第11話 勝算
(これは……ちぃと不味いか……?)
アレイは、敵を吹き飛ばしたノアの様子を見て、率直にそう思った。
助っ人としてノアの手助けを期待していた。事実、ノアは敵に有効打を与えた。やはり、ノアの実力は本物であった。しかし、ノアの雰囲気を感じ取ってしまえば、その期待は警戒へと変わってしまった。
ノアが自分に危害を加えるというわけでは無い。今のノアの、危うさを警戒したのだ。
今のノアは頭に血が上ってしまっている。こういう時のノアは無茶をしでかすうえに冷静な判断力に欠けてしまう。アレイはそれを身をもって知っていた。
だから、ノアを警戒したのだ。
しかし、ノアだけを気にかけている訳にもいかない。
アレイは、少しよろめきながらも立ち上がった敵にも注意を向ける。
『貴様……いったい……』
自分がダメージを負ったことを不思議に思うのだろう。敵は、思わずと言った様子でノアに問う。
しかし、ノアはそれに答えない。敵も、答えを期待してではなかったのだろう。さして気にした様子も見せなかった。
『まあいい。貴様は後々脅威になり得る。ここで殺しておくことにしよう』
「嘗めるなよ、黒靄。纏鎧士だろうが何だろうが殺してやる」
敵の、ノアを低く見た発言に、ノアは静かに、だが確実に怒りを覚える。怒りを覚えれば覚えるほど、ノアは冷静さを失っていく。
『黒靄などではない。私は、アードラー・グレイスだ。そして、陛下より賜りしこの魔纏鎧は、「暗黒魔帝」だ。覚えておくと良い』
だから敵は――――アードラーは、ノアのペースにも挑発にも乗らずに、自分のペースで話を続ける。
「お前の名前も魔鎧の名前もどうでもいい!」
「ノア! 相手のペースに乗せられるな!」
激高しかけたノアを、アレイが止めようとする。しかし、ノアは止まらない。
「なんで……なんで皆を殺したあッ!!」
『なんだ、そのようなことか』
「そのようなこと、だと?」
『そのような些末事、貴様に教える必要は無い。が……しいて言うならば、そこの男のせいではあるな』
そこの男。
この場には、ノアとアードラー、そして、アレイしかいない。
という事はつまり、アードラーの言う男とはアレイのことに他ならない。
「アレイ……?」
ノアは、アレイを見る。
アレイは、気まずげにノアを見る。心当たりのある、といった顔であった。
その顔を見たアードラーは愉快そうに笑う。
『ハハッ! 見たか、その男の顔を? 心当たりがあると言った顔をしているだろう? まったく、偽るのが下手な男だ。そんなのだからわりをくうのだ。さて、小僧。これで、誰が原因か分かっ――――』
「関係ねぇよ……」
ノアは、アードラーの言葉に言葉を被せる。
『なんだと?』
「関係ないって言ったんだよ。誰が原因とか、誰のせいだとか……そんなの、関係ないんだよッ!!」
叫び、ノアはアードラーを睨み付ける。
「皆を殺したのは、お前だろッ!! 原因がどうとかじゃないんだよッ!! 何で殺したかを訊いてんだよッ!!」
『何故、か。それならば簡単だ』
「なに?」
『私の任務の邪魔であったから殺した。障害を排除しただけだ』
「障害……だと……?」
にべもなく、なんの罪の意識も、後ろめたさも後悔も無い。ただただ、事実を言っているだけであった。
そこで、ノアの限界が来た。
「キィサァマァァァァァァアアアアアアッ!!」
叫び、目を血走らせながら地面を蹴りつける。
怒りの影響で、これまでにないほどの力で駆ける。
「待て、ノア! 一旦落ち着け!」
アレイが制止の声をかけるが、今のノアには聞こえていない。もし仮に聞こえていたとしても、ノアがその言葉に素直に従うとも思えないが。
『フッ。愚かな』
激高して一直線に突っ込んでくるノアを見て、嘲笑するアードラー。
『闇玉百連』
突然、アードラーの周囲に、闇でできた球体が浮かび上がる。その数、アードラーが言う通り、百はくだらないだろう。
『死ね』
その言葉を合図に、闇玉が一斉に襲い掛かる。
「ノア!」
この闇玉には、アレイも手こずらされた。そのため、ノアを心配して思わず声を上げてしまった。
しかし、ノアは見事な身体捌きで避ける。
縦横無尽に駆け、跳び、転がりながら『闇玉百連』を避ける。
「ふざけるな……」
縦横無尽に避けるノアに、『闇玉百連』も縦横無尽に襲い掛かる。
「ふざけるな! 皆、皆普通に生きてただけだ!」
『闇玉百連』は数もさることながら、その威力も速度も凄まじいものであった。
「いつも通りに生きて! いつも通りの幸せを噛み締めていただけだ!」
しかし、今のノアにそれは当たらない。『闇玉百連』の速度も今のノアにとっては脅威になりえない。
「それを! 邪魔だからだと? ……ふざけるのも大概にしろ!!」
『闇玉百連』の合間を潜り抜け、一気に間合いを詰める。
しかし、ただ距離を詰められるだけのアードラーではない。
『暗刺装纏』
アードラーの身体を闇が纏い、その闇から無数の針が突き出す。
「――ッ!!」
慌てて足を止め、距離を取ろうとするノア。しかし、少しばかり遅く、針が体中を突き刺す。
「ぐぅっ!」
顔と心臓は、とっさに構えた両腕で防いだが、他のところは余すところなく刺されている。
「クソッ!」
無理矢理、後ろに下がり距離を取る。
ノアが距離を取ると、闇の針は空中に溶けて霧散する。
『フンッ。愚かだ。相手との力量差も武器の差も分かっていながら、無謀にもこの私に立ち向かってくるのだからな』
余裕を崩さないアードラー。
そんなアードラーに、更に苛立ちを募らせるノア。
そして、何も考えずにもう一度突っ込んで行こうとしたとき。
「落ち着け、このバカッ!!」
「がっ!」
急に左頬に衝撃が走り、吹き飛ばされる。
地面を数メートル擦り、ようやく止まる。
「ア、アレイ……」
そう、ノアを殴りつけたのは、アードラーではなくアレイであった。
アレイは、ノアが何故と問う前に眉尻を吊り上げてノアを叱責する。
「落ち着けよこのバカッ! 頭に血ぃ昇らせて勝てる相手じゃねぇのはわかんだろうが!! それとも何か? お前はそんなこともわかんねぇほどのバカだったのか?」
「……ごめん」
そうだ、頭に血を昇らせていては、冷静な判断は出来ない。それを、ノアは分かっていた。事実、一度目にアードラーと対峙したときは、冷静なアレイを見て、自身も冷静さを取り戻せた。
「お前はちょっと頭冷やせ。その間は……」
そこで言葉を止めると、アレイは剣を振る。すると、影からアレイを狙っていた闇が切り裂かれ、空中に霧散する。
「俺があいつの相手をしていてやる」
アレイは、見えない目をアードラーに向け、剣の切っ先を突きつけた。
「不意打ちとは随分とまあ狡いことしやがるなぁ! 程度と器が知れるぜ!」
『敵の前で隙をさらす方が悪い。もっとも、今ので貴様を仕留められるとも思ってはいなかったがな』
「てめぇみてぇなやつの前で隙なんかさらすかよ」
不意打ちをかましてきたアードラーに睨みをきかせるアレイ。
「ノアは少し休んどけ」
そう言ってアレイは、ノアに下手くそなウィンクをする。
「分かった……」
こくりと、素直に頷くノア。
そんなノアの様子に、アレイは満足げに頷く。
「さ~てと! ノアには頑張らせちまったからな! 俺も頑張るとしますかね!」
快活に笑いながら、アレイは剣を構える。
「エンチャント・フレイム!」
そして、一度は解除した付与魔法で、剣に炎を付与する。
「それじゃあ……ド派手に行くぜっ!!」
アレイは、軽やかに地面を蹴りつけ、アードラーに迫る。
『無駄なことを』
「お前も、俺を追い回すのもそろそろ無駄だって気づきやがれ!!」
アードラーの放つ闇を、アレイの剣が切り裂く。
『貴様も、私から逃げ切ることができぬという事に気付くべきだ』
アレイの飛ばす炎を、アードラーは闇を操り防ぐ。
「無駄じゃあなかったさ! ああ、無駄じゃ無かった!」
『なに?』
訝し気な声を出すアードラーに、アレイはくくっと愉快そうに笑う。
「もう時はすでに遅し、だぜ?」
そう、この町に着いた時点で、アレイとアードラーの追いかけっこの勝敗はついていたのだ。
しかし、追いかけっこの勝敗はついていても、この勝負の勝敗はついていない。それどころか、この勝負に負ければ、追いかけっこで勝っていても意味がないのだ。
だからアレイは、あえて強気な発言をした。もう勝負はついていると。お前の負けだと言われて、はいそうですかと納得して撤退するアードラーではないことは重々承知だ。
しかし、アードラーが少しでもこちらを警戒してくれればそれでいい。それだけで、幾分か戦いやすくなる。
けれど、こちらにあまり余裕が無いことも変わりない。
ノアのあの技がアードラーに効いたのはアレイの予想通りであった。そもそも、あの技がアードラーに効くことを知っていたし、ノアが使えるという事も知っていた。
アードラーも油断していたし、ノアの技量を鑑みれば当然の結果ともいえるだろう。
しかし、二度同じ技が通用するほど甘い敵ではない。
突破口が、見えない。
アレイは、必死にどうするべきかを考える。
勝てるかもしれない可能性ならある。しかし、それは危険な賭けだ。諸々の確証がない以上、正直使いたくはない手であった。
だが、その可能性が本来この町に来たアレイの目的でもあった。
しかし、その性質を考えるとあまりにも危険な賭けであった。失敗すれば、恐らく、アードラー含めて、この町にいる全員が死ぬことになる。
それは、アレイの望むべくところではない。
色々な可能性を探っていく。
探って、探って、探って。
それでも、答えは出ない。
そうこうしているうちに、アレイの魔力ももうつきかけてきている。アードラーも、半分ブラフであることに気付きかけている。
そのことが、アレイを焦らせた。
だから、気づかなかった。
「――ッ!!」
ノアが、アードラーの背後に回り込んでいることに。
「ラァッ!!」
ノアの掌底がアードラーに迫る。
しかし――
『気付いていないとでも思ったか?』
その掌底を、アードラーはひらりと躱す。
「なっ!?」
ノアは、本気で気配を消していた。気配を消して、足音も消して、そうして近付いたのだ。
だから、気づかれているとは思わなかった。
『お前にいいことを教えてやろう』
アードラーの目の前に、アードラーに背中を向けたノアが無防備に躍り出る。
そんなノアを嘲笑うかのように、余裕を浮かべた声音で告げる。
『闇の広がる場所は、全てが私の認識領域だ』
そう告げると、アードラーは闇を纏わせた拳を繰り出す。
ノアは、衝撃に備えて身を固くした。
そして、一瞬の浮遊感の後、地面に叩き付けられる。
「がッ!!」
痛みに思わず呻き声を上げ、顔を顰める。
肺から空気が強制的に追い出され、ゲホゲホと咳き込んでしまう。打ち付けた身体は当然痛く、咳き込んで息をするのも苦しい。
確かに、痛みがある。しかし、それだけだ。それだけしか、痛みがないのだ。
予想よりもあまりにも小さい痛みに、ノアは困惑する。
「無事か……?」
アレイの声が聞こえてきて、ノアは、慌てて顔を上げて、声のする方に視線をやる。
そして、その光景を目にして、硬直してしまう。
「ア……レイ……」
一瞬、痛みの少なさに、アードラーの攻撃を運よく回避できたのではと考えた。しかし、アードラーの拳は、きちんと振り抜かれていた。
ならば、アードラーの技は不発ではない。
では、どういうことか。
その結果を見て、ノアは硬直したのだ。
「がはッ……!!」
アレイの胸から、|アードラーの腕が引き抜かれる(・・・・・・・・・・・・・・)。
腕が引き抜かれ、アレイは口と胸に空いた穴から血を流す。
「アレイッ!!」
そう、アードラーが拳を振り抜いた先にいたのはノアではなく――――アレイであった。
アレイが、ノアを庇ってアードラーの拳に貫かれた。
アレイが、ノアの身代わりになったのだ。
糸の切れた操り人形のように、アレイの身体が崩れ落ちる。
そこからの行動は、反射であった。
ノアは、アレイの身体が崩れ落ちると同時に駆け出し、アレイの身体を抱きかかえると逃げるように走り出した。
いや、実際に逃げたのだ。
アードラーに背を向け。皆を守るという思いも忘れ。町の住人を殺された怒りも忘れ。ただただ逃げた。
アレイを失うのが怖かったから。
アレイが死ぬのが嫌だったから。
アードラーに勝てないと、直感したから。
そうして、ノアは逃げた。




