▼500▲ 正当防衛と過剰防衛と誤想防衛と誤想過剰防衛と私
かまってかまってモードのポンコツ主従に電話をズルズルと三十分程引き延ばされた後、エイジン先生は夜を徹して編集作業に励み、明け方までにゾンビドッキリとホラゲービビリ実況の二本の動画を完成させた。
「もう五時過ぎか。誰か来てる頃合いだろう」
浴衣姿のまま部屋を出てロビーまで来てみると、制服姿のアンソニーがソファーに深々と座って新聞を読んでいる。
「おはようございます。エイジンさん。今日も徹夜ですか?」
新聞から顔を上げてエイジン先生に微笑みかけるアンソニー。
「おはよ。ヴィヴィアン様に提出する報告書を作ってたら、今日もこんな時間になっちまった。あんたは毎朝早いんだな」
いかにも真面目に仕事をしていた風に装うエイジン先生。もちろん実際に作っていたのは爆笑ネタ動画である。
「いえ、今日は夜勤明けで、私もエイジンさんと同じくこれから帰って眠る所です。ですが、もしかしたら、エイジンさんが何か用事があるのではないかと思いまして」
「予知能力でもあるのか、あんた。まあ、別に他の使用人に言っても構わないんだが」
「せっかくですから、私がお伺いしますよ」
興味深々に見開いた目をエイジンに向けたまま少し身を乗り出し、手元を見ずに新聞をきれいに折りたたむアンソニー。
「今日か明日、ガル家から俺宛に結構大きな荷物が送られて来る予定なんで、届いたら俺の部屋の前まで運んでおいて欲しい、と頼みたかったんだ。まあ、自分で運んでもいいんだが、一応な」
「その荷物に壊れ物は入っていますか?」
「一応精密機械も入ってるが、梱包されてるから多少手荒く扱っても大丈夫だ」
「分かりました。私から使用人達に伝えておきましょう」
「よろしく頼む。外からの荷物は全部中身をチェックするんだろ?」
「いえ、前にも言いましたが、エイジンさんの荷物に関しては全てノーチェックで通すように、と当主から通達されています」
「信頼されてるってのは実にありがたいねえ。ま、見られて困る物は入ってないけどな」
「そう願います。何かトラブルがあると、私の仕事が増えますので」
「ここの警備の最高責任者だもんな。俺もあんたに取り押さえられる事態は勘弁願いたい」
「はは、私が銀行強盗を取り押さえた件について調べられた様ですね」
穏やかな、しかしどこか面白がる様な口調で尋ねるアンソニー。大きく見開いた目が怖い。
「ああ、調べたから余計に勘弁願いたいんだ。自業自得とはいえ、あんたにボコられた銀行強盗達はさぞや生きた心地がしなかっただろうな」
無礼千万な、しかしどこか面白くなさそうな口調で返すエイジン先生。
「ふふ、少し表情が曇りましたね、エイジンさん。武術の指導者としては、みだりに暴力を振るう輩を快くは思われませんか?」
「俺は武術の指導者じゃなくて心理カウンセラーだよ。ま、それはさておき、あんたの場合は、暴力は暴力でもやむなく振るわざるを得なかったケースだと思うから、俺が文句を言う筋合いはない」
「エイジンさんが、そう思われた理由をお聞かせ願いますか?」
「いいぜ。ちょっと長くなるが」
そう言って、テーブルを挟んでアンソニーと向かい合う形でソファーにどっかと座り、
「第一に、三人の銀行強盗は銃を持っていて危険性が高かった。さらにその銃を客や行員に突き付けて『大人しく従わなければ撃つぞ』と殺意を露わにし、あまつさえ天井に向けて威嚇発砲までしている。これはもう山から降りて来て人に襲い掛かる熊と同じだ。その場で駆除されたって文句は言えんだろ」
割と真面目に語り出すエイジン先生。
「突然襲い掛かる不当な暴力から、自分もしくは他人の身体生命をとっさに守るのが、正当防衛ですからね」
他人事の様に軽く言うアンソニー。
「第二に、場所が銀行の中ということもあって事件の目撃者が多い。正当防衛を立証するのが難しいのは、加害者側が自分に都合のいい嘘をつくからだが、この事件では行員や客がその場に大勢いたから証人には事欠かず、さらに何台もの防犯カメラが一部始終を記録していて、強盗側が『自分達は人に銃を向けたりしてません』などという嘘をつく余地などこれっぽっちもない」
「逆に人目の無い場所で突発的に起こった私闘の場合、正当防衛を成立させるのは難しくなりますね。子供の喧嘩の様に双方が、『あいつが先にやった』、と言い張りますから」
「第三に、ボコられて戦う意志をなくした三人の銀行強盗を、あんたはさらにボコり続けたそうだが、実は相手に戦う意志があるかないかを正確に見極めるのは難しい。ぐったりしたフリをして油断した所に襲いかかる、なんてのはよくある手口だ。ホラゲーでも倒したと思ったゾンビがまだ生きてて足元にすがりついて来るなんてのはザラだし」
「相手がまだ戦う意志を隠し持っていた場合は正当防衛、戦う意志をなくしていたとしても、そう判断するのに十分な確証を得られなかったと認められれば誤想防衛ですね。過剰防衛と誤想過剰防衛の可能性もありますが」
「相手は計画的に人殺しの武器を用意してやって来た三人の強盗、あんたはたまたま居合わせただけの客の一人でもちろん素手。ハンデがあり過ぎて過剰防衛や誤想過剰防衛に仕立てるのは逆に難しいんじゃないか」
「なるほど、妥当な線だと思います。私に付いた弁護士もエイジンさんと同じ考えでした」
「でも、あんたは正当防衛も過剰防衛も誤想防衛も誤想過剰防衛も主張しなかった」
「ええ、私にとってはただの『人体実験』でしたから」
エイジン先生に見開いた目を向けたまま、さらりと恐ろしい事を言って微笑むアンソニー。