▼420▲ クリスマス・キャロルに学ぶ霊感商法のテクニック
「災い転じて福となす。こうして家出したジェーンお嬢様は無事家に戻られ、レンダ家とガル家が一層親交を深めるというオマケまで付いて、めでたしめでたし――で、この話が終われればいいのですが」
と明るい調子で朗々と弁じ立てた後、
「残念ながら、今回の事件はまだ終わっていない、と言わざるを得ません」
一転してトーンを落とし、得も言われぬ不安を相手に抱かせるエイジン先生。
「それはどういう事だ?」
エイジン先生に翻弄されまくり、思考力が著しく低下しているヘンリーパパ。
「事件の根本的な原因が依然として残ったままだからです。そもそもジェーンお嬢様はあなたのやり方に耐えられなくなって家出したのに、帰って来てもあなたの恫喝的な態度は何一つ変わっていないのですから。
「それでも、しばらくの間はとんでもない事をやらかしてしまった負い目から、お嬢様も大人しくされているでしょう。ですが時間が経つにつれ、あなたへの不満が再び蓄積して行きます」
「不満? では、娘は全く反省していないじゃないか!」
「そういう所です、ヘンリーさん」
「ぬ……」
「さっきも言いましたが、これは良い悪いではなく単に原因と結果の話です。環境が改善されていない以上、お嬢様がまた家を飛び出してしまわれるのは必然の理です」
「また家出か!」
「そして家出しては連れ戻され、家出しては連れ戻されを繰り返している内に、家出の手口は巧妙になり、やがて、本当に家を出たまま帰らなくなる時が確実にやって来ます。
「ここから先のシミュレーションは、娘を持つ父親にとってかなり心臓に悪いお話になります。どうか心してお聞きください」
「お、おう」
「可愛くて世間知らずなお金持ちのお嬢様が家出中とあれば、悪い連中にとって格好のカモです。境遇に同情するフリをして甘い言葉で誘えば、簡単に籠絡されてしまう事でしょう」
それはお前がやった事だろ、と言いたげなピーターの呆れ顔に気付かず、このエイジン先生の言葉に背筋が寒くなるヘンリーパパ。
「身代金目当てで今度こそ本当に誘拐されてしまうか、悪党共の仲間へ引きずり込まれて資金源にされてしまうか、年端も行かぬ少女に欲情する変態共の慰み者にされてしまうか――」
「そんな奴らは、この手でぶっ殺してやる!」
怒り心頭に発し、思わずテーブルを拳で、ドンッ、と叩くヘンリーパパ。
「落ち着いて下さい。これは現実ではなく、まだ『もしも』の話です。それに『ぶっ殺して』やった所で、お嬢様に不幸な出来事が起こってしまった後では、もう遅いのです。大切なのは」
ヘンリーを厳しい目で見据えつつ、テーブルを平手で、バンッ、と叩き、
「娘さんの身にその最悪の『もしも』が起こらぬ様、どうすれば良いかを考えて、今この瞬間からそれを実行する事でしょう! 違いますか!?」
安っぽいドラマの熱血漢よろしく、やたら偉そうに一喝するエイジン先生。
「う、うむ」
その迫力に気押されてうなずくヘンリーパパ。その横顔を見ながら、やや納得いかない表情ながらも無言を決め込むピーター。
「分かってくだされば結構です。ですが、その『どうすれば良いか』を考える前に、もう少しシミュレーションを続けさせてください。家出したジェーンお嬢様が、家に戻って来なくなってしまった所からです」
何気にヘンリーにとって過酷な状況をさらっと想定するエイジン先生。
「ま、待て。一つお手柔らかに頼む」
もう虚勢を張る余裕も無くなって来たヘンリーパパ。
「『あんな奴は父親じゃない』、と自分から親子の縁を切ってしまったジェーンお嬢様は、二度とこの家に帰る事はないでしょう。どこかあなたの知らない土地で、あなたの許しを得ずに、あなたの知らない相手と勝手に結婚します。運が良ければ、裕福でなくともそこそこ幸せな家庭を築けるかもしれません。
「しかし悲しいかな、そんなお嬢様にやがて子供が生まれたとしても、可愛い孫をあなたはその腕に抱く事さえ許されないのです。どうです、父親としてこんな寂しい事はないでしょう?」
「……」
最初の勢いはどこへやら、財産をFXで全て失った人の様な絶望的な顔になって、言葉を失うヘンリーパパ。
「あなたは血を分けた愛しい一人娘に会えぬまま、徒に年月を重ねて年老いて行きます。そして体が思う様に動かなくなり、心もめっきり弱って来た頃、いよいよ最期の時を迎えるのです。
「ベッドから起き上がる事さえままならなくなったあなたは、薄れ行く意識の中で、『生きている内に一目でいいから娘に会いたい』と切に願い、人を介してジェーンお嬢様にその旨を伝えます。
「しかしその伝言を受け取ったジェーンお嬢様は、『あんな奴は父親じゃない』、と吐き捨てる様に言い放ち、あなたの最後の願いを突っぱねます。その結果」
エイジン先生はそこで言葉を切って一拍置いてから、ヘンリーを見据え、
「あなたは、『私が悪かった。もっと娘に優しく接してやるべきだった』と、悔やんでも悔やみきれない思いに激しく苛まれながら、どうする事も出来ずに虚しく息を引き取るのです」
暗い声で重々しく宣告した。
あまりにもみじめな自分の臨終の予想図を突きつけられ、もう自分の力で上半身を起こしていられなくなり、ソファーの背に力なくもたれるヘンリーパパ。
「もちろんあなたの葬儀にも、ジェーンお嬢様が参列する事はありません」
そこへ容赦なく追い打ちをかけるエイジン先生。
「そんな……そんな!」
「これは決して単なる妄想ではありません。そこまでこじらせてしまった親子の例など、現実にいくらでもあります」
「もういい、分かった、やめてくれ。一体どうすればいいんだ、私は!?」
すっかりエイジン先生の作り話に幻惑されたヘンリーパパが、焦燥しきった声で救いを求める。
「落ち着いて下さいヘンリーさん。私もプロです。そんな最悪の事態を避ける為の策も、ちゃんと用意してありますから」
そう言ってエイジン先生は怪しい笑みを浮かべつつ、おもむろにブリーフケースの中から一枚の紙片を取り出し、テーブルの上に置く。
そこには、「私はエイジン・フナコシに対し、日本円で二千万円支払う事を約束します」という一文と、その下に「ジェーン・レンダ」の署名及び昨日の日付が、ジェーンの直筆で記されていた。
「この紙切れを二千万円で買ってください、ヘンリーさん。それで最悪の事態は回避出来ますから」




