▼441▲ 精神的な意味でブレーキの壊れた人々
それからほどなくしてローブロー家から迎えの車が到着したとの連絡が入り、帰宅したご主人様に思いっきり構ってもらおうと待ち構えていたグレタ犬とイングリッド猫に再度留守番を言いつけた後、当ての外れたこの二匹の恨みがましそうな見送りの視線を背に受けながら、エイジン先生は飄々と小屋を出て行った。
宵闇の中、正門を出てすぐの所に停めてある黒塗りの高級車の所までエイジンがやって来ると、運転席の窓がウィーンと音を立てて開き、
「乗れ」
黒いスーツを着た見覚えのある強面のマッチョがぶっきらぼうに声をかけて来た。マリリンに命令される事が生きがいのサイボーグ、もとい忠実なる使用人のアーノルドである。
「おう、よろしく頼む。ってか、足の方は大丈夫なのか?」
アーノルドの足の怪我を心配する、その怪我をさせた当人ことエイジン先生。
「車の運転位なら問題ない。医者と相談しながらリハビリに励んでいる所だ」
「そりゃ良かった。でも無理するなよ」
エイジン先生がそう言って後部座席に乗り込むや否や無言で車を急発進させ、そのまま猛スピードで爆走するアーノルド。
「無理するな、と言ったばかりなんだが」
「マリリン様がたいそうお待ちかねだ。飛ばすぞ」
エイジン先生の抗議を無視して、何人たりとも自分の前は走らせぬ、と言わんばかりに他の車をビュンビュン追い抜いて行くアーノルド。
「あんたは頑丈だからいいかもしれんが、俺は生身の人間だからこのスピードで事故ったら死ぬわ!」
「問題ない。生きたままマリリン様の元に届ける」
「ビフィズス菌か俺は」
この人間離れしたアーノルドのドライビングテクニックにより、車は予想以上の早さでローブロー家に到着する。
漆黒の夜空を背景にライトアップされた白い壁とえんじ色の屋根、特にその一角が巨大な円錐状になっていて強烈なインパクトを与えているリゾートホテル風の大邸宅の玄関前でエイジン先生が暴走車を降り、メイドに屋敷内を案内されて応接室までやって来ると、
「はぁい、エイジンさん。ローブロー家へようこそ」
メイドが急に馴れ馴れしくなった。よくよく見るとメイド服を着たマリリンである。
「え、今まで全然気付かなかった。ひょっとして、これも例の『魅了の魔眼』の力か?」
驚いたエイジンが尋ねる。
「違うわ。ごく普通の軽い精神操作系の魔法よ。私を私と認識しづらくしたの」
無邪気に微笑みながら答えるマリリン。
「どっちにしろ、精神操作系の魔法は御法度だろうに」
「うふふ、魔法捜査局に通報する?」
「ってか、そこはあんたの勤め先じゃねえか」
「でも非常時にしかお呼びが掛からないのよ。私の『魅了の魔眼』を必要とする事件はあまり起こらなくて、退屈してるの」
「あんたに必要なのは退屈を紛らす事だな。退屈させ過ぎるとロクな事をしない」
「だから、今回の事件に誘ってくれたんでしょ、エイジンさん?」
「ああ、少しは退屈も紛れただろ。あ、もしかして、あんたが直々に郵便局まで脅迫状を出しに行ってくれたのか?」
「そうよ、変装してね。いざとなったら、今みたいに魔法で私と認識させなくしちゃえばいいし」
「あんたもアーノルドも精神的な意味でブレーキが壊れてるな。金属バットで人の頭をフルスイングする事をためらわない半グレ並に」
「まあ、ひどい言い草ね」
ケラケラと笑うマリリン。




