▼93▲ 作務衣を着た犬
「おかえりなさいませ、エイジン先生」
エイジンが小屋に戻ると、イングリッドがいつものエプロンドレスでなく、紺の作務衣にこげ茶の前掛け姿で出迎えた。
「ただいま。その服だと雰囲気が随分変わるな。メイドというより和菓子屋の店員みたいだ」
特にイングリッドが悪ふざけしている様子もないと判断したエイジンは、それを見て素直な感想を述べる。
「エイジン先生とお揃いにしてみたのですが、いかがでしょう」
「中々どうして似合ってる。って、それ俺の作務衣か」
「はい、今日の分の着替えをお借りしています。今すぐ脱ぎますので、どうぞこれに着替えてください」
「いや、脱がんでいい。てかここで脱ぐな。着替えはまだ一杯あるから、俺は他のを着る」
「いえ、私が別の作務衣を着ます。エイジン先生はぜひ私の脱ぎたてをご堪能ください」
「んなモン、誰が堪能するか」
「私の体温のぬくもりとほのかな香り付きですが」
「いらん」
エイジンが素っ気なくそう言って寝室に入り、別の作務衣に着替えて出て来ると、
「どうせなら、一度人が着た服より洗濯した服の方がさっぱりしていいだろ」
と、満足げに言う。
「着替えて、さっぱりされましたか、エイジン先生?」
「ああ、今日も一段落したな、って気分になる」
「実はエイジン先生が今着替えたその作務衣も、私が既に一度着たものです。よく嗅いで頂ければ、私の残り香が付いているのが分かると思います」
そう言われて、慌ててエイジンは袖の匂いを嗅ぎ、イングリッドの言った事が本当だと分かると、
「わざわざ一度着てから、クローゼットに戻したのか?」
と、顔をしかめる。
「はい。最初に私の提案を断った後、一番手前にある作務衣に着替えると分かっていましたから。ちょっとしたサービスです」
「ちょっとしたサービスと言うより、手の込んだ嫌がらせだろ。さっぱりした気分が台無しだ」
「ちなみに、私は洗濯する前のエイジン先生の作務衣の匂いを気の済むまで嗅ぐのが日課ですが」
「犬かあんた。名家のメイドがやる事じゃないだろ」
「流石にこれは冗談です」
「悪趣味な冗談だが、まあいい、これはこのまま着てるさ。一度袖を通した位なら大して気にならないし」
「そんな事を言いつつ、私が一度着た作務衣を身に着けている事に倒錯した喜びを感じるのですね」
「発想がおかしくなってるから気を付けた方がいいぞ。狂人の振りをしてる奴は本物の狂人になるって言うからな。あんたの場合、もう手遅れかもしれんが」
「失礼ですね。ちょっと洗濯前の服の匂いを嗅ぐ位、普通でしょう」
「おい。冗談って言わなかったか、それ」
既に色々手遅れだった。




