▼408▲ 聖書の言葉を仕事に応用する罰当たりな誘拐犯
ピーターとナスターシャと人形を乗せたポンコツ車が遠くに去って行くのを、自動車ディーラーのやたら長い見送りのごとく、道路まで出てしっかり見届けてから、再び廃工場の駐車場に戻ったエイジンは、
「もう大丈夫だ。あいつらは戻って来ない」
助手席側のドアからキャンピングカーに乗り込み、運転席で待機していたイングリッドにそう告げた。
「では、私達もすぐ出発しますか?」
「いや、少し間を置く。あのポンコツ車に追い付いたら、何か嫌だし。せっかくだから、ここでしばらくお茶にしようぜ」
のん気な口調でそう言って、エイジン先生がイングリッドを伴ってリビングスペースまで来てみると、意気消沈しきったジェーンがテイタムとグレタに慰められている所だった。
「ピーターが怒鳴り立てたせいで、ジェーンがすごく落ち込んじゃったのよ。エイジンからも何か言ってあげて」
エイジン先生に助けを求めるグレタ。
「普段怒らない奴が怒ると三倍増しで怖いからな。だが騙されるなよ、ジェーンお嬢ちゃん。あれはピーターの三文芝居だ」
「三文……芝居?」
ソファーに座ったまま、エイジンを見上げるジェーン。
「ああ、もっと言えばブラフだ。本気で怒ってた訳じゃない。お嬢ちゃんに精神的な揺さぶりをかけて、車から降ろそうとする作戦だよ。ポーカーで例えると、悪い手なのに大きく賭け金を釣り上げて、相手を勝負から降ろそうとするのと同じ手だ」
「でも……警察に通報されたら」
「あのオッサンは絶対に通報しねえよ」
エイジン先生はジェーンの向かいのソファーにどっかと座り、
「そんな事をすりゃ、俺はともかく、君やテイタムお嬢ちゃんが世間から後ろ指をさされる事になる。片や信用第一の銀行家の娘、片や身内のスキャンダルが選挙に大きく影響する政治家の娘がな。当然、娘の不始末は親の稼業の不利益に直結する。あのオッサンは超人レベルで賢いから、一時の怒りに任せて雇い主の不利益になる様な真似を絶対にする訳がない」
自信満々な様子で滔々と語った後、
「俺の世界の聖書に曰く、『怒りを鎮める者は、賢い者である』、さ」
罰当たりにも、旧約聖書の箴言の一節を引用して話を締めくくった。
それでもジェーンは不安げな表情で、
「たとえ通報しなくても、ピーターの事だから、何か別の手を打って来るわ」
と抗弁するが、これに対し、
「その時は、こっちも別の手を打つさ。場合によっては、あのオッサンを解任に追い込んでやる。『無職の世界へようこそ、ピーター!』ってな」
嬉々として両手を広げ、ウェルカムな様子を表現するエイジン先生。
「ピーターは何も悪くないわ……」
下を向いてつぶやくジェーン。
「ああ、一番悪いのはこの俺だ。だから何も気にする事ぁない」
よく分からない理屈で煙に巻くエイジン先生。
「……違うの。一番悪いのは……私よ」
そう言って、ジェーンは再び顔を上げ、
「もう、これ以上、家出を続けて皆に迷惑をかける訳にはいかない。だから、もうここでやめるわ、エイジンさん」
真剣な目をしてエイジン先生に訴えた。




