!』
今は、教えを乞うしかない。
恐らく、もう時間は無い。
ノアの限界が近づいてきている。
次第に体に力が入らなくなり、今も踏ん張っているのがやっとだ。拳を握るのも億劫で、目を開いているのも疲れる。
今すぐ『魔纏狼』を解いて眠りこけたい。
しかし、そうはしない。
ノアの後ろには、守るべき者がある。カレンが、エレンが、カイルが、皆がノアとアレイの帰りを待ってくれているのだ。
『まだ言ってないんだよ……』
未だ『魔纏狼』はノアに力の使い方を教えてはくれない。
そうこうしている間にも、アードラーは落ちてくる。態勢も整えているし、迎撃態勢を取っている。
ノアは歯噛みする。
まだ言えていない。ずっと、ずっと気恥ずかしくて言えなかったこと。言ってしまえば、カレン達を家族と認めてしまって、もう殆ど覚えていないけれど、両親のことを忘れそうで怖かったから。だから、ずっと言えなかった。
けれど、違った。違うと分かった。
エレンに抱きしめられ、自分からカイルを抱きしめ、分かった。両親のことを忘れるのが怖かったのもあるけれど、それよりももっと怖かったのは――家族をまた失うことだ。
ゼムナスが、ノアが大怪我をした時、何もかもかなぐり捨てて無茶までしたのも、ノアを失うのが怖かったからだ。カレンが今までにないほど怒ったのも、家族を危険な目に合わせたくないからだ。
家族を失うのが怖くて、ノアはカレンの気持ちに気付かないふりをした。本当は、カレンの気持ちにとっくに気付いてた。
でも、怖くて気付かないふりをした。
あのゼムナスですら、家族を失うのが怖いのだ。ゼムナスよりも弱いノアが家族を失うのを怖がっても仕方ないことだ。
けれど、許されるのは怖がるところまでだ。ゼムナスは、その恐怖と戦っている。ノアを失わないために戦っているのだ。
アレイも、自分は目も腕も失っているのに、皆のために戦ってくれた。それはやっぱり、これ以上失いたくないから。
自分が何かを失っても、失いたくない何かがあるから。
皆、皆そうだ。
町の皆も、失いたくないから戦おうとしてるんだ。僅かな可能性があるなら、無謀でも戦うんだ。
今の、『魔纏狼』を身に纏っているノアよりも、はるかに弱いであろう皆が、戦おうとしてるのに、ノアが戦わないわけにはいかない。
だから、ノアだって、覚悟を決めてここに来たのだ。
エレンもカイルも、家族だ。両親も家族だ。そこに隔たりなんてない。
ノアは、にっと微笑む。
(良いじゃないか。父さんと母さんが二人もいるなんて、俺は幸せ者じゃないか)
忘れない。両親は、確かにいたのだ。そんな大切なことは、ずっと忘れない。
だから、これ以上忘れるとか忘れないとか、心配しないためにもちゃんと守らなくてはいけない。
だから、ちゃんとこれを終わらせて、言わなくてはいけない。家族なんだから、帰ってきたら言わなきゃいけない一言を。
ノアは、キッと落ちてくるアードラーを睨み付けながら叫ぶ。
『まだ、ただいまって言えてないんだよッ!! だから、力を貸せ!! 魔纏狼ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおッ!!』
心からの叫び。
直後、ノアのではない鼓動がドクンと脈打つ。
(……良いじゃろう。お主はまた、合格じゃて……)
頭の中に直接響くその声に、ノアの注意が一瞬逸れる。
(これ! 注意を逸らすでない! 目の前の敵に集中せんか!)
声に怒られ、ノアはすぐにアードラーに向きなおる。
(構えはそのままで良い。そのまま、右腕に力が溜まるようイメージするのじゃ)
『イメージって……』
(いいから言う通りにせい! ほれ、来るぞ!)
声の言う通り、アードラーはもうすぐそこまで来ている。今までにない力の奔流を感じる。恐らく、アードラーも次の一撃で決める気だ。
(イメージ……)
ノアは、声に言われた通り、右手に力が溜まるようにイメージする。
(いいか? わしの真骨頂は喰らうことじゃ。溜まるというよりも、周囲の力を右手で喰らうとイメージしてみぃ)
そう言うことはもっと早く言ってほしいと思いながらも、ノアは言われた通りにする。
すると、周囲からノアの右手に力が吸い寄せられてくるのが分かる。
(よしよし。上出来じゃ。それじゃあ、奴に目に物みせてやるがよいぞ!)
嬉々としてそう言い放つ声。
『言われなくてもッ!!』
アードラーとの距離はもう二十メートルもない。
『貴様なんぞに、負けてなるものかああああぁぁぁぁッ!!』
アードラーがこれまで以上の感情を発露し、拳を振り下ろしてくる。
『それはこっちも同じだあッ!!』
ノアも拳を振り上げ、それを迎え撃つ。
そして、二つの拳が衝突する。
瞬間、今までとは比べ物にならないほどの衝撃波が巻き起こる。
あたり一帯の物が吹き飛ぶ。
『私はッ! 陛下に任を賜ったッ!! あのお方の望むべく未来のために、ここで負けるわけにはいかんのだッ!!』
『そんなこと……知るかぁぁぁぁああああッ!!』
叫び、拳に力を込める。
『お前の主がどんな奴でも!! 何様だろうとも!! 俺の家族を傷つける奴は許さない!!』
『黙れッ!! 貴様に陛下の何が分かるッ!! 年端も行かぬガキ風情が、わかったような口をきくな!! これは、必要な犠牲だッ!! 陛下の未来の礎になることに感謝こそすれ、歯向かうなどとは愚の骨頂だッ!!』
『だから、知らねぇってんだよッ!! 俺の、俺達の幸せを!! 未来を!! 勝手に決めるんじゃねぇッ!!』
ノアは、更にイメージする。
『食い尽くせッ!! 魔纏狼ッ!!』
(あい分かった)
ノアの言葉に、声が返事をする。
すると、右手に更に力が溜まる。
『な、なんだとッ!?』
そして、逆にアードラーの拳に溜まっていた力が、徐々に減っていく。
(言うたじゃろ、わしの真骨頂は喰らうことじゃ。それは『魔鎧』も例外じゃなかろうて)
声が何かを言っているが、今はそれを気にしている余裕は無い。
アードラーの力が弱まり、ノアの力が高まっている今を逃す訳にはいかない。
『これで、終わりだぁぁぁぁああああッ!!』
『馬鹿なッ! この、私がぁ――――ッ!!』
ノアの拳が振り切れ、アードラーの腕をへし折りながら弾き、顔面に突き刺さる。
アードラーは、またも錐もみしながら空中に飛ばされ、この町を覆っていた黒い膜に衝突した。
衝突した衝撃か、はたまたアードラーが力尽き術が溶けたからかは知らないが、町を覆う黒い膜は破砕音を響かせながら砕け散った。
黒い膜が消えても、空はまだ真っ暗で、夜だということが分かる。
そして、ノアより大分離れたところにアードラーが落ちる。
アードラーは首が何回転もしていて、黒い膜と地面に叩き付けられたからか手足が折れ曲がっていた。
鎧を着てはいるが、もうすでに死んでいるだろう。
そんなアードラーの死体を見ていると、急に鎧がパキッと音を立てる。その音を皮切りに、そこら中から、ピキッピキッとヒビの入る音が聞こえてくる。音と共に鎧にヒビが入って行く。
そうして、ややするとバキィンと一際大きな音を立てて鎧が砕け散った。砕け散った鎧の破片は、さあっと闇に溶けていきじきに無くなった。
(『暗黒魔帝』が壊れたの。ありゃもう戻らんわい)
声の言葉を聞き、なるほどと納得する。
(それより、ほれ。行ってやれ。アレイがまっとる)
声に言われ、ノアははっとすると、すぐさまアレイの元に駆ける。
先ほど、大きな衝撃波が生まれた。もしやアレイも吹き飛んでしまったのではと思っていたが、そんなことは無く、アレイは恐らくノアが寝かせたそのままの場所にいた。
恐らくと言うのも、辺り一帯が吹き飛んでしまっているため、目印になるものが何も無かったからだ。
(わしからのサービスじゃ)
どうやら、声が取り計らってくれたことらしい。
しかし、声にお礼を言う前にノアはアレイを抱き起す。
『アレイ! アレイッ!』
「……ああ。ちゃんと……聞こえてる……」
『アレイ……ッ!』
すぐにアレイから返事があったことに、ノアはほっと一息つく。
しかし、直ぐにその顔が曇る。
聞こえてしまったからだ。アレイの心臓の鼓動が、段々と弱くなっている音が。アレイがもう長くは無いという証左の音が。
『……アレイ』
ノアが、アレイがもう長くないことに気付いてしまったことに、アレイの方も気づいたのだろう。
アレイは、力なく微笑む。
「ちゃ~んと聞いてたぜ。お前が戦ってた音」
『アレイ……ッ!』
「まだまだなところはあるけど、頑張ったじゃねぇか」
そう言うと、アレイは力なく震える右腕を持ち上げ、ノアの頭を撫でようとする。ノアは、慌てて『魔纏狼』を解く。最後のアレイの感触を、忘れたくないから。
『魔纏狼』を解除し、あらわになったノアの頭に、アレイは手を乗せる。力なく二、三回頭を撫でると、力尽きたようにぱたりと落ちる。
「アレイッ!!」
「……あ~、わりぃ……ちょっと俺、ねみぃや……」
その言葉を聞き、ノアは確信する。
ノアは、無理やり笑顔を作る。が、涙が溢れてきてしまって、きっとくしゃくしゃの笑顔になっているだろう。
きっとアレイも、それに気づいている。
けれど、ノアが笑顔を見せようとしていることにも、気づいてくれているはずだ。
「あ~。眠い……ノア、膝枕してくれよ」
「お前、そっちの気があるのか?」
アレイの言葉に、ノアは茶化すように訊ねる。その方が、自分たちらしいと思ったからだ。
「ばっか……ちげぇよ。俺、バリバリ美少女好きだから」
「うん。知ってる」
「なら訊くなよな……」
そう文句を言ってくるアレイの顔もまた笑顔であった。アレイも、このやり取りこそ、自分たちらしいと思っているのだろう。
それがなんだか可笑しくて、ノアはふふっと笑ってしまう。
「なに笑ってんだよ……」
「別に、何でもないよ」
「そっか……」
「うん」
数秒の沈黙が二人の間に生まれる。しかし、その沈黙すら、心地よかった。
そして、その沈黙を破ったのはアレイであった。
「それじゃあ、もう寝るわ……」
「うん」
ノアは、アレイの言葉に応えると、アレイの頭の下に膝を持って行き、アレイの頭をそっと降ろす。
「……何してんだ?」
「膝枕」
「本当にしてんじゃねぇよ……」
「嫌だろう? ただの嫌がらせだ」
「この野郎……後で覚えとけよな……」
「うん。覚えてるから……ちゃんと、覚えてるから」
「おう。忘れんなよ。……それじゃあ、お休み……またな」
「うん。お休み……またね……」
そうして、アレイは目を閉じた。最後まで、本当は見えているのではないかと思える綺麗な目であった。
「あっ」
「え?」
アレイが急にぱちりと目を開け、何かを忘れていたとでも言いたげな声を上げる。
「いや、そういや忘れてた」
「な、なにを?」
「おまじないし忘れた」
「は……?」
何を忘れたのかと思えば、おまじないであった。
アレイは、ノアが腕につけている、『魔纏狼』の腕輪に触る。すると、一瞬だけぽうっと光が発せられる。
「これで終わり」
「なんか、締まらないな……」
ノアは呆れたようにそう返す。
「ま、それ俺達らしくていいんじゃねぇか?」
「ふふっ、確かに」
「だろ? それじゃあ、今度こそお休み。ノア」
「ああ、お休み。アレイ」
今度こそ、本当に今度こそアレイは目を閉じる。
目を閉じながらアレイは思う。
(ああ、こんな時、見えない自分の目が忌まわしいよ……最後くらいは、ノアの顔を見たかった……)
しかし、もう後悔は無い。やれることはやった。全てうまくいったとは言わなくても、恐らく、うまくいった。
(忘れないでくれよ、俺のこと……)
自分の頬に、ぽつりぽつりと水滴が落ちてくる。
(ノアめ。最後まで泣き止まなかったな……)
そのことに、悲しみよりも嬉しさを覚える。だって、それほどまでに自分は思われているということなのだから。
(頑張れよ、ノア。ずっと、ずっと見守ってるからな……)
段々と、意識が薄れていく。
(ちっ。もうかよ……)
体が冷えていき、手足の感覚はもうなくなっている。
それでも、ノアの温かさは伝わってきた。
(またすぐ会えるさ、ノア……だから、強くなれよ……)
この後のノアが少し心配ではあるが、自分はついて行くことは叶わない。
アレイは、ノアの無事を願うしかない。
最後まで、ノアのことを思いながら、アレイは深い眠りについた。鼓動は止まり、息もしない。
アレイは、満足そうな顔で覚めることの無い眠りについたのだった。
自身の膝の上で安らかに、満足そうな顔で眠るアレイ。もう二度と冷めない眠りについたアレイは、死んでいるとは思えないほどに、綺麗な顔をしていた。
ともすれば、今すぐにでも起き上がって「冗談冗談! びっくりした?」とでも訊いてきそうだ。
しかし、そうなることは無い。そうなればいいと思いながらも、そうなることがないと分かっているから、ノアはもう涙を流す以外に感情のやり場がない。
泣いて泣いて、泣きつかれて、いつの間にかノアも眠りにつく。
(ありがとうのう、アレイ……今度こそ、主の苦しみが終わるように、わしも祈っておるぞ……)
眠りにつく寸前、そんな声を聞いた気がした。しかし、疲労困憊の身では声が何を話したのか理解することは叶わず、ノアの意識はそのまま深く深く落ちて行った。




