▼448▲ 女の子が大人へと成長していく過程で必要な事
家出事件が無事解決してから約二週間後、ジェーン・レンダは再び突発的に家を飛び出した。
自分のお小遣いをはたいてタクシーに乗り、ガル家の正門前までやって来たジェーンは、携帯でグレタに、
「お願い! またしばらく泊めて!」
と、切羽詰まった声で哀願する。
「もちろんいいわよ! でも何があったの、ジェーン?」
稽古場でエイジン先生に修行と称してやらされていたノベルゲーム製作を放り出し、もはや妹分とも言えるジェーンの為なら一肌でも二肌でも脱いでやろう、と無駄にテンションを上げるグレタ。
「父が突然変な事言いだしたの! 『今度、二人でどこか湖へボートに乗りに行かないか』って!」
「は?」
「今まで一度もそんな事なかったのに! ものすごくぎこちない猫撫で声で気持ち悪かったわ!」
「と、ともかくイングリッドを正門に迎えに行かせるから、小屋まで来てちょうだい。詳しい話はそこで聞くわ」
無駄に上がったテンションの行き場を失い、狐につままれた様な表情でグレタが一旦携帯を切ると、横で通話を聞いていたエイジン先生が、
「じゃ、今日の修行はここまでにして、俺達も小屋へ戻るか。何、心配ない。ジェーンお嬢ちゃんはすぐ落ち着くさ」
特に慌てた様子もなく、呑気な口調でグレタに言う。
「一体どういう事なの?」
グレタがその問いを発すると同時に、今度はエイジンの携帯の着信音が鳴った。
「お、早速ジェーンの親父さんからだ……はい、こちらエイジンです」
「エイジン君! ウチの娘がまた家出した様なんだが、そちらに来てないか?」
エイジン先生が電話に出ると、ヘンリーパパの慌てふためいた声が聞こえて来る。
「ええ、ジェーンお嬢様なら、たった今こちらの正門前にタクシーで到着された所ですが」
「君がこの前言った通り、ジェーンをボート遊びに誘ったら、急に家を飛び出してしまったんだ。一体、これはどういう事だ? 話が違うじゃないか!」
「落ち着いてください、ヘンリーさん。察するに、ジェーンお嬢様は思春期に入られてしまった様ですね」
「思春期?」
「前にもちょっと言いましたが、無邪気な幼少期が終わった、という事です。思春期に入った娘さんが父親を鬱陶しがる事は珍しくありません。例えば、
『お父さん、私のやる事に一々口を出さないで!』とか、
『私の服をお父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!』とか、
『お父さんの入った後のお風呂に入りたくない!』とか
『ウザッ!』とか、
『キモッ!』とか、
あるいはもっと父親の心を的確にえぐる様なひどい言葉の数々を今後数年に亘って浴びせ続けられるかもしれませんが、耐えてください。娘を持つ父親なら誰しも通る道です」
「耐えろだと!?」
「程度の差はありますが、女の子が大人へと成長していく過程で必要な事なんです」
「そんな……! せっかくこれまでの態度を改め、ジェーンとの親子関係をよい方向に修復しようとした矢先に……」
「大丈夫です、大人になれば収まりますから。それまでは、お嬢様の心ない罵詈雑言をあまり深刻に受け取らず、一歩引いた位置から温かく見守る位の気持ちで構えていてあげてください」
「愛人とだって別れたんだ!」
「話を聞いてますか、ヘンリーさん?」
「ジェーンとボート……楽しみにしていたのに……また家出されるとは……」
「あー、はいはい、大丈夫です。ボート遊びについては、私からも説得してみましょう」
「本当か?」
「何なら、私も一緒に行きますよ。その方がお嬢様も安心されるでしょう。一度こじれた親子関係を修復するのは時間が掛かるものです」
「う、うむ」
「ともかく、ジェーンお嬢様はこちらでしばらくお預かりしますので、何もご心配なく。お帰りになる際には、またそちらにご連絡致しますから」
「すまないが、よろしく頼む」
そこで通話を終えたエイジン先生は、大きな息を一つ吐いてから、横できょとんとしているグレタに向かって、
「ま、そんな訳だ。あの親父も十分反省してる事だし、ジェーンお嬢ちゃんへボート遊びに付き合ってやる様、あんたからも言ってやってくれないか?」
と、いたずらっぽく微笑みながら持ちかけた。
こんな具合に、古武術詐欺師は悪役令嬢を巻き込んで今日もよからぬ事を企むのである。




