▼55▲ 胸に七つの傷を持ちたくない男
古武術詐欺が上手くいかずに職を失う恐怖が再び蘇ったアランは突発性のパニックに陥り、
「もういっそ、エイジン先生がグレタお嬢様をたらしこんで、古武術云々をうやむやにしてしまうというのはどうでしょう」
と、グレタへの良心の呵責などどこへやらな提案をし、
「やめろ。あんな絵に描いた様な悪役令嬢を相手にする俺の身にもなれ」
エイジンはエイジンで、何気にひどい事を言っていた。
「上手くいけば逆玉ですよ。エイジン先生は元の世界に帰っても無職でしょう」
「気楽な無職と、人生の墓場を通り越して無間地獄な余生とどっちか選べと言われて、地獄を選ぶ馬鹿はいねえよ。ドMなら別だが」
「エイジン先生がグレタお嬢様を上手くコントロールし続けてくだされば、ガル家も安泰なんですが」
「俺は人柱か。もしくは暴走した原発で使用済み核燃料プールに飛び込んで栓を抜いた勇者か」
「何を言ってるのかよく分かりませんが、何とかしてください。お願いします。無職は嫌です」
「俺だって一千万円が懸かった大勝負だからな。言われなくても、そう簡単に諦めやしねえよ。とりあえず、グレタ嬢があの紙風船を膨らませている間に、色々と説得して新婚夫婦への襲撃を諦めさせる方向に持って行く努力はしてみる。この世界でグレタ嬢にとって一番のハッピーエンドは『復讐しない』ことだ。返り討ちに遭って『ざまぁ』される心配がない」
「向こうは古武術の奥義を会得していて、こちらは古武術詐欺に騙されている以上、勝ち目はありませんからね」
「それと、単調な作業をさせているのが効いたのか、グレタ嬢も日に日に復讐心が薄れてきている様な気配が出て来た。さっき、あれだけ暴言を吐かれても、笑って受け止められる位になってたからな。修行を始める前は、ちょっと挑発しただけで、『てめぇ殺すぞ』オーラがモロに顔に出てたのに」
「そう言えば、修行を始める前にエイジン先生が言ってましたよね。『新しい男をあてがってやれば、そのつまらない怒りも収まるんじゃないか』と」
「また、そっちへ話を持って行くか。なら、アラン君をひんむいて縛って『ご自由にお使い下さい』と書かれたカードを添えてグレタ嬢のベッドに放り込むぞ」
「多分そのままサンドバッグにされてクビでしょうね。あてがう男は誰でもいいという訳ではありません」
「なら俺だって、あてがうには不適切だろ」
エイジンは両手を上げて、
「なんたって、そのグレタお嬢様を騙して一千万円をカモろうと企む主犯格だぜ。バレたら、サンドバッグどころの騒ぎじゃないな。胸に七つの傷を付けられてもおかしくねえよ」
「死にますね」
「俺は世紀末の救世主様じゃねえからな」
と、おどけてみせた。




