▼54▲ 未定と否定
その後グレタは、いくらやっても武術の足しにならない無意味極まる課題に何一つ文句も言わず、むしろ喜々として二十個の紙風船を膨らませ、その日の修行を終えた。修行と思っているのは当人だけなのだが。
「よし、今日はここまで。今までと違って一定数をこなしたら終了する修行だが、早く終わらそうと焦って稽古時間外にこれを行ってはならない」
グレタに残業禁止を言い渡す、ホワイト企業なエイジン先生。
「そうなの、残念ね。早く終わらせて、次の修行に行きたいのに」
エイジンに言われなければ、おそらく一日中せっせと紙風船を膨らましていたであろうグレタ。
「一つ一つの修行にはそれぞれ意味がある。その意味を知る為には、ゆっくりと時間をかけて修練に励むのが望ましいのだ」
「あまりゆっくりもしてられないけど、まあいいわ。古武術の奥義を会得出来たら、即座にあの二人に天誅を加えに行くつもりだから」
「何度も言うが、復讐などやめておくが吉だ。たとえリリアン嬢とジェームズ君を血祭りに上げて溜飲を下げた所で、世間からすれば、男を寝取られた女の見苦しい悪あがきとしか見えん」
エイジンは昨日に引き続いて、また自分から地雷を踏みに行く。
「今度こそ、グレタお嬢様がついカッとなってエイジン先生を血祭りに上げるんじゃないか」、と、アランとアンヌがハラハラしながら見ていると、グレタは特に怒った様子もなく、エイジンの顔をじっと見つめた後で、口元に余裕の笑みを浮かべ、
「世間の目など気にしないわ。私は私のやりたい事をやるだけよ」
いかにも悪役令嬢の言いそうな唯我独尊な台詞を、しれっと言ってのけた。
「古武術の奥義を会得してからリリアン嬢に戦いを挑んだとしても、必ず勝つという保証はない。向こうも同じ技の使い手なのだから」
「条件が互角なら、私が勝つわ」
「大した自信だな」
「これも修行の成果よ」
無意味な修行に意味があると信じて疑わないグレタを、無意味な修行に意味などないと分かりきっているエイジンは、冷ややかな目で見つめ、
「自惚れてはいけない。まだ成果が出る程の修行はしていないのだから」
と言い残し、アランと共に稽古場を後にした。
「本当の所を言えば、『まだ』ではなく『何一つとして』なんだがな」
アランに笑ってそう言うエイジン。
「残り十五日で本当に何とかなるんですか、これ」
不安で仕方がないといった口調で問うアランに、エイジンは、
「ま、いざとなったら職を失う覚悟はしておけ」
と淡々と答えた。
約束が違う。




