▼317▲ 猛獣にエサを与える飼育係の美女
「対抗意識と言えば、『アーノルドの作ったアップルパイが、やたら美味かった』って話をしたら、ウチのメイドが対抗意識を燃やしてな」
エイジンは持って来た紙袋の中から、ケーキ屋で貰える様な取っ手の付いた白い紙の化粧箱を取り出して開け、
「これを焼いて持たせてくれたんだ。よかったら二人で食べてくれ」
細い扇形に切り分けられて互い違いに並べられた、ルビー色に輝くさくらんぼがたっぷり詰まったチェリーパイを見せた。
「まあ、美味しそう。早速頂きましょうよ、アーノルド」
「はい、マリリンお嬢様」
素直に喜んでくれているマリリンと、同じ菓子作りを趣味とする者としてのライバル意識か、チェリーパイに鋭い視線を向けるアーノルドを見ながら、
「紙皿と使い捨てフォークを持って来たから、それを使ってくれ。あと、お茶はあるか? なければ売店で缶入り紅茶を買って来るが」
と提案するエイジン。
「うふふ、ありがと、気が利くのね。でも、紅茶はもうポットに入れて用意してあるわ。エイジンさんも一緒に食べない?」
「いや、俺はもうこれでお暇するから、二人でゆっくり食べてくれ。後で味の感想を教えてもらえるとありがたい。作ったメイドが気にしてたんでね」
「そう? なら、ちょっと待ってて」
マリリンはベッドの枕元に置いてあるウェットティッシュを取って軽く手を拭いた後、紙箱の中のチェリーパイを一切れ、紙皿の上にちょこんと乗せ、
「アーノルド、はい、あーんして」
ベッドに腰掛けているアーノルドの横に体を密着させて座り、そのパイをフォークで一口切り取って、この強面マッチョマンの口元に差し出した。さながら猛獣にエサを与える飼育係の美女といった絵面である。
「はい、マリリン様」
サイボーグの様に無表情のまま、命令に従って軽く口を開けるアーノルド。マリリン嬢がそっとその中にチェリーパイを入れると、機械的に咀嚼を始め、やがて嚥下した。
「どう、お味は?」
マリリンの問いに対して、
「素晴らしい出来栄えです。これを作ったのは料理だけでなく、万時につけて細かい気配りの出来る方に違いありません。さぞやご主人様思いの忠義なメイドなのでしょう」
一口のチェリーパイから、その料理人について的確な診断を下すアーノルド。
「すげえな、ピタリと当たってるぜ。ま、他に色々と問題が多いのが難点なメイドだけどな」
エイジンはアーノルドに感心しつつ、
「そう言えば、『ご主人様思いの忠義な使用人』って所はあんたに似てるな。忠義が過ぎていささか暴走気味な所も」
外見的には似ても似つかぬ、この二人の忠義者の共通点を指摘した。問題点と言った方がいいかもしれないが。
「だとすると、グレタさんは幸せ者ね」
そう言って、残りのチェリーパイからフォークで一口取り、今度は自分で食べるマリリン。
「そのメイドさんに、『とても美味しかったわ。ありがとう』って、伝えておいて、エイジンさん」
「ああ。それを聞いたら、すごく喜ぶと思う。じゃ、俺はこれで帰るぜ。あんたもお大事にな、アーノルド。成り行きとは言え、大ケガさせちまった俺が言うのもなんだが」
アーノルドに向かってエイジンが言うと、
「いや、ケガに関してはもう何の遺恨もない。それより、マリリン様が逮捕されない様に取り計らってくれた事を感謝する」
淡々とした口調で、マリリンへの忠義ぶりを示すアーノルド。
「自分のケガより、マリリン様の処遇の方が大事か。本当に大した男だよ、あんたは」
そんな会話の流れをぶったぎって、
「うふふ、またゲームをして遊びましょうね、エイジンさん」
自分勝手な事をのたまうマリリン。そもそもゲームを強行したからアーノルドが大ケガしたのだが。
「鬼かあんた。せっかくのいい話が台無しだよ。だが、そんなあんたの悪役令嬢ぶりを見込んで、一つお願いがある」
「あら、何かしら?」
「俺はこの世界に召喚されてから、なぜかトラブルに巻き込まれる事が多くてな。今後、場合によっては、法に触れるギリギリの思い切った手段に訴えなけりゃならなくなるかもしれないんだ」
「うふふ、穏やかじゃないわね」
「その時は生真面目な奴じゃなく、あんたみたいな善悪にとらわれない思考が出来る人間の協力が欲しい。きっと昨日のゲームの十倍は面白いぜ?」
この不穏なお願いに対し、マリリンは天使の様な無邪気な笑顔で、
「了解したわ。その時は遠慮しないで頼ってちょうだい。楽しみに待ってるわ」
と承諾した。
こうして詐欺師と悪役令嬢の悪だくみの協定がまとまったものの、これについて傍らで聞いていたアーノルドは例によって何も言わなかった。ご主人様の決めた事に異を唱えず、ただ黙々と従うのがこの男の美学なのだろう。
その後、マリリンがアーノルドに対して二度目の「あーん」を試みようとする中、エイジン先生は苦笑しながらこの一見バカップルな主従に暇を告げ、病室を後にした。
ストイックで無表情な猛獣も、崇拝する美女からのご褒美に与り、内心至福の時を迎えているに違いない。




