▼520▲ 一般人にとってはあまり嬉しくないタイプの溺愛
その後もエイジン先生は、アンソニーが収集した古いアーケードゲームを転々とプレイしながら、
「昔のゲームはシンプルだからこそ、逆にセンスが問われるよな」
「ドット絵の表現の奥深さ、波形メモリ音源が奏でる音色の趣は、芸術と言って差し支えありません」
などとマニアックな話で盛り上がり、気が付けば二時間以上も遊技場に入り浸っていた。
価値が分かる相手に自慢のコレクションを存分に披露出来て満足げなアンソニーに暇を告げ、自分の部屋に戻って眠りにつき、ようやく昼過ぎに起きたエイジン先生は、食堂で遅めの昼食のカレイの煮付け定食を食べながら、
「もっともアンソニーのオッサンは、俺がゲームしてる様子をじっと見てるだけで、自分は全然やらなかったけどな。患者に絵を描かせて、その絵から心理状態を読み取ろうとする精神科医みたいに」
テーブルの向かい側に座って一緒に食べているアラン君に、今朝の出来事を報告する。
「『みたい』じゃなくて、一応、アンソニーさんは本職の精神科医でしょう」
一応、突っ込んでおくアラン君。
「あのオッサンにかかったら余計症状が悪化しそうな気がするんだが。もしくは怪しげな研究のモルモットにされたりして」
「まあ、分からなくもないですが……ちょっと言い過ぎでは」
「ま、そんな訳で、今日はブランドン君のカウンセリングをする前に、リング家の私設病院で三バカを診てもらおうと思う」
「いいと思います。色々とひどい目にあわせていても、あの三人には気を遣っているんですね、エイジン先生」
「『絶対にケガ人や病人を出してはならない』のが、お笑いバラエティー番組の鉄則だからな。そりゃ気を遣うさ」
「は?」
「ケガ人や病人が出たらその収録分は使えなくなるし、下手すりゃ番組自体が打ち切られる」
「まあ、そうでしょうけど」
「何より、視聴者が笑えない。お茶の間が求めているのは、『いきなり無茶な事をやらされている様に見えて、実は台本通りの演出なのがチラチラ垣間見える』程度の虚実だ。この虚実を制する者がリアクション芸を制すると言っても過言ではない」
「何の話です?」
「海に沈められる芸人が予め服の下にウェットスーツを着込んで不自然に着膨れていたり、背負わされた爆弾の導火線の火を消そうとあわてふためく芸人が水の中に飛び込む前に一瞬冷静になって『せーの』と言ってみたり、暴風雨に煽られて立っているのがやっとな様子のレポーターが中継終了と同時にスタスタ歩いて撤収したり」
「最後のはお笑いバラエティー番組じゃなくて、ニュースの実況中継のヤラセですよね?」
「せっかく見つけた若手ビビリ芸人達の未来を不慮の事故で閉ざしてしまっては、お笑いを愛する者として面目が立たん。芸人の安全面、健康面の管理はしっかりとしなきゃな!」
「あの人達はビビリ芸人としての未来を望んでないと思いますが……まあ、ケガや病気にならない様に気を付けてあげるのは大事です」
「だな、要するに『生かさず殺さず』ってやつだ!」
「ひどい」
江戸時代の農民並の扱いをされるヤンキー三人娘に同情の念を禁じえないアラン君。
昼食を終えたエイジン先生が、その三人を旅館前まで呼び出すと、
「夕べ、また金縛りにあったぞ! どうしてくれんだよ!」
「アタシなんか、動けない時、何かに足首をつかまれた!」
「枕元に誰かが立ってる気配がした! アレ、絶対悪霊だろ!」
見事に全員症状が悪化しており、
「あんたら、本当にお笑いの神様に愛されてるよな。溺愛レベルで」
またしても、エイジン先生を面白がらせてしまうのだった。




