▼488▲ 肝臓と空豆とワインで作る地獄絵図
部屋に戻って旅館の浴衣に着替えて布団に潜り込み、早朝の小鳥達の楽しげな囀りと徐々に明るさを増して行く障子越しの日光をものともせずにスヤァと眠りにつき、ダメ人間よろしく昼過ぎになってようやく起きると、
「おはよ。よく眠れたか?」
まだ眠そうな声でアラン君に電話するエイジン先生。
「おはようございます、エイジン先生。といっても、もう二時を回ってますけど。こちらはおかげさまで安眠出来ました」
それとは対照的に、既に目が覚めきっている声のアラン君。
「朝飯は食った?」
「十時頃、軽く済ませました。その際、和服のメイドさんに昼食の時間を尋ねられたので、エイジン先生の起きる頃合いを考えて、二時から三時の間でお願いしておきましたが」
「メイドってか仲居さんだな。ま、どっちでもいいや。今から食堂で落ち合おう」
自前の紺の作務衣に着替えたエイジン先生が一階にある和風定食屋っぽい造りの食堂まで来てみると、既に明るいグレーのスーツ姿のアラン君が奥の座敷に上がって待っており、焼き魚をメインとする色とりどりの惣菜にご飯とみそ汁という昼食が二人分、もうテーブルの上に用意されていた。
「おお、昨晩の南部アメリカンなテイストとは打って変わって、いかにも日本の料理だ」
座布団の上にどっかとあぐらをかいて座り、箸を取るエイジン先生。
「朝もこんな感じでした。やっぱり故郷の料理を出されると嬉しいですか?」
続いて箸を取るアラン君。
「実を言えば、日本人でも今時ここまで純和風な食事をする機会はかなり減ってる。俺達にとっちゃ、和風にアレンジされた多国籍料理こそが故郷の料理なんだろうな。ところで、アラン君はアンソニーに会ったか? 昨日守衛所にいた警備員のオッサンの事だが」
「いえ、あれ以来見てません。ここに来てるんですか?」
「この旅館の管理人も兼任してるんだとさ。おまけに元精神科医だとよ。人生色々だ」
「ああ、精神科医だった事は知ってます。あの人が三人の銀行強盗をやっつけた事件はかなり話題になりましたから」
「知ってたのか。じゃ、あのオッサン、結構有名人なんだ」
「もう何年も前の事件なので、言われるまでその当事者だと気付きませんでしたけど」
「世間の関心なんて目まぐるしく移り変わって行くからな。一世を風靡した芸能人が数年後に消えてるなんてザラだし」
「アンソニーさんについては逮捕された後、脱走してリング家に亡命した所までは大騒ぎでした。その後ぱったり続報が途絶えましたが」
「『亡命』か。確かにここは治外法権を認められた独立国家だ」
「脱走犯がリング家へ亡命を願い出る事はそれほど珍しくありません。亡命が受け入れられるか、突っぱねられるか、受け入れた上で改めてリング家の裁判にかけられて処分されるかは、当主の判断に一任されてます」
「ヴィヴィアン様のご機嫌を損ねたら死刑にされたりして」
「最近は死刑まで行くケースは滅多にありませんが、昔はよくあったそうです。一か八かでリング家に逃げ込んだ凶悪犯が、その翌日には森の中の絞首台に吊るされていた事も」
「ずいぶんなスピード裁判だな。学級裁判のノリで絞首刑にされちゃ死んでも死にきれん」
「でも、その生殺与奪の権利がリング家には認められているんです。後で冤罪だと分かっても、当主には何のお咎めもありませんし」
「ま、アンソニーの場合は亡命が許された訳だ。銀行強盗を倒した正義のヒーローってのは、いかにも武術家の妻たるヴィヴィアン様が気に入りそうな話だもんな。けど」
「なんです?」
「こっちの世界じゃ正当な理由があれば多少のイレギュラーは許されるんだろ? 何でアンソニーは銀行強盗をボコった位で逮捕されたんだ? 状況的に正当防衛は認められなかったのか? 場合によっちゃ、相手を殺したって無罪もあり得るパターンだろ」
「そこがこの事件の不可解な所なんです。客観的に見たら無罪のパターンなんですが、当のアンソニーさんが自ら有罪になる様な主張をして譲らなかったんです」
「暴力に訴えた自分を恥じて有罪を主張するタマじゃないぞあいつは。どっちかって言うと、その銀行強盗共の腹をかっさばいて肝臓をえぐり出して空豆と一緒にワインのつまみにして食いそうなサイコパスタイプだ」
本人がその場にいないのをいい事に無茶苦茶言うエイジン先生。
「食事中にそういう事を言わないでください!」
ちょうどイカの塩辛に箸を付けた時に食欲も失せるグロい光景を想像させられ、抗議するアラン君。




