▼298▲ 離婚歴を「バツイチ」「バツニ」と数える風潮
鬱蒼とした木々の生い茂る山の中、山道とは名ばかりのほとんど道なき道を、車が駐めてある場所を目指して先を急ぐ迷彩服姿のエイジン先生。
その姿は傍から見ると、目に見えない化け物に追いかけられてやみくもに逃げ惑う生き残りの兵士の様でもあったが、行けども行けども似たような景色が続き、一歩間違えば遭難しかねない状況下にあって、エイジンはコースから外れる事なく、着実にゴールへと向かっていた。
「……バツ…………ニ…………イチ…………バツ…………ニ…………イチ……」
走りながらエイジンがこの様につぶやいているのは、別にバツイチ、バツニ、などと誰かの離婚歴を数え上げている訳ではなく、木の幹に付いている真新しい引っかき傷の形を、声に出して一つ一つ確認しているのである。
アーノルドと一緒にこの道を山小屋へ向かって歩いていた時、エイジンが拾った小石を使い、適当な間隔を置いて道の脇に生えている木々に引っかき傷を付けていた事は前に述べたが、実はその際、ただでたらめに刻んでいたのではなく、「一」、「二」、「×」、「一」、「二」、「×」という具合に、三種類の傷を帰り道の目印として順番に付けていたのだった。
目印を三種類にしたのは、一種類や二種類だと何かの拍子に知らず知らず逆方向へ向かってしまう危険性がある為であろう。「×」、「二」、「一」、の順に辿れば、その様な逆行を防止する事が出来る。
「……バツ…………ニ…………イチ…………バツ…………ニ…………イチ……」
山小屋を出発してから、それしか言わないエイジン先生の表情はいつになく真剣で、とてもゲームを楽しんでいる様には見えなかった。負ければ奴隷の身に落とされる事を思えば無理もないが。
一方、山小屋ではゲーム開始からちょうど三十分が経過し、カウントダウンが終了したキッチンタイマーの電子音がピピピピ、と鳴り響く。
「じゃあ、頑張ってね、アーノルド」
上半身裸に迷彩ペイントを塗りたくって緑色の変態と化しているアーノルドに、マリリンが甘くけだるい声で命令を下すと、
「はい、マリリン様。必ずエイジン様を連れて――」
アーノルドは無表情で玄関のドアを開け、
「――すぐ戻ります」
低いしゃがれ声でそう答えてから、その巨体に似合わぬスピードで駆け出し、エイジンの後を追った。




