▼477▲ 考えず感じたままに生きる母
よりによって女当主の目の前で赤っ恥をかかされて逆ギレ状態のベティ、タルラ、ジーンのヤンキー三人娘をエイジン先生がますます面白がっておちょくりつつ、一行を乗せた車は夜の闇に包まれた森の道を走り、やがて飾り気のない四角い建物の前で停まる。
「おら、着いたぜ。ここがジムだ」
「アタシらがついてく必要はねえんだろ。お前一人でとっと行け」
「その間、アラン君はここへ置いてけ。アタシらでたっぷり可愛がってやるから」
目上の者の前で必死に取り繕っていた時とは打って変わって、すっかり客を客とも思わぬ態度に戻っているベティ、タルラ、ジーン。
「『おいてけ堀』の化け物かあんたら。あいにくだがアラン君も連れてくぞ。彼はこの仕事に必要不可欠な助手だからな」
そう言って、この三匹の化け物から守る様にしてアラン君を先に車から降ろすエイジン先生。三匹がゴネる事なくそれを許したのは、さっきエイジン先生が女当主と親しげに話していた様子を見て、チクられたらマズいと判断したからであろう。厳しい上下関係の中で生き抜く下っ端ヤンキーならではの暮らしの知恵である。
エイジン先生も車を降り、アラン君と二人でジムの入り口までやって来ると、中から何やらカコッ、カコッ、と堅い木がぶつかり合う音が断続的に聞こえて来た。
「こんな時間に内装工事でもしてるんでしょうか?」
不思議そうに尋ねるアラン君。
「いや、稽古の音だよ」
そう言って、エイジン先生が引き戸を開けて中に入ると、ジムの内部は体育館の様な間仕切りの無い大きな空間になっており、まず目に付くのが中央に設けられた大きなリング、そしてその周囲にサンドバッグ、パンチングボール、ダンベル、バーベル、ミット、グローブ、その他様々なトレーニング用の道具があちこちに備え付けられていて、
「アレが音の正体だ」
リングの向こう側では、上は黒いタンクトップ、下は黒いジャージ姿の身長百八十センチ以上はある筋肉質な若者が、直立した丸太から枝の様な棒が何本か正面に突き出た、何やら効率の悪い帽子掛けの様な器具を相手に、その棒の合間を縫う様にして突きや蹴り等の打撃系の技を繰り出し続けていた。
棒は丸太にかっちりと固定されておらず、少しグラつく程度の隙間があるので、棒と体が接触する度にカコッ、カコッ、と音がしている。
若者の方でも二人に気付いたらしく、動きを止めて振り返り、
「エイジン・フナコシ先生と助手のアラン・ドロップさんですか? 初めまして、ブランドン・リングです」
人懐っこそうな笑顔で快活に声をかけて来た。テイタムに写真で見せてもらった様なへヴィメタ風のメーキャップはしておらず、クリクリした大きな目が特徴的でかなりイケメンといっていい部類の顔である。
「トレーニングしてる所を邪魔して悪い。今晩はほんの挨拶だけですぐ帰るから」
そう言って、ちら、とブランドン君が今まで使っていた器具を見て、
「木人樁か。結構マニアックな代物だったが、今じゃすっかりカンフー映画でお馴染みの」
その名称を言い当てるエイジン先生。
「ええ、亡くなった父が詠春拳の流れを汲む武術家だったものですから」
「あそこに飾ってある写真が親父さんだな。昨日、テイタムお嬢ちゃんに携帯で見せてもらったよ」
エイジン先生が指差した方の壁に、例の上半身裸で闘気を漲らせているブルース・リングの大きな写真パネルが掛かっていた。
「あれは母がお気に入りの遺影です。いささか気合いが入り過ぎているので、あれだけ見ると父の人柄が誤解されそうですが……」
「そっちにも別の写真が飾ってあるな。ちゃんとスーツを着てる普通の写真が」
今度は反対側の壁の上の方に掛かっている、上半身正面を写した額縁入りの写真を指差すエイジン先生。
「その写真の方が父の普段の人となりをよく表していると思います」
「穏やかで思慮深そうな風貌だ。どことなく哲学者っぽい」
「実際、父は哲学が好きでした。武術の修行の合間によく哲学書を読んでましたよ」
「文武両道か。教養のある立派な武術家だったんだろうな」
「はは、そう言って頂けると嬉しいです」
父親を褒められて本当に嬉しそうに笑うブランドン。
「ま、それはさておき、明日からこのアラン君と俺の二人で君のカウンセリングをさせてもらう事になったんで、よろしく頼む。けど、こうして見た所、君の方にまったく問題は無さそうなんだが」
「僕もそう思うんですが、何しろ母が心配症なもので。お手数をお掛けしてすみません」
「いや、ちゃんとカウンセリングの報酬は出るから気にしないでくれ。カウンセリングの他にも、君を婚約させたり、結婚させたり、娘をもうけさせたりするごとに多額のご祝儀が出るボーナスシステムもある」
「いかにも母が考えそうなふざけたシステムです。ですが、息子の人生をそんなゲーム感覚で扱われてはたまりません」
「安心してくれ。ご祝儀は魅力的だが、その為だけに十七歳の少年を無理やり人生の墓場に放り込むつもりは無い。自分が十七歳の時を思い出してみても、結婚なんて想像もつかない遠い未来の話だったし」
「僕の場合はリング家の事情もあるので、結婚は今から真剣に考えなくてはならない重要な問題です。でも、まだまだ色々な事を学ばなくてはならない未熟な時期に、娘をつくる為だけの結婚というのは、いささか問題があるんじゃないかと思います」
「お母さんにその事は言った?」
「何度も言いましたが、その都度言い返されます。『結婚から学ぶ事もある』とか『学生結婚している人もいる』とか『考えるな感じるんだ』とか」
「最後の主張だけよく分からん」
「実は僕にもよく分かりません」
困惑気味に苦笑するブランドン君。




