▼354▲ ガスの元栓を閉め忘れたかどうか気になって仕方がない性分
「この通り、灰皿もライターも用意してあるし、空気清浄機も作動してるから、葉巻はここで遠慮なくやってくれ」
屋敷の応接間までピーターを誘導して、ソファーに座らせるエイジン先生。
「じゃ、お言葉に甘えて、遠慮なくやらせてもらいます。あたしゃ、どうもコレがないと落ち着かないタチで」
ピーターは咥えていた葉巻を手に取り、テーブルの上のガラス細工の灰皿に灰を落とした。
「さっき吸ってなかったのは、やっぱり皆に気を遣ってたからか?」
「はい、昔と違って最近は喫煙者も肩身が狭くて。特に女性の方は煙を嫌がりますからなあ」
「いい人だな、あんた」
「いやあ、タバコが健康に悪いってのは、あたしも重々承知してますから、少し控えようと思ってるんですがね、これが中々上手く行かなくて」
「俺はタバコを吸わないから、喫煙者がどうしてそこまで吸いたがるのかは分からんが、これなんかどうなんだろ。随分高そうな葉巻だと思うんだが」
マントルピースの上にあった平べったい木箱を手に取り、蓋を開けてピーターの前に差し出すエイジン先生。
「こりゃあ、あたしが普段やってる安葉巻なんかと違って、相当な高級品ですよ。一本もらっていいですか?」
「どうぞ、好きなだけもらってくれ。多分、箱ごと持ってっても怒られないと思う」
人の家の物だと思って、勝手な事を抜かすエイジン先生。
「じゃ、お言葉に甘えて、二、三本拝借していきましょう」
自分が吸っていたちびた葉巻を灰皿で押し潰し、エイジンがテーブルに置いた箱から、いかにも高級そうな葉巻を五本取るピーター。その内の四本をよれよれのコートの内ポケットにそのまましまいこみ、残った一本の吸い口を灰皿の横に置いてあったシガーカッターで切ってから咥え、卓上ライターで火を点け、煙を満足げに吐き出し、
「こりゃあ、うまい。健康なんかどうでもいいやって気になりますなあ」
「気に入ってもらえて何よりだ。それと報告を待ってる間、退屈だったら新聞か雑誌でも持って来させるが」
「結構です。時間的に言っても、そろそろ終わる頃合いでしょうし」
自分の風体より立派に見える葉巻を手にしたピーターが言う。
「いっそ、ここは俺達に任せて、あんた達は今すぐ他の線を当たったらどうだ? 家出娘達はもうどっか遠くへ逃げおおせてる可能性もあるぜ」
「いいえ。そう遠くへは行ってません。二人はきっとこの近くにいます」
自信たっぷりに断言するピーター。
「元刑事のカンか?」
「まあ、そんなとこです。あたしは今まで何百人もの詐欺師を相手にして来ましたから、その辺のカンはよく働くんですよ」
「そんだけ詐欺師を相手にしてたら、人間不信になりそうだな」
「ええ、職業病ってやつですかねえ。あたしはつい、何でも疑ってかかるクセがありまして」
「闇雲に何でも信じちまうよりはいいかもな。だが」
「『だが』、何です?」
その時ドアをノックする音がして、それに続き、まだメイド服に着替えずTシャツにデニムのショートパンツというラフな姿のイングリッドが応接間に入って来て、
「ピーター様、つい先ほど全ての捜索が終わりましたので、ご報告申し上げます。残念ながら、ジェーン・レンダお嬢様もテイタム・ニールキックお嬢様も、この屋敷の敷地内では発見されませんでした」
と簡潔に告げた。
「そうですか。夜分遅くに大掛かりな捜索に協力して頂き、本当にありがとうございました」
やや浮かない表情でそう言って、ソファーから腰を上げるピーター。
「ここにいないと分かった以上、いよいよあんたも他の線を当たるしかなくなったって訳だ」
いけしゃあしゃあと言うエイジン先生。
「出来る事なら、もう一度、こちらの捜索員を使って徹底的に捜索したい所なんですが」
しつこく食い下がるピーター。
「流石にそれはダメだ。ここまでやらせておいてそんな事をした日にゃ、レンダ家とガル家との友好関係に確実にヒビが入るぞ」
「でしょうなあ。残念ですが、ここらでお暇させて頂きます」
そう言って、吸いかけの高級葉巻を持ったまま、ドアから出ようとして、
「あ、一つお願いしていいですか?」
くるっとエイジンの方を振り向くピーター。
「何だ?」
「これだけ大掛かりな捜索をして頂いてなんですが、どうもあたしはまだ、この屋敷の敷地内にジェーン嬢とテイタム嬢が隠れてる可能性を捨てきれないんです」
「未練がましいやっちゃな。まあ、俺も出かける時に、『ガスの元栓を閉め忘れたんじゃないか』って気になるタチだから、気持ちは分からなくもないが」
まぜっ返すエイジン先生。
「今後、もしこちらで二人を見つけたら、速やかにあたしの携帯に連絡して頂けるとありがたいんですが。ええっと、何か番号を書く紙ありませんか?」
「今、携帯をお持ちではないのですか?」
イングリッドがすぐにメモ帳とボールペンを差し出しながら、ピーターに問う。
「ああ、どうもすみません。車の中に置き忘れて来ちゃったみたいで」
ピーターはメモ帳に自分の携帯の番号を走り書きしてから、ペンと一緒にイングリッドに返し、
「お手数ですが、こちらの方に連絡をお願いします」
「かしこまりました」
「ああ、見つかったら連絡するぜ」
イングリッドとエイジンが承諾した。
ピーターが部屋の外に出てドアを閉めかけ、
「あ、もう一つだけ」
またドアを開けて、中のエイジンに声を掛ける。
「またかよ。何だ?」
「いや、ささいな事なんですが。さっきあなた、何か言いかけてませんでしたか?」
「ああ、あんたが『何でも疑ってかかるクセがありまして』とか言ってた時か」
「はい。あの時、一体何て言おうとしてたんです? ちょっと気になりまして」
「何、大した事じゃない。『たまには、人を信じるのも悪くないぜ』って言いたかったんだ」
聞こえのいい言葉で人を騙そうとするエイジン先生。
「なるほどねえ」
探る様な目をエイジンに向けた後、ピーターはようやく屋敷を出て行った。




