▼50▲ 女の信頼とその反動の恐怖
結局グレタの決意を変える事ができないまま、その日も稽古場を出て例の倉庫に立ち寄るエイジン先生とアラン。
小屋にメイドが居座ってしまった為、エイジン達の作戦会議は、主にこの倉庫で行われている。
「さて、ジェームズ君とリリアン嬢の結婚式まであと十六日。修行期間の延長が認められない以上、その間にグレタ嬢に古武術の修行を諦めさせなきゃならん訳だが」
倉庫の片隅にパイプ椅子を持って来て座っていたエイジンが、そう言って大きく伸びをする。
「もう修行を始めてから二週間も経ったんですね、この分だと十六日なんてあっと言う間の様な気がします」
同じくパイプ椅子に座り、心配そうに言うアラン。
「ま、場合によっちゃ、『お前には才能がない。一ヶ月で古武術の奥義を会得する事など無理な話だったのだ』とか言い渡して、俺はそのまま元の世界に戻してもらえればいいさ。報酬の一千万円は惜しいが、前金でもらった百万円まで返せとは言わんだろ」
「でも正直な所、グレタお嬢様は修行を始めてから情緒が安定して非常に大人しくなってくださったので、ガル家の人間は皆助かっているんです。エイジン先生がこちらに来る前は、リリアン嬢に負けた事で周囲に当たり散らしていましたから。暴力で」
「修行がちょうどいいガス抜きになったんだな」
「はい、『いっそ永遠に修行してくれればいいのに』、と皆願ってます」
「冗談じゃない、異世界転移に必要な準備が出来たら、ボロが出ない内に俺はさっさと帰るぜ」
「ただ、グレタお嬢様は奥義を会得出来なかった場合、エイジン先生をそうすんなりと帰してくださるかどうか」
「んな事言ったって、俺は古武術マスターじゃないから、グレタ嬢に奥義なんか会得させられる訳ねえし。そうだな、『誰か他の師匠に学べ』って丸投げしてみるか。で、今度はちゃんとした古武術マスターを召喚すればいい」
「どうでしょう。もうかなりエイジン先生を信用しきっていますから。と言うより、かなり気に入っている様子です」
「『嫌ならいつでもやめろ』って突っ放す厳しいコーチが好みか。ま、スポーツものの少女漫画では人気あるけどな、その手の男は」
「なので、それほど信頼しきっているエイジン先生の下で修行していたのに、結局奥義を会得出来なかったとなれば、その反動で一体どんな恐ろしい事が起こるか分かりません」
「まあ、何とかするさ。ちゃんと異世界転移の準備だけはやっておいてくれよ。必要な魔力が溜まるのは、リリアン嬢達の結婚式の当日だったよな?」
「はい、無事帰れればの話ですが。一応準備はしています」
「頼んだぜ。修行期間が延長されない限り、その日に俺は必ず元の世界に帰る」
自信たっぷりに言うエイジン先生。
「エイジン先生が元の世界に帰った後、無意味な修行をさせられた事の反動が私達に全部向けられそうで怖いんですが」
少し遠い目になるアラン。
「そこは何とかやってくれ。雇い主を上手くあしらうのも従業員の仕事の内だ」
エイジン先生は、自分さえよければ後はどうでもいいらしい。




