▼304▲ 仲良くケンカする灰色の猫と茶色のネズミ
それから約三十分後。
エイジン先生は薄暗い照明の灯る玄関ホールの床にあぐらをかいて座り込み、段ボール箱の中の三千枚の一万円紙幣を一枚一枚きちんと揃えて、ゲーム開始時にもらったヨレヨレの紙袋に移す作業に没頭していた。
「『急いては事を仕損じる』、っと。こういう時こそ、ゆっくり丁寧に作業しないとな」
いい事を言っている様に思えるが、やっている事はコソ泥と変わらない。
やがて、きっちりと揃えられた三千枚の一万円札でパンパンになった紙袋が出来上がり、
「手荒に扱ったら破けそうだな、こりゃ」
今にも取れてしまいそうな手提げヒモは使わず、紙袋の底を抱える様に持って立ち上がった瞬間、
「どう、ちゃんと三千万円分あったでしょ?」
エイジンの背後から、聞き覚えのある、甘くけだるい声がした。
いつの間にか、赤い救急バッグを胸の前で抱えたフライトジャケット姿のマリリンが、玄関のドアに寄り掛かって立っており、エイジンの金勘定を見物していたのである。
エイジンは振り向かずに、その場で凍りついた様に立ちすくんだまま、
「すみません、いつからそこにイタンデスカ?」
抑揚のない声で尋ね返した。
「十分位前かしら。ドアを開けても気付かない位、作業に没頭してるエイジンさんの姿が可愛くて、つい、ここで観察してたの」
「病院から瞬間移動で来たのか。追いかけっこにワープを使ったら流石に反則じゃないかと思うんですが、いかがなものでしょう、マリリンさん?」
いつものおどけた調子に戻って、振り向かずにツッコミを入れるエイジン先生。
「ワープなんかしてないわ。瞬間移動に必要な魔力はもう残ってないもの。アレって結構膨大な魔力を消費するのよ」
「じゃあ、どうやってここに?」
「ケガをしたアーノルドの所へ行く途中で、少し離れた所の茂みに隠れてるエイジンさんに気が付いちゃったの」
「よく気付いたな。上手くポイントを選んで隠れてたつもりだったんだが」
「正確には『気付いた』と言うより、『探した』のよ。『エイジンさんならきっとそうするだろう』って思ってたから」
「どこの名探偵だよ。人形も踊り出しそうだ」
「うふふ、初歩よ、ワトソンさん。で、わざとそのままそこを通り過ぎて、しばらくして引き返してみたら、案の定、もうそこにエイジンさんはいなかったわ。だから、『エイジンさんは、まだゴールせずに、こっそり山小屋へ向かっている』、って確信したの」
「それであんたも俺の後をこっそり追って、ここまで徒歩で引き返したって訳か。ケガで苦しむアーノルドを放置して」
「苦しめたのは誰だったかしら? でも、ちゃんとローブロー家に救援を要請しておいたから大丈夫よ。今頃アーノルドは、他の使用人達と一緒に病院に向かっているわ」
「じゃあさ、俺なんかに構わず、あんたも今すぐ病院に行ってやれよ。アーノルドもきっと喜ぶぜ!」
「もちろん行くわ。このゲームに勝ってからね。その方がアーノルドも喜ぶと思わない?」
マリリンの両眼が金色に光り、薄暗い玄関ホールを明るく照らし出す。
「何か光ってるみたいなんですけど」
「これが『魅了の魔眼』よ。魔眼自体に無限の魔力が宿っているから、魔力の残存量に関係なく発動出来るの」
「何そのチート過ぎる設定」
「それと、残っている魔力は少ないけれど、まだちょっとした魔法を使える位はあるのよ。この山小屋の窓全部と外へ出るドア全部を、内側から開かなくしたり」
「地味に嫌な魔法だな」
「窓ガラスを強化して割れなくしたり」
「それは便利かも。地震対策的に」
「つまり、あなたはもう袋のネズミさん」
「あんたは家の中でそのネズミを追い回す猫にでもなるつもりか。別に仲良くケンカしたくはないんだが」
「うふふ、本当に面白い人ね、あなたって」
スリラーナイトな感じに両の眼を金色に光らせたマリリンが、微笑みを浮かべつつ、エイジンの方に一歩踏み出し、
「さ、ゲームは終わりよ、エイジンさん。こっちを向いてちょうだい」
さらにまた一歩踏み出して、
「『魅了の魔眼』を見せてあげる」
甘く優しく誘惑する様に、脅迫した。
「遠慮しておく。それを見たが最後、俺は一生この山小屋の管理人として働く事になるんだろ?」
「素敵なお仕事でしょ?」
エイジンは後を振り向く事なく、三千万円の入った紙袋をラグビーボールの様に小脇に抱えると、弾かれた様に階段の方にダッシュし、
「絶対に、働きたくないでござる!」
ニートの鑑の様な台詞をわめきつつ、そこを駆け上がって二階へ逃げて行った。
マリリンは眼を金色に光らせたまま、にっこりと笑い、
「うふふ、男の人ってバカね」
エイジンの後を追って、ゆっくりと階段を上がって行く。
「全部手に入れようとして、結局全部失うんだから」




