▼301▲ 坂の上のクマ
山の中でクマにばったり出くわしてしまった時は、「クマに背を向けて走って逃げてはいけない」、と言われている。クマの狩猟本能を刺激し、猛スピードで追いかけて来る危険があるからである。
また、「坂を上る方に逃げてはいけない」、とも言われている。そのでかい図体に似合わず、クマは高い所へ向かうのが得意らしい。
そんな二つの注意事項に逆らう様に、交渉が決裂したと見るや、エイジン先生はこの迫り来る巨大なクマの如きアーノルドにくるりと背を向け、急な坂を全力で駆け上がり、元来た方向へスタコラサッサと逃げ出した。もちろん相手が本物のクマだったら、自殺行為に等しい所業である。
案の定、エイジンが坂を駆け出すと同時にアーノルドも駆け出し、五メートル程あった距離の差も、あっと言う間に縮められてしまう。
もう一歩でエイジンの足をつかめる所までアーノルドが迫った時、エイジンは突然方向を変え、右斜め前に立っている大木に突進した。
一応注意しておくと、山でクマに襲われても、「木に登って逃れよう」などと考えてはいけない。ご承知の通り、クマは木登りの名人なのである。
だが、エイジンの目的は木登りではなく、木の幹を勢い良く駆け上がって、二メートル程の高さで木を蹴って反転し、迫りくるアーノルドの頭めがけて飛び蹴りを放つ事だった。いわゆる「三角飛び」である。
が、この奇襲攻撃をクマ、もといアーノルドは野生の本能で察知し、大きく横に飛びのいて難なくかわしてしまう。
飛び蹴りは空振りに終わったものの、こうしてアーノルドの巨体を脇にどかす事に成功したエイジン先生は、着地と同時に障害物のなくなった急な坂道を、今度は勢いよく下って逃げ出した。
また話をクマに戻すと、クマは急な坂を上る事は得意でも、下る事は割と苦手らしい。確かに、その丸っこい巨体は、ちょっとバランスを崩したら坂道を勢いよく転がり落ちて行きそうな感じである。
すぐさまエイジンの後を追って坂を下るアーノルドもまた然り。エイジンより馬力があるものの、それをモリモリの筋肉で重くなった体のバランスを取る事に回さなければならない分、上りの時よりやりにくそうな様子が見て取れる。
と、不意にエイジンが坂道で急停止して、その場にうずくまった。
これに気付いて、自分も急いで止まろうと試みるものの、勢いのついた重い物体は急には止まれず、うずくまったエイジンにつまずき前のめりに倒れるアーノルド。上半身裸なので、ものすごく痛そうである。
次の瞬間、エイジン先生は素早く身を起し、うつぶせに倒れたアーノルドの左足首を持ち上げ、自分の左腕の肘の辺りでがっちりと抱え込みつつ、右手でそのつま先をつかんで、グイ、とひねりを加えた。
「んぐッ!」
うつぶせに倒されたままなす術もなく、苦悶の表情を浮かべるアーノルド。
「俺の勝ちだ。このまま足首をやっちまえば、あんたはもう俺に追いつけない」
エイジン先生はこのクマ、もといアーノルドがこの態勢から脱出出来ない様、腕に渾身の力を込めつつ、
「だから、『ここで降参してゲームを降りる』、と言ってくれ。そうすればこれ以上危害は加えないから」
諭す様な口調でリタイアを促したが、
「マリリン……様の……命令に……背く事は……できぬ!」
美女に命令される事が生きがいのマッチョことアーノルドは、激痛に耐えつつこの勧告を頑なに拒否した。




