▼388▲ ベーカー街の名探偵VS三億円事件の犯人
豚肉、牛肉、卵、イカ、エビ、天かす、かつお節、キャベツ、ニンジン、玉ネギ、山芋、チーズ、餅、焼きそば。その他、用意された色々な具を各自の好みで自由に取ってミックスしたお好み焼きを、大きなホットプレートで焼いては食べ焼いては食べ、時々他の人に分け与えたりもするアットホームな夕食の後、エイジン先生は、
「ピーターのオッサンがようやく見張りの人形を引き上げた事だし、明日は車でどこかへ遊びに出かけようぜ」
食後の緑茶を啜りながら、軽いノリで皆に提案した。
「ジェーンお嬢様とテイタムお嬢様を屋敷の外に出されるのは、まだ危険ではないでしょうか、エイジン先生?」
テーブルの上を片付けながら、エイジンに異を唱えるイングリッド。
「そうよ。ピーターの事だから、私達をわざと油断させておいて、ここから出て来るのを外で待ち構えている可能性だってあるわ」
ピーターをよく知る家出娘ジェーンも、慎重な意見を述べる。
「ああ、あのオッサンの事だから、何か罠を張ってるだろうな。だからと言って、育ち盛りの子供達がずっとこんな狭い所に引きこもってるのも不健康だし、精神的にも参っちまうぜ。深海で身動きが取れなくなった潜水艦の乗組員みたいにな」
妙な状況を引き合いに出すエイジン先生。
「潜水艦映画のお約束ですね。じりじり減って行く酸素と水圧に押し潰される恐怖は、閉所恐怖症の人には発狂モノです」
妙な状況に詳しいイングリッド。
「それにここで籠城してた所で、ピーターのオッサンは何か別の罠を仕掛けて来るだろうよ」
「どんな罠だと思いますか?」
テイタムがエイジンに尋ねる。
「分からん。あのオッサンの手の内はそう簡単に読めん」
「エイジンにも分からないの?」
不思議そうな表情で尋ねるグレタ。
「あのオッサンの外見に騙されるな。よれよれのコートといい、くたびれたスーツといい、もじゃもじゃ頭といい、もっさりした物腰といい、『どこのホームレスだお前』とツッコミを入れたくなる様な風采だが、あれは全部相手を油断させる為のフェイクだぜ。その中身たるや、ベーカー街221Bの住人級の名探偵だよ。もう俺達がここにジェーン嬢とテイタム嬢を匿っている事もほぼ見抜いている。ただ確たる証拠がないから、踏み込めないだけだ」
大げさに肩をすくめて見せるエイジン先生。
「ピーターならあり得るわ」
ジェーン十二歳の表情が曇る。気付きたくない事に気付いてしまった、夏休み最後の日の子供の様に。
「そこまで分かっていて、あえて明日は外出すると言うんですね、エイジンさん?」
表情が曇らないテイタム九歳。夏休みの宿題はもう全部終えている子供の様に。
「お嬢ちゃんは察しがいいな。そう、だからこそ遊びに行くんだ。あのオッサンがどんな罠を仕掛けて来るか、一つお手並み拝見と行こうじゃないか」
「具体的にはどこへ行かれるおつもりです、エイジン先生?」
イングリッドが尋ねる。
「湖でボート遊びなんてどうだ? 手漕ぎじゃなく、足でペダルを漕ぐタイプのボートな。こっちの世界にもあるんだろ?」
「もちろんあります。いわゆるスワンボートですね」
「ああ、あれならちょっとやそっとじゃ引っくり返らないから安全だ。お嬢ちゃん達はそういうボートに乗った事あるか?」
「ないわ」
「ありません」
首を横に振るジェーンとテイタム。
「じゃ、決まりだ。まずはスワンボートで遊べる湖を探そう。この屋敷から車で二、三時間位で行ける所がいい」
「昨日とは別の車を使った方が良いですか?」
イングリッドが問う。
「いや、屋敷を出る時は同じ車でいい。その代わり、途中で二回ほどレンタカーに乗り換える」
「なるほど、車を乗り換えて追跡の目をくらます訳ですね。三億円事件の犯人の様に」
「よく知ってるな、そんな古い事件」
「五十年近く経っても、『自分が真犯人だ』と名乗り出る人々が後を絶たないとか」
「ある意味、『自分は金星人だ』と名乗り出る人に近いかもしれん」
「ただの危ない人ですね、それ」
そんなエイジン先生とイングリッドの会話についていけなくなる、グレタ、ジェーン、テイタムの令嬢三人衆だった。




