▼53▲ グレた娘と紙風船
中々膨らまないどころか、まずレンズ形に折り畳まれた状態から崩れない紙風船を、ひたすら掌で宙に弾き続けるグレタ。
その姿は無邪気に遊んでいる子供の様にしか見えないが、本人はいたって真面目である。
グレタが騙されている事を知っているアランとアンヌはそれを見て、良心を痛めている様子であったが、
「二人もやってみるかい」
と、エイジン先生から修行とは別の分の紙風船を渡される。
他にやる事もないので、二人共グレタ同様に、レンズ形に畳まれた紙風船を掌でぽんぽん宙に弾き続けていたが、二、三分もすると、
「一向に変化がないんですが。これ本当に膨らむんですか?」
早くもアランは報われない作業が嫌になった様子である。
「続けていれば絶対に膨らむ。グレタ嬢の紙風船を見ろ、少しずつレンズ形が崩れて来てるから」
エイジンが指差す先では、まとめきれずに唯一顔の脇に残った小さな金髪縦ロールを揺らしながら、必死になって紙風船を掌で弾き続けるグレタの姿があった。
「確かに少し崩れてますね。まだまだ先は長そうですが」
「事前に俺が自分で実験したら、膨らますのに大体三十分強かかった。慣れれば十五分位まで短縮出来るんじゃないかと思う。だから一日九時間の作業で三十六個膨らませられるとして、三百個膨らますには八日強の計算になる。もっと急げば一週間以内に収まるだろう」
「いい大人が、来る日も来る日も紙風船をぽんぽん弾き続けるんですね。三百個膨らませるまで」
「人生の無駄遣いもいい所だな。その時間を使えば他に有意義な事が出来るだろうに」
「やらせておいて、その言い草ですか」
「今更何を。俺達の目的はグレタ嬢に古武術の習得を諦めさせる事だぜ。ただ、あの様子じゃ、この無意味修行もやり遂げそうな感じだが」
「あ、だんだん紙風船が膨らんで来ました。グレタお嬢様も嬉しそうな表情になってます」
「普段は悪役令嬢然としていても、ああして紙風船を弾いていると童心に返るのかもしれないな。一種の幼児退行とも言えるが」
「いっそ幼児の方が暴力を振るえない分、ガル家は平和かもしれません」
「あれでも小さい頃は天使の様に可愛かったんだろう。どこで道を間違えたのやら」
段々、グレてしまった娘を持つ親の気分になって来たエイジンとアランが見ている前で、ついに弾いていた紙風船は丸く膨らみ、
「まずは一個ね」
と満足げに言って、グレタはそれを稽古場の隅の床に置き、次の紙風船を紙袋から取り出して、またぽんぽんと弾き始めるのだった。




