▼42▲ 絶対に真に受けてはいけないインチキ古武術理論 その一
翌早朝。稽古場に集まった、グレタ、アラン、アンヌ、それに飛び入り参加のイングリッドの四人を前に、エイジン先生は、連日例の倉庫で格闘漫画を読みふけってでっち上げたインチキ古武術理論の説明を始めようとしていた。
エイジンのすぐ側の床には、一メートル四方の大きさに青いビニールシートが敷かれ、その上に水を入れて口を金具で留めたゴム製水枕と、七分目ほど水を張った大きな金ダライが置かれている。
まだこの時点で何に使われるのかは不明。
「そもそも古武術は、安全性を考慮してスポーツ化してしまった現代の格闘技とは根本的に異なるものだ」
やがて、もっともらしい顔をしたエイジン先生が、もっともらしい口調で話し出す。
「古武術の目的は、白兵戦において敵を戦闘不能に至らしめる事である。故にスポーツでは禁じ手となっている技が、逆に古武術の真骨頂なのである。
「それ自体が危険過ぎておいそれと使えない技である上、戦争における対人近接格闘の意味が、兵器の発達によってほぼ失われつつある現代では、古武術が廃れてしまうのも無理はない。兵士には古武術の修行をさせるより、自動小銃の扱い方を教える方が遥かに効率がいいからな。
「平時の治安を守る警察についても、古武術など必要ではない。ただ、古武術の中でも、『取り押さえる』事に特化した技は、一部逮捕術に取り入れられているケースもある。
「しかし、グレタ嬢がその身を以て威力を思い知らされ、これから習得しようとしている技は、古武術の中でも一撃必殺の危険な部類に入るものだ。この類の技を人においそれと仕掛けてはいけないし、訓練の際にも細心の注意を払わなければならない。
「さて、技の具体的な説明に入るが、普通、手による攻撃にはよく拳が使われる。固い部位であり、スピードとパワーを乗せて、狙った部位に打ち込み易いという利点が大きいので、人体を外から破壊するには都合がいい。
「しかし、拳をぶち当てた部位に鍛え抜かれた分厚い肉体がある場合、そのダメージはかなり軽減されてしまう。だから、打撃系においては鍛えようのない急所を狙うのがセオリーなのだが、ブロックや瓦などの動かない物体ならともかく、激しく動き回り、かつ防御してくる人間相手に、急所を正確に打つのは難しい。
「だが、もし、ここに相手の肉体の装甲を無視出来る攻撃法があるとしたらどうだろう。普通人体の急所とは、構造上、肉体の装甲を施せない部位の事だ。もし肉体の装甲がなければ、人間の体はたちまち急所だらけとなる。
「そんなむきだしの急所ならば、攻撃に際してスピードとパワーも不要になる。軽く触れるだけで相手は悶絶するほどの苦しみを味わうだろう。
「そう、肉体の装甲を無視出来る攻撃法こそ、古武術の奥義なのだ」
ここまで説明して、エイジンは皆の顔を見回した。
グレタが完全に信じきった表情をしているのはいいとして、アランとアンヌはこの無茶苦茶な演説にさぞ笑いを堪えているかと思いきや、意外な事に二人とも真顔で熱心にエイジンの話に聞き入っている。
一番冷静なのはイングリッドだが、それでもエイジンを疑っている様子はあまり見られない。
四人の騙され易いカモを前に、エイジン先生はもっともらしい顔をしたまま、インチキ古武術理論の説明を続けた。




