▼421▲ 催眠商法に引っ掛かってやたら高価な羽根布団を買わされる老人の悲劇
エイジン先生がテーブルに置いた紙切れを手に取り、しばらく見入った後で、
「これは……ジェーンが書いたのか?」
次から次へと繰り出される突飛な話に頭が追い付かないまま、呆然とした様子で尋ねるヘンリーパパ。
「はい。今回ジェーンお嬢様は、狂言誘拐の身代金としてあなたから二千万円をせしめ、それを私に諸経費として支払う約束をしてくださいました。それはその約束の念書です。
「もちろん、こんなふざけた金を支払う義務などどこにもありません。この念書にした所で、支払い能力の無い小学生が書いたイタズラに過ぎず、法的な効力など微塵も認められないでしょう。『ばかばかしい』と一笑に付して、この場で破り捨ててしまっても構いません。
「ですが、それはあまりお勧めしません。なぜなら、そのイタズラで書いた紙切れこそが、今後一生涯に亘ってお嬢様をあなたに繋ぎとめてくれる強固な絆を保証するからです」
さらに突飛な話を繰り出してヘンリーパパを困惑させるエイジン先生。さらに続けて、
「では、その紙切れをヘンリーさんが二千万円で買い取られた場合、一体どんな事が起こるのか、一つシミュレーションしてみましょう。
「まず私はこの紙切れと引き換えに、あなたから二千万円を受け取ります。これは銀行振り込みや小切手ではダメです。必ず日本円の紙幣でお支払いを願います。異世界のお金とはいえ、やはり現ナマは視覚的に大きなインパクトを与えますからね。
「私は車の中で待っているジェーンお嬢様の元に引き返し、頂いたばかりの二千万円分の札束を見せてこう言うのです。『お父様はあなたの為に、惜しげもなくこれだけの大金を支払ってくれましたよ』と。お嬢様はさぞ目を丸くされる事でしょう。『絶対に父はこんな大金を自分の為に支払うはずがない』と頑なに信じておられましたから。
「それからすぐに、私はお嬢様をお連れしてこの部屋に戻って来ます。お嬢様が『とんでもない事をしでかして、どんなに激しく怒られるだろう』、とびくびくしていらっしゃるのは言うまでもありません。ですが、あなたは絶対に怒ってはいけません。逆です。恐る恐る謝罪の言葉を口にしかけたお嬢様を、優しく抱きしめてあげてください。
「そしてこう言うのです。『もういい。お前さえ無事ならそれでいいんだ。部屋に戻ってゆっくりお休み』と。それでこの事件は全て終わりにします。
「てっきり問答無用であなたに引っぱたかれて、厳しく叱責されるとばかり思っていたお嬢様は、全く意外な展開に遭遇して唖然とされる事でしょう。結果として、まだ幼いお嬢様の心にこの出来事が強く刻まれる事は間違いありません。
「良きにつけ悪しきにつけ、子供の頃に強く刻まれた記憶は成長した後でも忘れられる事はありません。自分がしでかしたとんでもない大事件を、父親であるあなたが『お前さえ無事ならそれでいい』と言って全て許し、あまつさえイタズラ半分に設定した身代金まで全額、ポンッ、と支払ってくれた記憶を、今後一生涯に亘ってお嬢様は何度も何度も思い出す事でしょう。
「いつか再びあなたのやり方に不満を抱き、『あんな奴、父親じゃない』という怒りに任せて、ついそのまま行動に移しそうになった時もまた然りです。すぐにお嬢様は今日の事を思い出し、『でも、あの時お父様は、「お前さえ無事ならそれでいい」と言って全てを許してくれた』と冷静に考え直し、先程シミュレーションした様な親子絶縁という最悪の事態だけは免れます。言わばその紙切れは、あなたとジェーンお嬢様を繋ぐ最後の命綱となるのです。
「現在十二歳であるジェーンお嬢様の多感な幼少期はもうすぐ終わります。その短い残り期間に、もうこんな命綱を得られるチャンスは二度と無いかもしれません。逆に言えば、それ程までにあなたは今までお嬢様に対し、色々と取り返しのつかない仕打ちをして来てしまったのです」
そこでエイジン先生は言葉を切ってにっこりと微笑み、催眠術にかかった様なぽかんとした表情で聞き入っていたヘンリーに言い聞かせる様な口調で、
「ところが今、正にその父と娘の絆を一生涯に亘って繋ぐ命綱が、こうして目の前にあるのです! そしてたったの二千万円でそれが買えるのです! その紙切れを買いますか、ヘンリーさん?」
と強く問いかけ、
「買おう! 買わせてくれ! 今すぐここへ二千万円を持って来させる!」
ヘンリーパパは溺れる者が藁をもつかむ勢いで、この途方もない詐欺に引っ掛かったのだった。




